【ザ・プロデューサーズ】第20回・南沢道義氏~声優になるために大切なこととは~【前編】
南沢道義氏
編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。それは”エンタメを動かしている人たち”だ。それは、例えばプロデューサーという立場であったり、事務所の代表、マネージャー、作家、エンタメを提供する協会の理事、クリエイターなどなど。すべてのエンタメには”仕掛け人”がおり、様々な突出した才能を持つアーティストやクリエイターを世に広め、認知させ、楽しませ、そしてシーンを作ってきた人たちが確実に存在する。SPICEでも日々紹介しているようなミュージシャンや役者やアスリートなどが世に知られ、躍動するその裏側で、全く別の種類の才能でもってシーンを支える人たちに焦点をあてた企画。
それが「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そして現在のシーンを、裏側を聞き出す企画。
今回の”エンタメ人”~声優業界より~
株式会社81プロデュース 代表取締役社長
株式会社ハーフ エイチ・ピー スタジオ 代表取締役社長
81アクターズスタジオ 代表
声優ミュージアム 館長
一般社団法人国際声優育成協会 理事長
一般社団法人日本コンテンツ振興機構 理事
数多くの国内外のアニメーション作品の音響及び、洋画や海外ドラマの吹替版制作に携わる一方、
声優養成所81アクターズスタジオにて次世代の声優業界を担う若者の育成に力を注いでいる。
【注目】
今秋からスタートする朗読劇シリーズ「弘兼憲史・四季のドラマ オーディオドラマシアター 黄昏流星群」のプロデュースもつとめ、こちらはコミックスの朗読という新たな分野だけに注目も集まっている。
詳しくはコチラ
今回は記念すべき20回目ということで、現在のエンタメ業界の中でも、最もといってもいい程の潮流となっている「声優」業界。そしてそこから派生する様々な声優の新たな活躍の場所などについて掘り下げてみたいということで、40数年に渡りこの業界にてご活躍され、また新たな取組をパイオニア的に切り開いてきた81プロデュース代表取締役の南沢氏へとお話をきかせていただいた。声優を目指す方、それ以外のエンタメを目指す方にも、相当なヒントが隠された今回のインタビューは必見です。今回は【前編】となります。
南沢道義氏
――かなりこの業界で長く活躍されていらっしゃいます。
もう40数年ですね。23歳の終わりに業界人生が始まり、あっという間に42年、早いですよね。
――入った経緯というのは。
この業種での始まりは、声優のパイオニアの会社の青二プロダクションでした。久保社長に採用していただいて、この業界に入ることができました。約5年間大変密度の濃い仕事を体験しました。今でこそ声優ブームは、すごい勢いになっているように見えるんですけど、実は当時もそうでした。映画とテレビ、そしてラジオ、、、今より小さいメディアではありましたが、その限られたマーケットの中で、当時も人気声優は活躍していました。ビッグスリーとして富山敬さんや、神谷明さん、井上真樹夫さん。それから我々の後輩にあたる水島裕君や三ツ矢雄二君、井上和彦君などのメンバーがデビューしたての頃でした。当時、私は新人マネージャーでしたが、今名前を挙げた方々の担当をさせて頂いていました。
――すごい名前がたくさん出てきます。しかも皆さんのマネージメントを。
外画※、アニメ、テレビにラジオが中心のマネージメントでしたが、声優がはじめて、自分たちのオリジナルのレコードを出す時代でもありました。そういう仕事を草分け的にやった時代でした。私が25歳~28歳の頃でしょうか。その頃声優業界は古い体質で、声優と呼ばれるのを嫌がる人が多い時代で、マネジメントが難しいところもありました。その中に私は飛び込んだわけです。
※外画=外国の映画・ドラマ
――今でこそ声優は市民権を得ましたけど。
当時も市民権あったんですよ。ただ、今とはバックボーンが違うんじゃないでしょうか。今の様に声優養成所の無い時代です。劇団などで皆さん一生懸命切磋琢磨していた演劇界から、その中の一部の人たちが声の仕事に入ってきたわけです。本来ならば舞台で飯が食えるというのが一番理想だと思います。今は多ジャンルで声優が活動するのは当たり前の時代ですが、当時、このような活動が不自由な状況の中で、始めてみたのが(歌の)レコーディングだったり、イベントに出演してゆくことでした。
