画家・ゴッホの前半生を膨大な作品で辿る『大ゴッホ展』が開幕、20年ぶりに来日した名作「夜のカフェテラス」を空間ごと楽しめる展示に
阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス 2025.9.20(SAT)〜2026.2.1(SUN) 神戸市立博物館
いよいよ待ちに待った展覧会――『阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 夜のカフェテラス』が9月20日(土)から神戸市立博物館で始まった。この展覧会は、フィンセント・ファン・ゴッホの作品の膨大なコレクションで世界的に名を馳せるオランダのクレラー=ミュラー美術館から「夜のカフェテラス」をはじめとする57点のゴッホ作品と、クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールなど同時代の作品17点を展示する。
今回の展示では名作「夜のカフェテラス(フォルム広場)」が、2005年以来約20年ぶりに来日を果たすというトピックスが話題となっている。この作品は20年間に亘りオランダ国外で展示されたことは一度もなく、極めて貴重な機会だ。開催期間が2025年9月20日(土)から2026年2月1日(日)までと長期間にわたっているものの、実は今回はあくまでも“第1期”。2027年に、こちらも名作と呼ばれる「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」の公開を含む第2期の展覧会も予定されており、“大”ゴッホ展との名前通り、国内では類を見ないほど大規模な展覧会となっている。
第1期で展開されるのは、ファン・ゴッホの前半生
以前SPICEでお届けした『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』神戸展の担当学芸員である神戸市立博物館の塚原晃氏のインタビューで語られたのは、この展覧会でファン・ゴッホの37年という短くも濃密な人生を2期に分けて展開するということだった。まず第1期では彼の前半生(塚原氏によれば「「前半生」といっても、彼が亡くなる2年前までを「前半生」として展開する」とのこと)が膨大な作品により描き出されていく。
重ねて塚原氏が語っていたのは、後半生として展開されるゴッホ最後の2年間に描かれた作品の内容の濃さだ。たった2年で生み出された作品がひとつの展覧会として成立するほどの内容と点数になっているというのだから、期待が高まる。2027年に開催が予定される第2期につなげるためにも、この第1期にはファン・ゴッホがどういう人物か、また絵を描くということとどう向き合っていたのかを知るために欠かせない作品が揃うのだ。
神戸市立博物館の2フロアを使った展示は、5つの章で構成されている。第1章「バルビゾン派、ハーグ派」では、初期のファン・ゴッホに強い影響を与えたジャン=フランソワ・ミレーや、当時ハーグで活躍していたヨーゼフ・イスラエルスの作品など、ゴッホの作風に多大な影響を与えた画家たちの作品を紹介する。
第2章「オランダ時代」展示風景
続く第2章「オランダ時代」では、1880年に27歳で画家として生きることを決意し、本格的に油彩や水彩を学び始めたファン・ゴッホの初期作品が並ぶ。第1期の会期中に展示されるゴッホ作品の総数は57点と先述したが、第2章で展示されているのはなんとそのうちの45点。第1章で紹介されたハーグ派とバルビゾン派の画家たちから大いなる刺激を受けたファン・ゴッホ。さらに1883年に移り住んだニューネンの町で芽生えた農民生活への関心を育てながら、作画の基礎を積み重ねていった初期の作品がズラリと並ぶ。
第2章「オランダ時代」展示風景
この展覧会、どうしても20年ぶりの来日となる「夜のカフェテラス」やゴッホの代表作「自画像」の公開にスポットが当たるが、個人的にこの展覧会で一番心を掴まれたのはこの第2章で鑑賞した夥しい作品の数々だ。
仕事をすることに疲弊し職を転々とするもうまくいかず、27歳になって画家を志したファン・ゴッホ。画家としての道のりは、従姉の夫で画家のアントン・マウフェの指導のもと描き上げられたとされる「麦わら帽子のある静物」に始まる。風景素描の数々からは、自分の身近にある何気ない風景を捉え表現しようと試行錯誤したことがありありと感じ取れた。農民や織工たちが働く姿、彼らの表情を真っ直ぐに捉えた作品群(中でも「白い帽子をかぶった女の頭部」や「パイプをくわえた男の頭部」など「頭部」シリーズ作品は、ファン・ゴッホが初めて傑作と称される「じゃがいもを食べる人々」の前触れとなっている)など作品を見ながら歩みを進めるごとに、自分らしい表現を模索しながら描き続けるファン・ゴッホの心情が見えてくるとともに、クレラー=ミュラー美術館のコレクション力にも舌を巻く。
第2章「オランダ時代」展示風景
この第2章は暗い色調で描かれた作品があまりにも多く、パッと見て絵の素晴らしさに感動する・理解できるというよりは、じっくりと目を凝らしてどのように描かれているのか捉えたくなる作品ばかりだ。ファン・ゴッホは何をその目で捉え、どのように描き出そうとしたのか、その視点に思いを馳せたくなる作品揃いということでもある。それはこの頃の彼が人間関係に悩んだり、信頼した女性との別れがあったり、絵を描くことの試行錯誤を続けると同時に人生の苦境を味わったことも重なっているからなのだろう。この展覧会の中でもぜひ時間をたっぷりとっていただきたい展示エリアである。
新しい刺激を受けて、自らの表現の試行錯誤は続く
