『岡本神草の時代』、関東唯一の大規模回顧展をレポート 宗教的で官能的な美人画の世界
左:岡本神草《拳を打てる三人の舞妓(未成)》大正8年(1919)京都国立近代美術館 右:岡本神草《拳を打てる三人の舞妓の習作》大正9年(1920)同館蔵
千葉市美術館にて、『岡本神草の時代』展(2018年5月30日〜7月8日)が開幕した。本展は、大正から昭和初期にかけて京都画壇で活躍した日本画家・岡本神草による数少ない本画(完成作)を中心に、38年の短い生涯で残した下図や素描を通して、神草芸術の魅力を伝えるもの。竹久夢二風の美人画や、浮世絵に影響を受けた神草の作品は、時に宗教的な雰囲気を帯び、またある時は濃厚な官能性を放つ。同年代の甲斐庄楠音や、神草の師である菊池契月など、同時代の画家たちが描いた美人画も併せて紹介している。昨年秋に京都国立近代美術館で開催され、大きな反響を呼んだ本展覧会だが、関東では千葉市美術館のみの開催となる。一般公開に先立ち催された内覧会より、見どころを紹介しよう。
会場エントランス
岡本神草 《婦女遊戯》 昭和7(1932)年 株式会社ロイヤルホテル
左:丸岡比呂史 《路次の細道》 大正5(1916)年 京都市立芸術大学芸術資料館 右:丸岡比呂史 《夏の苑》 大正末期 京都国立近代美術館
神草の象徴的代表作《口紅》
38歳の若さで亡くなった神草は、現存する作品が下図や素描を含めて百十数点と、非常に少ない。そのうち完成した大作はたった3点しかなく、会場冒頭に展示されている《口紅》は、画家の代表作のひとつである。1918年に、京都市立絵画専門学校の卒業制作として描かれた本作は、発表当初、顔や着物の柄が未完成のままだった。同年秋、京都の日本画家達によって結成された美術団体「国画創作協会」による第1回目の展覧会に出品する際には完成され、見事入選を果たしている。
岡本神草 《口紅》 大正7(1918)年 京都市立芸術大学芸術資料館
華やかな着物に身を包んだ舞妓が腰をかがめ、蝋燭の灯りのもとで下唇に紅をさす様子は、魅惑的な色気があり目を引く。上唇と歯茎、下唇の丁寧な色分けや、緻密に描き込まれた着物の柄など、神草の高い技術力が伝わるようだ。
千葉市美術館担当学芸員の藁科英也氏によると、描かれた舞妓はほぼ等身大の姿で、下から見上げるような視線で鑑賞することで、現代におけるVRのような体験ができるほど、リアルな迫力があったのではないかという。
「若者らしさ」溢れる学生時代
神戸生まれの神草は、15歳で京都へ移住、21歳で京都市立絵画専門学校に進学し、大正時代の京都で青春を過ごした。学生時代は竹久夢二ブームの真っ只中で、当時付き合っていた恋人や女友達から夢二のイラストが掲載された雑誌を借りて、夢二の模写を多数手がけている。また、花柳界や祇園を題材にした長田幹彦の小説に影響を受け、自らのモチーフに舞妓を選ぶようになったとも言われている。
左:岡本神草 《吉彌》 大正5(1916)年 京都国立近代美術館 右:岡本神草 《女二態》 大正5(1916)年 京都国立近代美術館
さらに、同時代のヨーロッパ美術の紹介をしていた雑誌『白樺』に掲載されていたゴーギャンをならい、ゴーギャン風のタッチを用いた作品も描くなど、多方面から得た刺激を若いうちから吸収している様子が伺われる。
藁科氏は、神草の学生時代について「今の美大生と似たような学生生活を送っていたのだな、という雰囲気が伝わります。15歳から20代半ばというと、恋に勉強に忙しく、やりたいことがいくらでも出てくる年頃。あれこれ着手しているうちに、作品がなかなか完成せず、その断片や大作の下図が多くみられます」と語る。
岡本神草 《お貞子ちゃん写生1》 大正3(1914)年 京都国立近代美術館
試行錯誤が伝わる下書きや素描の面白さ
完成作の少ない神草だが、大作のための下図や、制作途中で未完となった絵画が残されている。
