劇団民藝公演『正造の石』~演出家・丹野郁弓と女優・森田咲子に聞く
劇団民藝の稽古場にて。左から、森田咲子、丹野郁弓。
劇団民藝が紀伊國屋サザンシアターで、『正造の石』(池端俊策・河本瑞貴作、丹野郁弓演出)を上演中だ。正造とは、足尾銅山の閉山に生涯をかけた田中正造である。自分ではない誰かのために行動した田中正造を見て育った娘・新田サチは、田中の紹介で東京の女性運動家・福田英子の家にお手伝いさんとして預けられる。演出家の丹野郁弓とヒロイン・新田サチを演じる森田咲子に話を聞いた。
民藝公演『正造の石』のチラシ。
さわやかで華やかな新春公演
──『正造の石』は、明治初期に渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山鉱毒事件が背景になっていて、その村で生まれ育った女性・新田サチが主人公。そのサチの目から見た足尾銅山鉱毒事件を描きつつ、当時、自由民権運動や女性の参政権といった市民運動とも関係した話にもなっています。
丹野 足尾銅山も社会時勢もいわば背景で、新田サチは少女というよりは、すこし年増なんですけど、彼女は鉱毒事件の風評被害で嫁のもらい手がないために、行き遅れてしまっている。そういう女性の成長記であるとわたしはとらえています。
だから、足尾銅山については、もちろん田中正造が出てきますし、鉱毒事件にも触れてるし、それから、参政権とか女性解放を目指す当時の活動家たちの動きも書いてあるけど、結局は、いかに新田サチがそのなかで女性として成長したかという話だと思うんです。
──劇団民藝にとって、今年の第一本目になりますね。
丹野 2月公演ですけれども、民藝としては新春公演という側面もある。その意味でも、さわやかな、しかも華やかな芝居に……樫山文枝さんも伊藤孝雄さんも出てくださいますし……なりそうな感じがしています。
──足尾銅山や民権運動というテーマを、いま取りあげることについては、意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
丹野 でも、いま申し上げたとおり、それはモチーフにすぎなくて、女性の成長記としてこの台本を読むと、そんなに意外な感じもしない。
それから、田中正造は非常に面白い人だなという発見がありました。名前は有名で、いろいろ取りあげられてるし、戯曲にもなっていますが。田中正造を演じる伊藤孝雄さんは、すごい資料を読み込んで、すっかり田中正造に入れ込んでます(笑)。
──髭の一本一本までが、すでに田中正造じゃないかと思わせる風貌になりつつあります。
丹野 そうなんです。孝雄さん。すごくいい。ちょっとしか登場しないのに、その場面をやっぱり全部持っていく。楽しいし、面白し、迫力もある。『正造の石』だから、半分タイトルロールですが。
民藝公演『正造の石』左から、望月ゆかり、本廣真吾、森田咲子、樫山文枝。 撮影/稲谷善太
ひとりの女性の成長物語
──東京へ出た新田サチは、最初は文字が読めず、もちろん漢字も書けない。ところが、当時の最先端の空気と思想にふれていく。栃木の地元でも社会運動の最前線に巻き込まれたし、その後、田中正造の計らいで東京へ奉公に出ても、また同じような最先端の思想家たちとふれあい、そこでさまざまな葛藤を抱えつつ、言葉に関心を持っていく。言葉がサチを、自分の生活以外のことへと誘っていく。
丹野 そこが言わば、大きなテーマのひとつだと思うんだけど、じゃあ、文字って何だってことですよね。新田サチはまったく文字を知らないが、それでも生活のうえでは何の痛痒も感じていない。農作業には文字は必要ないと思っている、そういうサチが文字というものを獲得していく。それはとても面白い論点と思っているんです。
新田サチは、オリジナルのキャラクターです。『正造の石』は池端俊策先生と河本瑞貴先生の共作ですけど、先生おふたりが造型した、実在しなかったオリジナルのキャラクターたちがとても生き生きしていると思うんですよね。田中正造をはじめとして『正造の石』には、実在のビッグネームが出てきますから、どうしてもそっちが注目されがちですけど。
──サチが文字を知ることが、思想を獲得することにつながっていく。その経緯が面白いですね。言葉で構築された思想に影響を受けていく。
丹野 そうですよね。サチのなかには生活はあるけれど、生活以上のなにか……思想とか思考とか、アイデアみたいなものを獲得していく感じですよね。
──サチがそのきっかけとして、雑誌『世界婦人』の創刊号に載った詩に関心を示す場面がありますね。
丹野 「おはな、やおはな、花召して……」
──その「花売りの歌」という詩に最初に反応する。そして、詩はたぶんサチ自身のなかにも、文字ではないけれど、音として聞き、口ずさんでいた唄がある。それはくり返し歌われて……。
丹野 麦打ち唄。
──その麦打ち唄があり、「花売りの歌」という詩があり、さらに、福田英子の母親・景山楳子に教えられた石川啄木の短歌がある。それら3つの詩であり歌であるものが、雑事に追われながらも生活していくうちに、サチのなかでゆっくりと膨らんでくる感じがします。そのようにして、サチの内面が大きくなり、成長していく。その最初のきっかけが「おはな、やおはな、花召して……」という言葉との出会いで、それをきっかけにサチは言葉に関心を持ち、それがいろんな方向へつながり、展開していくところが面白いと思いました。
