豪華アーティストが集結! RCサクセション&忌野清志郎をテーマに開催された『オハラ☆ブレイク』を濃密レポート!
『LOVE LAKE A GOGO SESSION SUNSHINE』撮影=kana shinya
2015年の一回目から数えて、2025年で10周年を迎えた、猪苗代湖畔天神浜の「アートと音楽のフェス」であり「大人の文化祭」である『オハラ☆ブレイク』。今年は、忌野清志郎とRCサクセションのデビュー55周年を祝って『オハラ☆ブレイク’25 A GO GO 愛し合ってるかい』というタイトルで開催された。ステージは、主にバンド用のラブレイクステージと、弾き語り用の猪苗代野外音楽堂。RC&清志郎の楽曲をやる、この日のために結成されたセッション・バンドが、ゲスト・ボーカルと共に、昼に1組と夜に1組出演。他のアクトも、RCもしくは清志郎のカバーを1曲歌う、というレギュレーションで行われた。あ、唯一、奥田民生は歌わなかったが、夜のセッションのゲストで出るので、それより前に歌っちゃあ……という配慮だったのだと思います。
さて。最初のアクトは、猪苗代野外音楽堂で、T字路s。このふたりがいつもカバーしている「スローバラード」を、今年の『オハラ☆ブレイク』で聴きたかった──というプロデューサーのGIP・菅真良氏の紹介で、呼び込まれる。その「スローバラード」は、中盤で「それでは大変僭越ながら、カバーさせていただきたいと思います」と歌われた。圧倒的としか言いようのない伊東妙子の歌声に、みんなじっと聴き入る。その後、メジャー・デビュー・シングル「マイ・ウェイ」も披露、ラストは「泪橋」で締められた。
T字路s 撮影=kana shinya
次はラブレイクステージのトップ、GLIM SPANKY(Acoustic Set)、松尾レミと亀本寛貴、ふたりでのライブ。「愛が満ちるまで」でスタート、「帰って来ました、オハラ☆ブレイク、ただいま!」と挨拶してからの「怒りをくれよ」、「気持ちいい風に似合う曲をやろうと思います」という前置きからの「美しい棘」、そして「赤い轍」の4曲を歌ってから、ゲスト=フジロックの忌野清志郎Tシャツを着たTOSHI-LOWを呼び込む。3人で歌ったのは「ぼくの好きな先生」。間奏でTOSHI-LOWはカズーも吹く。「生まれて初めて吹いた」とのこと。
次は「TOSHI-LOWさんとの思い出がある曲なんです」(松尾レミ)。初めて『ARABAKI ROCK FEST.』に出た時、アーティスト・ケータリングのドリンクに並んでいたら、「GLIM SPANKYじゃん。『大人になったら』って曲、好きなんだよね」と、TOSHI-LOWが話しかけてくれた、というエピソードを明かす。この曲のすばらしさをTOSHI-LOWが言葉にしてからの、3人による「大人になったら」は、いつもにまして特別な曲として、湖畔に響いた。なお、TOSHI-LOWを送り出してから、最後にふたりで演奏した曲を「Flower Song」にしたのは、「トランジスタのラジオ」という歌詞が、あるからかもしれない。
GLIM SPANKY×TOSHI-LOW 撮影=kana shinya
「『オハラ☆ブレイク』がいちばん出ているフェスです」と挨拶した、とまとくらぶ=山田将司(THE BACK HORN)&村松拓(Nothing’s Carved In Stone/ABSTRACT MASH)は、2024年10月にリリースしたファースト・アルバム『緑盤』からの曲など、5曲を披露。「もういい曲がありすぎて、全然選べなくて」とふたりで言いながら、「これに決めました」と3曲目に歌ったのは、「デイ・ドリーム・ビリーバー」。歌い終えて「素敵! 曲が素敵!」と改めて口にする山田将司だった。
