「自分の今の生き方に重なる」新木宏典が坂入十蔵に見た“伝え残す”覚悟~舞台『てらこや青義堂 師匠、走る』インタビュー
新木宏典
今村翔吾の小説を原作とした舞台『てらこや青義堂 師匠、走る』が、主演・新木宏典にて2026年8月に上演される。新木が演じるのは、元最強の忍び、今は寺子屋の先生という坂入十蔵だ。
十蔵の生き様について「自分の今の生き方に重なる」と語る新木にインタビュー。十蔵の生き方を糸口に、作品への期待や後進への思いを語ってもらった。
“忍びに近い生き方”坂入十蔵と自身に重なるもの
ーーまずは出演が決まったときの心境からお聞かせください。
4年くらい前かな。当時、僕のマネージャーが原作小説を読んで、「この作品を新木さんでやりたいと思うので、目を通しておいてくれますか」と言われたんです。そのまま、読む機会がないまま時間が経ちまして(笑)。そのマネージャーが、企画を東映さんに持っていったことで今回の舞台化が実現したという流れになります。なので、マネージャーの思いも詰まった作品です。
新木宏典
ーー原作小説を読んだのは、舞台化が決まってからですか?
そうですね。とても王道と言いますか、東映さんとタッグを組むにあたって、すごく理にかなっている作品だなと思いました。僕が初めて東映さんにお世話になったのが『獣拳戦隊ゲキレンジャー』ですが、この作品に関しても同じような毛色を感じています。
ーー演じる坂入十蔵という人物については、どんな印象を抱きましたか。
「新木さんでやりたい」と言われた意味がわかりましたね。外から見た僕のイメージって十蔵に近いんだろうなと。お酒が弱いところもそうですし(笑)、食事に関しても十蔵は忍びとしてのルールがあり、自身に制約を課している。僕も2.5次元作品と呼ばれる原作のある舞台に立つことが多い。だからこそ、自分に与えられた役割を最優先として、食事をはじめとした欲求を充実させるのではなく、キャラクターの容姿や声といったものを生身の人間で表現することを第一に作品に向き合っています。そういう生き方は忍びに近いし、僕はそういう生き方をしているように見られているんだろうなと感じました。
ーー公式コメントで「元忍びの寺子屋の師匠という役所が、自分の今の生き方に重なる」と語られていましたが、それは今お話しされていた部分ですか? それともまた違う部分でしょうか。
先々のことを考えた時に、重なる部分はあるなと思うんですよ。というのも、歳を重ねることで、今やらせていただいている2.5次元作品のメインキャラクターという役割のままプレイヤーを続けられる期限は迫っていると感じるんです。今後、その役割を担っていく次の世代の子たちに対して、「君たちが軸なのだから、君たちがちゃんと物語を動かせる表現者として役者をやっていてほしい」という気持ちがある。脇で固めてくださるベテランの方々に任せるのではなくてね。そうやって伝え残すことを考えると、寺子屋の師匠となった十蔵の思いには重なる部分がありますね。
ーー次世代に伝え残すというのは、いつ頃から芽生え始めた思いなんでしょうか。
もう20年近く前、この世界に飛び込んで世界のあり方が見えてきたからですかね。そのうえで、いくつまでできるかっていうことを想定しました。難しくなりそうな年齢の予想を立てて、そこから逆算してそこまでに役者人生を全うする。それを常に念頭に置いて生きてきました。次はこうしよう、と具体的に考えたというより、まず今のフェーズをやりきる。やりきった結果によって、次にできることって変わってくると思うので、フェーズごとの色だけ考えているような生き方をしていると思います。
新木宏典
“新木寺子屋”の門は、学びたい者にだけ開く
ーー作・演出の青木豪さんです。青木さんの作る作品にはどんな印象を持っていますか?
