長田育恵インタビュー~てがみ座新作『風紋』「私にできるのは宮沢賢治からのバトンを受け取って、伝えていくこと」
長田育恵 撮影:曳野若菜
“評伝劇”といえば、樋口一葉、太宰治、河竹黙阿彌などなどを描いた故・井上ひさしが筆頭に挙がるだろうが、日本劇作家協会戯曲セミナー研修課を受け、その井上に個人研修生として師事したのが、てがみ座を主宰する長田育恵。後を継ぐように数々の評伝劇を生み出し、てがみ座だけではなく、さまざまなカンパニーに引っ張りだこだ。宮沢賢治の樺太への旅を題材にした『青のはて─銀河鉄道前奏曲(プレリュード)─』(2012年)に続き、この11月、再び賢治を描くと聞き、多くの劇作家がうちに抱くであろう賢治への思いを知りたくて、待ち合わせをした。
祖父の形見の万年筆に思いをはせる評伝劇
囲碁にハマっていた時期がある、囲碁は剣道に似ている、ミュージカルから演劇を始めたなどなど、長田からは意外な話がいくつも飛び出す。それが同じ笑顔、同じテンションで語られていくのが面白い。そんな雑談で家族のことが語られた。そして、それが長田が評伝劇を書く原動力になっているという。その意味を「言葉にすると誤解されるかもしれないけど」と、しばしの無言の後に話し始めた。
「愛された記憶みたいなものかな。それは男性からではなくて、家族愛みたいなもの」。長田は母が国の指定する難病により闘病生活していることをすでに公言しているが、今も家族でローテーションを組みながら母を支えているのだそう。
「私には中1のころ亡くなった祖父がいたんです。同居していたんですが、母とは実の父娘だから仲が良くなかった。母のイライラは体調からくるものだったんでしょうが、子供の私は母の味方につき、祖父との接点は部屋にお茶を運ぶときくらい。ほとんど話をした記憶がないんです。祖父は部屋にこもって書き物をするような人で、近寄りがたいところがあった。でも形見として私に万年筆を遺してくれたんです。孫たちの中で文筆業に進んだのは私だけで、自分では気がつかなかったけれど愛されていたんだ、見てくれていたんだと思います。今こうなってみると、戦時中に満州に行っていた祖父の話を本当に聞きたくて仕方がない。私は評伝劇を書いているときに似たことを感じるんです。その時代を懸命に生きて、後のために役に立つかもしれないという思いで何かを成した人を調べ、向き合うと、気づかなかったものをもらえるように思う。私は母や家族が当たり前にそこにいるという感覚はなくて。家族は血縁で担保されているけれど、努力して向き合わないと関係がほどけてしまうように思うんです。だから自分が評伝劇を書くときは、登場人物それぞれと何かしらの思いをやりとりをしている気がしています」
宮沢賢治の魅力は抱えた矛盾にもがき苦しむ姿
ーーまず宮沢賢治を最初に描いた2012年の『青のはて』はどんな作品だったんですか?
長田 賢治の妹のトシちゃんが亡くなって、彼女の魂を追いかける過程で「銀河鉄道の夜」の着想を得る、つまり作家としてスタートを切る、トシちゃんの魂と約束を交わして自分が立っていこうとする出発の話でした。
ーーそれに対して新作『風紋』は?
