あなたの形をした空白と音楽とゲソフライについて

コラム
音楽
アート
2016.10.22

拝啓

 

 あなたのいない人生というものを想像してみました。この世界からまるっとあなたの形をした空白ができた世界です。

 その世界で僕は、不自然に存在する空白に様々な形のピースをはめてみようとするでしょう。しかし、どれもぴったりとははまらない。時には小さめのものを幾つか選んで空白を埋めてみようとするかもしれませんが、それにしたってどっちにしろうまくはいかない。

 そのうち僕は、僕の人生のパズルが永久に損なわれていることに気づき、埋まることのない空白を埋めようと見つかることのない欠片を求めて、苦しみさまよう都市の亡霊と化すことでしょう。考えるだけでも胸が……苦しくなってきました。

 大切なものが存在しているということは、すばらしいことです。

 

 なぜこんな悲劇的な想像をしてしまっていたかというと、少しの間ですが僕の生活から別の大切なものがすぽっと抜けていたからなんですね。大切なものがなくなることの重大さについて、身を以って実感していました。

 

 僕がなくしていた大切なものといえば、それは音楽です。まあ、別に耳が聞こえなくなったとかそういうことではないので、僕の生活からごっそりと音楽がなくなったわけではないんですが(世の中には音楽が溢れていますので)、根幹的な部分をなくしました。

 実をいうとiPodが壊れてしまったんです。説明も不要でしょうが、あの携帯音楽プレイヤーです。

 

 僕がまだおぎゃあおぎゃあ言っていた高校生の頃からなので、もう10年近く使っていたでしょうか。バッテリーはずいぶんへたっていましたが、それでも最近まで元気に音楽を奏でつづけていてくれました。

 それが急に電源が入らなくなってしまったんです。別れはNHKの集金みたいに突然やってくるんですね。僕は飼っていたねこが死んだ時のことを思い出しました。愛着のあったものの死はなんでも悲しいものです。ニャー。

 

 しかし、機械はねこと違って修理がききます(気まぐれなところは似ているかもしれません)。僕は当然修理をしようと思ったんですが、修理屋さんに持ち込むと、店の奥から出てきた若い女性が悲しげな顔をしながら「修理不可」と言いました。詳細を聞くと、こうです。

 「簡単に言うと、この子(僕のiPodです)にはもう魂がないんです」

 なるほど。

 そんなことを言われたら僕はもう、彼の死を受け入れるほかありません。Rest In Peace.長い間どうもありがとう。僕は彼が好きだった(再生数が多いという意味です)椎名林檎の「歌舞伎町の女王」を口ずさみながら彼をベッドの下のガラクタ入れに埋葬しました。

 

 前置きが長くなりましたが、とにかくこのようにして僕の生活から音楽の大半が失われたわけです。

 先ほども記しましたとおり世の中には音楽が溢れていますので、当然まったく音楽が耳に入らなくなったわけではありません。より正確に状況を言えば、「能動的に音楽を聞くこと」がなくなったということですね。

 そしてそれが僕の生活における音楽のほとんどすべてでした。

 

 僕が家で音楽を聞く時はスピーカーにiPodを接続していましたし、外出時にももちろんiPodを使用して音楽を聞いていました。たまにライブやコンサートに出かけることを除けば、僕の音楽鑑賞のほとんどはあの愛すべき銀色のかまぼこ板に依存していたんですね。

 もちろんCDをプレーヤーで再生するだとか、PCで音源を再生するだとか、YouTubeで聞きたい曲を探すだとか、音楽を聞くためには他の方法もたくさんあります。が、しませんでした。

 長年親しんできたやり方と違う方法をとることが、はっきり言ってめんどくさかったんです。かと言って、新しいiPodを調達することもなんだか面倒で、まあ気が向いたら買えばいいやとこの状況をしばらく放っておくことにしました。

 

 「あんたにとって音楽とはそんなもんなのか」と、あなたの呆れ顔が思い浮かびますが、まあもうちょっと聞いてください。

 僕はここで、自分の人生における音楽の重要性を改めて認識したんですよ。

 

 味気ないんです、実に。音楽のない生活っていうのは。それにしばらく気がつかなかったんですが。

 今までと同じ生活をしているはずなのになぜだろう、味のないサラミを食べ続けているような日々が続きました。もともと無感情なタイプなのであまり気にはしていなかったんですが、靴のなかの小石みたいな違和感は持ち続けていました。

 そんな生活をひと月くらい過ごしたある日の飲み会の帰り道、駅から家までの坂道を「オーシャンゼリゼ」を口ずさみながら下っている時に気付いたんです。ピーン!

 赤ワインとゲソフライも案外合うんだな。

 ……違いますね。すみません。おなかが空いているんです。

 

 要するに生活に音楽が欠けていることに気がついたんです。

 楽しい時には楽しい曲を、悲しい時には悲しい曲を、寂しい時には寂しい曲をかける必要があったんです。僕は鈍感ですからそうして音楽をかけてあげないと、自分の感情がどうしたいのかわからなくて途方に暮れてしまうんですね。

 

 次の日、僕は早速新しいiPodを中古で買いました。

 夕方頃、曲を入れた新しい相方を片手に僕は散歩へ出かけました。一曲目に選んだ安藤裕子の「あなたと私にできる事」のイントロが流れた瞬間、僕は確信しました。やはり間違っていなかったのです。

 

 夕焼けの坂道を、僕はとても「美しい」と思いながら上りました。なんでもない街の日常の風景なんですが、その日はずいぶんとしみました。

 大切なものがあるということは、やはりすばらしいことなんですね。

 

 この光景はぜひあなたにも見てほしいと思います。片耳ずつイヤホンをして坂道を上ったり下がったりしましょう。気の利いたプレイリストを作っておきますよ。

 

 

 長くなりそうなのでこのへんで。

 それでは。

 いつかまた宇宙のどこかで。

 

敬具

 

チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。

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