新国立劇場『ザ・ヒューマンズ─人間たち』 山崎静代×平田満×桑原裕子インタビュー
『ザ・ヒューマンズ─人間たち』が、2025年6月12日(木)~29日(日)新国立劇場 小劇場にて上演される。
本作は、劇作家・脚本家として活躍するスティーヴン・キャラムのヒット作。マンハッタンの老朽化したアパートを舞台に、感謝祭を祝うために集まったある家族の一夜の物語だ。2014年アメリカン・シアター・カンパニー製作によりシカゴで初演され、2016年にはブロードウェイへ進出。ピュリッツァー賞演劇部門最終候補となり、トニー賞、ニューヨーク演劇批評家協会賞の最優秀プレイ、オビー賞劇作賞を受賞した。今回が日本初演となる。
演出の桑原裕子、ブレイク家の長女・エイミーを演じる山崎静代、父・エリックを演じる平田満のインタビューが到着した。
――スティーヴン・キャラム作のこの戯曲について、桑原さんはどの部分に魅力を感じ、日本で上演したいと思われたんでしょうか?
桑原:この作品は、家族劇の体裁をなしていながらも、実は人間が抱える不安という“化物”についてのお話だと思っていて、それを演劇として表現するのはすごく難しいし、映像でも難しいと思うんですよね。私たちは常にその怪物を抱えているけれど、表に出すことはほとんどありません。それを表現しようとするということだから難しいし、面白いんだと思います。
とても大変な作業になるとは思うんですが、ご覧いただけたら、単なる家族劇だと思いきや、体感型の何か不安なアトラクションに取り込まれていくような感覚を覚えたり、自分自身の中にある不安と結びつくような体験をしていただけるかもしれません。そこが、この作品の核になるんじゃないかと思います。
――現代のアメリカを舞台にした物語であり、アメリカ人であれば共有・理解しやすい宗教観であったり、都市と地方に関する認識であったり、日本人の感覚では細かい部分で理解の難しいところもあるかもしれませんが、より普遍的な人間としての感覚という部分で、日本の観客も自分事として受け止められると?
桑原:そうですね、おっしゃる通り、宗教観であったり、地理的な感覚であったり、ニューヨークの中流階級の人たちというところを感覚的、知識的にわからないところはあると思うんですけれども、でも、実はそこで交わされている会話は私たちとものすごく共通しているし、この戯曲の魅力は、いわゆる翻訳劇っぽくないところだなというふうにも思ったんですよね。
その理由の一つは、ニューヨークの中でも、チャイナタウンの集合住宅が舞台になっているので、日本の団地文化とちょっと近いところがあるからなのかもしれないですね。例えば騒がしい上の階の人に気を遣って生きているところだったり、取り繕って空気を読んで、思ったことを言わないようにするみたいなところは、すごく日本人に近いなと思います。
あとはいまの日本の時世的に、過去の豊かだった時代を知っている私たちが、どんどんいろんなものを失っているというのは実感としてあって、そういう不安をヒシヒシと感じつつ、インターネットやSNSでイライラして他者に攻撃的になったりするところなど、すごくこの作品と通じていると思います。だから、ここで描かれている不安との向き合い方って、いま、まさに私たちが対面していることへの検証みたいなところもあるんじゃないかなと思っています。
――山崎さんは最初に戯曲を読まれてどのような印象を受けましたか?
山崎:最初にお話をいただいた時、戯曲よりも前に桑原さんと平田さんがご一緒というのを聞いて「やりたい」というのがありました。
最初にホンを読んだ時は、これがどういう話なのか? どういうことが起こって、どうなるのか? というのが、すぐにはわからなかったんです。
特に大きな何かが起こるわけではないし、はっきりと「これはこういう話です」というお話じゃないんだなと。(役者たちが)立って、立体的に動くことによって、家族が抱えているいろんなものが出てきたり、何かを取り繕ってるさまやったり、いろいろな葛藤やったりというのを含め、この人たちを“のぞき見”しているみたいな感覚になるんやないかと。なので、読んでいるときよりもこの作品を実際に演じることのほうが楽しみだなと感じました。
――平田さんが、この作品に魅力を感じたポイント、オファーを受けるにあたって、背中を押された点というのはどういうところだったんでしょうか?
平田:最初は登場人物がやたら多くないというところ。そういうのが好きなんです。今の自分は、主役がいて、端役がいて、通行人がいて……みたいなのはもういいやって思っていて。通行人だけにスポットを当てるようなものだったら面白いなと思うほうなんです。そういう意味で、この作品は、6人が6人とも魅力的で、かつそれぞれの関係性がもうグチャグチャに絡み合っていて…そういうところが好きですね。
あとは、確かに読んでもわからない(笑)。読んでて気が散るんですよ。(二層式の舞台装置のなかで)一階と二階で同時に会話がなされるので、「どっちに注目すればいいんだよ!?」 って。ハードルは高いかもしれないけど、稽古を重ねていくと面白くなりそうだというのは、勘ですけど、ありましたね。
それから、ミステリアスなところですかね。 「え? これ最後、どうなったの?」っていうところがあって、人間たちのドラマじゃないというか、ちょっと宇宙的な印象も感じて。そこで何かを発見できたら面白いし、あるいはお客さんの方に何か伝わるものがあったら面白いなと。最初から「あぁ、こういう話ね。うん、これが訴えたいんでしょ?」みたいなものじゃなくてね。
――現時点での演出プランに関して、どんな見せ方をしようと考えているんでしょうか?