とまとくらぶ=山田将司(THE BACK HORN)&村松拓(Nothing’s Carved In Stone/ABSTRACT MASH) 撮影=kana shinya
次は清志郎セッションの昼の部『LOVE LAKE A GOGO SESSION SUNSHINE』。バンドは、古市コータロー(G/THE COLLECTORS)、古市健太(Dr)、鈴木淳(B)、高野勲(Key)という布陣である。「いきなり俺歌うけど、いい? なんで俺なの?」と言いつつ、古市コータローがボーカルをとり、自身の「太陽の当たる場所」でスタートする。2曲目は、今回もメイクも衣装もフルコピー、ニセ☆忌野清志郎(ワタナベイビー)が、「い・け・な・いルージュマジック」で参加者をヒートさせる。曲の途中で暴動クラブ・釘屋玄が加わり、ツインボーカル状態に。その次は、釘屋玄がひとりで「RAZOR SHARP・キレル奴」を熱唱。ロンドンでレコーディングされた、清志郎の最初のソロアルバムのタイトル曲である。
ニセ☆忌野清志郎(ワタナベイビー)×釘屋玄(暴動クラブ) 撮影=kana shinya
次も20代。自身のファースト・アルバムのレコーディングで梅津和時に参加をオファーしたjo0ji。彼が選んだのは、RC休止後の最初のソロアルバム『Memphis』収録の「世間知らず」である……って、歌う人が曲を選ぶシステムなのかどうか、僕は知らないが、運営側からは、なかなか出ない曲なのでは、という気がする。うれしいセレクトだった。
jo0ji 撮影=kana shinya
「ここで、マブい人をひとり……マブいって(笑)。昭和39年生まれです」と、自身のボキャブラリーにツッコミを入れながら、コータローが呼び込んだ片平里菜が、jo0jiと共に歌ったのは、HISの「夜空の誓い」。jo0jiが清志郎で彼女が坂本冬美ということだ。さらに、次に片平里菜がひとりで歌ったのは、27年前の今日リリースされた、RCのラスト・アルバム『Baby a Go Go』からの「空がまた暗くなる」だった。うれしい曲が続く。
片平里菜×jo0ji 撮影=kana shinya
客席エリアを見渡して、「いやあ、いいねえ。我々ミュージシャンは、人がいっぱいいるとうれしいんですよ」と言うコータローが、次に紹介したのは、ドレスコーズ・志磨遼平、歌うは「世界中の人に自慢したいよ」。ずっぱまりである。映画『プロゴルファー織部金次郎』の主題歌だったよなあ……などと、聴きながら思い出す。はい、間違っています。それは忌野清志郎&2・3’sの「いつか観た映画みたいに」で、この曲は清志郎が出演していた東京デジタルホンのコマーシャルで使われた曲ですね。と、後で調べて気が付きました。そこにのんが加わり、ふたりで歌ったのは、2004年に清志郎が三宅伸治と共に書いた、ソロの代表曲「JUMP」。のん、タイトルどおり、歌いながら何度もジャンプする。次にのんがひとりで、清志郎とチャボ(仲井戸麗市)が一緒に書き、最後のアルバム『夢助』に収められた「激しい雨」を歌う。サビの「RCサクセションがきこえる RCサクセションが流れてる」に、オーディエンスが声を揃えた。
志磨遼平(ドレスコーズ)×のん 撮影=kana shinya
「7〜8年ぶりの復活だぜ、復活の場所がここでうれしい」と再登場したニセ☆清志郎は、「ではとても有名な曲をお送りする」と、「デイ・ドリーム・ビリーバー」を歌う。後半のブレイクでは、完全にボーカルをオーディエンスに預け、「すばらしい。感動的だ。もう一回いけるぞ、もっといけるぞ」。THE TIMERS・ゼリーの衣装でそこに加わったTOSHI-LOWが、「偉人のうた」を歌い、ニセ☆清志郎は、ハモリと合いの手(「♪ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ」というあれ)を担当する。ちなみにベースの鈴木淳は、「デイ・ドリーム・ビリーバー」とこの曲は、ちゃんとボビーに倣ってウッドベースを弾いている。
