民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』──演出家・丹野郁弓、仁科仙蔵を演じる杉本孝次に聞く

インタビュー
舞台
2021.4.3
民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景。 撮影/稲谷善太

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景。 撮影/稲谷善太


劇団民藝創立70周年記念公演として『どん底──1947・東京』が上演される。これまでにも民藝は、創立10周年と40周年の節目に、ゴーリキーの『どん底』を上演してきたが、今回は劇作家・吉永仁郎が、敗戦直後の東京を舞台にして、当時17歳だった自らの体験をもとに、ゴーリキーの『どん底』の構造を借りて、当時の人々のようすを書き下ろした。戦争直後を人々はどのようにして生き延びたのか。貴重な記憶の集積のなかで、たくましく生きる人々の群像劇。
 

■かつてない吉永仁郎作品の最新作

──民藝では、これまで40年にわたり、数多くの吉永仁郎作品を上演しています。

丹野 杉本孝次さん、吉永先生の作品、何やってます?

杉本 最初は『すててこてこてこ』(1982年初演)

丹野 橘屋圓太郎だったよね。

──民藝が上演した吉永作品を新しい順からさかのぼると、一昨年は永井荷風を描いた『新・正午浅草──荷風小伝』。『断腸亭日乗』の戦中の記述から、「正午浅草」という一行を採って題にしました。その前が『大正の肖像画』(2015年初演)。それから、井伏鱒二原作『集金旅行』(2013年初演)、藤沢周平原作の『思案橋』(2011年初演)、『深川暮色』(2005年初演)の3作は、原作小説を脚色した作品です。

丹野 吉永先生は評伝劇が圧倒的に多い気がします。『すててこてこてこ』も三遊亭圓朝ですし、竹久夢二を描いた『夢二・大正さすらい人』(1983年初演)、それから『大正の肖像画』も大正期に活躍した洋画家・中村彝(つね)だし。『勤皇やくざ瓦版』(1998年民藝初演)は、甲州やくざ黒駒の勝蔵。

杉本 あっ、それにも出てた。

丹野 代表作の『夏の盛りの蝉のように』は渡辺崋山と葛飾北斎、『滝沢家の内乱』も馬琴だし……

──たしかに江戸時代の絵師や戯作者、さらに明治・大正の文人を描いた作品が多いですね。

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)のチラシ。 イラストレーション/山崎杉夫 デザイン/松吉太郎

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)のチラシ。 イラストレーション/山崎杉夫 デザイン/松吉太郎

■翻案ではなく、『どん底』の劇構造を借りた創作劇

──今回のように、戦後を描いた作品は初めてになりますか? 『集金旅行』は舞台が戦後ですが、井伏鱒二の小説の脚色です。ロシアの戯曲を翻案されたのも、初めてじゃないでしょうか。

丹野 必ずしも翻案ということではなく、たぶん、吉永先生の思いとしては、1947年というあの時代、自分が実際に「かつぎ屋」をやって暮らしていた一時期があった。それで、あのころをどうしても書いておきたいという思いに囚われていらして、そのために『どん底』という構造を借りたんだと思います。『どん底』があって、それを終戦直後の東京に置き換えたのではなく、自分で切実に書きたい題材があったので、それを『どん底』の構造を借りて実現させたということでしょうね。

──当時の吉永さんは、まだ少年だったと思うんですが……

丹野 そう、17歳。 

──その後、早稲田大学第一文学部英文科に入学して、卒業後は英語の先生になられるんですが、その前にされた体験だとすると、敗戦直後の原体験そのものですね。

丹野 だから、どうしてもその時代に人々がどういうふうに生きていたかを書かずにはいられない。そういう思いが、まずあった。けれども、ご本人に言わせると、なかなかそれが書けなくて、それでゴーリキーの『どん底』の構造を借りて書いたと。

──登場人物の設定なども借りて、敗戦直後の東京に移し替えられています。

丹野 そうですね。だけどね、わたし、すごくうまい移し替えだなと思って。きわめて自然なかたちの移し替えになっている。実際に、吉永先生が「かつぎ屋」をやっていたので、当時の風俗みたいなものも、全部身近で見聞きしてるわけです。だから、妙なところがものすごく細かいわけ(笑)。そういうところも面白いです。

