Co.山田うん「あいちトリンナーレ」出品作、鍵は“郷土の祭り”
ダンサー・振付家の山田うん
奥三河の伝統神事「花祭」のオマージュとして、山田うんが創出する新作ダンスとは?
8月に開幕する「あいちトリエンナーレ2016」のパフォーミングアーツ参加アーティストである、ダンサーで振付家の山田うん。公演は会期の終盤、10月22日(土)・23日(日)に予定されており、ここで披露される新作ダンスは、愛知の奥三河地方に古くから伝わる神楽「花祭」へのオマージュとして創作するという。
約700年前から続き、国の重要無形民俗文化財にも指定されている「花祭」は、八百万の神を勧請し、諸願成就、厄難除け、生まれ清まりを祈る目的で、親から子へと代々伝承されてきた神事である。毎年11月~3月の寒い時期に、愛知県北設楽郡(東栄町・豊根村・設楽町)の15地区に於いて約40種類もの舞が夜を徹して盛大に繰り広げられ、「テーホへ、テホへ」の掛け声と共に、舞手(神)と観客が一体となって楽しむ<神人和合>の祭りなのだ。
さて、山田うんはそんな「花祭」とどう出会い、オマージュとして新作をつくることとなったのか? その経緯や創作に対する思いなどが、去る2月に行われた囲み取材で語られた。その身体同様に、言語に於いても優れた表現力を持つ彼女の言葉をたっぷりとお伝えすべく、ここでは約10名の記者から寄せられた質問と回答をまとめてご紹介します。
── これまで世界各国を回られて活動されていますが、改めてご自身の活動についてお話しください。
振付家としてのスタートは私がちょうど30歳の時で、2000年頃です。そこから道が開けまして、フランスに留学したりヨーロッパのダンスフェスティバルに招かれたり、国内・海外でソロの活動とグループの振付の作品を発表してきました。10年ぐらい前から、日本では学校教育の中にダンスを入れようという動きが出てきまして、私は全国の学校・施設、幼稚園から大学まで本当に多くの学校に身体表現の体験学習を運んでいきました。国境も越えてダンスを普及する活動も多くなりました。振付家・ソロダンサーとして自分の作品を発表するということと、学校教育や広く普及する活動が同時にものすごい勢いでやってきまして、何か大きなインパクトを劇場で与えることで、普及活動と芸術活動を同時にできないだろうかと考え始めて、自分のカンパニー〈Co.山田うん〉の活動で4年くらい前から、とてもパワフルで、あまりダンスを見たことがない人にも幅広く間口を持って伝えられるような“群舞”の作品をメインに作り続けています。
2013年に愛知芸術文化センターで『春の祭典』と『結婚』と『日本の3つの叙情詩』というストランヴィンスキーのトリプル公演をしたんですが、それをきっかけに愛知でも私のダンスに興味を持ってくださる方がとてもたくさん増えたり、大勢のダンサーたちで創られたダンス作品というものが知られるようになって、日本、海外と群舞でツアーをすることが一気に増えました。「あいちトリエンナーレ2016」もその一環で、群舞の作品を披露する予定です。
── 昨年から今年にかけて「花祭」のリサーチに2回ほどいらしていますが、実際にご覧になった感想や、どういった経緯で「花祭」を見に行くことになったのかをお聞かせいただけますか。
「花祭」をテーマに作品を作るというのは、あいちトリエンナーレの事務局からアイデアをいただきました。今回のテーマが〈虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅〉ということで、人間がどういうところから来てどこへ行くのかというような、地に足のついた、大地を感じさせるような芸術祭にしようというのが、芸術監督の港さんがたぶん一番考えていらっしゃることで、その中で港さんも「花祭」を体験して、とても素晴らしかったという話を聞いて。そこからですねね。とても興味が湧いたので、ぜひそれは見てみたい、と思って足を運びました。
去年の11月にまず、東栄町の<月地区>というところに行きました。24時間のお祭りでとても寒くて、煙たくて(笑)。すごく汚れるし、なんだかよくわからないというのが1回目。その後、東京で「花祭」を継続している団体がありまして、<御園地区>の方たちが教えに来ているのか、もう20年ぐらい毎年開かれているらしいんですけども、そのお祭りも12月に見に行きました。東京でやる「花祭」ということで、東栄町とは全然違うんですけども、とてもパワフルではっちゃけたお祭りでした。そしてお正月に<古戸(ふっと)地区>に行きました。<月地区>と<御園地区>の踊りも全然タイプの違うものだったんですけど、中でも<古戸>の踊りはとても素晴らしくて、一番インパクトのある舞を見ることができました。本当によく訓練されていて素晴らしい舞を継承していることに感動しました。
── 「花祭」は徹夜して見られたんですか?
