史上最大規模『手塚治虫 ブラック・ジャック展』開幕、手塚哲学を胸に刻む医師・澤芳樹が気づいた「ピノコとiPS心臓に通ずるもの」
手塚治虫「君たちは、何のために医者になるのか」
澤芳樹
読売テレビアナウンサーの萩原章嘉が司会をつとめる中、始まった記者内覧会。今『ブラック・ジャック』を語るにはこの人以外にはいないであろう、大阪大学名誉教授で大阪けいさつ病院院長の澤芳樹が登壇。最先端医療分野の第一線を走る澤教授が『ブラック・ジャック』と深く繋がったのは、大阪大学医学部に入学してから。他でもない手塚治虫は同じ大学の先輩であり、それぞれ中之島の校舎で医学を学んだ。澤教授は最初、そこに親近感を覚えたと語る。当時学生はみな『週刊少年チャンピオン』を読んでいる世代。手塚は医学生たちの憧れの人だったという。
(c)Tezuka Productions
手塚は膨大な医学知識を『ブラック・ジャック』に詰め込んだ。「解剖や顕微鏡で見た組織が非常に詳細に描かれているんです。医学の教科書を読むより先に『ブラック・ジャック』を回し読みをしたことで、新しい知識や病名、スケッチがすっと頭に入るんです。講義を聞いて「あ、これはマンガに出てたね」という、そんな勉強の仕方をしていた世代です」(以下、澤)と自身の学生時代を振り返った。
5回生の時には、大阪大学医学部の学園祭で手塚に講演をしてもらったそうだ。その時にもらった言葉が、以降の澤教授の覚悟と情熱を燃やし続ける原動力となった。その言葉とは「君たち、医者になる前にもう一度、何のために医者になるのかを考えてください」。「このメッセージは私たちに突き刺さりました。当たり前に医学部に行きながら医学を勉強している私たちが、卒業直前に彼から気付きをいただいた」と熱を込める。その大きなメッセージは同展でも展示されている第46話「ちぢむ!!」のラスト、「医者は何のためにあるんだ!」というシーンだ。
(c)Tezuka Productions
「「ちぢむ!!」は1974年に描かれたエピソード。そこから約5年後に、一番言いたかった言葉を僕らに届けてくれて、それが気付きになった。私はその時、まだ何科に行くか決まっていなかったんです。でも潜在的に「外科医になろう」というイメージが湧きました。それを手塚先生が与えてくれたと同時に、何のために医者になるのかを考えるスイッチが入って。もう40年経つんですけど、まだスイッチを切っていません」と誇りと照れ臭さが入り混じったような顔で笑っていた。この気付きは医学部長として学生に講義をする際も、必ず伝えているそうだ。
死生観を大切に生きてほしい
医者としてのキャリアを積んだ今、「何のために医者になるのか」という問いにどう答えるのか。それは「いのちがどれだけ大事か」を個人が意識することだと言う。「僕らは心臓外科医なので、毎日毎日心臓が悪い人を助けるわけです。その傍らで戦争が終わらない。何のために健康な人たちが殺し合って死なないといけないのか。殺人も戦争も、独裁者のエゴ以外の何者でもないじゃないかという想いです」と真剣な眼差しで語気を強める。
(c)Tezuka Productions
生きとし生けるものは必ず死ぬが、「死生観」こそがいのちの大切さを改めて認識させるという。「僕は明日死ぬかもしれません。それは誰にもわかりませんよね。世界中の人がその心構えで「今日を一生懸命生きましょう、今日を大事にしましょう」という生き方をしてくれたら、戦争が終わり、殺人もなくなるんじゃないか。そういうことをパソナ館で「いのちありがとう。」という形で表現しています」と続ける。アトムからパビリオンで受け取る「今の状況を変えることができるのは人間なんだ」というメッセージは、強く胸を打つものがある。
「iPS心臓は、まさに私が元々考えていた死生観に通じる。私たちも医学の限界を毎日感じるんです。だけど、ひとりでも多くの人が助かってほしい。みんなが死生観のもとでいのちと健康を大切にしてほしいと思うのは、何となく『ブラック・ジャック』の中にも表現されていると私は思ってます」と述べた。