長田 『青のはて』が1923年の物語で、今回はその10年後の物語です。具合が悪くなり、死期が迫ってきた賢治が、この10年に何を成せたのか、どう生きてきたかを自問自答していく姿を描きます。『青のはて』は賢治の物語世界をフィーチャーした作品なのに対し、今回は人間としての宮沢賢治に焦点を当てています。人と交わって暮らしたいと思っていても、そこに入っていけなかったり、たくさん矛盾を抱えた賢治を無名の人物としてあるコミュニティの中に置いたらどう見えるだろうというコンセプトです。
ーー作家ではなく人間像にスポットを当てるというのはユニークですね。
長田 1933年当時、岩手軽便鉄道は花巻から釜石まで一直線につながっていなくて、花巻から仙人峠駅まできて、徒歩で峠を越えて、釜石鉱山鉄道で釜石に行ったんです。そして1933年3月に三陸大津波があって、3・11東日本大震災と同じような規模で三陸沿岸が全壊した。その4カ月後が物語の舞台です。
仙人峠が嵐による土砂崩れで通れなくなり、釜石沿岸で大事な家族を亡くした人たち、釜石に向かう途中の旅人たち、釜石の鉱山に向かうような労働者、プロレタリア運動の背景を持つ人物など、たくさんの人々が数日間を同じ宿で過ごすんです。そこに賢治もいる。賢治は電車の中で発病してしまい、看病されている。そこで繰り広げられる人間模様を通して、人を愛すること、死んだ人と生きている人の感覚が近い場所のこと、羅須地人協会や教師としての夢など賢治がいろんなことを思い出すんですよ。
佐藤誓、瀬戸さおり(上段)、石村みか、山田百次
ーー長田さんが持つ賢治への思いを教えてください?
長田 『青のはて』の後に積み残した感じがすごくあったんですね。宮沢賢治の最大の魅力はたくさんの矛盾をはらんだ人間だったことだと私は思うんです。宗教の面だけを切り取っても、信仰に生きたようにも見えるけど、本当は逆で、信仰に対して揺らぐ心があったから自身に言い聞かせるがごとく題目を唱え続けた。すごく揺れていたし、ぶれていた。だけど揺れる自分をどうにかしなければと、もがき続けながら生きた結晶が賢治の作品群。だから作家としての賢治ではなく、その根本をずっと見たかったんです。でも賢治がもがく姿を描いているととても苦しい。どうしようもないこと、答えが出ない問題について終局を迎えるまでもがき続けるから。でもそれが結論というか、今も賢治からのバトンを渡され続けているということだろうなと思っているんです。私はそれを一端でも受け取って、こういうバトンが残っていますと伝えていくことしかできないかもしれません。ほんと、やるせないですよね。
ーーそれを描くタイミングが今だったというのは?
長田 ……震災から時間が経って何かが薄れつつあったり変わろうとしていくことに、ちょっと待ってという気持ちがありましたね。それと賢治は37歳で亡くなったけれど私の中に同世代感が生まれた。人の痛みや喪失感だったりが本当の意味でわかってきたというのもあります。昨春に上演した『対岸の永遠』は亡くなった詩人の話でした。亡くなった人が生きている人に対してどんな思いを遺したか、喪失感や悲しみ、痛みなどを亡くなった人の側から書いた経験が自分の中でターニングポイントになっているんです。それまでは生きている人の側から書いていましたが、逝ってしまった人のほうが雄弁に語るべきものがあるんだと感覚的にわかった。そのことで初めて生きている人と死んでいる人が対等に干渉しあう目線が獲得できた気がします。
同世代の演出家を探し続けている
ーーそして、今回は新たな演出家さんに作品を委ねます。
長田 田中圭介さんは戯曲セミナーの同期です。もともと音大の声楽科出身で、オペラの演出をされていて、最近は現代演劇も手がけられています。私が前によそのカンパニーに書いた作品も演出してくださったんですが、それがすごく良かった。私は演出をしないので、同世代の演出家さんとどんどん出会っていかないと作品を上演できなくなるという危機感があるんです。作・演出を兼ねていてご自分の作品を演出するという方はもちろんたくさんいるんですけど、他人の戯曲を演出する人は限られているし、いらしても一極集中になっている。理想はこまつ座の作品を栗山民也さんや鵜山仁さんが手がけられているように、何人か演出がいて、劇場と題材と作品のカラーによってお願いできるようにしておくことなんです。