民藝公演『正造の石』左から、伊藤孝雄、森田咲子、樫山文枝。 撮影/稲谷善太
新田サチの年齢設定と運動を諦めない人たち
──では、その新田サチを演じる森田咲子さんに伺います。稽古が始まったばかりですが(取材時点)、いまはまだ本読みの最中ですか。
森田 そうです。
──読んだ感想について聞かせてください。
森田 最初に、さっと読んだときには、新田サチは少女が大人になっていくようなイメージだったんです。でも、何回か読んでいくうちに、26歳から始まって30歳ちょっと前で終わっている。ちゃんと自分の思考を持ち、自立して歩いていく女性に成長する物語なんだと認識しまして、少女から大人へというのと、大人がちゃんと考える大人になるというのとでは、やっぱり大違いだと思うので、そこをちゃんと演じられたらいいなと思っています。
丹野 一読すると、はじめは幼い少女のように思えたので、それで池端先生にも訊いたんです。どうして26歳なんですかって。当時としては、もうけっして若くない。
──冒頭の場面が、明治39年冬ですからね。
丹野 特別に東京で教育を受けた人ではないから、地方なので、もっと早く嫁ぐ場合が多いんでしょうけど、鉱毒被害のせいなんです。26歳という年齢層を選んだことが面白いと思って。
──26歳から30歳にかけての新田サチの成長を描く。当時の女性成長記としては、いくぶん高めに設定されている。
丹野 もうひとつ、当時の女性解放運動の担い手だった福田英子ですけど、すでにその主義・主張が古めかしくなってきている。けっして最先端ではない。そして田中正造も、時勢でいうと遅れてきている。そういう者たちを描いた視点も面白いなと思っています。英子が運動に関わっていることで時代に取り残されていく感じがほしいと思っていて、それを作者がうまく場面にしてます。
──ふたりとも、どれだけ時代に取り残されても諦めない。
丹野 そうなの。諦めないの。
──投げやりにならず、それなりの活動を懸命に続けるんですよね。
丹野 それは田中正造にしてもそうだし、福田英子にしてもそうなんです。そういうところも面白い描きかただと思います。
民藝公演『正造の石』左から、森田咲子、大中耀洋。 撮影/稲谷善太
田中正造の石がわたしたちに語りかけるもの
丹野 田中正造の遺品が石だったのは知ってますか?
──いいえ。
丹野 死んだとき、巾着袋に入っていたのは、石が3つと『マタイ伝と帝国憲法』の合本だったんです。
──何も持たなかったんですよね。国会議員の地位も全財産を運動につぎこみ、途中からは借金にまみれて、足尾銅山の閉山に向けての行動しかしなかった。やっぱり足尾の石ですか?
丹野 そうとは限らないけど、作者はおそらく田中正造の遺品は絶対に見てますから、石はそこからの発想だと思います。石を集めるのが趣味だったらしい。群馬県佐野市に郷土博物館があって、そこに展示してあります。
──栃木県谷中村にいたときの新田サチと、東京に出てきてからのサチ、それぞれ演じてみたいイメージはありますか?
森田 都会に出てきたからこう変わったというよりも、サチという人間が見えたほうがいい。サチは東京の生活にはぜんぜん馴染めなかったので……。
──たしかに急には変われませんね。東京では、子守もするし、もう本当にいろんなお手伝いを……。
丹野 昔は、家事見習といって、地方の娘さんを住み込みで引き受けて「家事見習いをしました」と見合いの釣書に書いて、持たせたりしました。
──いまの人がサチを演じる場合、当時とはずいぶんちがうので、新鮮な部分と、受け入れにくい部分の両方があると思うんですが、どうですか?
森田 谷中村のサチは、とりあえず自分たちが食べて、生きていくだけの作物が育てばいいという生活ですよね。それが鉱毒によって、作物も育たなければ、毒された作物しか実らなくなってしまう状況は、わたしには想像がしがたいです。
いまでも農家をしてる方たちには、それこそ台風だったり、温暖化だったりということ異常気象が、たぶん直に関わってくる。それは頭ではわかるんですけど、実感がないので、まずそれを実感として少しでも獲得していくことが、これから先もやっていくことかなと思います。
それから、東京に出てからの出来事は、いまの若い人には意外にピンとくるんじゃないでしょうか。
子供のころから、学生運動をした世代の人が言っていることは、難しくてよくわからなかったし、政治家の発言もよくわからないんですが、実際に自分の生活に影響が起こるくらいになってきたので、考えなければいけない問題になってきました。いまの社会はわからないと言ってないで、やっぱりひとりひとりが知っていかなきゃいけない。サチが字を勉強したように、何かを学ばなければいけない感じがしています。
取材・文/野中広樹
公演情報
■会場:新宿・紀伊國屋サザンシアター
■演出:丹野郁弓
■出演:森田咲子、樫山文枝、神敏将、大野裕生、山梨光圀、本廣真吾、近藤一輝、保坂剛大、望月ゆかり、境賢一、吉田正朗、大中耀洋、船坂博子、梶野稔、金井由妃、山本哲也、仙北谷和子、伊藤孝雄
■公式サイト:http://www.gekidanmingei.co.jp/