志尊淳、大野いと、栗原類ら出演『春のめざめ』開幕、演出家・白井晃の濃密で透明なギムナジウム

レポート
舞台
2017.5.6
左から白井晃、大野いと、志尊淳、栗原類

左から白井晃、大野いと、志尊淳、栗原類


5月5日、横浜・KAAT神奈川芸術劇場にて舞台『春のめざめ』が開幕する。構成・演出は、かねてより本作の上演を熱望していた白井晃。物語の中心人物・メルヒオール役は、志尊淳が務める。

『春のめざめ』は、ドイツ人劇作家のヴェデキントの戯曲だ。1891年に発表されたものの、思春期の性と生、そして大人たちによる抑圧をテーマの過激な描写に、発表当時は上演禁止処分を受けた問題作だ。

【あらすじ】 舞台は19世紀のドイツのギムナジウム(中等教育機関)。ある日の帰り道、優等生のメルオヒールはモーリッツに『子供の作り方』を図解で説明すると約束する。 成績のさえないモーリッツは、学校での過度な競争に耐えきれず、将来を悲観し自殺する。 一方、メルヒオールは、同級生ヴェントラと半ば強引に関係をもち、妊娠させてしまう。 

120年以上たった現代の感覚でもセンセーショナルなテーマに、若手俳優を中心としたカンパニーが挑む。開幕前日の4日、白井とキャストの志尊淳、大野いと、栗原類が取材に応じ、最後の通し稽古(ゲネプロ)が公開された。まずは囲み取材よりキャストのコメントを紹介する。

本作がストレートプレイでの初主演となる志尊淳。「1カ月半、白井さんと皆さんと作ってきたものを最大限に、そしてそれを超えられるように表現できたらと思う。(初の座長公演ではあるが)申し訳ないけれど座長という意識はあまりない。色んなことを色んな人から吸収し、エネルギーやメルヒオールが抱えるものを出していき、千秋楽までには座長らしさが出るようがんばりたい」と語った。

続いて、ヒロインのヴェントラ役を演じる大野いとが意気込みを語った。「すごく緊張していますが、たくさん稽古もしましたし、自分なりに役についてたくさん考えてきました。あとはヴェントラをちゃんと生きられればいいなって思ってがんばりたいです」

栗原類は「不安がないと言ったら嘘になるのですが、キャスト、スタッフ、みんなで舞台を1からがんばって作ってきました。白井さんが今まで言ってきたこと、“僕らが何を表現するべきか”ということを自覚しながら、最後の稽古に挑みたい」と思いを語る。白井の演出については「全キャストにむけて、厳しく細かく表現を求めていた。最初は頭を抱えることもあったけれど、稽古場から劇場に移動したことで感覚がクリアになってきた」と明かす。白井と志尊がメルヒオールという人物についてディスカッションを重ねる様子を見ていた立場として「どんなメルヒオールを観られるのか、僕自身も幕が開くのが楽しみ」と語った。

白井晃は、物語の舞台がギムナジウムであることから「校長先生のように、皆さんを叱咤激励しながらここまで作ってきました。非常に若い俳優さんを中心に、本当に難しい、厳しい表現を求められる作品を作っています。本番ではきっと僕の予想以上のジャンプを見せてくれるんじゃないか」と期待を込める。

見どころは「ベテランでは出せないエネルギー」だという。「技術ではなく、彼らが一生懸命、舞台と立ち向かおうとしているところが新鮮であり、見どころでもある。私自身も若くなったつもりで皆さんと稽古してきましたので、その良さもでているとうれしい」と笑顔で語った。

記者からの現時点での完成度を問う質問に、思わず栗原が「タブーな質問ですね! 僕らも聞くのドキドキします!」と笑いを誘う。白井は「まだ80点くらいかな」と答えるも、「このあとのゲネプロで90点が出て、明日の本番で100点。そういう予定です!」と自信をみせた。

記者からの「最近“めざめ”たものは?」という質問には、志尊が「コンビニのおにぎり。毎朝選んだり、これおいしいよってみんなでわけっこしたり楽しかった」と他愛ないエピソードを紹介し、一同が爆笑。大野は、しばし考えた後、ヴェントラ役のメイク指導をきっかけに「チークをたくさんつけるとかわいいと知った」と笑顔で明かす。栗原は「ボブヘア(今の髪型)も評判が良い。長い時は、それこそアルフィーの高見沢さんくらいまであって…」とコメント。作品の世界から一瞬離れた3人の無邪気なコメントに、白井も終始、顔をほころばせていた。

以下、ネタバレを含みます。

水槽のように美しい、透明感と閉塞感

発表当初は上演を禁止された『春のめざめ』も、2006年に演出家マイケル・メイヤーの手でロック・ミュージカルとして蘇り世界的な成功をおさめている(日本では、劇団四季が上演)。成功の要因のひとつは、ロックナンバーが過激な描写や重いテーマのオブラートとして働いたことにあった。それもあり、白井がストレートプレイで挑むと知った時には驚いた方も多いのではないのだろうか? 白井は、昨年、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任して以来、近代戯曲を現代に蘇らせるシリーズを手がけてきた。4作目となる今回、初の試みとして、ホールではなく大スタジオで作品を上演する。