劇団民藝、宮崎県立芸術劇場、劇団青年座……と活躍は続く
ーー長田さんはこれからも作品があちこちで上演されます。柳宗悦の生涯を描いた『SOETSU』に続く劇団民藝への第2弾は『「仕事クラブ」の女優たち』です。
劇団民藝『SOETSU ―韓くにの白き太陽―』(2016年)
長田 築地小劇場が終わった、新築地劇団のころの話です。日本が戦争に向かって歩み始めている1932年の劇場の楽屋を舞台に、プロレタリア演劇、プロレタリア運動による革命を信じ、日本をどうにかしなければと演劇をやっている若者たちーー細川ちか子さん、高橋とよさん、山本安英さんたちのころを描いたフィクションです。若い女優たちが生活のためにアルバイト斡旋業“仕事クラブ”をつくるんですけど、ブルジョア的な仕事を受けなかったり、恋愛はするけれど生活苦で子供を産めないなどの苦悩を抱えているわけですが、そうまでしてなぜ演劇を続けるのかというお話です。
『風紋』は1933年が舞台なんですけど、この2年間の象徴的な出来事が、1933年の年明け早々に起きた小林多喜二の虐殺。日本における文化、芸術がいちばん息を止められそうになった時代です。次の演目の打ち合わせで集まっただけで治安維持法に引っかかったりする。演劇に社会を変える力があると今よりも思われていた時代で、上演中止が、劇団決定より前に警察からメディアに流されて朝刊に出てしまったりもした。ちょっと想像がつかない出来事ではあるんですけど、そういう事例が過去にあったとされているから、今の時代を見ていて、また同様のことが起こらないとは言えない怖さがありますね。
劇団民藝公演「『仕事クラブ』の女優たち」の出演者の皆さん
ーー宮崎県立芸術劇場での戯曲は、宮崎を舞台にした演劇を創作するシリーズで2月末から上演されます。
長田 神楽を題材にした現代劇の予定です。受け継がれていくもの、東京と東京以外の地域の問題を描きます。神楽は不思議な芸能で、その地域自体を守っていくものなのに、地域によってはいまだに女性は一切踊れず、お料理をつくって神楽の人たちを支えるという形で独自に根付いている。その閉鎖性と受け継がれていく強さについて、外から見たらどうか、という作品です。
ーーそして青年座にもご予定があるようですね。
長田 青年座さんはビルの建て替えで今のアトリエ(青年座劇場)がなくなるそうで、来春の上演になる予定です。宮田慶子さんが演出してくださるんですけど、それも生まれる、引き継がれるということをテーマに、そこにDNAや遺伝子など科学的な視点を入れられないかと考えているところです。
長田育恵 撮影 曳野若菜
《おさだいくえ》日本劇作家協会戯曲セミナー研修課にて井上ひさしに師事。2009年に「てがみ座」を旗揚げし、全公演の脚本を手がける。2015年『地を渡る舟-1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-』(再演)で第70回文化庁芸術祭賞 演劇部門新人賞を受賞。2016年『蜜柑とユウウツ-茨木のり子異聞-』で第19回鶴屋南北戯曲賞を受賞。2016年度 文化庁東アジア文化交流使に就任、ソウルに派遣。近年は、文学座アトリエの会、市川海老蔵自主公演、ホリプロ、グループる・ばる、劇団民藝など多彩な舞台で脚本を手がけている。
取材・文=いまいこういち
■日程:2017年11月9日(木)~19日(日)
■会場:赤坂レッドシアター
■脚本:長田育恵
■演出:田中圭介
■出演:
福田温子 箱田暁史 石村みか 岸野健太
佐藤誓 瀬戸さおり 山田百次(劇団野の上/青年団リンク ホエイ)
実近順次 峰﨑亮介 神保有輝美(劇団民藝)
■料金:全席指定(税込) 前売4,200円 / 当日4,500円、25歳以下3,000円(前売のみ取扱い/入場時身分証提示)※未就学児入場不可
■開演時間:9・10・13・17日19:00、14・16日・日曜14:00、水・土曜14:00 / 19:00
※13・16日はアフタートークあり
■問合せ:プリエール Tel.03-5942-9025(平日11~18:00)
■てがみ座公式サイト http://tegamiza.net/