青木さんは「Dステ」(俳優集団D-BOYSよる演劇公演)作品をいくつか手掛けられていて、アフタートークなどで関わることがありましたが、作品への出演は今回が初めてです。作品をいくつか拝見していますが、フィクション感の強い演出をされる方だなと思いました。リアリティが薄くなることを恐れず、エンタメとしてちゃんとフィクションを作ることができる方という印象です。この作品はすごく王道な物語で、わかりやすい。だからこそ、緩急のある色がはっきりしている青木さんの作品づくりと相性がいいんじゃないのかなと思っています。
ーー寺子屋の筆子たちをはじめ、多彩なキャスト陣が揃いました。筆子役の若いキャストと関わるシーンも多そうですが、稽古場では十蔵のように先生の立場になるのでしょうか?
先生かぁ、どうなんでしょうね。そう受け取るかは、筆子を演じる皆さん次第かなと思いますが、年齢的に離れるので自然とお父さんや先生と思われるのかな。
ーー新木さんは稽古場で俯瞰して座組全体を眺めていらっしゃるとお話しされていることが多いと思うのですが、そこは今回も変わらず?
そうですね。先ほどの先生の話にも通じますが、僕が若い頃も、よかれと思っていろいろと教えてくださる先輩がいらっしゃったんですよ。でも、同じプレイヤーの立場からすると、「あなたもプレイヤーであって、演出家ではないよね」と、当時の僕は内心思っていたんです(笑)。そういうやりとりは、立場や年齢が上だからするものじゃなくて、前提として尊敬する気持ちがないと、相手も学びに変えられないと思うんです。
ーー尊敬する気持ちが前提にある、と。
尊敬することって、相手を受け入れることだと思うんです。否定的に相手を見るのは、自分の物差しで相手を測って評価しているだけで。たとえ自分の好みじゃない選択をしている人でも、それは自分が選ばなかった道を生きているということ。好みであろうが好みじゃなかろうが、そこに“自分は選択しなかった大変な道を選んでいてすごいな”という気持ち、ようは尊敬ができれば、否定することなく受け入れられるのかなと考えますね。だから、自分から何かを伝えるというよりは、聞いてくれる相手には伝えていきたいと思っています。
新木宏典
ーー知りたい、学びたいという気持ちを持つ後輩に対しては、“新木寺子屋”の門は開いているよ、と。
もう、図書館みたいに勝手に入って、勝手に調べて出ていくでもいいですし(笑)。だいぶ偏った図書館だとは思いますが、自由に出入りしてもらえればなと思います。
「赦すために打つ」という言葉と、作品の届け方
ーー十蔵は「赦すために打つ。憎くとも人を思え」と筆子たちに説きます。この言葉を、新木さんはどう感じますか?
教えとしては、正直わかりづらさもありますよね(笑)。入学式の挨拶みたいで「この人、何を言ってるんだろう」となるくらい実は難しい言葉だと思います。でも、頭の隅に入っていれば、いつか何かが起きたときに「あのとき、あの言葉を思い出せていたら違ったかもな」と思えるかもしれない。そういう言葉なのかなと思います。
ーー「観劇後、となりにいる人にやさしくしたくなる作品」と公式サイトにありました。新木さんは、お客さまの心にどんな思いが灯ってほしいと考えていますか?
作品をどう受け取っていただいても、それはお客さまの自由。僕たちはいただいた役の人生を全うするだけです。きっとお客さまの周波数にハマるキャラクターがいると思うので、そこを通じて楽しんでもらえたら、エンタメ作品を作る意味はあるのかなと思っています。正義が悪を打つような王道な物語ですが、コンディションによっては純粋な心で観られない方もいるかもしれない。そのときは、「今、自分はそういうマインドなんだな」と気づくきっかけにしてもらうといいのかもしれません。この作品を通して、一人でも心が潤う人がいてくれたらいいなという願いを込めて、しっかり作品を作っていきたいと思います。
新木宏典
取材・文=双海しお 撮影=山崎ユミ