ニセ☆忌野清志郎(ワタナベイビー)×TOSHI-LOW 撮影=kana shinya
「俺は『COVERS』っていうアルバムが発売中止になったあの新聞の広告を見て、それで逆に、この人のことが、大好きになりました」と言うTOSHI-LOWが最後に選んだのは「明日なき世界」。後半の「世界が破滅するなんて嘘だろ」を、「でっかい声で言わねえと、本当のことも嘘になっちまうんだぜ!」いうTOSHI-LOWのアジテーションに導かれて、オーディエンスも力の限り歌った。
『ARABAKI ROCK FEST.』には何度も出ているが、『オハラ☆ブレイク』は初出演だった清水ミチコは、「昭和のドレミの歌」、そして「100年使える声の歌」で始まり、自民党総裁選を控えての「政治家指さん」、矢野顕子がはっぴいえんどをカバーした時の「相合傘」、主催者からの「出たいのに出られなかったアーティストを下ろしてほしい」というリクエストに応えた「オハラ☆ブレイク降臨メドレー」(松任谷由実、YUKI、クリープハイプ、東京事変、Mrs. GREEN APPLE)等々を熱唱。さらにアンコールで「風に吹かれて」を井上陽水→森山良子→忌野清志郎で歌い、大歓声&大拍手を巻き起こした。
要は、大ウケ、だったわけだが。その5日後、ナイツと共に木曜レギュラーを務める、ニッポン放送『ラジオビバリー昼ズ』のオープニングで、清水ミチコはこの日のことを報告した。どんなフェスか、どんな舞台かをご存知ないまま現場に行ったようで、四畳半ぐらいのステージだった、「え、ここで!?」と思ったが、奥田民生もここでやるので絶対文句言えない、これは試練だ、絶対盛り上げようと思ってがんばりました──と、話す。「終わったあと、主催者の人も全然堂々としたもんで『どうでしたか?』って。『どうでしたか?』じゃねえよ!」。あっはっは。でも「来年ぜひ」って答えた、お客さんはいいからね──とのことでした。あと、四畳半は盛りすぎだと思います、清水さん。八畳ぐらいはあると思います。
清水ミチコ 撮影=kana shinya
昨年の『オハラ☆ブレイク』の中心的存在だったThe Birthday、今年はゲストなし・3人でのステージである。「LOVE ROCKETS」と「Red Eye」、フジイケンジがボーカルをとる2曲でスタート。フジイケンジ、「Red Eye」ではハープも吹く。次はヒライハルキが「愛でぬりつぶせ」と「サイダー」、クハラカズユキが「誰かが」を歌い、再度フジイケンジで「READY STEADY GO」。4本のクアトロ対バンツアー等を経たせいか、4月27日に『ARABAKI ROCK FEST.』で観た時と比較すると、3人とも飛躍的に歌の力強さがアップしている。特にフジイケンジ、兄の藤井一彦を思い起こさせるほどだった。そういえば藤井一彦も、ギタリストだが、ボーカルが去ったので歌い始めた人である。「せっかくなんで、今日にちなんだ曲を。ライブでやるのは中学3年の文化祭以来。歌うのはもちろん初めてです」と、クハラカズユキがボーカルをとったラストの曲は「ドカドカうるさいR&Rバンド」。「ホテルをうろつく女を誰かがヨロシクしてるぜ」のところを、清志郎は「梅津がヨロシクしてるぜ」などと変えていたのに倣い、クハラは「ケンジがよろしくしてるぜ」と歌った。
The Birthday 撮影=kana shinya
