「武士の運命、人としての情」松本幸四郎出演『盛綱陣屋』が歌舞伎座で開幕! 取材会&第二部観劇レポート
『九月大歌舞伎』
松本幸四郎が、歌舞伎座『九月大歌舞伎』第二部で、『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)盛綱陣屋』に出演している。鎌倉方と京方で敵同士となった、兄・盛綱と弟・高綱の心理戦を、盛綱サイドから描くエピソードだ。幸四郎は、主人公の盛綱を勤める。
当初、第二部は、2021年9月2日(木)に開幕する予定だった。稽古前に、関係者全員を対象としたPCR検査を実施し、その結果を受けて初日を延期し、7日(火)に開幕した。
「この時期にも、幕を開ける意味があると信じ、ひたすら待ちました。去年8月、歌舞伎座が再開して以来、『今日で公演が終わるんじゃないか。今日で終わるんじゃないか』という気持ちで、日々の舞台に上がっています。そして14か月連続で、公演が続いています。これは本当にありがたいことです」(幸四郎。以下、同じ)
6日に、舞台稽古を終えた幸四郎が、リモート取材会で作品への思いを語った。第二部の観劇レポートとあわせてお届けする。
■武士としての盛綱、人としての盛綱
「武士としての立場、運命と、人としての情。盛綱には、その両方の最たるものを感じます」
『盛綱陣屋』は、浄瑠璃『近江源氏先陣館』全九段のうち八段目にあたる。時代は、鎌倉末期。舞台は、盛綱の陣屋。この日の戦で、盛綱の息子・小三郎(坂東亀三郎)が、高綱の息子・小四郎(尾上丑之助)を生け捕りにする手柄を立てる。盛綱は、高綱が小四郎の命惜しさに武勇をくじかれ、武士として不名誉な判断をしてしまうかもしれない……と心配する。
「弟の高綱は、敵の立場です。しかし盛綱には、『高綱に、武士として立派に生き抜いてほしい』という、兄としての思いもあります。全段を通すとなおさらですが、騙し騙される、策略だらけのお芝居です。その中で盛綱は、武士でありながら、人として生き抜きます。単純に“情に厚い武士”ではありません。武士として生きた上で、人としての情けをいかに滲み出せるか。難しくも、魅力的な役どころです」
歌舞伎座『盛綱陣屋』佐々木盛綱=松本幸四郎 /(C)松竹
幸四郎にとって、本興行では初役となる盛綱。1998(平成10)年に開催した、自主公演『第二回市川染五郎の會』で挑んで以来となる。「自主公演でやるのは、自分が目標としている役だと宣言する意味でもある」と語り、思いの強さをうかがわせる。
「『盛綱陣屋』は、私にとっても私の家にとっても、大事なお芝居です。盛綱を初役で、歌舞伎座でやらせていただくことに、喜び以上にプレッシャーを感じます」
■頼み込み、首実検
前半の見どころは、「頼み込み」。盛綱が、母・微妙(みみょう。中村歌六)に、小四郎の切腹を求める。
「母親に対する、子どもとしての盛綱。和田兵衛(中村錦之助)に対する、武士としての盛綱。相手によって、気持ちが切り替わることが大切だと、父・白鸚から教わりました。父だけでなく、おじの吉右衛門、祖父や曾祖父も勤めた役です。代々の方々の僅かな資料も勉強し、それを踏まえて勤めます」
高綱妻・篝火(中村雀右衛門)が、小四郎の身を案じて敵陣の門まで駆けつけると、盛綱妻・早瀬(中村米吉)がそれを諫める。微妙が、小四郎を手にかけようとするも、小四郎はそれを拒む。そんな中、高綱の討死の報せが入る。そして、後半の見どころである「首実検」に至る。北條時政(中村又五郎)が盛綱に命じたのは、討ち取った高綱の首が、本人であるかの確認だった。あらためようと首桶を開けた瞬間、小四郎が、父のあとを追って切腹する。しかし首は偽物で……。
松本幸四郎 オンライン取材会より
「小四郎役は、小学2年生の頃にやらせていただきました。大きな役ですが、大変さよりも、舞台でお芝居ができる嬉しさを覚えています。その頃、僕の家では首実検ごっこが流行りました。小柄の代わりにペーパーナイフ、高綱の首にはぬいぐるみを使った遊びです(笑)。その当時の“小道具は触ってはいけないもの”という感覚が、残っていたのでしょうか。盛綱役として、小道具の高綱の首に触った時、不思議な気持ちになりました。自分が盛綱をやるのだと、あらためて実感しました」