――今とは全く状況がちがう中、パイオニア的にそういう取り組みを始められたんですね。
ある意味、受動的な業態だったところから、一般の企業が行う営業活動を、我々声優業界でも、仕事をスポンサー各社と一緒に手探りで始めてみました。声優業界は、現在とても裾野の広いビジネスという印象があります。当時は、しっかりとした芝居が出来る俳優でしか通用しない印象の、少し考えの固い世界でしたから、今のようにタレント、アイドルやお笑いの方々が、アフレコをやるという事は考えられない時代でした。
南沢道義氏
――水島裕さんはよくテレビでお見かけしましたね。
水島君は『連想ゲーム』※に出演を働きかけるなど、色々と試んで良い結果となりました。また戸田恵子さんは薔薇座の舞台を中心に活躍し、『ガンダム』での演技、そして『イデオン』の「コスモスに君を」で歌唱力が注目され、今の活躍の片鱗が見え始めていた頃でした。やはり、今も現役で活躍されている方たちは、アニメの芝居や吹き替えの芝居でも、天才的に上手かったです。改めて今、本当にそう思います。
※連想ゲーム=NHK-Gで放送されていた人気クイズ番組
――いまも変わらず、現役ですものね。
彼らの新人時代は、養成所も無く、自然に集まってきた形でしたが、不思議と皆さんが強い個性がありました。スカウトしたわけではないのですが、歌も上手く、抜群の芝居感覚を持っていて、キャラクター作りにも才能を感じました。
――奇跡的な邂逅のように思えます。志望する方の絶対数も少ない中でしょうから。
声優という職業を志望する方の少ない時代でした。だから麻上洋子さんが『宇宙戦艦ヤマト』の森雪役として出演した時は、声優の勉強をした子がこの業種に現れたということで、注目されていました。そういった時代背景、業界の中で、初めてキングレコードさんが、レコード会社としてアニメーションに関わること、人気声優をアーティストとして迎えるということをやりたいと手をあげてくれました。その第一号が富山敬さんと水島裕君でした。本当に一生懸命やっていただきました。そういった経緯で、富山さんや水島君は、学芸部※では無くメジャーレーベルでLPを声優がアーティストとしてリリースする、ということを初めて出来ました。
※学芸部=レコード会社の児童向け部門
――今でこそ声優さんが歌うことは、ある意味当たり前のようになっていますが、その当時にそういった他業種を結びつけるということを、やっていかなきゃいけないな、というところがあったんでしょうか。
ありました。なぜ声優が活動の域を広げてはいけないのかと思いました。声優プロダクションは声優のマネジメントをしていなさい、という強い風潮がありました。今のように、他業種とコラボレーションをして一つの事業を大きくし、シナジーを生むということが、業界内では有り得ない時代でした。私が会社を立ち上げてからは、逆に台風の目になったのかもしれません。でも私は、決して業界を壊そうとか、特別に新しいことをやるんだ、ということを思っていたわけではありません。声優はこんなに人気があるのに、なぜ決められた範囲の中だけで、仕事をしていなければならないのかと思っていました。声優たちの実力と、人気をもってすれば沢山の可能性があると感じていました。
――元々そういうビジネスモデル的なことを捉える感覚をお持ちだったんですか。
そういうわけではないと思います。ただ私がよく言っているのは、一たす一が二ではなく、それが三になったり四になったり、それこそ掛け算になる場合もある。前述したコラボレーション、つまり掛け算の発想は当時ありませんでした。特にこの業種でマネジメントに関わる人たちは、そういう掛け算的発想は少なかったかもしれません。逆にこの業種に強い愛情を持ちすぎて閉塞感を呼んでしまうということもあります。偏ったものではなく、もっと暖かくて大きな愛情を持ち、新しいビジネスに挑む方が良いと思います。
南沢道義氏
