ゴッホはなぜアルルで”覚醒”したのか――『跳ね橋』誕生の背景と印象派の革新を70点でたどる展覧会が7月に大阪で開幕

インタビュー
アート
2026.6.20
フィンセント・ファン・ゴッホ 「跳ね橋」 1888年 油彩、カンヴァス Vincent van Gogh, The Drawbridge, 1888, Oil on canvas

フィンセント・ファン・ゴッホ 「跳ね橋」 1888年 油彩、カンヴァス Vincent van Gogh, The Drawbridge, 1888, Oil on canvas

画像を全て表示(6件)

2026年7月4日(土)〜9月9日(水)に大阪・あべのハルカス美術館にて、『ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵』が開催される。ヨーロッパでも有数のコレクションを誇るドイツ・ヴァルラフ=リヒャルツ美術館より、印象派とその前後を飾った名画70作品が来日。19世紀前半から20世紀までのフランス美術の流れを、マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、シニャック、ユトリロなど各時代を代表する画家たちの軌跡でたどる。ゴッホ最盛期の傑作として知られる『跳ね橋』も見どころの一つ。名古屋市美術館の参与で、展覧会カタログで『跳ね橋』の解説を担当した深谷克典さんに話を聞いた。

◾️『跳ね橋』は“我々が知っているゴッホ”作品

名古屋市美術館参与・深谷克典さん

名古屋市美術館参与・深谷克典さん

――タイトルになっているゴッホの『跳ね橋』とは、どんな作品でしょうか。

今回の目玉と言える作品で、ゴッホが“我々が知っているゴッホ”になった、ゴッホを語る上で重要な作品です。どういうことかというと、『跳ね橋』に至るまでを少しお話しますね。ゴッホが画家になろうと決意したのは27歳でした。37歳で亡くなったので、画家として活動していたのは10年ほどです。ゴッホの名前からイメージされる『ひまわり』や『星月夜』、昨年神戸市立博物館『大ゴッホ展 夜のカフェテラス』で公開された『夜のカフェテラス』など、現在私たちがよく知るゴッホ作品の多くは、実は最後の2年ほどの間に描かれた作品です。それまでの8年間は「これがゴッホですか?」とびっくりするような、まったく違うスタイルの絵を描いていました。

――わずか2年の間とは……。

ゴッホは、生まれ育ったオランダで絵を描き始めます。そのころのゴッホは、家族とも周りの人ともうまくいかなくて、仕事もうまくいかない。社会に不満があって、人生そのものが暗かった。それが絵の表現にも繋がって、暗い色彩の絵ばかり描いていました。人気のあった写実主義の先生に学んでいましたが、その頃のオランダの美術界は遅れていましたから、それは少し古い技法でした。一方、パリでは、すでに写実主義から印象派に移り、その印象派に次ぐポスト印象派と言われる画家たちが注目を集めていました。

――国によってずいぶん違ったのですね。

パリは、アートもファッションも次々と新しいものが生まれる最先端の街でしたからね。特に美術界は、印象派が解体しかかっていた転換期で、ものすごい勢いで変化していました。そんな中、ゴッホは画商をしていた弟のテオを頼ってパリに移り住み、ようやく、印象派の代表であるモネ、ルノワールの作品を目にします。「追いつかなくちゃ」と、それはもう必死に、初めは印象派、次第にポスト印象派のスーラ、シニャックの点描画と、あらゆるものから刺激を受けて勉強します。技法に限らず、画商や芸術家との交流、あらゆる“最先端”から吸収しようともがき、葛藤していました。子どもの頃から自分の考えをはっきり持っていて、気難しくもあったゴッホは、次第に周りとの間に軋轢が生まれ、人間関係がうまくいかなくなります。そしてパリでの生活に区切りをつけ、ちょうど2年後、逃げるように南フランスのアルルへ移ります。ここまでが、ゴッホにとって画家としての修業期間だったと言えます。そして、最後の2年間が始まります。