第3章は「パリの画家とファン・ゴッホ」と題し、ルノワール「カフェにて」、モネ「モネのアトリエ舟」、エドゥアール・マネ「男の肖像」、カミーユ・ピサロ「虹、ポントワーズ」など、19世紀後半のパリを彩った画家たちの作品が一堂に会する。1860年代から90年代のパリで活躍した印象派の画家たちの作品から、新たな表現を模索しいかに強い刺激を受けたのか、この後に続く第4章で展示されるファン・ゴッホの作品を目にすれば一目瞭然だ。
第3章「パリの画家とファン・ゴッホ」展示風景
1885年に父が亡くなり、ベルギーのアントウェルペンを経て1886年2月にパリに住む弟のテオを訪ねたファン・ゴッホ。風景画や静物画、自画像などで試行を続けながら、やがてパリの前衛的な表現から触発されて明るい色彩と闊達な筆致を駆使するとともに、他の画家には見られない独自の感覚も示すようになっていく。続く第4章では、約2年間の短いパリ時代で劇的に変化した絵画表現の変遷を辿っていく。
この章でまず目を奪われるのは「モンマルトルの丘」だ。ファン・ゴッホが住んでいた、都会と田舎の風景が混沌としていた場所を描いたもので、第2章で展示されていた重い印象の作品群と比べると鮮やかさを帯び始めていることがよくわかる。パリの街や印象派の画家たちから新しいインスピレーションを得て自分なりの表現を見つけつつあったのではないだろうか。
第4章「パリ時代」展示風景
この頃、なかなか作品が思うような評価を得られなかったファン・ゴッホは「バラとシャクヤク」や「野の花とバラのある静物」に代表されるような花をモティーフにした作品を多く残している。そんな資金難の中で、描くようになった作品が自画像だ。本来ならモデルを雇って人物画を描きたいと考えながら、それが不可能だったため描き始めたと言われている通り、この時期に残した自画像の点数は25点と非常に多い。
今回展示されている「自画像」はパリ滞在中に描かれた中の1点だ。色彩はもちろん表情にも落ち着きを感じられるが、じっくりと眺めていると眉や瞳のあたりに不安や憂鬱さといった負の感情が漂っているようにも見える。淡い色のトーン、筆致、構図までどれだけ眺めていても飽きることがなく、彼の死後に作品が高く評価されるようになったことが口惜しくもある。ちなみに今回の展覧会では計5点のみ写真撮影が許可されているのだが、この「自画像」は撮影OKな作品のひとつ。おそらく撮影の大行列であることが予想されるが、ぜひ真正面からじっくり眺めてみてもらいたい。
第4章「パリ時代」展示風景
パリという大都会でたくさんのことを享受する一方で、その街の華やかさに心身を疲弊し、1888年2月に南フランス・プロヴァンス地方のアルルへ移住する。そこにあった豊かな自然の風景はどこか故郷のオランダを思わせ、さらに以前から浮世絵を通して憧れを抱いていた日本もこのような場所なのでは……と思いを重ねて、アルルの風景を鮮烈な色彩対比を基調とする表現で次々と描き出していく。ファン・ゴッホ独自のコントラストが効いた表現は、この地で開花したものだ。
第5章「アルル時代」展示風景
第5章「アルル時代」で展示されているのは、この展覧会の目玉として20年ぶりの来日を果たした「夜のカフェテラス(フォルム広場)」だ。ここだけが独立した小さな画廊のような仕立てになっており、ネイビーブルーの展示壁に囲まれた中で作品と対峙できる。空間ごと「夜のカフェテラス」を楽しむことができると言えば、少しおわかりいただけるだろうか。
夜空は当たり前のように黒や灰色で描かれていた時代に深い青を用いたことや、黄色で表現されたカフェの灯りとのコントラストに驚かされる。この作品を描き上げてもなお、社会的評価は得られていなかったファン・ゴッホだが、色彩を駆使する芸術家としての進路を認識し、新しい表現に覚醒した喜びを爆発させることもあったという。実際、「夜のカフェテラス」を描き上げた後、妹のウィレミーンに宛てた手紙には次のように綴っている。
「妹よ、僕は今、豊かですばらしい自然の表情を描かねばならないと思っている。僕らに必要なのは陽気さと幸福感、希望と愛だ。僕は自分が醜く、老いて、意地悪く、病んで、貧しくなればなるほど、その分一層、輝かしく、整然とした華麗な色彩を描くことで恨みを晴らしていきたい」
「夜のカフェテラス」を経て自ら新しい表現に目覚め、そこから死期が訪れるまでのおよそ2年で書き上げられた作品は2027年2月6日(土)から5月30日(日)に開催を予定している第2期で展示される。大きなトピックスとなるのはオランダの至宝と称される「アルルの跳ね橋」が展示される予定であることだ。たった2年という短い時間に創作された作品で描き出された、ファン・ゴッホの濃密な後半生。この展示も楽しみに待ちたい。
なお同展は福島県立美術館(第1期 2026年2月21日(土)~5月10日(日)/第2期 2027年6月19日(土)~9月26日(日))、上野の森美術館(第1期 2026年5月29日(金)~8月12日(水)/第2期 2027年10月~2028年1月頃)へと巡回していく。
取材・文・撮影=桃井麻依子
イベント情報
火~木・日・祝 9:30~17:30
金・土 9:30~20:00
休館日:月曜日、12月30日(火)~1月1日(木)
※ただし、月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館
・神戸市立博物館 2025年9月20日(土)~2026年2月1日(日)
・福島県立美術館 2026年2月21日(土)~5月10日(日)
・上野の森美術館(東京)2026年5月29日(金)~8月12日(水)
・神戸市立博物館 2027年2月6日(土)~5月30日(日)
・福島県立美術館 2027年6月19日(土)~9月26日(日)
・上野の森美術館(東京) 2027年10月~2028年1月(期間確定後に公表)
特別協力:クレラー=ミュラー美術館
企画:ハタインターナショナル