桑原:いま、美術プランを考えてるんですけど、例えばリビングにあたる場所を少し目立たせる場所に置いて……などと考えていると、リビングでは特に重要なことが起きていない時に、二階の端っこで、ものすごく大事なことが行われていたりするんですよ。逆に二階でものすごくエモーショナルなことが起きて、お客さんがそっちにフォーカスを当てそうになると、下の階で誰かがジュースをひっくり返したりしていて、常に「こっちにもいますよ!同時並行で物事が動いてますよ!」というふうに知らされるんですよね。だからこれは演出上「この場面に注目してください」という、従来のやり方ではないんだなと。
――わかりやすくその部屋だけを明るくするとかいうことではなく?
桑原:そうですね。スポットというものを、あくまでもお客さんが選択できるように作らなきゃいけないと思っていて「はい、ここです!ここです!」と誘導していくのも、本来は自分の仕事だと思っているんですけど、でも、どこを見てもいいという状態を前提として作っておいて、その上で、自然とお客さんの目がどこに向いてしまうのか? をキャストと一緒に探っていく作業になっていくのかなと思います。
――キャスティングの狙いについてもお聞かせください。
桑原:まず「どこにでもいそうで、どこにも同じ家族はいない」というのが家族だと思うんですけど、「あるある!」というやり取りがいっぱい繰り広げられるので、作り込んだ家族じゃなく、当事者感、つまりお客さんが自分自身を重ねることができるキャストがいいなと思ったんですね。だから、あえて整理されてない感じがありながら、まとまった空気感も出せたら面白いんじゃないかなと思ってキャスティングをスタートしました。結果、それぞれ個性がちゃんと強くあって一見まったく似ていないのに、ありふれた家族の空気感も出せる、そんな力のある人たちに集まっていただけたと思っています。
『ザ・ヒューマンズ─人間たち』出演者
平田さんに今回のオファーをして、お話をした際におっしゃっていたのが、「従来のいわゆる“翻訳もの”を『頑張って、僕たちが考えてやりましたよ』というふうにはしたくないよね」ということ。「自分たちがいま、この物語で生きてそこにいるという当事者的な形でやるんだったら、これは面白くなるかもしれない」とおっしゃった言葉がすごく心に残っていて。その当事者性というものを出せる俳優さんたちばかりだと思っています。
しずちゃんは、以前から映画や映像作品で拝見していて、「この人が演技してるのをもっと見たいな」という気持ちがあって、勝手に何かそそられるなと思ってたんですよね。微笑んでいるのに、泣き出しそうにも見えたりとか、でも「絶対泣かないだろうな」、「いや内心ムカついてるのかな?」とか、内側が簡単に読めないからこそこちらが想像を駆り立てられる人だなと。「いつかご一緒できたら」という思いは、頭の隅にずっとありました。
長女のエイミーが父親と二人きりで話をするシーンがあるんですね。エイミーが傷ついていて、そんな彼女をお父さんが慰めるシーンを読んだ時に「あ、これをしずちゃんで見たい」って思ったんですよね。
普段、そんなふうにボロボロっと崩れるような表現をお笑いの世界では見せないじゃないですか。だからこそ、心がグラグラ揺れたときに、どんな表情になるんだろう? ちょっと特別な感覚になるんじゃないかな? と思って、隠れている脆さみたいな部分とか、そういうものを抱えながらも奮い立とうとする強さとか、そういうしずちゃん独自の強さと弱さのバランスに私はすごく興味があって、お願いしようと思いました。
私はもともと、お二人にユーモアのセンスというものが強くあると思っていて。でもお二人とも「どうでしょう? 面白いでしょ?」というタイプではないところが魅力なんですよね。この物語も、家族を和ませようとして笑わせたりはするけど、誰かが「面白いことを言いますよ」と言ってお客さんのほうを向く瞬間はなくて、基本的には家族がお互いに気遣って過ごしているだけなんだけど、その微妙な緊張が崩れることによって笑いが起こるんですよね。
そういう意味で、お二人ともストレートに“笑い”をしないというところに逆に期待をしています。お父さんが良いことをしようとした瞬間にツルっと足元が滑ったり、エイミーがみんなを落ち着かせようとして放った皮肉が「え? そんなに響く…?」というくらい意外とみんなの心にグサッと刺さったり、そういうところでのお二人の立ち位置に期待しています。