――ゴッホが35歳の時ですね。長い修業でしたね。

それまで生活面でも創作面でも懸命に支えてくれたテオとも離れて、初めて1人になります。オランダで勉強したこと、パリで見聞した​ことなどを振り返って、初めてじっくりと自分の絵に向き合って、咀嚼する時間を持つことができた。そうして最初に生まれた作品が『跳ね橋』。“我々が知っているゴッホ”の誕生です。

――気持ちも安定して、創作に対して前向きだったのですね。

ゴッホがアルルに到着した1888年2月、南フランスでは記録的な大雪が降って、ゴッホは2〜3週間、家に籠っていました。天気が回復してようやく外に出て、この風景を見つけます。跳ね橋は、水運が盛んなオランダにもありますから、故郷を思い出させる光景、懐かしいモチーフだったのでしょう。私が昨年南フランスに行った際、アルルの跳ね橋があった場所まで行ってみたのですが、ゴッホの家からは結構距離がありました。ゴッホはこの風景を相当な時間、探して歩いたのでしょうね。アルルに来た喜び、ようやく自分の絵を描ける喜び、晴れた空の下を歩く喜び、気に入った風景を見つけた喜び、そんな華やいだ気持ちすべてを、ゴッホは最初に描いた『跳ね橋』で表現している気がします。最初の『跳ね橋』とは、オランダ・クレラー=ミュラー美術館が所蔵している『アルルの跳ね橋』です。

――来年2月に神戸市立博物館『大ゴッホ展Ⅱ期』で公開される『アルルの跳ね橋』ですね。

そうです。そして『ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち』で公開されるのが、最後に描かれた、いわゆる最後の『跳ね橋』です。比較してみると、最初の『アルルの跳ね橋』は、パリから移り住んですぐの作品なので、まだパリ時代の様式をやや引きずっており、青と黄色のコントラストが強めで、点描に近い筆跡は、どことなくスーラ風、シニャック風を感じます。そしてやっと思い切り描けるとでも言うような、ゴッホの弾む気持ちが画面から伝わってきます。対して最後の『跳ね橋』は、色彩も絵の雰囲気も落ち着き、ゴッホの穏やかな気持ちが読み取れる。ゴッホにしか表現できない、ゴッホ独自のスタイルが完成された作品です。『跳ね橋』の油彩は5点ありますが、最初と最後に描かれた2つの作品を、記憶が新しいうちに鑑賞できるのは大変貴重な機会です。『アルルの跳ね橋』はオランダの国宝で、滅多に海外への貸出をしないんですよ。日本での公開は約70年ぶりです。本展で、最後の『跳ね橋』、来年は神戸で最初の『アルルの跳ね橋』。どうか贅沢な時間を味わってください。

――ところで深谷さんは、日本人がゴッホが好きな理由をどう考えていますか?

絵の魅力も当然あると思いますが、人生そのものがドラマチックなところも、人を惹きつけるのではないかと思っています。才能に恵まれながらも存命中は絵が売れなかったとか、テオの献身的な愛情とか、親友ゴーギャンとの別れ。そして耳切り事件のインパクトが強く、自ら命を絶つところまで、どうしてもゴッホの狂気的な面ばかりがクローズアップされてしまいます。ゴッホの人生は何度か映画化されているので、ご覧になっている人も多いでしょう。僕もアーヴィング・ストーンの小説を映画化した『炎の人ゴッホ』(1956年)を観ました。映画によって、ゴッホ神話ができあがっていったところもあるかもしれませんね。

――『炎の画家』とも言われますが、お話を伺っていたらそうではない顔も見えてきました。

ゴッホは多くの手紙を残しているのですが、読んでみるとものすごく勉強家だったことがわかります。例えば語学。母国語のオランダ語のほかに英語、フランス語も堪能でした。テオがパリに行ってからの手紙は、フランス語で書かれています。読んだ本の話や身の回りに起こった出来事、自分の考えていることや、取り組んでいる絵のこと。いたって真面目で勉強熱心。この機会にそんなところも知ってほしいと思っています。