──発される言葉のひと言ひと言が、当時はこういうふうに言ってたんだなという言いかたが台詞に残っていて、そういう意味では、当時の記憶装置にもなっています。

丹野 先生も当時のエピソードはご自身のなかにたくさんおありでしょう。でも、芝居に組み立てようとしたときに……

──物語として、たくさんの記憶の断片が収斂していかない。それらを組み立て、接着するために『どん底』という戯曲の枠組みを借りて、そのなかで再現させてみた。

丹野 そういうことかもしれませんね。

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景 撮影/稲谷善太

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景 撮影/稲谷善太

■『どん底』は何度もくり返し上演される

──『どん底』は一昨年、新国立劇場でも上演されました。民藝でも節目ごとに上演されている演目です。

丹野 30年前の劇団創立40周年に上演しています。創立10周年記念でやって、40周年記念でもやって、昨年が70周年記念になりますから。

──ちょうど30年周期みたいな(笑)。『どん底』は文学座でも岸田國士が演出していますし、新劇の劇団が原点のように立ち戻って上演する演目のひとつだと思います。社会の最底辺の生活を見つめることで、問題点を浮き彫りにしていく。そのような木賃宿に、仁科仙蔵という、ゴーリキーの『どん底』だとルカに相当する人物がふらりと現れて、いつのまにか消えている役なんですが、最初に台本を読まれたときの印象から、聞かせてください。

杉本 ゴーリキーの『どん底』も読みましたし、黒澤の映画も見ましたが、それらを原作としては考えていない。だから、そこからもらってくるのは、いっさいやめようと。

 で、吉永さんの『どん底』だけを読んで、たとえば、ルカはどういう人間なんだろうと考えたら、お伽話というか、実体があるようで実際にはないような人間と考えたほうがいいと思ったわけです。

 みんなのなかに、たとえば、よりよきものが少しずつ残っていたら、それが仁科という爺さんの形になって見えるかもしれないけれど、それはみんなの心に少しずつあるものでできていて、そういう人物が木賃宿の住人たちに少しずつ影響を与えていく。そして、理由は知らないけれど、お尋ね者なので、警官が乗り込んできたら即座にいなくなる。そんなふうに、よりよきものを探す爺さんの、よりよきものを探すんだよと説くお伽話の人というふうに読んでいます。

 ですから、あまり厳密に突き詰めないで、ゆえにこう動くんだとか、ゆえにこういう声だとかはなしにして、作っていきたいと思っています。

仁科仙蔵(爺さん)を演じる杉本孝次。 撮影/稲谷善太

仁科仙蔵(爺さん)を演じる杉本孝次。 撮影/稲谷善太

■移動しつづける仁科の役割

──ゴーリキーの『どん底』に登場するルカは「巡礼」、吉永版『どん底』でそれに相当する仁科は「旅人」と表現されていますが、『ムーミン』に登場するスナフキンのように、時期が来ると移動して、旅先で時間を過ごしては、また次のところへ移動しているらしい。

杉本 そして、行った先々で影響を与えるという……

──ある種の「まれびと」みたいなところがあります。ここで興味深かったのは、ゴーリキーのルカからはそんな印象を受けないんですが、仁科はいろんな人の話を聞いて、相槌をうったり、人生の軌道修正をするから、カウンセラーのような役割を果たしている感じがしました。

杉本 ところが、具体的には3人に働きかけて、そのうちのふたりは、結局、そのために死んでしまうわけですよ。靴屋のおかみさんの大場久子という結核病みの女性は、あそこで死んだことが幸せなのかどうかはわからない。もっと悔しいという思いがあれば、もう少し生き延びたかもしれない。すうっと楽になっちゃったから死期が早まったと考えると、仁科はまるで死神でもあるとすら思えるわけです。

 ですから、仁科本人は言っていませんが、「よりよきものを探すのが人間なんだ」という働きかけをすることと、実際によりよきものを探すと死期が早まっていくこと……こういうつながりを見るたびに、いったい何だろうと考えています。

──ゴーリキーの『どん底』だと役者、吉永版では成田屋と呼ばれる市川ですが、その市川も最後には自殺してしまいます。

杉本 市川もよりよく生きようとした結果、ああいう道を選ばざるをえなかった。それから、もうひとり、若い尾形もテル子と新しい生活をしようと思うからこそ、人を殺めてしまう。そうすると、わたしの役目は、本来とはちがう影響をもたらしたのか。あるいは、それはそれでよかったのか。

──結果だけを見ると、夢を抱かせることが不幸につながってしまう。

杉本 それを不幸と言うならばね。

丹野 ゴーリキーの『どん底』に登場するルカは神であるという論争がありますよね。そうすると、神というのは、教義は与えるけれども、実際に手はくださない。困った人に手を差し伸べるわけではない。そう考えると、実に、仁科も神っぽい存在でもある。

 仁科という人物が、終戦後のこの時期に、こういう存在でいるという……この人、おそらく主義者なんですよね。それは本当だろうと思うんです。だけれども、突破口が見出せないままに、戦前、戦中は弾圧され、そして戦後も変節漢として白い眼で見られた。そして、言葉だけでは、実際にはなんにもならない。そういった当時の主義者、もしくはインテリ層を非常によく表している役だと。吉永先生、うまいところに目をつけたと思うんですけれど。