猪苗代野外音楽堂だと、いつものように座ると姿がまったく見えなくなってしまう、なので立った状態で出番を務めた奥田民生。「674」でスタート、「夕陽ヶ丘のサンセット」「家に帰れば」「ロボッチ」「愛のボート」「マシマロ」「さすらい」「イージュー★ライダー」の8曲だった。「夕焼けのタイミングでやる曲だから、みなさん後ろを向いてください」と歌い始めた「夕陽ヶ丘のサンセット」を「今のは清志郎さんの曲でね」とか、「家に帰れば」を終えると「RCの初期の曲をね」などと大嘘ぶっこきつつ、あと「何分経った?」とか「だいぶ経ったよ?」などと時間を気にしつつ、進行していく。「このあとね、あっち(ラブレイクステージ)で盛り上がるから。休憩だから、こっちは」と突入した後半は「マシマロ」と「さすらい」でオーディエンスを狂喜させた上に「ちょっと時間が余った!」と「イージュー★ライダー」を追加。さらに大歓声を浴びた。
奥田民生 撮影=kana shinya
そしていよいよ、夜の部のセッション、『LOVE LAKE A GOGO SESSION SUNSET』。仲井戸麗市(Vo&G)、斎藤有太(Key)、湯川トーベン(B)、河村“カースケ”智康(Dr)、梅津和時(Sax)というメンツでのステージである。しばしセッションで音を確かめ、「よォーこそ」と「激しい雨」を短くメドレーで歌ってから、「君が僕を知ってる」へ入っていくチャボ──という、たまらない始まり方である。「今日僕たち、ニュー・バンドを結成しました」「ちょっと残念なニュースがあります。僕たち、今夜解散します」とオーディエンスを笑わせ、メンバーを紹介し、自らを「RCサクセション、チャボ! 俺がRCだ!」と宣言し、最後に清志郎の名もコールするチャボ。「清志郎、きっと聴いてるよ」。
仲井戸麗市 撮影=kana shinya
清志郎くんとは1960年代が終わる頃に出会った、俺の新宿の家によく遊びに来た、ビールやブドウ酒を飲みながら「一緒にいつかバンドやろうぜ」とか、女の子の話とか、たくさんした。その中で「チャボ、こんな歌どう?」といくつか歌ってくれた、今から歌う歌を聴いた時、僕はこの子とお友達になれると思いました──というMCから歌われたのは「お墓」だった。清志郎が高校2年の時に書いて、ライブでは歌うが音源化は長らくされていなかった、しかしチャボのプッシュで1983年のアルバム『OK』に入ることになった曲である(出典=『忌野清志郎画報 生卵』収録の『OK』全曲解説インタビュー。答えているのは清志郎&チャボ、インタビュアーは渋谷陽一)。「♪RCサクセション、55周年!」で終わるブルース・セッションをしばしはさんでから、始まったイントロは「トランジスタ・ラジオ」、登場して歌ったのは吉川晃司。吉川濃度100%の、タメの効いた歌いっぷりと軽やかな身のこなしで、オーディエンスを圧倒する。1オクターブ下と上をフルに使って歌いきった「イマジン」も、圧巻だった。
仲井戸麗市×吉川晃司 撮影=kana shinya
セッションに乗って登場した奥田民生は、『RESPECT!』(忌野清志郎30周年記念トリビュート・アルバム/2000年リリース)でカバーした「つ・き・あ・い・た・い」。あのリフをチャボと交互に弾く姿に、歓声が上がる。後半ではチャボのコールでメンバー全員がそれぞれソロをとり、最後はチャボ&民生が向かい合ってギター・バトルになる。「吉川がすごかったからね、緊張したよ」と言う民生を指してチャボ、「もちろん飲んでます!」。民生「や、最近減りました、減りましたよ」と、ルイボスティーを飲む。そして、フジロックでのセッションで担う歌としておなじみ、「スローバラード」。民生の歌と、どくとる梅津のサックスが寄り添ったり、入れ替わって主旋律を取ったりするさまが美しい。
仲井戸麗市×奥田民生 撮影=kana shinya