◾️印象派の画家たち、革新の流れで見る面白さ

エドゥアール・マネ 「アスパラガスの束」 1880年 油彩、カンヴァス Édouard Manet, A Bunch of Asparagus, 1880, Oil on canvas

エドゥアール・マネ 「アスパラガスの束」 1880年 油彩、カンヴァス Édouard Manet, A Bunch of Asparagus, 1880, Oil on canvas

――もう一つのタイトルは「印象派の画家たち」です。あらためて、印象派を楽しく見るためのポイントを教えてください。

フランスの印象派とその前後の作品約70点が展示されます。制作年代でいうと70〜80年ほどの幅があり、美術史の流れに沿って鑑賞できるのは同展の面白いところだと思います。印象派の前には、写実主義の時代があります。写実主義は、身の回りの世界、風景などを見たままに忠実に描く、もともとヨーロッパ絵画の伝統的な技法でした。ただ、それを理想化せず、ありのままの現実として描き出し、時には社会の厳しい現実にまでも目を向けたところが革新的でした。クールベやミレーはこの時代を代表する画家です。今回はこの2人のほか、マネ、コローなど、巨匠たちの名作を観ることができます。

もう少し遡りますが、写実主義以前の絵画には決められたテーマがあって、最も重要なテーマは歴史画でした。キリスト教、ギリシャ神話、歴史上の英雄の物語を絵画化して、観る人に人間の偉大さとか愛、勇気といったメッセージを伝える役割もありました。19世紀までは絵画に格付けがあって、ジャンルのヒエラルキーと呼ばれていますが、「どう描いたか」ではなく「何を描いたか」で、あらかじめ絵の価値が決まっていました。ですから、同展ではマネの傑作と言われる『アスパラガスの束』が展示されますけれど、100年前​だったら静物画は最も価値が低い。「アスパラなんて!」と笑われたでしょう。19世紀あたりからそのヒエラルキーが崩れ始めて、それまで価値が低いとされていた風景画や静物画が多く描かれるようになりました。それが、印象派の前、写実主義です。

――そして印象派もまた、さらに新しい表現を求めたんですね。

印象派はテーマではなく、それまでの描き方、技法に異を唱えました。印象派が求めたのは、画面の中でいかにして光を表現するか。彼らは光に特化したグループと言えます。これは美術館で実際に見比べてみるのが1番わかりやすいと思います。印象派の作品は圧倒的に明るい。それは光の描き方が違うからです。印象派が出てきて、画壇から真っ先にあがったのは「仕上げが荒い」「下手くそ」という批判の声でした。どういうことかというと、筆跡が残っている。描いたものの形がはっきりしていない。それまでの“上手な”絵は、絵の具を塗っているとは思わせないように、キレイに塗って、ツルツルに整えて完成でした。絹のドレスを本物の絹のように見せるのが当時のアカデミズムであり、大家の表現。ですから当時の美術界では、キャンバスや絵の具の存在がわかるような絵を描く画家は、画家として未熟だと評価されたのです。

クロード・モネ「エトルタの浜辺の漁船」1883-84年 油彩、カンヴァス Claude Monet, Fishing Boats on the Beach of Étretat, 1883/84, Oil on canvas

クロード・モネ「エトルタの浜辺の漁船」1883-84年 油彩、カンヴァス Claude Monet, Fishing Boats on the Beach of Étretat, 1883/84, Oil on canvas

――表現の仕方も自由ではなかったのですね。

モネやルノワールはその価値観を壊し、自分たちの描き方を追求していきます。むしろはっきりと筆跡を残した。筆跡を残すことで、光と光の煌めきを表現し、絵に明るさを加えたばかりでなく、瑞々しさや生命力を与えました。そして絵を観る人は、画家がその場で感じていたであろう感情までも受け取ることができる。僕はそこが印象派の大きな魅力と考えています。それから、印象派は庶民の日常をテーマにしていますが、生活に少し余裕のある人たちの日常。その中でも喜びに溢れた光景を選んで描いています。それまでの時代と違い、人々の苦しみや悲しみをテーマにする画家は少なくなっていきました。印象派は光があってテーマも明るい。その明るさは、印象派が好まれる大きな理由だと思います。美術館に行くなら、楽しい気分になれる絵を観たいですよね。そこは、ヨーロッパの人も一緒。ヨーロッパでも印象派は人気があります。

