亀井聖矢、23歳の軌跡 『協奏曲の夕べ “凱旋”』にみえた音楽家としての成熟ぶり【レポート】
少しずつ秋の風が吹き出した2025年9月30日(火)、東京のオペラシティコンサートホールでピアニスト亀井聖矢によるピアノ協奏曲二題で構成された演奏会が開催された。“凱旋”と名付けられたピアノ協奏曲の夕べ――この数年間の亀井の歩みを物語る内容だ。
2022年のマリア・カナルスやヴァン・クライバーンをはじめ、ロン・ティボー(2022年)、エリザベート(2025年)という二つの大タイトルにおいて優秀な成績を納めてきたピアニスト亀井聖矢。これらの大きなステージを経た今だからこそだろう、「23歳の軌跡をこの数年を共にした大好きな協奏曲作品とともに留めておきたい」という強い思いを抱いていたそうだ。よって、「ライブ録音をCD化する」という流れからこの演奏会の企画が実現したという。「大好きな協奏曲たち」とは、ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番」、サン=サーンスの「ピアノ協奏曲 第5番 “エジプト風”」の二題。後者は第一位を獲得したロン・ティボーの本選でも演奏しており、亀井の十八番ともいえる作品だ。
亀井聖矢
1600席を超えるオペラシティコンサートホールの広い客席はオルガンのあるステージ後方側、サイドに至るまで一席も空きがない程の盛況ぶり。満場の聴衆の熱い視線と期待を浴び、亀井がステージに登場。もともと手足が長くすらっとした亀井だが、国際的な舞台を経験し、そして欧州での留学生活の影響もあってか、より洗練され、以前よりも大人びた印象だ。共演は高関健指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。高関への打診も亀井自らが申し出たという。
前半の曲目はショパン「ピアノ協奏曲 第1番」。第一楽章は長尺だが、亀井のピアノは全編を通して極めて完成度が高く、細部に至るまで洗練に満ち、よく磨き上げられていた。当初、やや硬さが感じられる点も若干あったが、亀井の持ち味である理知的で緻密に練り上げられたダイナミクスの流れが牽引して、この作品の抒情性をむしろ端正にひきたたせ、バランスの良さと安定感を感じさせた。また、23歳の等身大の亀井が描きだす“草書体的”な成熟味のある表現も度重なる装飾音や連符の絶妙な揺れの中に随所に描きだされていたのも印象的だった。展開部へと移行する部分での経過的プロセスの夢想的な美しさの巧みな表現や和声感の機微、そして展開部でのほとばしる緊張感など、若さと内に燃える情熱が感じられる好演だった。
第一楽章で奏でられる第一・第二主題のあの特徴的なカンティレーナの美しさは、そのまま第二楽章のラルゲットでよりいっそう昇華されていたように思えるが、この楽章(第二楽章)でも、前楽章で表現していた理知的な調和の取れた均整美をそのままに踏襲するかのように、甘い感情に溺れることなくインテンポの中で最大限に歌うことで、若き日のショパンの純粋でみずみずしい情感や憧憬がよりストレートに描きだされていたように感じられた。今の亀井らしさとショパンの真摯な想いがオーバーラップしているかのような印象だ。
第三楽章の冒頭、クラコヴィアクのあの独特なリズム感はむしろ落ち着いた感覚で捉えられていたようだ。しかし、その後に続く細やかな転調感をもった華麗なパッセージは繊細に軽やかに色付けされており、特に展開部では、まさに亀井の本領発揮。絶妙なアクセント感とともにどこまでも流れゆく洒脱で饒舌な語り口は、(音楽的には完全に絶対音楽であろうが)物語を語っているかのような幻想的なストーリー性をも感じさせていた。
休憩を挟んでの後半はサンサーンスの「ピアノ協奏曲 第5番“エジプト風”」。ショパンの1番を演奏した後で、このエキゾチックで魅力的な作品、そして亀井の18番ともいえる作品をどう料理してくれるか聴衆も楽しみにしていたことだろう。第一楽章冒頭から、前半のショパンの終楽章で聴かせたと同様にいきなり本領発揮。ショパンを弾いていた時の亀井とはまた一味違う表情をも見せる。
「水を得たり」というと、前半のショパンがそうでなかったように思われてしまうかもしれないが(もちろんショパンの水準の高さもさることながら、恐らくこの曲は特別といって良いのかもしれない……)、この作品を演奏する時の亀井はまさに「我が家に戻ってきた」という絶対的な自信が漂う。それだけ手に入っているというのだろうか、本人の「こう弾きたい!」という思いが漲らんばかりに伝わってくるのだ。
軽やかながらも地中海的なメランコリックさを漂わせるラプソディ的高揚感を、決して明るさだけではない、渋みのあるいぶした色合いで聴かせる余裕と色彩感覚も見事だ。すでに冒頭部からオーケストラ全体を亀井自身が牽引し、完全に流れを手中に収めていたのも印象的だ。(それにピタッと寄り添い伴走する高関の棒もさすがだ!)。ヴィルトゥオーゾ的なテクニックをさりげなく(むしろ当たり前のように)駆使し、見え隠れする様にエキゾチックな絵画的色彩感を燻らせる成熟度と高度な技法に終始感心してしまった。この楽章ですでに、堂々とした肢体を横たえる艶めかしくエキゾチックな“オダリスク”の画を想像しながら聴いていたのは私だけだろうか……?
第二楽章こそ、この作品ならではのエキゾチックさの真骨頂だが、むしろ様々な要素が混じり合う上で、亀井ならではの倍音効果の鋭いまとめ方など、理知的な部分が良いバランスで際立っていたのも印象的だった。一方、中間部のあの得も言われぬ美しい旋律では大胆に緩急をつけ、色彩感を漂わせ、密度の濃い歌を聴かせた。
終楽章フィナーレでは、ヨーロッパ的な軽やかさを湛えながらもバザール的なカオス(喧騒)をも漂わせるダイナミズムをあふれるスケール感で聴かせ、さらにオペラティックに歌い上げるあたりはこのピアニストらしい余裕だ。前半のショパンでもファゴット等のソロ管楽器との絡みが大変美しく印象的だったが、ここでもいくつかの管楽器がオブリガード的に伴走する箇所において、それらを美しく引き立たせようとする亀井の強い思いと配慮が感じられ、音楽家としての成熟ぶりも感じさせていた。
全編を通して陰翳と輪郭のはっきりとした大胆不敵な一枚の大きな画を見ているかのようで、亀井の持つあらゆるポテンシャルと可能性を存分に感じさせ、そして今後、さらにスケールの大きな音楽を聴かせてくれることだろうという期待感を大いに予感させる演奏だった。会場の客席空間にはしばらく余韻が漂っていた。
さすがにアンコールは無かったが(自らピアノの蓋を閉めてみせる仕草がチャーミングだった)、演奏後の満場の客席からのスタンディングオベーションもきっとCDに録音されていることだろう。来年三月のCDリリースが待ち遠しい。
取材・文=朝岡久美子 撮影 = Ryuya Amao