――社長がそういうお考えなのは感動です。自コンテンツを守りたいがためにどうしても固執してしまう人、クロスオーバーをしない人はお見かけします。一つ一つのコンテンツが縦軸で頑張るよりも、メディアミックスや、ジャンルのクロスオーバーをして、シーン自体を盛り上げた方が先に繋がると感じます。
そうですね。私が駆け出しの頃に、ラジオ番組によくお世話になっておりました。その頃ニッポン放送さんは、人気声優の存在に、いち早く気づいていました。当時の有名なプロデューサー、ディレクターの方々が我々に声をかけてくれて、ドラマを開発しようと持ちかけてくれました。今も忘れないのは、『夜のドラマハウス』や『キリンラジオ劇場』などです。その中で、『夜のドラマハウス』という番組は、声優とアイドル歌手が一人ずつ出演して、テーマ曲とする楽曲から着想して、ふたりで演じるドラマを作っていくものでした。榊原郁恵さんや、山口百恵さんという方々と富山敬さんや、神谷明さんがご一緒したんです。
――とても豪華ですね。
例えば、榊原郁恵さんの「夏のお嬢さん」をテーマにしてドラマを作るんです。そんな中、大先輩のホリプロの小田さん(現最高顧問)が、当時はマネージャーをされていて、その現場で所属のタレントさんに指導している姿を拝見して、とても感動したことを憶えています。クールにきちんと指導し、暖かくタレントを見ていらっしゃいました。小田さんとお会いさせていただくと、その頃のことや、私のことも小田さんが憶えてくれていて、とても嬉しかったです。当時から感じていた印象は、大スターのマネジメントをされているのに、非常に低姿勢だということでした。「本当にお前たちのために、スタッフたちはやってくれてるんだぞ、しっかり頑張れよ」と、深夜の収録スタジオで話していたことを記憶しています。だから我々も、その精神論は若い子たちに伝えるべきことだと思っています。失敗したら自分の不徳の致すところと思い、うまくいったら感謝をするべきだと。
――今日お会いして南沢社長にも感じました。ことを成している方々は、本当にそういった精神が染みついていらっしゃるんだなと。
私が特別なわけではないのです。先輩方が私たちに見せてくれました。
――そういう時代があり、今の声優ブーム的なものって、何度も波があっての今じゃないですか。今のように爆発的に市民権を得るほどのブームは想像されていましたか。
先を見通していたかといえば、そうではないと思います。ただこの仕事は絶対終わらない、可能性が大いにあるものだとは感じていました。つまり我々は楽曲1曲で食べているという業態ではないということです。それこそ作品がたえずクロスオーバーしてくるわけです。ということはこの声優たちの仕事は作品に寄り添いながら続いていくものになります。歌手の様に楽曲がヒットして、その1年間を頑張って紅白まで出場し、その頑張った1年が翌年の営業に繋がりますというようなビジネスじゃないんです。Aという作品を演じているうちにBが始まるし、Bを演じているうちにCが始まる。仕事のスケジュールを1週間の単位で作って行く中で、新しい仕事が断続的に入ってくる。そういう状況でした、10年先のスケジュールをどうするのかという議論はしたことがなかったです。むしろ今のほうが、先のことを話すことが多いかもしれません。例えば、弊社の三木眞一郎と仲良しの人気声優が、ふたりで何かを一緒にやろうよなんて色々話が盛り上がっても、スケジュール出し合ってみたら、3年後になりそうだね、と(笑)。笑い話ですよ。そういった業態だということもあり、先を見通すと言うよりは、要するに拡大してゆく仕事と、自然に向き合い、それでもチャレンジして行くんだと、感じていたと思います。
南沢道義氏
――なるほど。
どういう作品に関わるか、どういう作品を作るか、どういうシステムを作り上げなきゃいけないか、どういうキャストを育てなきゃいけないかというテーマは、試行錯誤の連続でした。このような状況のもとで、一つハッキリと見えていたといえるのは、ビジネスとして、声優を支えるアフレコの機能や、どういうシステムが必要なのかということが重要だということでした。当時、業界内には、機能や経営が不十分なスタジオが多くありました。放送局は、華やかさと共に安定した==SEシステムや、スタジオがしっかり運用されていました。我々の業界とはクオリティ管理への体制も、意識も、技術者の数や質、設備投資などが明らかに違うと感じました。そうした中で、声優業界は当時の体制で果たしてやっていけるのだろうかと 感じていました。