かなり寝落ちしましたけど、見ました。最初に行った時は、もういいっていうぐらい疲れました。いろいろなことがお祭りの怒涛の中に紛れて…海水浴って気持ちいいですけど、砂だらけになってちょっと嫌じゃないですか。そういうのに似ていて。でも、とても感動しました。今までも郡上踊りとか風の盆とかいろいろなお祭りを見たことがありますが、全くそのイメージとは違った新しさと古臭さみたいなものを体験できて、港さんがお薦めするだけあるなと。とっても味の濃いものを食べたような気持ちになりました。
ちなみに<古戸地区>では、カンパニーのダンサー15~6人が全員参加して、最初から真似して踊っていまして。で、最終的に出ました。男性ダンサー4人が鬼になって、「下手くそ!」とか「学習能力がねぇな」とか子どもたちにヤジを飛ばされて、泣きながら踊ってました(笑)。「花祭」というのは、踊っている人たちと、中間で応援しながらヤジを飛ばすような人と、観客が境界線をまたぐようなお祭りなんですね。なので、見に来たんだけど「お前も出ろよ」って言われて出る羽目になっちゃうことがOKなんです。ヤジを飛ばすというのも、ひとつの激励でもあるんですよね。
どこからどこまでが演者の領域で、神様の領域で、見ている人の領域で、というのが全部ゴチャゴチャになっていることで成立しているお祭りなんです。それは、グチャグチャで整理されていない私たち日本人のモノの考え方にとてもよく似ていて、アジア全体の文化の根っこのものなんですね。ここ数年、アジアにもすごく足を運んでいるので、私にとって今とても興味深いテーマでもあります。アジア特有の、日本人特有の時間の流れ方というのが本当にとても力強くて、素晴らしいものでしたね。
── 新しさと古臭さを体験されたということですが、“新しい”と感じられた部分はどんなところでしょう。
今は何でも細分化されている時代で、好きな物を選択する。でも、分かれてないものは選択できない、っていう状態の時代がずっと続いているんですが、ほとんどの人はそれに気づいていないんです。その価値観が無いっていうことが、私にとっても若いダンサーたちにとってもかなり衝撃的な新しさというか、新鮮でしたね。何がメインかわからない…あれも大事だしこれも大事だし、それも大事。でも、みんなは大事にできないけど全部大事だよね(笑)っていうのは、日本人のモノの考え方にあるような気がして。それで困ってストレス抱えてお腹が痛くなる人が多い人種だと思うんですよね。そういう、何を大事にしていいかわからない空気感で満載なのが、“ザ・日本”っていう感じでした(笑)。
── 公演に向けて、こういったものを創っていきたいという構想がありましたら。
美術家の味岡伸太郎さんが、ご自身が以前作った「花祭」の資料をくださったんです。その資料がとっても美しくて驚いたんですが、その時に味岡さんが言われた「美しいものっていうのは残っていくんだよね」という言葉がとても印象に残っています。<古戸>の踊りや飾りを見た時も、とても美しいものだなという印象がありました。それで「美しいものが残っていく」ということがひとつ私の取っ掛かりになっていまして、そこにある雑多な空気感とか、体験しないとわからないような時間の嵐みたいなものや疲れとか汗臭い匂いを、いかに舞台芸術として、美化するのではなく美に創り上げるか、新しい美の価値をそこに吹き込むか、ということが一番フォーカスしているところです。「花祭」のエネルギーを変な風に味付けするのではなくて、今ある振付をどのように大劇場の後ろのお客様にも届くような構成で昇華することができるのかな、というところで考えています。
── 実際に踊りを創られる時は、どういった感じで組み立てていかれるんでしょうか? たとえばイメージを言葉に起こしてみるとか、まず振りをやってみるとか。
