江戸伝内インタビュー 糸あやつり人形一糸座『改良人形芝居ルネッサンス』で紐解く人形芝居の歩みと“まだない”これから
糸あやつり人形の一糸座が、9月28日に『改良人形芝居ルネッサンス』の幕を開けた。歌舞伎でも馴染みの演目から、浅草を舞台にした新作まで充実の内容となっている。明治より昭和にかけて活躍し、江戸糸あやつり人形の「中興の祖」と言われた、九代目結城孫三郎を祖父に持つ江戸伝内(えど・でんない)に話を聞いた。公演名の「ルネッサンス」に込められた意味とは。「いまだない」への希望とは。舞台の模様とともにお届けする。
十代目結城孫三郎の三男として生まれ、5歳で初舞台。三代目結城一糸(ゆうき・いっし)として、生家である結城座で活躍。2003年に独立。60歳を前に「江戸糸あやつり人形座」(のちに「一糸座」と改称)を旗上げした。2022年、一糸の名前を長男に譲り、自らは江戸伝内を名乗る。
■ 三番叟で幕開き
この日の会場は、光照山の西徳寺の本堂。幕開きは、伝内の息子、四代目結城一糸による『三番叟』だ。
この演目は、古くから五穀豊穣の感謝、祈りを込めて踊られてきた。登場の瞬間は、まず人形の可愛らしさに惹きつけられたが、次第に小さな横顔が厳粛な表情に見えはじめた。
四代目結城一糸
人形は烏帽子をかぶり、舞鶴があしらわれた直垂を着る。
紡ぎだされる舞は勇壮で軽やか。望月太意三郎による生の演奏の鳴り物、一糸が自ら発する声と床を踏む音が、お堂の空気に力強く響き、清らかな高揚感とともに幕が開いた。
■八百屋お七と一糸座の歴史
続く『八百屋お七』は、義太夫の語りで進む作品。一糸座は、江戸時代より歴史のある、結城座の流れを汲む一座だ。
「日本の糸あやつり人形の芝居は、約400年前の記録ですでに確認されています。それが江戸時代には、人気の娯楽のひとつとなりました」(江戸伝内。以下、同じ)
右手にみえる義太夫は、浄瑠璃の竹本越孝、三味線の鶴澤三寿々。
江戸時代、幕府公認の芝居小屋「江戸五座」には、歌舞伎の中村座、市村座、河原崎座、そして人形芝居の薩摩座と結城座が名を連ねた。薩摩座は手であやつり、結城座は糸であやつる人形芝居だ。日本橋で旗揚げした結城座だが、天保の改革により五座揃って浅草の猿若町へ。歌舞伎と人形芝居の小屋が並ぶ芝居町が生まれた。そんな芝居町としての歴史を持つ浅草で、この公演は開催されている。
人形の義太夫も!
江戸伝内
■ 『鈴ヶ森』にみる改良人形芝居
本公演のタイトルは「改良人形芝居」。どのような改良があり、何がルネッサンスなのか。その疑問に答えるのが、続く『鈴ヶ森』だ。
「改良人形芝居とは、人形つかいが、自らせりふを言う人形芝居です。現在の文楽人形をご覧になると分かりますが、もともとの人形芝居では、人形つかいはせりふをしゃべらないものでした。『お七』でも、せりふは太夫さんが語っていましたよね。しかし明治時代の文明開化をきっかけに、外国から色々な文化や芸能が日本に入ってきました。古くからあった芸能は、多くが潰れかけてしまいました。その時、祖父の九代目結城孫三郎が始めたのが、改良人形芝居でした」
『鈴ヶ森』が、まさにそのスタイル。せりふは人形つかいたちから発せられる。全員よく喋る。
よく通る声で、全員よく喋る!声がかわいい!
自分でせりふを言えばいい。そう思いついたからといって、すぐに声の芝居ができるものだろうか。その背景には、九代目孫三郎の育った環境があった。
「九代目の父親は、両川亭船遊という写し絵師でした。隅田川に屋形船を繋ぎ、スクリーンとなる幕を張り、幻燈機で絵を映し出す見世物をしていたんです。夏の興行だけで、一年間食べて暮らせるほど繁盛したと聞きます。そこで祖父は、子どもの頃から色々な芸事をさせてもらっていたんです。初代の花柳壽輔さんのところで踊りを習い、三遊亭圓朝のライバルだった名人・春錦亭柳橋に落語を習い、歌舞伎の子役にも出ていた。人形を遣うにも踊りで習った振りができ、せりふも言えたのでしょうね」
人形だからこそ!の小さなスペクタクル!