――大きくなった時にキャパオーバーになったり、クオリティ管理ができなかったり。
それもありますが、やはり人の問題を感じました。どうやって人材の育成を続ければよいのだろうと。特に技術者のミキサーの方などです。
――音響もそこで。
本業じゃないんですけど、スタジオワークも担いながら、それは痛いほど感じました。技術者には絶対大事に向き合わなきゃダメだということを。アフレコをすること、設備機材のチョイス、システム、収録をしていく環境を整えること。それが全ての声優たちの活動を支えていくんだ、ということに繋がりました。
――アーティストやキャストを育て行くうえで、今も昔も一番重要なポイントはどこだと思われますか。
要するに声優になりたいというだけではダメじゃないかなと思います。
――若者が将来なりたい、人気の職業になりましたから。
逆に言えば声優としてレッスンを積んで、アニメなどでデビューをして、若手声優たちをこの業種は20年30年支えられるか、というと、やはりだんだんアイドル歌手と同じようなことが起きているのかと。それは20年30年、この世界で食べていくためには、才能であったりセンスというものを持っていないといけない。そう、そして作品にも恵まれて、、、です。だけど、若手たちが30年先も頑張れるかな、なんて思いながらいつも彼ら彼女らと向き合う中で、その時に歌が上手いとか、ダンスがすごく上手いとか、声優業とは別のもので光るものをもっていることが重要なのかなと感じます。私はよく皆に「二刀流」って話をします。一芸に秀でるってのはありましたでしょ。これだけやればいいんだよと。私はそうではなく、演じること、芝居が好きで芝居を演じることは当たり前で、今の時代ってその他に色んなものができないといけない気がします。たとえば今時だと片付けがすごく上手いとか、お掃除のプロだとか、その人が実は声優もやってるんですよ、『片付け上手』と伝われば、面白い存在感を持った声優だと思います。
――「家事えもん」みたいなことで。
そうなんです。大谷選手の活躍のように、今は二刀流をこなす人の時代が来ていると思います。キャストでも同じ様な人がいてくれたら面白い、ジャンルは関係なく、色々なものを持っている人ができる仕事になっていくといいなと思います。
――おっしゃる通りで、自分のジョブはジョブでありつつ、もうひとつパーソナルな魅力を持っているというところが重要な時代ですよね。SNS発信が中心の時代なので。様々ななジャンルで2足、3足の草鞋を履いていると、色んなところにインプットがあるし、その分だけアウトプットもあるので、全部にクロスオーバーして活かせるんですよね。
そう、アニメで活躍する声優である前にまず人間であれ役者であれ、という思いが強くあります。その上に演じる世界観をしっかり持っておいて欲しい。そう強く思っています。
南沢道義氏
>>後編につづく
企画・編集・取材・文=秤谷建一郎 取材=加東岳史 撮影=三輪斉史
弘兼憲史・四季のドラマ オーディオドラマシアター『黄昏流星群』
「黄昏流星群」は弘兼憲史原作の珠玉の短編漫画シリーズ。男女の機微を描いた、その物語世界は発表後、映画化・テレビドラマ化もされ、広く深く支持され続ける作品です。
今回、このシリーズ第一弾に「鎌倉星座」、「星楽のマドンナ」、「星を追いかけて」、「星のレストラン」の4作品を上演。
11月21日(火)公演:中尾隆聖、関俊彦、恒松あゆみ、佐々木啓夫、天海由梨奈、渡辺けあき
11月21日(火)公演:『鎌倉星座』『星楽のマドンナ』
株式会社81プロデュース 代表取締役社長
株式会社ハーフ エイチ・ピー スタジオ 代表取締役社長
81アクターズスタジオ 代表
声優ミュージアム 館長
一般社団法人国際声優育成協会 理事長
一般社団法人日本コンテンツ振興機構 理事
数多くの国内外のアニメーション作品の音響及び、洋画や海外ドラマの吹替版制作に携わる一方、
声優養成所81アクターズスタジオにて次世代の声優業界を担う若者の育成に力を注いでいる。