頭で考えていることと身体の中で起こせることには、とっても差があるんですね。頭の中でストーリーやコンセプトを決めていても、そのものを身体ですぐに表現することはできないんです。そこにはものすごい時間と過程が必要になってきます。なので、私はいつも作品を創る時に、一筆で何か小説を書くような作業と、幾何学的に図形を捉えていく数学的な発想と、それから肉体を酷使していく自分の心臓の鼓動のような運動としての閃き、という3つを必ず同時に並行で走らせるようにしています。「花祭」を体験したのが3つ目の運動的な体験としての学びの時間で、体験を身体の中に染み込ませていく時間が必要になるので、まず種を蒔いて、芽が出るまで水をあげ続けるみたいな状態になっています。たとえば、「花祭」の中で使われている“三ツ舞”とか“四ツ舞”というような、とても規則正しい足のステップや線の作り方があります。飾られている色彩にも非常に意味があって、方角とちゃんと一致しています。そういった儀式的な図形は振付の大きなモチーフになってきます。
それとは別にもう一本、「花祭」自体と体験したことを結ぶ【大きな物語】が必要になってきます。それは、なぜ今この社会で、私が「あいちトリエンナーレ2016」でその作品を発表するのか、というモチベーションになります。そこに関しては、すべて筋書きがまだ整っているわけではないんです。今は先に10月末に公演をするという答えが決まっています。でも、質問があって答えがあるのではなくて、答えが決まっているところから問いを探していくようなストーリーを今から考えていく。全部を逆流していくような感じなんですけど、決まっている結果から、私はどんな疑問を持って社会に作品を投げるんだろう? という風なところを考えている最中です。
── 「花祭」のひとつ大事なものとしてある舞を、同じくダンスで表現するということで取り入れる部分やオリジナリティーの部分があると思いますが、そのバランスはどのようにつけられていくんでしょうか?
「花祭」で行われているステップそのものを近いリズムで利用するかもしれないですが、あれはやはり土間で披露するステップであって、同じ大地で足を踏んでいる人たちと神さまみたいなものとの何か境界にある身体というものなんですが、舞台に身体を晒す時はそれだけでは足りなくて、とても大きな明確なラインのようなもの、立体が動くようなものが必要になります。やはりそれは土間から舞台に上がった時に、大きな変換をしなきゃいけない。たとえば、私たちが馬から車に乗るようなものなんですけど。そういう大きな、何に乗るかっていうこと自体のシステムを変えて、スピードを変えて、ルールを変えていくことをしなければなりません。車に乗るためには、舗装道路も高速道路も必要だよねっていう風にして、正面性のある舞台に乗せてお客様にちゃんと届くような形を組み立てていこうかなと考えています。抽象的なんですけど。
──「花祭」には鬼が登場しますが、鬼は何か作品の中で演出的に使われるんでしょうか?
具体的にはまだ言えないんですけど、そういったモチーフは考えています。実際の「花祭」では男性しか舞うことができないんですけども、私は男女を混ぜた舞にしたいと思っているので、その辺りの構成は今から最終的にしていく段階ですが、鬼は登場させます。ダンサーたちも鬼の面をつけて踊ったら、ものすごく重くてバランスも取れなくて、小さな目の穴から見ながら次の位置に行くのはとても難しいことで良い体験をしたそうなんですけども、身体で何が出来るか、何をしたいかということを含めた衣装の状態でベストを探ってみたいと思います。他にも美しい女の人や老婆のような人やお爺さんみたいな人や、とてもユニークな人がいっぱい出てきましたので、それは活かしたいと。実際にそのお面をつけるということではなくて、ひとつの踊りのモチーフとして、ユーモアという点でキャラクターを活かしたいなと思っています。
── 「花祭」では舞台装置や鬼の面といった設えと同時に、心に残る“お囃子”というのがあると思います。ストラヴィンスキーの作品でも象徴的な音楽を踊りと一緒に見せていただきましたが、やはり今回も音を大事に考えられていますか?