九代目が13歳の頃、親戚にあたる結城座に残されていた糸あやつり人形に出会う。
「人形の遣い方の“いろは”を教えてくれたのが、当時の人形つかいの名人・山本市蔵さんでした。13歳からその方のもとで修業を始めます。市蔵さんは、“これはものになる”と思われたのでしょう。21歳になった祖父に、市蔵さんはご自分の一番弟子(後の結城小船遊)を相手役として譲り、独り立ちさせました」
伝内の祖父は、晴れて九代目結城孫三郎となった。そして今から125年前、台東区二長町の市村座でのお披露目公演が行われた。
「大盛況だったそうです。そこから人気が出て、“八丁荒らし”なんて言われたそうです。結城座が芝居をやると、その周り八丁はお客さんがいなくなるって」
右から白井権八に結城一糸、幡随院長兵衛に江戸伝内。
バイタリティ溢れる九代目の芸を受け継いだのが、伝内の父・十代目結城孫三郎(後、結城雪斎)だ。父の教えは人形の足の出し方一つにも及んだ。
たとえば『鈴ヶ森』の白井権八。
「次兄が初めて権八をやった時、刀を持って見得を切った途端、親父が『ダメだ、ダメだ』と止めました。権八は二枚目だから、かかとからポンと踏み出すようなことはしない。つま先から滑らせるように出して、見得を切るんだと。演目ひとつひとつに、そういった教えがあります」
美しい青年・白井権八と、江戸で名を馳せた侠客・幡随院長兵衛の出会いが描かれる。
■「嫌で嫌で」から70年。一糸を名乗り、伝内へ。
伝内自身は、3歳から人形を遣い始め、5歳で初舞台。『杜子春』(原作:芥川龍之介)の子鬼の役だった。
「子どもの頃は、嫌で嫌でたまんなかったんです。父から『よく考えてもう一回やってみろ』と怒られても、子どもですから、ろくな考えは浮かびません。大人になったら、やめてやると思っていました」
父の厳しさを物語るエピソードを聞いた。
「お客さんから見えない足場の上から人形を遣う時は、手がふさがっているので足で蹴っ飛ばされるんです。ある時、兄が人形で踊りをみせていたのを客席側から見ていたら、突然人形がワッと横になった。次に人形が起き上がると、すごく上手くなっていた。『ああ、親父が横から人形を奪ったんだな』って(苦笑)。そんな父でしたが、人形遣いとしては、やはり凄かった。1986年ベオグラード国際演劇祭で『マクベス』をやった時、父のマクベス夫人は評判になり、現地の新聞で神の手と評されました。父に追いつけって気持ちで、やってきたような気もします。追いつけないんだけど、追いつけって」
せりふについては母であり、娘義太夫の太夫だった竹本素京に教わった。
「小さい頃から、ふたりの兄と妹のきょうだい4人で、よく稽古をつけてもいました。上手くなくても、大きな声を出すように。お師匠さんの口に動きをよく見るようにと。それが土台になっているように思います。茂山千之丞さんからもお狂言を習いました」
糸あやつりが楽しくなったのは、十代中頃。その後、1971年の23歳の時に参加した、フランスのナンシー演劇祭が大きな経験となる。
「寺山修司さんの天井桟敷、青年座、そして結城座が招待されました。当時フランコ政権だったスペインの劇団には、秘密警察がずっとついていたんです。ブラジルの劇団もそうだった。命懸けでやる人たちがいる世界なのだと知りました。芝居は、どこかで命がけじゃないとできないものなのだと。それまでだって、決していい加減にやっていたつもりはありませんでしたが、惰性でやっていたところもあったのでしょう。一生演劇をやろうと決めました」
長く活動した結城座から独立したのは、50代の半ば。
「きょうだいでも、少しずつ芝居への考えに違いはあります。十一代目を名乗った長兄は、自分の脚本・演出一本で芝居をやりたいと考え、結城座を出ました。次兄が十二代目を名乗り、今は彼の息子が十三代目を継いでいるようです。生前、父・雪斎は言っていました。『九代目が中興の祖と言われた。でも結城座の一座だけでは、糸あやつりを観る人も一座分にしかならない。お前たちひとりひとりが一座を持ちなさい』と。色んな事情はあったけれど、背中を押したのはその言葉です。独立して、古典もやりながら、色んな現代演劇の方とやってきました」
■新作『浅草物語 吉原に、イキたいっ』で、粋に明るく!
この日、最後の演目は『浅草物語 吉原に、イキたいっ』。作・演出の菅野臣太朗とは、二度目のタッグだ。物語の舞台は浅草。
主人公は吉原に行きたい農夫。猪牙船(ちょきぶね)にのって、いざ吉原へ。
人形たちは、小さな体の全身で喜怒哀楽をみせる。その小さくても一生懸命な姿は、舞台上の川の大きさ、空の高さを引き立てるようだった。テンポの良い展開。江戸っ子になり、当時の浅草の町を一緒に歩くように引き込まれ、明るく華やかに結ばれた。
とある人物との出会いも!
