青虎が寿猿より受け継ぐ、猿翁十種の内『蚤取男』出演者インタビュー ~継承を記録する新たな試み

インタビュー
舞台
2022.9.11
(左から)市川右田六、市川寿猿、市川青虎

(左から)市川右田六、市川寿猿、市川青虎

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市川青虎が、猿翁十種の内『蚤取男(のみとりおとこ)』に挑戦する。猿翁十種といえば、近年では『黒塚』『悪太郎』『小鍛冶』『浮世風呂』などが、本興行でも上演されている。しかし『蚤取男』は、26年の間、上演記録がない。

青虎は、市川猿翁(三代目猿之助)のすすめにより、市川寿猿に教わり、本作に取り組む。また、青虎が制作代表をつとめる「不易流行(ふえきりゅうこう)」のプロジェクトとして、継承のプロセスから舞台で踊るまでを映像に収め、2022年10⽉29⽇(土)、東劇でイベントを行う。青虎、寿猿、市川右田六と、長唄を担当する杵屋佐喜に話を聞いた。澤瀉屋の『蚤取男』とは。男と猫と、寿猿の関係とは。青虎が感じた、役者気(やくしゃぎ)とは。

■昭和4年初演、澤瀉屋の蚤取男と寿猿さん

取材前、寿猿が右田六に指導をしていた。少し離れたところでは、ドキュメンタリー用のカメラが回っていた。

「猫の時は猫。女の時は、あくまで女」

題名こそ『蚤取男』だが、登場するのは男と猫。男と猫のじゃれ合いが、いつしか男女のクドキへと変わる、洒落た作品だ。昭和4年の初演では、男を初代猿翁(二代目猿之助)が、猫を弟の小太夫がつとめた。

寿猿「猫が、しっかりやらないといけない踊りです。小太夫さんは若かったし、身体のきく方でした。最後にポンと上がるところで、稽古場の天井を抜いたなんて話も聞きました」

青虎「映像に残っている『蚤取男』では見られませんが、以前は猫がトンボをかえしたりもしていたそうです」

市川寿猿

市川寿猿

その後、猫は三代目段四郎へ受け継がれた。後見に、寿猿がついていた。昭和35年、三代目段四郎の男で、寿猿が猫に抜擢された。

寿猿「驚きました。でも大旦那(初代猿翁)が男、段四郎さんが猫をされていた頃から、僕は後見について、ずっと見ていました。頭には入っていました」

男は、さらに二代目猿翁、その後四代目段四郎にも受け継がれた。猫は岩井半四郎、市川段猿が、それぞれ一度つとめた記録はあるが、他は寿猿がつとめ、持ち役としてきた。初代猿翁の後見、三代目段四郎、四代目段四郎、二代目猿翁の猫をつとめ、澤瀉屋の『蚤取男』に立ち合ってきた寿猿が、青虎と右田六にバトンを託す。

■青虎の男、右田六の猫

青虎と『蚤取男』の出会いは、20代の頃までさかのぼる。

青虎「当時、師匠(二代目猿翁)に言われていたんです。あなたは『蚤取男』をやりなさい。やる時は、寿猿さんが若い頃にやっていた型を、寿猿さんから教わりなさいと。僕に与えられた使命だと思いました」

20年近くの年月がたった。2021年8月に、自主公演「不易流行 遅ればせながら、市川弘太郎の会」で『義経千本桜 四の切』を上演。2022年3月には、二代目として市川青虎を襲名した。

青虎「また自主公演をやろうと思った時に、ふと思い出したんです。『蚤取男』を忘れてた! って(笑)。寿猿さんは92歳。92歳でも、まだまだ手取り足取り教えてくれるほどお元気です。今しかないと思いました」

市川青虎

市川青虎

猿翁は、なぜ青虎に、本作をすすめたのだろうか。

青虎「想像ですが、その頃、僕は師匠から『あなたは芝居は不味いけれど、踊りはまあいい』と、よく言われていました。『蚤取男』は、踊りこむ演目です。10代からみっちりと、夏の軽井沢でも毎日師匠に見ていただき、鍛えていただいた成果を、皆さんにお見せできるようつとめたいです」