『ブラック・ジャック』で描かれた、今に繋がる医療技術
パソナ館ではiPS心臓の他に、ロボットを用いた遠隔手術や治療が、今後100年の間にどれほど進歩するかが示され、未来の医療の姿にとても驚かされた。『ブラック・ジャック』では、この医療進歩を予見するかのようなエピソードも登場する。
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作中に描かれた中で、今実現している治療法はあるかと訊かれると澤教授は「ブラック・ジャックが自分のお腹を開けて、鏡に映った状態で自分の手術をするシーン(第16話 「ピノコ再び」、第123話「ディンゴ」)だ」と回答。「素晴らしいタッチで手術シーンを描かれているんです。普通はあり得ないけれど、ブラック・ジャックだからできるんだという話ではなくて、医療技術が進化することを手塚先生は期待している。僕はあのシーンはロボット手術に通じると思います。ロボット手術は開腹せずに3Dの画像を見ながら手術する。だから外科医的センスからいうと、遠隔手術と重なります。手塚先生の頭の中に、ロボット手術の時代が来るイメージはあったのかもしれない」と分析した。
(c)Tezuka Productions
そしてピノコについても言及。「ピノコはブラック・ジャックがつくりますが、元々は奇形腫という腫瘍。奇形腫は腫瘍の中に髪の毛が生えて、腸や脳の細胞があって、良性の腫瘍だけどだんだん大きくなるんです。それを取り出して、臓器を組み立て直して息を吹き返らせたのがピノコです。京都大学の山中伸弥先生が生み出したiPS細胞は、身体のどんな細胞にもなる遺伝子を持っているので、設計せずに身体の中に移植すると奇形腫ができるんです。だから僕らは心臓の細胞しかできないように工夫して調整する。するとiPS心臓ができるんです。肝臓だけを作ってる人もいます。眼を作ってる人もいます。何かピノコと通じると思いません? これは僕の解釈ですが、手塚先生は約30年前に奇形種からピノコをつくった。僕らは2007年に山中先生が樹立されたiPS細胞から心臓をつくった。だからもっといろんな人と一緒に医療をやれば、最終的にピノコができるかもしれません」と、少年のように瞳を輝かせた。
もし今ブラック・ジャックがいたら、一緒に医療の現場を考え直したい
澤芳樹
ブラック・ジャックは高額な手術費用を要求する悪どい医者としての一面も描かれている。
「金持ちに手術費用として150億円を請求するシーンがある。ブラック・ジャックがいかにも守銭奴で、お金をむさぼろうとする悪い奴にも見える描き方をしているけれど、医療技術に対してもっと対価が払われなきゃいかんということを言ってくれてるのかな」と想いを馳せる。「世の中の医師に対する目、いのちの助け方、いろんなことを『ブラック・ジャック』に込めているんじゃないか。もし今ブラック・ジャックがいたら、もっと医療が進化するような新しい技術、もしくは医療の現場の再考、そういうことを我々と一緒にやってくれたら嬉しいなと思います」と語った。
(c)Tezuka Productions
澤教授はブラック・ジャックや手塚治虫から影響を受けて、「根底にはいのちをどれだけ助けるか」という信念を抱き、「頼まれたら絶対に断らない精神」を取り入れているそう。「「先に150億出してくれ」なんて言ったことはないけど、頼まれたら「イエス」か「はい」しかない。そこはやっぱりヒューマニズム的には繋がってるかな」と、自身の中に脈々と引き継がれる「手塚哲学」を覗かせた。
手塚治虫への深い愛とリスペクトが存分に感じられた30分にも及ぶトーク。澤教授は同展について「全てにおいて手塚哲学が表現されているところが圧巻ですね。今回の展示の最大のポイントだと思います」と笑顔で述べていた。
取材・文=久保田瑛理 撮影=川井美波(SPICE編集部)