一糸座は現代演劇人たちを迎え、新しい演目を創っている。人間の俳優をゲストに迎え、同じ舞台で共演する機会も多い。興味深いのは、その“コラボ”的な試みが今に始まったことではないところだ。
「祖父は十一代目片岡仁左衛門さんから頼まれて、『堀川の与次郎』で猿の人形を遣っています。僕が知る限り、人間の役者さんと糸あやつり人形の共演はそれが初めて。六代目尾上菊五郎さんの舞台でも、よくお声がけいただいていたと聞きます」
九代目の頃、人形つかいは足場に上がり、舞台上部で糸を操っていた。
「今回もお見せしているように、人形つかいが、人形と同じ舞台に立つようになったのは、父・雪斎の頃からです。昭和の爆笑王エノケンさんから、『金色夜叉』で自分は寛一をやるから、お宮を大きな人形でやってほしいと依頼があり、日劇で上演をして。そこからです」
結城座は、同時代の演出家を迎え、能や狂言とのコラボレーションもしてきた。武智鉄二や観世栄夫との上演もあり、佐藤信らとも、数々の作品を残している。伝内も一糸座で、芥正彦、天野天街、東憲司、横内謙介などと創作を共にしている。
「新しい芝居は面白いです。発見もたくさんあります。ただ人形の動きの技術は、やはり古典に含まれてるんですね。特に主役クラスの役は、適当な動かし方では勤まらない。そこは親父から徹底的に叩き込まれましたし、息子の四代目一糸にも厳しくしています」
■まだないものへの希望と、先人への思い
新作を創り、ただ役者と人形が一緒に舞台に立てばいい、とは考えていない。そこで何が生まれるかだ。
「人形も人間も、“身体”は重要です。役者さんと人形は、人間と物です。だけれども双方が、同じような身体を持っている。人形には人形つかいもいる。それぞれの内に、存在基盤のようなものがあり、一緒に芝居することで情動のようなものにより生成変化を起こし、それが開かれることがある。そこから演劇は、また新しい表現をみせます」
終演後には糸あやつり人形体験も。海外からのお客さんも参加されていました。
「ドイツの哲学者で科学者のエルンスト・ブロッホの『希望の原理』という分厚い本には、【ノッホ・ニヒト】という言葉がありました。調べてみると【いまだ、ない】という意味で、よく分からないけれど、この言葉は記憶に残りました。アルトーが、“人類はまだ生まれてない”と言ったのと重なる言葉です。まだないから、色んなことができる。人形と人間が出会い、今はまだないものが舞台に現れる。新作の面白さは、そこにあると思います」
一糸さんから歩き方を習い、皆で人形と床を歩く。皆の足並みが揃った時「おお〜」と声が上がった。
江戸伝内という名前は、かつて存在した人形つかいの名跡だ。四代目に一糸の名前を譲る際に、改名した。
「400年以上の糸あやつり人形の歴史の中には、大勢の人形つかいたちがいて、その時々で工夫をし、伝え、最終的に九代目のところで大きく変化した。それで祖父は、中興の祖と言われるようになりました。でも芝居の中には、名前の残っていない人形つかいたちの言伝(ことづて)が残っているはずなんです。年齢を重ねた今、その思いを汲みとり芝居を作らなくてはいけないのだなと、つくづく思うようになりました」
10月5日、6日は浅草花劇場(花やしき)、10月13~15日は浅草文化観光センターにて上演。
取材・文・撮影=塚田史香
公演情報
糸あやつり人形一糸座 改良人形芝居ルネッサンス
【日程・会場】
光照山 西徳寺
2026年9月28日(月)10:45 / 15:00
2026年9月29日(火)10:45 / 15:00
※終演後に人形操作体験あり(限定人数・有料)
※受付開始:開演の45分前 / 開場:開演の30分前(開演5分前の着席にご協力ください)
2026年10月5日(月)19:00
2026年10月6日(火)11:00 / 15:00
※終演後に人形操作体験あり(限定人数・有料)
※受付開始:開演の45分前 / 開場:開演の30分前(開演5分前の着席にご協力ください)
2026年10月13日(火)15:30 / 19:00
2026年10月14日(水)15:30 / 19:00
2026年10月15日(木)15:30
※受付開始・開場:開演の30分前
※会場のエレベーター台数に限りがあります。お時間に余裕を持ってお越しください。
三番叟
伊達娘恋緋鹿子 八百屋お七 火見櫓の場
鈴ヶ森
新作人形浄瑠璃『浅草物語 吉原に、イキたいっ』(作・演出:菅野臣太朗)
【人形】結城一糸、結城民子、塩川京子、眞野トウヨウ、土屋渚紗、永野和宏、江戸伝内
【義太夫】浄瑠璃:竹本越孝 / 三味線:鶴澤三寿々
【鳴り物】望月太意三郎