寿猿「あとね、男は最初に出る時、ほとんど裸でしょう。ヒョロヒョロと痩せていてはいけません。初代猿翁も二代目猿翁も、ふっくらとしていました。ずんぐりとしていた方が、カタチになります」

市川寿猿

市川寿猿

青虎が、「ずんぐり……」と反芻し「お墨付きをいただいたということで」と寿猿に目線を向けたので、一同は笑いに包まれた。猫に選ばれたのが、右田六だった。

青虎「(四代目)猿之助さんにも報告し、相談させていただきました。猫は誰がやるの? トンボを返ることができて、踊りも踊れるのは誰だろう。右田六だろうね、と。僕もそう思いました」

■猫の姿でトンボを返る

右田六は、2013年に国立劇場歌舞伎俳優研修を終え、4月に市川右近(現・右團次)に入門した。市川喜美介を名のり初舞台にあがり、2017年1月より市川右田六を名のる。

右田六「まさかと思うほど、うれしかったです。本当に僕でいいんですか、と確認してしまいました」

『蚤取男』では、緩急織り交ぜ踊り続けた後半、男が猫を肩車する。右田六は、役が決まるとダイエットをはじめ、すでに8キロ減量した。青虎が「本当にありがたいとしか」と頭を下げると、右田六は「ちょうど、そろそろ痩せないと、と思っていたので」と笑顔をみせた。

右田六「青虎さんはアニキ的存在です。19歳で入門して以来、いつも気にかけていただいています。以前は住まいが近かったこともあり、よく遊びにも連れて行っていただきました」

市川右田六

市川右田六

同郷の市川笑野の母のもとで、6歳から日本舞踊をならっていた。同じ頃に、生まれてはじめて歌舞伎をみた。スーパー歌舞伎『新・三国志』の初演だった。

青虎「右田六は、紫派藤間流の名執から師範にまでなったくらい、踊れます。でも澤瀉屋の芝居に憧れて、役者として入門しました。そういう人に、どんどん澤瀉屋に入ってきてほしいし、そのためには活躍の場が必要だとも思っています。僕自身、子どもの頃にスーパー歌舞伎に憧れ、澤瀉屋に入りました。気持ちが分かる気がするんです」

右田六「寿猿さんが守り伝えて来てくれた、澤瀉屋の猫です。トンボを返るところも継承し、壊すことなく、自分のものにできるようがんばります。この先、何度もやらせていただける演目にできたら、うれしいです」

「不易流行 早速ですが、市川青虎の会 〜猿翁十種『蚤取男』への挑戦〜」

「不易流行 早速ですが、市川青虎の会 〜猿翁十種『蚤取男』への挑戦〜」

稽古は順調なようだ。

寿猿「彼(右田六)は、よくやっています。若いし、頭の回転がはやいから大丈夫」

青虎「やさしい! でも猫は、衣裳が本当にしんどいそうですね」

着肉をつけて着ぐるみを着る。フルフェイスの被り物をし、猫の口の位置から外を見て、アクロバティックな踊りをする。上演の機会が少なかった要因のひとつは、猫という役の、むずかしさもあるのかもしれない。

右田六「動物を踊るのは、やはり難しいですよね。まずは猫の気持ちにならないといけません」

青虎「大丈夫だよ。誰も猫の気持ちは分からないし、分からなくても猫に見えるように、型があるんだから。猫の毛づくろいの振りも、寿猿さんはグッと大きくやられます。リアルであることより、いかにもそれらしく見えることが大事なのでしょうね」

寿猿「大げさにね。でも、僕が考えたやり方ではありません。ずっと見てきたものを、彼にうつしているだけです」

■二代目猿之助と四代目佐吉

青虎に『蚤取男』の魅力を聞いた。

青虎「幕が開くと、江戸の風俗画のような、風情のある景色が広がります。その時代の人の生活があり、命が吹きこまれているような感覚を、まずは楽しんでいただけます。むずかしいストーリーはなく、ファンタジーのような展開です。長唄の音楽も素晴らしく、歌舞伎舞踊の魅力が最大限に詰まった娯楽作品。美術館でコンサートを聞くように、目でも耳でもお楽しみいただけたらうれしいです」

