演出家・杉原邦生に聞く──KUNIO13『夏の夜の夢』
KUNIO13公演『夏の夜の夢』
イヨネスコ作『椅子』、太田省吾作『更地』などの前衛劇から、トニー・クシュナー作『エンジェルズ・イン・アメリカ』第一部・第二部といったエンタテイメント文芸作品、さらには木ノ下歌舞伎の『黒塚』『三人吉三』『勧進帳』まで、幅広い演出活動で知られる杉原邦生が、2014年の『ハムレット』に続いて、シェイクスピアの『夏の夜の夢』に挑戦する。今回の上演は、徹底的に「喜劇」にこだわり、「喜び」に満ちた祝祭空間をつくりあげたいと意気込みを語る杉原に、演出の構想を聞いた。
「圧倒的な喜劇」として『夏の夜の夢』を上演
──『夏の夜の夢』を上演されるにあたり、杉原さんは「圧倒的な喜劇」と位置づけていらっしゃいます。その場合の「喜劇」の定義を聞かせてください。
喜劇というと笑える劇、笑いというイメージになりますが、ジャンルとして笑劇というものもありますよね。
──喜劇はコメディ、笑劇はファルスですね。
ぼくのなかでは、喜劇は「喜び」という字を書くし、演劇的な喜びや人間の営みそのものの喜び、そういうものを軽やかに、ときにはそれを笑い飛ばしながら描いているものなんじゃないか。喜劇って、そういう喜びが溢れている劇のことなんじゃないか、そう思っているんです。だから、笑いがなくても、ぼくは喜劇と言っていいと思ってます。『夏の夜の夢』もそういう作品だと思うので、その意味で、ぼくなりの喜劇をつくりたいと思いました。
人々が同じ空間に集まって、同じ時間を共有しながらひとつの作品を見るという祝祭性に身を置くことの喜び、俳優が想像力を使って演じ、それを観客が想像力を使って見る喜び、そのなかで苦しみや哀しみも含めて、人間が生きていくことの喜びが描かれていて、それを劇場空間で共有できる。それこそが喜劇だし、それこそが演劇だと思うんです。
そういう意味で、生きている喜びとか、芝居を見る喜びを感じてもらえる作品にできたらなと。
──それはどちらかというと、シェイクスピア劇における喜劇ですか? たとえば、チェーホフは『かもめ』を「四幕の喜劇」としています。
うーん、どちらもいっしょなんじゃないですか。
──とても充実した時間をともに過ごすことができれば、喜びであると。
観客はもちろんそうだし、舞台上に現れている人たちも同じです。
──では、その喜びを実際に舞台化するにあたって、杉原さん演出の『夏の夜の夢』はどんな感じになるんでしょう。
どんなふうになるんですかね(笑)。まずはテキストにこだわっています。
新訳された、こだわりのテキスト
──今回の上演のために、翻訳は京都大学の桑山智成准教授によって、新訳されていますね。
演劇作品をつくるときに、いちばんの根っこというか、出発点になるのは言葉ですよね。でも、ぼくは演出家なので、言葉を生み出すアーティストではない。だから余計に、作家の生み出した言葉にきちんと向きあいたいという強い想いがあるんです。
そのとき翻訳劇はそこがちょっと複雑というか、翻訳家のフィルターを通過せざるをえない。もともと日本語で書かれた作品であれば、直接アクセスすることができるけれど、ぼくはネイティブスピーカーでもないし、英語が得意なわけでもない。
──しかも、16世紀の英語ですからね。
だから、じかにアクセスできないことが、すごく不安になるんです。言葉の解釈は合っているのか、作品の本質をきちんとつかめてるんだろうか、作家が描いたものを、ぼくはきちんと理解したうえで演出できているだろうかと、不安に思ってしまう。
だから、翻訳劇を演出する場合は、翻訳家に座組に入ってもらって、わからないことを訊いたり、この言葉はこうした方がいいんじゃないかというディスカッションをしながら、ぼくの作品のための翻訳をつくってもらう。100パーセントできているかどうかわからないけど、きちんとシェイクスピアの描いたものをキャッチしたうえで作品をつくりたいという思いがあるんです。今後も翻訳劇をやるときは、こういうスタイルでやっていこうと思ってるんですけど。