考えています。私にとって一番大事なのが音楽です。「テーホへ、テホへ」という掛け声もそのまま使うわけではないですけども、きちんと違う形にしてデザイン化させたいなと思います。まだちょっと発表できないんですが、音楽家を招いて一緒にクリエーションしていこうと思っているので、その音楽家と一緒に考えていきたいなと思っています。
── 他にビジュアルアーツ系の方を迎えられる可能性や、舞台美術なども考えられていますか?
もしかしたらあると思いますが、特別な美術家やビジュアルアーティストを招くことはなくて、基本的には私のアイデアで職人さんに作ってもらうという形になると思います。私はわりと美術のコンセプトを自分で挙げて、それを職人に託すという方法を今までもとっていまして、たとえば、「とても頑丈だけどすぐ壊れる椅子を造ってくれ」とか、そういう無理難題を発注したり(笑)。舞台上に乗っているものは、全部身体から拡張されたものと考えるので、衣装は皮膚のようなものですけど、美術に関してはとても身体性ということを考えていくので、自分で考えたいと思います。
── 今回の作品を、どんな方に体感してほしいと考えていらっしゃいますか。
そうですね、本当に誰でも見たら楽しいと思うのに、っていつも思うんですけど(笑)。劇場に来る人には声が届くんですけど、劇場に来ない人には届かないので、自分が舞台に立って振付家を始めた時からずっとそれだけが悩みというか、思っています。作品を創っている時も、“絶対来ないひと数”みたいなのをよく考えます(笑)。来ない人に向けて発信している、という感覚がとても強いんですね。なので、本当に一人でも多くの人に見てほしい。それから、私はいつも赤ちゃんからおばあちゃんまで、障がいのある人も含めてみんなに舞台を見ていただいています。劇場というのは、テレビでは伝わらない振動のようなものがきちんと届く場所なので。そして、手に取る本とか図書館で借りる本は自分で手を伸ばさないとダメですけど、舞台で展開するものというのは、自分で手に取ろうとしないものがバッと現れたり、そういう瞬間との出会いの貴重なチャンスなので、自分では選べないけど何か新しいものが欲しい、新しい瞬間に出会いたい、という人にぜひ来ていただきたいですし、多くの人に声が届くといいなぁと思っています。
Co.山田うん『舞踊奇想曲 モナカ』 2015 © 羽鳥直志
Co.山田うん『いきのね』
■日時:2016年10月22日(土)16:00・23日(日)14:00
■会場:名古屋市芸術創造センター(名古屋市東区葵1-3-27)
■料金:S席4,000円(学生2,000円)、A席3,000円(学生1,500円) ※6月25日(土)AM10:00発売開始
■公演に関する問い合わせ:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局 052-971-6127
■に関する問い合わせ:クラシック名古屋 052-678-5310
■公式サイト:http://aichitriennale.jp/
■日程:2016/7/1(金)~2016/7/3(日)
音楽:芳垣安洋
ダンス:飯森沙百合、伊藤知奈美、川合ロン、木原浩太、山田うん
音楽:芳垣安洋、高良久美子
ダンス:荒悠平、飯森沙百合、川合ロン、木原浩太、小山まさし、西山友貴
音楽:芳垣安洋、高良久美子、助川太郎、太田惠資
ダンス:川合ロン、木原浩太、城俊彦、西山友貴
音楽が先か、動きが先か、予測がつかない期待感!
Co.山田うんの研ぎ澄まされた新進ダンサーたち。
驚異的な身体感覚をさらけ出す新企画!
音楽は芳垣安洋を中心とする実力派ミュージシャンが集結。
ソロ、デュオ、アンサンブルという、舞踊と音楽の基本スタイルを手掛かりに
振付や作品性から解放された緊迫のフリーセッション。
ご購入前に各回の出演者をご確認ください。