チャボが無言でビッと指を差すと、登場した最後のゲスト・ボーカリストは、全開の笑顔がなぜか危険に見える男、甲本ヒロト。上裸であるが、今日はTシャツは穿いていない。バイクでコケて足を負傷、この夏のフジロック等の各地のステージに杖ありで立って来たが、今日は杖なし。完治したようである。ヒロトが歌ったのは「キモちE」と、「いい事ばかりはありゃしない」。前者は音源と同じ「キ・モ・ち、E―!!」の雄叫びから始まり、歌い終わるとヒロト、「最高です! 最高のバンドだぜー!!」と絶叫。話すように、唸るように、叫ぶように歌った「いい事ばかりはありゃしない」では、また梅津のサックスが大活躍。メンバー全員で歌う「♪金が欲しくて働いて 眠るだけ」に、参加者もみんな声を合わせた。
甲本ヒロト 撮影=kana shinya
ヒロトと入れ替わりに、プロデューサー菅氏が出て来て「もう1曲だーっ!」。メンバーひとりずつの名を呼び、「そして、今日、いませんけど」と、体調不良で出演がかなわなくなったDr.kyOnの名前もコールする。「みんなで応援しましょう!」。「そして、チャボさん、本当にありがとうございます。最高の10周年になりました。RCサクセションがなかったら、僕たぶん、この仕事をしてなかったと思います。本当に、本当に感謝してます……」と、声を詰まらせる。
ヒロト、民生、吉川に続き、今日の出演者が多数登場。「もう一発行くぜ! 今日1日、RC、清志郎の曲を、みんなたくさん歌ってくれました、サンキュー! さっきThe Birthdayが歌ってくれたの、聴いてたぞ。きっと清志郎、来てるぜ、今夜! きっと来てるぜ!!」とチャボが叫び、清志郎のボイス・サンプル「OK、チャボ!」を四度響かせてから、「雨あがりの夜空に」のリフを弾き始めた。民生→吉川→ヒロト→全員でサビ→民生→間奏→吉川→全員でサビ→ヒロト、と歌いつなぎ、最後のBメロはチャボが担う。最後、「イエーって言えー!!」を叫んでから曲を締めるよう、チャボに指示されたのはTOSHI-LOW。声を限りに「イエーって言えー!!」と参加者に求めてから、ジャンプで曲を終わらせた。
『LOVE LAKE A GOGO SESSION SUNSET』 撮影=kana shinya
菅氏をもう一度ひっぱり出したチャボが、「みんな、いい日をたくさん探してくれよ! マイ・ボーイフレンド、忌野清志郎! RCサクセション!」と最後の挨拶をする背後で、終演を告げる花火が何発も上がり始める。この花火が、すごかった。ステージ真上とステージ左の水面から上がるのだが、終わらないのだ。延々と上がり続けるのだ。最初は大喜びで拍手を贈り続けたオーディエンスも、途中からは、思わず笑っちゃっていた。ここで終わりか、と思ったらまた上がり始める、というのが、何度も何度も続くもんで。しまいには、遂にこれで本当に終わった、と思ったら、これまでとは真逆の方向、ステージのはるか後方で、花火が上がり始めるし。たぶんトータルで10分以上あったと思う。自分が体験して来たあらゆる野外音楽フェスの中で、ぶっちぎりの量と質だった。の売り上げ、全額この花火につっこんだんじゃないか、菅さん。とすら思いました。
というわけで、多くの人が帰路についたが、ここに留まってテントで一夜を明かす参加者たちもいる。その人たちのための「CAMPERS ONLY」の催しが、終演から1時間後の21:00から、猪苗代野外音楽堂で始まった。最初は、菅氏発案の『朗読:忌野清志郎詩集「エリーゼのために」』。高野勲(Key)とフジイケンジ(G)の演奏をバックに、清志郎の詩、もしくは歌詞を読む、という趣旨で、ワタナベイビー、箭内道彦、梅津和時、片平里菜、奈良美智、TOSHI-LOWが、自らが選んだ一篇を朗読した。