ピエール=オーギュスト・ルノワール「縫物をするジャン・ルノワール」1898年 油彩、カンヴァス Pierre-Auguste Renoir, Jean Renoir, Sewing, 1898, Oil on canvas

ピエール=オーギュスト・ルノワール「縫物をするジャン・ルノワール」1898年 油彩、カンヴァス Pierre-Auguste Renoir, Jean Renoir, Sewing, 1898, Oil on canvas

――展示される作品の中で、わかりやすい印象派の作品を教えてください。

モネ、ピサロ、シスレーは、非常にわかりやすい作家ですが、しいて言うなら、一つはモネ『ヴェトゥイユ上流、春の効果』。筆跡がはっきりとわかります。セーヌ川沿いの彼が住んでいた村の光景ですが、春の柔らかな明るさを感じられる名作です。もう一つは、シスレー『ハンプトンコートの橋』。彼の代表作の一つです。シスレーの名前は、あまり日本人には知られていませんが、印象派に最も忠実だった画家は、シスレーではないかと僕は思っています。描かれているのはロンドンの郊外。テムズ川の水面の煌めきは、印象派らしい表現だと思います。いずれも、日本ではなかなか観ることはできない作品です。

――最後に、名作揃いの70点の中で、深谷さんの1番好きな作品を教えてください。

難しいですね……。印象派後のグループとして紹介している「点描派の章」があるのですが、そこにはスーラ、シニャックなど点描画の名作が並んでいます。日本ではあまり馴染みがない作家かも知れませんが、これだけの作品が集まるのは珍しいので、じっくり観ていただきたいです。点描といっても表現の仕方は個々に違うので、それぞれの個性を楽しめると思います。その中で僕が特におすすめしたいのは、シダネル『ヴェルサイユの薔薇のある家』です。一般的に知られる点描画は、たくさんの点を描くという技法のせいか、規則的で合理的、科学的とも言われ、“情緒がない”とか“情感に欠ける”というイメージをもたれています。ですがシダネルは、自分流に咀嚼して、点描画のイメージを覆した、非常に情感ある作品を完成させています。世紀末の画家という時代的な背景もあるせいか、作品は神秘的で象徴的。なんとも言えない独自の雰囲気を絵の中に漂わせています。彼の作品を目にするたび、僕はいい画家だなと思っています。『ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵』をお楽しみください!

作品画像はすべてヴァルラフ=リヒャルツ美術館・コルブー財団蔵
Wallraf-Richartz-Museum & Fondation Corboud, Cologne
Photos: (C) RBA, Cologne

取材・文=田中奈都子 撮影=Nagao.M(SPICE編集部)

イベント情報

『ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵』
会場:あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階)
会期:2026年7月4日(土)~9月9日(水)
開館時間:火~金 10:00~20:00 月土日祝 10:00~18:00 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:7月6日(月)
観覧料 :一般2,100円(1,900円)、大高生1,700円(1,500円)、中小生500円(300円)
※()は団体・前売り
※障がい者手帳をお持ちの方は美術館カウンターで購入されたご本人と付き添いの方1名まで当日料金の半額
前売ペア券:3,500円 ※一般2枚組のお得な。1枚ずつでもご利用いただけます。
前売販売期間:~7月3日(金)
公式サイト:https://www.ktv.jp/event/gogh_hanebashi
 
■お子様特別ご招待
各種一般1枚につき、中小生無料といたします。
※大人と同時入場に限る。中小生2人目からは通常料金。有料観覧券に限る。

※同展は、ドイツ連邦共和国ケルン市のヴァルラフ=リヒャルツ美術館・コルブー財団の協力のもとに開催されています。
シェア / 保存先を選択