案内された黒い階段を上がると、ほの暗い会場に広がるのは、一切の無駄を省いた空間。ステージはなく、舞台となるフロアを見おろすように、座席が設置されている。正面・左右の3面をアクリルパネルが囲う。最後列からでもフロアとの距離は近く、壁が黒いこともあり、パネルには客席の自分たちの影が映り込む。

物語は、ギムナジウム(中等教育学校、ドイツ語:gymnasium)の生徒たちがパネルに体を打ちつけるようなコンテンポラリーダンスで始まった。透明のパネルにぶつかったり、よじのぼろうと手を這わせたり、叩いたりする。向こう側は見えるのに、大きな音やきしむ音は響くのに、越えられない、崩せない壁だ。

囲いの上半分には回廊があり、体育館(英語:gymnasium)のギャラリーのよう。大人たちが表情も変えずに通り過ぎていく。キャストたちの登場の演出などでミュージカル版へのオマージュを捧げてはいたが、このギムナジウムが湛える透明感は、明らかに初めてみる『春のめざめ』だった。

色褪せない、イノセントな悲劇

志尊淳は、優等生のメルヒオールを演じる。この役と向きあい、全うしようとする志尊の葛藤や戸惑い、エネルギーがそのままメルヒオールにつながっていくのだろう。優等生であっても性衝動は抑えられない。「愛してはいない」と言い切りながらヴェントラを押し倒し、のちに売春婦で済ませればよかったと悔いるシーンに、正直さゆえのもろさをみた。

大野いとは、「子どもはなんでできるの?」と直球で母親に尋ねる14歳のヴェントラを清らかに演じるが、思春期の心と体のズレ、自分の体が自分ではない感覚に悩むシーンで垣間見せた艶めかしさには息をのんだ。半ば強姦に近い形でメルヒオールと肉体関係を結んだ後の「誰かに抱きついて相談できたらいいのに」という台詞にヴェントラの幼さが表われていた。

大野いと

大野いと

落第ぎりぎりの同級生モーリッツ役を演じる栗原類は、ナイーブなキャラクターを見事に作りあげている。大きな瞳は、シーンにより愛らしくも、狂気にも見えた。

モーリッツ役 栗原類

モーリッツ役 栗原類

ゆらめく光と音楽

劇中の世界に彩りを与えていたのが、光と影と音だった。派手な色の照明をつかうわけではないが、道を示すような光、薄暗い照明、クリップライトのような電球で、光と影を創り出す。音楽は、降谷建志(Dragon Ash)が担当している。柔らかい旋律と、アグレッシブなリズムトラックが織りなすサウンドは、透明感に満ちていた。

壁も制服も、パネルにぬりたくられるホイップクリームも含め、色彩のない中で、差し色となっていたのが赤色だった。メルヒオールが母親に禁止されたファウストの表紙。中別府葵がのびのびと演じた、男の家を泊まり歩くイルゼの赤いドレス。そして血。グレースケールにいくつかの赤。使われる色も含め、厳選された要素で構成された舞台だった。その結果、国も時代を越え、違和感なく作品世界に入ることができた(同時に、ベテラン俳優たちの胸をかりながらも、ひとりの人間として役にぶつかる若い俳優たちの生々しい演技、登場人物たちの痛々しい物語から目をそらすことができなかった)ように思われる。

思春期の心身の純粋さゆえのゆらめき。ゆらめきゆえの、もどかしさや不安。それを振り払うべく、残酷さ。観るだれもが、当事者だったころには気づけなかった、思春期の愚かさと、大人の愚かさ。自分の人生を振り返る作品になるだろう。志尊淳主演『春のめざめ』は、KAAT神奈川芸術劇場で5月23日まで上演。その後、京都、兵庫、福岡を巡演予定。

取材・文・写真撮影=塚田史香

公演情報
 『春のめざめ』
 
■原作/フランク・ヴェデキント  
■翻訳/酒寄進一  
■構成・演出/白井晃
■出演:
志尊淳 大野いと 栗原類 
小川ゲン 中別府葵 北浦愛 安藤輪子 古木将也 吉田健悟 長友郁真 山根大弥 
あめくみちこ 河内大和 那須佐代子 大鷹明良 

■会場・日程:
<神奈川公演>
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ (神奈川県)
2017/5/5(金・祝)~2017/5/23(火)

 
<京都公演>
ロームシアター京都 サウスホール (京都府)
2017/5/27(土)~2017/5/28(日)

 
<福岡公演>
北九州芸術劇場 中劇場
2017/6/4(日) 13:00

 
<兵庫公演>
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール (兵庫県)
2017/6/10(土)~2017/6/11(日)

 
■公式サイト:https://www.harumeza.jp/
 
シェア / 保存先を選択