左:岡本神草 「家鴨」草稿 大正5(1916)年 京都国立近代美術館 右:岡本神草 「白河の花売娘」草稿 大正5(1916)年 京都国立近代美術館
《花見小路の春宵》の草稿と未完作について、藁科氏は以下のように推測する。
左:岡本神草 《花見小路の春宵(未成)》 大正5(1916)年 星野画廊 右:岡本神草 「花見小路の春宵」草稿 大正5(1916)年 京都国立近代美術館
「神草は、日本画の伝統的技術を用いて、竹久夢二風の二次元的な可愛い女性を描こうとしたと思われます。ところが、日本画本来の形式で、細かくぼかしを入れたり顔に陰影をつけたりすることで、二次元的な可愛さはなくなってしまう。徹底的な二次元の平面に置き換えた女の子を、絵画として成立させる試みはうまくいかず、神草がこれまで学んできたことと、本人が目指す方向が一致しなくて、制作を断念したのかもしれません」
左:岡本神草 「春雨のつまびき」草稿1 大正6(1917)年 京都国立近代美術館 右:岡本神草 「春雨のつまびき」草稿2 大正6(1917)年
左:岡本神草 「口紅」草稿 大正7(1918)年 京都国立近代美術館 右:岡本神草 「春雨のつまびき」草稿3 大正6(1917)年 京都国立近代美術館
《春雨のつまびき》の3枚の草稿では、浮世絵に影響を受けたような構図が、次第に体をくねらせ、服も乱れて大胆にデフォルメされている。
左:岡本神草 「拳を打てる三人の舞妓」草稿 大正8-10(1919-1921)年 京都国立近代美術館 中央:岡本神草 《拳を打てる三人の舞妓(未完)》 大正8(1919)年 同館蔵 右:岡本神草 《拳を打てる三人の舞妓の習作》 大正9(1920)年 同館蔵
お座敷遊びの光景を描いた《拳を打てる三人の舞妓》の草稿、未成作、習作では、舞妓の表情や手の形に苦心する様子がうかがわれる。
コの字形に切り取られた跡のある習作は、第2回国画創作協会展を目指して制作されたが、締切直前に神草自ら中央部分のみを切り取ってしまった。舞妓を囲むモヤのようなものや、仏像のような表情など、独特の神秘性を放っている作品だ。
神草の生きた時代に描かれた女性たち
大正期は色っぽさが全面に出ていた神草の女性たちも、昭和に入ると、すっきりした美しさへと変化していく。
左:岡本神草 《化粧》 昭和3(1928)年頃 京都国立近代美術館 右:岡本神草 《舞妓》 昭和3(1928)年頃 培広庵コレクション
左:岡本神草 《仮面》 昭和2(1927)年 培広庵コレクション 右:岡本神草 《浴》 大正14(1925)年
展覧会後半では、神草と同時代に活躍した画家たちの作品が紹介されている。神草の《口紅》と同じく、国画創作協会の第一回展に出品された甲斐庄楠音《横櫛》や、一見グロテスクにも思えるが、同年代の女性を生き生きと描いた稲垣仲静《太夫》など、画家の特色を色濃く反映した女性たちの姿を見ることができる。
左:甲斐庄楠音 《横櫛》 大正5(1916)年頃 京都国立近代美術館 右:甲斐庄楠音 《娘》 大正4(1915)年頃 京都国立近代美術館
左:梥本武雄 《化粧》 大正11(1922)年 山口県立美術館 右:稲垣仲静 《太夫》 大正8(1919)年頃 京都国立近代美術館
左:小西長廣 《太夫之図》 大正中期 星野画廊 中央:木村斯光 《花魁》 大正10(1921)年 京都国立近代美術館 右:梶原緋佐子 《赤前掛》 大正5(1916)年頃 京都市美術館
左:菊池契月 《夕至》 大正7(1918)年 京都国立近代美術館 右:菊池契月 《少女》 大正9(1920)年 京都国立近代美術館
『岡本神草の時代』展は2018年7月8日まで。会期中は、着物姿で来館すれば「きもの割引」が適用されるとのこと。短い人生で、興味の赴くまま自由に絵を描いた神草による希少な作品が集う会場に、ぜひ足を運んでほしい。