今回の小四郎役は、尾上丑之助が勤める。
「おじの吉右衛門は、現在療養中ですが、孫の丑之助くんの小四郎で盛綱を勤めることは、ひとつの夢だったと思います。おじには辿りつきませんが、私自身、おじの元で勉強させていただいています。おじを目標に、勤めさせていただきます」
2006年より歌舞伎座では、『秀山祭』と銘打った公演で、初代中村吉右衛門の功績を顕彰してきた。
「この『九月大歌舞伎』も、私の中では『秀山祭』という気持ちです。奇しくも舞台稽古初日が、初代吉右衛門の祥月命日でした。初代から流れ、おじが勤めたお芝居。おじが舞台に戻ってくることを信じて勤めます。今月は特に、その思いを強く感じます」
■第二部観劇レポート
9月7日、第二部が大きな拍手とともに幕を開けた。物語は、盛綱の陣屋から一歩も出ることなく展開する。それでも登場人物たちの緊張感が、ここが戦場であることを伝え、この場にいない高綱の存在をも肌に感じさせる。
「頼み込み」では、歌六の微妙の苦悩の深さが、孫を手にかけなければならない因果に、説得力を与えた。雀右衛門の篝火が、陣門の外で涙を抑える時、客席でもまた涙を抑える人の姿があった。錦之助は、敵陣に乗り込む和田兵衛を豪胆に、そして中村隼人の代役となる信楽太郎を、快闊に華やかに勤めた。米吉は早瀬を端然と演じ、これまでのイメージと異なる魅力で、篝火に対峙する。中村種之助は、弾むようなのびやかさで、中村歌昇の代役となる伊吹藤太をみせた。重厚なドラマに、緩急が生まれる注進だった。
丑之助の小四郎は、澄んだ声に利発さと儚さが滲む。最後まで集中力を切らすことなく、小さな体で物語を牽引した。亀三郎も、思い切り良く小三郎を勤め、愛らしく凛々しかった。そして又五郎の時政が凄みをきかせ、家族同士の悲哀に終わらせない、時代物の緊張感を生んでいた。
幸四郎の盛綱の「首実検」では、美しい所作から武士としての盛綱が、懐紙をあてる手からは弟を弔う兄としての盛綱が、矛盾なく感じられた。そして時政一行が去るのを見送り、篝火を呼びよせる時の台詞回しには、何かが決壊したかのように感情のほとばしりがあった。盛綱の人間らしさが、とめどなく溢れていた。
■舞台に立ってる時が、生きている時
武士であり、一人の人間として生きた盛綱。幸四郎自身に、歌舞伎俳優として、そして一人の人間としての、切り替えがあるのだろうか。「おそらく、ない」と幸四郎は言う。
「以前、観劇した後、楽屋を見舞ってくださった方から、『舞台に立っていた人に会わせてくれ』と冗談を言われたことがあるんです。疲れ切ってグダグダの私が、それくらい別人だったと。でもこれは、切り替えとは別ですよね(笑)。『舞台に上がれば役者、下りると人』とは分けられません。ただ、舞台に立ってる時が、生きている時だと感じます」
なお一層の、注意が必要な事態となっている。それに理解を示した上で、幸四郎は語った。
「舞台に立ちたいという、個人的な思いだけではいけません。しかし、立ち止まるのではなく考え続け、前進し続けたいです。歌舞伎を観たいと思ってくださる方がいた時に、舞台の幕が必ず開いている状態にしておく。それが、歌舞伎俳優である自分の役目だと信じています」
最後に『盛綱陣屋』の魅力を語り、締めくくった。
「ドラマチックで、歌舞伎らしいお芝居です。これからも、長く盛綱を勤められることが目標です。今回はその始まりの公演だと考えています。皆さんに少しでも楽しんでいただき、気持ちよい刺激を受けていただく場になるよう勤めます」
約2時間の重厚な時代物の後には、『女伊達』が上演される。桜の咲いた吉原仲之町で、中村時蔵の女伊達が、小気味よく艶やかに、中村萬太郎と種之助による男伊達を相手にする。すっきりと華やかな心持ちにさせてくれる一幕だ。歌舞伎座『九月大歌舞伎』は、27日(月)千穐楽までの公演。
取材・文=塚田史香
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。