取り組むにあたり、こだわったことがあった。

青虎「長唄の演奏は、杵屋佐喜さん以外に考えられませんでした」

佐喜は、『蚤取男』の作曲者、四代目杵屋佐吉のひ孫にあたる。猿翁十種の内『黒塚』や澤瀉十種の内『二人知盛』なども、四代目佐吉の作品だ。

杵屋佐喜

杵屋佐喜

青虎「佐喜さんは同年代の同志でもあります。お客様に何かを届け感動していただくには、相応の熱量がいります。僕自身が思いを込めて『蚤取男』をやるために、どうしても佐喜さんにいてほしかった。ぜひ一緒にやっていただけませんか? と相談させていただきました」

佐喜は、そのオファーにご縁を感じ「ぜひ一緒にやりましょう!」と迷わず答えたという。

佐喜「四代目佐吉は明治に生まれ、昭和20年まで活躍した長唄の三味線演奏家です。松竹の音楽部長を長らくつとめ、歌舞伎作品にも数多く携わりました。当時の様子を記録した文献によると、佐吉は、その日の演奏を終えると、毎日のように猿之助さんのご自宅に伺い、『今日はこうだった。明日はこうしよう』と話し合ったそうです。当時の猿之助さんと佐吉が、当時のお客様のために、より良いものを伝えようと情熱をもって取り組まれていたことがうかがい知れます」

今回の演奏に向け、佐喜もまた、青虎と打ち合わせをしている。どのようなブラッシュアップを目指すのだろうか。

佐喜「たとえば長唄は、西洋音楽の影響もあり、近年、音楽としてだいぶ整頓されてきています。古いレコードを聞きますと、かつては各々の感性に委ねていた部分も多かったのでしょうね。唄も終わり方も、バラバラに感じられるようなところがあるんです。けれども、そのおおらかさに面白味や奥深さがあり、私はとても感動します。ある種のエネルギーが、整頓により失われてはいないか。『蚤取男』の夏のけだるさや時代のおおらかさ、音符に表せないところまで、音楽的に表現できたら、と思っています」

佐喜「僕は曾祖父に会ったことはありません。しかし文献にあたり、演奏を重ね、成長とともに、曾祖父の作風なら……と解釈が広がってきた部分があります。青虎さんとは、『初代猿翁さんと四代目佐吉に、直接聞けたらいいのに!』と言い合いながら、楽しく取り組んでいます。猿翁さんと佐吉が、天国で『全然違うよ』と笑っているかもしれません。でもきっと、『それでいいよ』と言ってくれる気がします。伝統にあぐらをかくのではなく、青虎さんと、今のお客様のために今の感覚で、より良い、一番良いと言われる『蚤取男』を目指したいです」

■寿猿さんの芸談を残したい

10月29日に東劇で行われる、上映会&トークショーでは、収録済の『蚤取男』の舞台映像を、ドキュメンタリー映像とともに上映する。寿猿に習い、佐喜に演奏を託し、稽古を重ねながら、映像制作にこだわっている。コロナ禍ならではのリスクへの配慮も多少はあるのかもしれない。しかし、何より意識するのは、芸の継承だった。

青虎「寿猿さんから教えていただく『蚤取男』を、僕が寿猿さんくらいの年になった時に、寿猿さんほど正しく伝えられる自信はありません。人間って良くも悪くも忘れていく生き物ですし、思い出を美化することもある。踊りも忘れてしまったり、自分流になることがあるものです。どうやっても変わっていくものだけど、今なら『蚤取男』の原点をみた寿猿さんから、直接教わり、話が聞ける。記録できるチャンスだと思いました。寿猿さんは『僕が教えなくても、ビデオ先生でどうにでもなったよ』とおっしゃいますが、そんなことはありません。芸談を聞かせてほしい、と聞くだけでなく、実際に稽古し、取り組むから出てくる話が山ほどあります」

取材の間も、話の流れから寿猿が立ち上がり、振付の意味を伝えたり、澤瀉屋の“大旦那”や“旦那”とのエピソードを明かす場面がたびたび見られた。それを「不易流行」のムービーカメラが追っていた。

青虎「先日、右田六がいない稽古時間に、踊りをみていただきました。猫の出番になった時、寿猿さんは立ち上がり、最後まで僕の相手をしてくれたんです。今でも身体で覚えていらっしゃるのは、すごいこと。そして、代々の『蚤取男』を知る寿猿さんとご一緒できたなんて、僕は何て幸せなんだろうと思いました」