──オリジナルにいちばん近づくために、テキストから新たに、いっしょに作りたい。
そうですね。きちんとキャッチしたうえで、作品を作りたい。桑山さんは原文のわかりづらいところ、辻褄が合っていないところ、原文が持っているリズム、そういうものをそのままゴロッと訳すんです。だから、ふつうなら、わかりやすくしてほしいと思うところでも、わかりやすくしない。
で、それは面白いですよね。ぼくらがふだん触れない言葉だから、俳優もまず言葉に慣れるのが大変で、稽古にも時間がかかるんですけど、そういうことを敢えてやっていく。わかりやすくすることは、いくらでもできると思うんです。そうではなくて、できるかぎりシェイクスピアの描いたこと、シェイクスピアの特徴を、忠実に日本語訳したテキストを使って、ぼくらがどこまで演劇的な飛躍ができるのかってことは、ぼくにとって挑戦でもあるので、すごく面白い。演出家として、とても興奮する作業ですよ。
KUNIO13公演『夏の夜の夢』
舞台美術がもたらす、もうひとつの物語
──『夏の夜の夢』には3種類の世界が描かれています。まず、芝居をする職人たち、次に王様と貴族たち、さらには妖精たちですが、これらが最後の場面の劇中劇へとなだれこんでいく。何か演出上の仕掛けを考えていますか。
それぞれの世界のちがいをクリアに出すことよりも、ぼくが最初に考えたのは、以前に『ハムレット』を上演しているんですけど、シェイクスピアの悲劇は、物語が大きな軸になってると思うんです。だから、演出家は、物語の筋立てさえきちんと押さえられれば、ひとまずは見られるものにはなる。
でも、『夏の夜の夢』って、雑に言うと、内容がない(笑)。もちろん、テーマはあるし、展開もあるけど、ぶっとい物語があるわけじゃない。ドラマによって心を揺さぶられたと感じたことがない。
台本(ほん)を改めて読んだときも、シーンごとに起きる出来事をきちんと粒立たせていく必要があると思ったんですけど、ぶっとい物語に代わる何かが上演には必要だと思ったんです。そこで、美術でそういうことができないかなと思いつきました。
──演出される際、常に美術も兼ねられますね。
そうです。基本的に、いつも稽古でいろいろな美術プランを試してみるんですけど、最終的にはいちばんシンプルなかたちになる。基本的に舞台には何もなくて、俳優がそこにいて、演じるってことになるんですけど。
──シェイクスピア劇の場合は、それがいちばん面白いかもしれません。
そうだと思っていました。だけど、『夏の夜の夢』は、それだと面白くなっていかなかった。だから、今回は一幕一場から最終場まで通して、物語とは別の牽引力を舞台美術でつくれないかと思って、プランニングしています。
──台本の牽引力に加えて、舞台美術の物語による牽引力が生まれるのではないかと。
そうですね。実は、こういうプランって、ふだん美術家としては、あんまりやらないことだったりするんです。だから、自分でも新鮮です。
演出家の杉原邦生氏。
シェイクスピアの喜劇への初挑戦
──『ハムレット』の上演が2014年でしたから、3年ぶりのシェイクスピア劇ですね。
いろんなところで言ってるんですけど、本当に最近、悲劇ばかりで、人が死なない作品はないんじゃないかというぐらいやってて……。
──柴幸男作『TATAMI』は、ひとりの男が死を決意して実行する話だし、松井周作『ルーツ』も、過疎地域の村人が死んでいきました。
今年の5月にやった木ノ下歌舞伎の『東海道四谷怪談』もそうでした(笑)。だから、『夏の夜の夢』は本当にひさしぶりの喜劇になります。
ぼくはプロフィールにも書いているぐらいお祭り好きで、多くの人と祝祭空間を作ることが楽しくて演劇をやってるような人間なんです。もちろん、悲劇でも、演劇そのものの性質として祝祭性があるとは思うんですけど、一般的に祝祭と聞いてイメージするような作品を、最近はほとんどつくっていませんでした。
だから、『夏の夜の夢』はそういう意味で新鮮だと思うし、最近のぼくの演出作品を見てくださっている方には、新たな一面を見てもらえると思います。ぜひ期待してください。
取材・文/野中広樹