奈良美智 撮影=kana shinya
次は弾き語りでのライブ×2、片平里菜と、ニセ☆忌野清志郎ことワタナベイビー。そして最後は「アナログナイト」。地元の有志や参加者たちが好きなアナログレコードを持ち寄り、その曲に対する自分の思いを語ってから曲をかける、という、毎年恒例の企画である。
この時間帯のアクトも、すべて観たが、中でも、弾き語りのふたりが、とても良かった。「まだノドが開いてないです」と、菅氏に日本酒を持ってきてもらったりして、その後、確かに調子がアップしつつ4曲を歌った片平里菜。その3曲目は、沖縄戦で犠牲になった人々を思って書いた「夏の祈りのなかで」。4曲目は、3・11のあと、9歳だった彼女の地元(福島)にかけつけたロックバンドたちのひとつ、OAUと共にレコーディングした「ロックバンドがやってきた」だった。今も終わっていないこと、終わったことにしてはいけないことをテーマにしたこの2曲に、オーディエンスは、大きな拍手を贈る。
片平里菜 撮影=山口広幸
で、さらにすごかったのが、ニセ☆忌野清志郎ことワタナベイビー。挨拶代わりに「宝くじは買わない」と「ぼくの好きな先生」をメドレーで歌ってから、「ここからはリクエストを受け付ける」と宣言。「ただしパスは3回まで認めてほしい」と、保険もかける。そして、オーディエンスから飛ぶ声に応えて、「多摩蘭坂」「2時間35分」「ダーリン・ミシン」「サン・トワ・マミー」をどんどん歌う。次の「ダンスミュージック☆あいつ」で初めてパスが出たが、次の「Johnny Blue」は見事に歌い切った。「後輩のカバーだ」とホフディランの「スマイル」も披露。ラストは、リクエストではなく自分の選曲で「I LIKE YOU」。今日9月27日が、『Baby a Go Go』のリリースからぴったり35年なので、これにしたのだろう。
さらに、アンコールでは、「パパの歌!」と声が飛び、それにもきっちり応えて己の時間を締める、ワタナベイビーだった。
「ダンスミュージック☆あいつ」は、ソロのラストアルバム『夢助』(2006年)の2 曲目(「激しい雨」の1曲前)、という、おそらく「これなら歌えまい」という動機でリクエストされたもので、パッと歌えなかったのも無理はない、と、個人的には思う。そして、「Johnny Blue」は、密かに人気の高い曲ではあるが、元は古井戸の「飲んだくれジョニイ」で、それを、清志郎とチャボで作り直して『BLUE』に入れた曲だ。最後の「パパの歌」は、ご存知のように清水建設のCMソングで、糸井重里の歌詞に清志郎が曲を付けて歌ったもの。それらの曲まで完璧に歌った。しかも、終始、歌詞を全然見ずに。この日の一等賞は、チャボなのは明らかだが (よく出てくださいました、と思うし)、二等賞はきみだ、ワタナベくん! と、言いたくなった。
以上、観ていた人数が非常に限られていたので、これは書いておくべきだ、と判断しました。すべてが終わって、一人用テントで寝袋に入りながら。
ニセ☆忌野清志郎(ワタナベイビー) 撮影=山口広幸
「必ずやる、と決めるんじゃなくて、やりたいことが毎年ちゃんとある、という方が大事かな、と思っていて。やりたいことがないんだったらやんなくていいかな、と」。この『オハラ☆ブレイク’25 A GO GO 愛し合ってるかい』の開催前に、プロデューサー菅氏に行ったインタビューの中で、彼はこんなことを言っていた。まったくもって正しい、と思うが、それでも、もし可能なら、来年も開催してもらえると、うれしいです。楽しかったし、幸せだったので、とにかく。気長に続報を待つ。
『LOVE LAKE A GOGO SESSION SUNSET』 撮影=kana shinya
文=兵庫慎司