寿猿さんは「ついね」と笑顔をみせる。

寿猿「教えてほしいと言われた時は、ビックリしました。でも、初代猿翁さんの『蚤取男』を残しておきたいと言われ、僕も知る限りのことを、うつして(伝えて)おかなくては、と思いました。やるうちに、次々と思い出されてくるんです。つい昨日のことは忘れてしまうのに(笑)」

取材の後半、青虎が「あの時のことを、聞かせてくださいよ」と、寿猿にせがんだ話があった。二代目猿翁の男、寿猿の猫で、『蚤取男』が人気演目になり、しばらくたってからのこと。

寿猿「歌舞伎座の楽屋で、旦那(二代目猿翁)が顔(化粧)をしながら、鏡ごしに言うんです。来月の歌舞伎座で『蚤取男』出るよ。あんた、やる? って。どうじてわざわざ聞くのか不思議でした。そして、僕は55歳になるのか。心配をして聞いてくれたんだ、と気がつきました」

少し考えて、その場で「はい、やります」と答えた。

寿猿「これを最後にします。やらせてくださいと言うと、『じゃあ、やってください』と言われました。冷静になってから、心配になりました。猫は屋根から飛び降りたり、縁台に飛び乗ったりします。小道具から被り物を取り寄せて、誰もいない舞台で試してみたらできました。本番の舞台もやれました」

しかし、郊外の自宅から歌舞伎座まで往復できるほどの、体力の余裕はなかった。

寿猿「だから楽屋に泊まったんです。すると、お名前は言えませんが、松竹の方が布団を担いで持ってきてくれました。朝は近くでモーニングを食べ、猫をやって、楽屋に泊まる。1か月やらせていただきました」

さらに10年後「ただ、いるだけでいいから」と猿翁に言われ、紫派藤間流の舞踊会で、1日だけ猫をつとめた。その時はトンボもジャンプも止められたという。それ以来、26年ぶりの澤瀉屋の『蚤取男』となる。

1996年9月「紫派藤間流」の舞踊会。男が市川猿翁、猫が市川寿猿。(写真提供:不易流行)

1996年9月「紫派藤間流」の舞踊会。男が市川猿翁、猫が市川寿猿。(写真提供:不易流行)

青虎「役者ですから、声がかかればやりたいのは当然です。それでも50代で猫は、普通は躊躇します。そこを寿猿さんは、やります、と答えられたのですよね。男気というか、役者気というのでしょうか。『蚤取男』をきっかけに、テクニックだけでなく、役者としての生きざまを学ばせていただいています。このような先輩方が、歌舞伎を支えてきたんですよね。その他大勢からはじまっても、どう成果を出して、次につなげていくか。澤瀉屋の精神を感じます」

青虎、右田六、杵屋佐喜社中、そして鳴物に田中傳次郎社中の出演が発表された。『蚤取男』本編とドキュメンタリー映像は、オンライン配信やBlu-rayでの公開の予定。CAMPFIREで挑戦中のクラウドファンディングは、9月30日までの予定。出演者によるトークショーは、10月29日の東劇での上映会のみの予定。

(左から)市川右田六、市川寿猿、市川青虎

(左から)市川右田六、市川寿猿、市川青虎

取材・文・撮影=塚田史香

イベント情報

「不易流行 早速ですが、市川青虎の会 ~猿翁⼗種『蚤取男』への挑戦~」
トークイベント付き上映会
【日程】2022年10月29日(土)11時から
【場所】東劇映画館

【イベント内容】
・映像『猿翁十種の内 蚤取男』
蚤取男:市川青虎、猫:市川右⽥六
演奏:杵屋佐喜社中、田中傳次郎社中
 
・映像『継承ドキュメンタリー』
 
・出演者トークショー
市川青虎ほか
 
※上映後、出演者トークショーを開催します
 
】8,000円(税込)
※別途、発券手数料がかかります(お申し込み時にご確認ください)
【発売日】発売中

【協力】松竹株式会社
【主催】不易流行実行委員会
 
不易流行 公式HP https://fueki-ryuko.org/
不易流行 公式Twitter https://twitter.com/fuekiryuko_ent
市川青虎 公式ブログ https://ameblo.jp/ichikawakohtaro/
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