大衆演劇の入り口から[其之壱]劇団KAZUMAの“人間の匂い”
劇団KAZUMA・藤美一馬座長(2015/6/4) 筆者撮影
【大衆演劇の入り口から 其之壱】
人情芝居『戻り橋』の風景
イヤだ。イヤだ。こんなところ、逃げ出したい。毎日、親方に“盗みをしてこい”と命令される。今日はついに親方に逆らってしまい、家から叩き出された。今夜は納屋で一晩過ごさなければならない。ひどく寒い上に、ひとりぼっちだ。
「なんで俺が、こんな目に遭わなきゃならねえんだって何度も思った…」
みなしごの少年は、じっと考える。こんな人生になってしまったのは、悪い親方に拾われたせいだ。でも、そもそもは実の親が自分を捨てなきゃよかったんだ。戻り橋でおとっつぁんが俺を捨てたから、俺はこんな地獄にいるんだ――。
大衆演劇劇団・劇団KAZUMAのお芝居を中継してみました。今日のお芝居は『戻り橋』。今、主人公の男を演じる藤美一馬座長が、悲惨な少年時代を語っているところ。
「納屋は寒くて、体を温めようと鶏を抱きかかえて、ずっと星を見ていた…」
セリフを聞きながら、寒々しい光景が浮かんでくる。一馬座長は声が柔らかいせいか、悲嘆の中にも独特の軽みがあって、感情がスッと胸に落ちてくる。ぶるぶる震える唇で、下を向き、叩きつけるような一言。
「親さえ、親さえ俺を捨てなきゃあって、どんなに恨んだことか…!」
自分を捨てたおとっつぁんが憎い。苦しい。悔しい。それでも恋しい…。たくさんの感情が、ひたひたと肌を走る。
メディアが大衆演劇を取り上げるとき、あんまりこういう芝居のことは話題にならないみたいだ。テレビに映るのは舞踊ショーの華麗な女形。男の人が白塗りをして花魁の衣装を翻らせて、艶然とほほえむ…大衆演劇ってこんなイメージだろうかと思う。
でも、でも。この文を読んでくださってる方で、大衆演劇を観たことないという方、両手をガッチリ握りしめさせてください。そして一人の大衆演劇ファンから、一つだけお伝えさせてください。大衆演劇にはお芝居があるんです!ちゃぷちゃぷと温かいものが胸の底に注がれるような、真正面からの人間讃歌的なお芝居が!
お芝居の内容は、任侠もの、人情もの、喜劇、歌舞伎や落語を元ネタにしたものなど様々。『戻り橋』は人情ものに分類できるだろうか。戻り橋のたもとの甘酒屋で、親に捨てられた子と捨てた親が、数十年ぶりにめぐり会う。
クライマックス。主人公は罪人として役人に引かれていく。実の父親の目の前で。主人公の一馬座長の目をよぎるのは、生きることへの哀しみ、そして限りない父への恋しさ。一方、父親(龍美佑馬さん)は、ショックに今にもヨロヨロと崩れ落ちそうだ。おぼつかない手で息子の足にすがり、草履を履かせようとする。はるか昔、この足は小さかった。手も紅葉のようだった。
「とっつぁん、早く帰って来てな。紅葉みたいな手を一生懸命に振っていた――あの姿が忘れられんのです」
父親は行きずりの男にそう語った。その男こそ、大人になった息子だった…。
いかん、泣いてしまう。前のご婦人も鼻をすすっている。ぎゅっと密着した大衆演劇の客席は、何人かが泣きはじめると伝染力がすごい。なんと言うか、“泣きの空間”。あちこちでハンカチを取り出して、芝居の悲しみに浸かりきるのだ。
ハマったきっかけは、芝居に元気をいただいたこと
大衆演劇は、決してメディア露出の多いジャンルではない。だから大衆演劇ファンの多くは、ハマったきっかけを周囲からよく聞かれるんじゃないんだろうか。
私の場合は、3年前、劇団KAZUMAの芝居に元気をいただいたから。当時新入社員だった私は、カラカラに干からびていた。元々お金儲けに興味がなく、学生時代は「人を幸福にする仕事がしたいな」なんてお花畑を頭に咲かしていた。能天気な花畑に降って来たのは、利潤追求という会社の現実だった。パソコンに向かって機械のように金銭勘定。今日も数字、明日も数字。会社の昼休みに一人で公園に行き、ボケーッと緑をながめるときだけ、「あ、私、今ちょっと人間」と思えた。
そんな中、たまたま友人と一緒に大衆演劇場・浅草木馬館へ行った。2012年7月、劇団KAZUMAの芝居『文七元結』を観た。左官の長兵衛(藤美一馬座長)が通りすがった夜道には、川に身投げしようとしている奉公人の文七(冴刃竜也副座長)がいた。
「大事なお店の掛け取りのお金五十両を、盗られてしまったんです」
長兵衛は、そのときちょうど五十両持っていた。いやダメだ、これは自分の借金を返すための金だ。散々葛藤した挙句、結局は見ず知らずの文七のために五十両を投げ出す。
「俺は五十両がなくったって死にゃしねえよ。だけどお前は、死ぬってからいけねえんじゃねえか!」
一馬座長の長兵衛のセリフに、気づけばボロボロ泣いていた。やっぱり人間はお金じゃないんだ、人情はお金に勝るんだ、誰かにそう言ってほしかった…!自己陶酔極まりないけれど、優しい芝居は渇いた心に染み入ったのだ。
ちょくちょく劇場に通うようになれば、毎日異なる芝居に魅了された(大衆演劇の芝居は基本日替わり)。凍りつくような悲劇『男の人生』、人間の意志の光を感じた『生首仁義』、幸福な愛に満ちた『紺屋高尾』…レパートリーはまだ何十も。
特に柚姫将副座長の芝居は、一つ一つの役にありったけの力を尽くしていて観る人を引き込む。
劇団KAZUMA・柚姫将副座長(2015/6/9) 筆者撮影
お芝居が終われば舞踊ショーがある。とりわけ冴刃竜也副座長の女形舞踊は、ねっとりとした艶が漂って、舞台に登場すると空気が変わる。
劇団KAZUMA・冴刃竜也副座長(2015/6/21) 筆者撮影
隣のお客さんが、「お姉ちゃんも食べる?」とキャラメルをくれた。頬張っていると花道に役者さんが踊り出てきて、むわっ!と濃い香水が鼻孔をついた。日常の無味乾燥な数字の羅列から、毎日物のように押し込められている通勤電車から、この空間はなんと遠い…。観に来るたび、“人間の匂い”に満たされる。
劇団KAZUMA・藤美一馬座長(右) 藤美真の助さん(左)(2015/6/24) 筆者撮影
じんわり染みて、ふわふわ緩く、ほろほろ温かく…そんな大衆演劇の入り口に、つるりと足を踏み入れてはいかがだろうか。
【記事で触れさせていただいた劇団の公演先】
劇団KAZUMA
7月:大江戸温泉物語ながやま(石川県)
8月:八尾グランドホテル(大阪府)