──そう考えると、インテリと呼ばれる桃沢とも重なる部分が出てきます。

丹野 桃沢は、結局、仁科の言葉を継いでいくわけですが、彼はどちらかというとアナーキストですかね。

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景。 撮影/稲谷善太

民藝創立70周年記念公演『どん底 1947・東京』(ゴーリキー原作、吉永仁郎脚本、丹野郁弓演出)稽古場風景。 撮影/稲谷善太

■吉永版『どん底』はなぜ面白いのか

──吉永版『どん底』が独自に持っている魅力はどんなものでしょう。

丹野 この翻案がなぜ面白いか。ゴーリキーの『どん底』には、登場人物の前歴は充分に書かれてはいないんです。どうしてここに全員が集まっているのかが、読んだだけではよくわからない。

 だけど、吉永先生の『どん底』は、全員にここにいるべき理由が与えられている。たとえば、仁科はかつて主義者であったとか、桃沢は鉱山の技師で大勢を見殺しにしたとか、靴屋の定吉は戦争から戻ってきたら行くところがなかったとか、尾形は特攻隊あがりだとか、それぞれに理由がくっつけられているわけ。金(キム)にもB級戦犯であるという理由がくっついてる。だから、ひとつにはそのことがこの芝居をわかりやすくしている。

 それから、「この国が今大病を患ってるんだ」という桃沢の台詞があるんですけど、それがすごくビビッドに響くんです。今年ならではの響きかたです。これからどうしたらいいんだと先が見えない閉塞状況と、現在のブラック企業に代表されるような、若い人たちの行き場のなさ、非正規雇用の不安定さなども共振しあって、いまにますますピタッとくる感じはしますよね。

演出家・丹野郁弓。 撮影/稲谷善太

演出家・丹野郁弓。 撮影/稲谷善太

■出口へ向かって進み続ける

──それにしても『どん底』の舞台である焼けビルの半地下の空間は、昼でも暗いし、最底辺での暮らしを見つめつづけるのもつらい。仁科にしても、住民たちに言葉をかけることしかできません。

丹野 最終場面にいたるまで、仁科は希望の言葉を吐き散らかすわけですけど、実際、仁科が希望を植えつけなければ、こんな騒ぎにはならなかった。みんな、そのままふつうに、どん底で生きてたんですよ。だから、神の言葉というのは、そのぐらいインチキなんだなと、わたしはときどき思って見てるけど(笑)。

──希望をもらう人もいれば、現実にしっぺ返しを受ける人もいる。

丹野 だけど、ちょっとした希望も見えていて、クレシチにあたる靴屋の大場定吉は、寝たきりだったおかみさんに死なれて失意のどん底にいたのが、最後はリュックを背負って「仕事しなけァな」と言って外へ出るところで、わたしなんか、ああ、よかった、この人って思う。

──でも、芝居の冒頭から、大場は早起きして、いちばん働いてるような気がしますが……

丹野 外に出て働かなきゃ、だから。

──なるほど。やっぱり、どん底の簡易宿泊所から出ていく話なんですね。

丹野 みんなが脱出する、もしくは脱出したがっている話ではあると思うんですね。

──そのときに、若い男を利用して脱出しようと試みる者もいれば、単に出ていこうとする者もいる。それぞれが自分で考えたやりかたで脱出を試みていく。

丹野 ですから、『どん底』は、いかに人々がこの時代を生き抜いたかという意味では、それぞれの人生模様のリブ(live)じゃなくて、サバイブ(survive)だなと思うんですよ。

──生き残りを賭けて、どん底から脱出していく話。

丹野 それぞれの人間がどのようにこの時代を生きたのかという話で、ストーリーは特にないんですけど、いかに生き延びたかという記録を吉永先生はお書きになりたかったんだろうなとわたしは結論づけてやってます。

──それが17歳の吉永さんが体験した原点でもある。

丹野 そうだろうと思いますね。

──その後、日本はいくつかの特需があり、高度経済成長を遂げますが、90年代にバブルがはじけた後、さまざまな理由から病んでいる状態になり、経済格差も広がり、雇用状態も悪化するなかで、もう一度、吉永さんが敗戦直後というご自身のスタート地点から、問いかけようと試みている。そのとき、ここに描かれた1947年の東京の焼け野原と2021年の東京の現在が二重写しになる。再びここからどのように脱出し、さらに一歩踏みだすかについては、舞台を見ることで考えてみたいと思います。

取材・文/野中広樹

公演情報

民藝公演『どん底──1947・東京』

■日程:2021年4月8日(木)~18日(日)
■会場:紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

■原作:マクシム・ゴーリキー
■脚本:吉永仁郎
■演出:丹野郁弓
■出演:日色ともゑ、森田咲子、杉本孝次、千葉茂則、横島 亘ほか
※「尾形新一」役は橋本潤に変更になりました。
■公式サイト:http://www.gekidanmingei.co.jp/
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