Official髭男dism、BE:FIRST、SixTONES、V6、あいみょん等のサポートや楽曲提供を行う宮田’レフティ’リョウ。マルチな活動をしながら挑戦を続けるそのヴィジョンに迫る【インタビュー連載・匠の人】
■最近は「洋楽を書こう」というより、「J-POPを世界に輸出する」ことを考えています
――先ほども少しお話に出ましたが、2018年にスウェーデンのクリエイターのみなさんとコライトをしたんですね?
はい。「グラミー賞を獲りたい」と思ったのがきっかけです。2017年からそういうことを言っていて、1年くらい経過してから「俺、グラミー賞を獲る努力を何もしてないな」と思って、「じゃあ海外に行くか?」と。なんでスウェーデンなのかというと、僕はそもそもスウェディッシュポップが大好きで、J-POPのクレジットを見るとスウェーデンのライターがいたからです。「多分、いいライターがたくさんいるんだろうな」という感覚でした。スウェーデンは世界第3位の音楽輸出国で、バックストリート・ボーイズの楽曲を手掛けているマックス・マーティンとかも含めて、たくさんのグッドミュージックを生み出している国だと後々になって知って、「ああ、間違ってなかったんだな」と思いました。もともと洋楽は僕の基盤になっていて、「洋楽を作りたい」という気持ちはずっとあったんですよね。
――その基盤が「グラミー賞を獲りたい」に自ずと繋がったということですね。
はい。「グラミー賞を獲るためには海外ライターとコライトする→海外ライターとコライトをしてワンチャン、そういう中でアリアナ・グランデやエド・シーランと繋がって、曲を書いて、コライターのひとりとして名を連ねたらグラミー賞を獲れる」みたいな道筋を2018年、2019年頃に思い描いていました。
――コライトをするようになって、何か感じることはありました?
僕がコライトをしているライターはJ-POPやK-POPの楽曲を書いているライターがほとんどで、結局海外に行きつつも日本の仕事をやっているみたいなところに違和感がありました。もっとUKやUSにピッチできる環境でやりたかったので。でも、そういうコライトをスウェーデンのライターが日本から来た僕とやるメリットはないんです。だから苦悩したこともあります。
――迷いから抜け出すことはできましたか?
はい。今年の7月から40日くらいスウェーデン、フィンランド、スコットランド、イギリスとかを回りながらJ-POP、K-POPをターゲットにした楽曲をいろいろ書いたのが大きかったです。バックストリート・ボーイズの「IWant It That Way」を書いたアンドレアス・カールソンともご一緒する中で、彼らがJ-POPを本当に好きだということに気づいたんです。今の洋楽はヒップホップがベースだったり、4コードのループだったり、基本的にはバックグラウンドミュージックとして機能するものを作るのが最優先なんですよね。一方でJ-POPは複雑なコード進行、複雑な楽曲構成なんです。「そういうのがJ-POPの良さだよね。そこが好きで書いてるんだ」っていうライターの話をいろいろ聞いて、「J-POPは世界に誇るべき財産なのでは?」と思うようになりました。だから最近は「洋楽を書こう」というよりは、「J-POPを世界に輸出する」ということを考えています。世界に輸出できるアーティストをプロデュースするのか、そういう楽曲を作るのかは今まさに模索しているところです。K-POPがBTSでやっていることに近いんですけど、また別の形があるのかもしれない。いずれにせよ、日本の音楽を世界に輸出していくのが今の僕の目標です。
――ネットを通じて世界中の音楽を手軽に聴けるようになっていますから、そういう動きは増えていくでしょうね。
そうだと思います。最近はK-POPも含めて、世界的に見ても言語を超えているバンドとかがいますからね。例えばマネスキンもイタリア訛りの英語で歌っていますけど世界的に受け入れられていますし、日本語、日本語訛りの英語でも通用するように感じます。日本人は僕も含めて海外コンプレックスがすごくあって、「洋楽は優れていて日本は劣っている」って思いがちですけど、実際に海外のライターとセッションを重ねる中で、通用する部分はあると強く感じました。「世界との距離はないんじゃないかな?」って思うようになりました。1クリックで全世界に向けて発信できる環境が整っているのに、そこをターゲットにしないで音楽を作るのはあんまり意味がない。そもそも「外国向け」「日本向け」っていうカテゴライズすらないのが理想だと思っています。
■取捨選択をしなければいけない岐路に立たされています
――宮田さんはここ数年、新しい試みをいろいろしていらっしゃいます。2020年にはクリエイターズユニオン「REVEL MUSIC」を立ち上げましたが、どのような経緯だったんでしょうか?
スタジオを作ったというのと、僕の周りのクリエイター、ミュージシャンたちが個人事業主としていろいろ活動することに名前をつけたいと思ったのが「REVEL MUSIC」立ち上げのきっかけです。そういうことのためには法人を作るのがひとつ手段なのかなと思いました。
――オンラインサロンでソロアルバムの制作を公開しているのも面白い動きです。
今も作っている最中で、永久に完成しないんじゃないかなって思っているんですけど(笑)。「楽曲を作るプロセスがひとつのエンタテインメントになり得ないだろうか?」という実験でもあるんですが、レスポンスを見ると可能性を感じます。あと、新たに「OIKOS MUSIC」という法人も立ち上げました。僕は音楽プロデューサーとして関わっているんですけど、「NFTを使って原盤の一部をユーザーに販売することによって収益を得て活動していく」っていうことを始めています。
――今後に関して現時点で何か具体的に思い描いていることはありますか?
スタジオミュージシャン、バックアップミュージシャンとしての活動があり、作曲家、作詞家、ソングライターとしての活動もあり、サウンドプロデューサー、アレンジャーとしての活動もあり、プラットフォームも始めた。その中で自分の作品を作ってもいます。音楽を軸としていろいろな顔があって、どれも大切な活動なんですけど、その全てにフルでコミットするなら一生かけても足りないということに気づいてしまいました(笑)。取捨選択をしなければいけない岐路に立たされているんですよね。でも、今年久しぶりに海外で20セッションくらいをやって、海外のライターとのコライトにめちゃめちゃ喜びがあるんです。そういう活動がベースになるようにしていきたいと思っています。「誰かに楽曲を提供する」ではなく、「自分でプロジェクトをやる」「プロデュースするアーティストを作る」というような必要を感じるようになっています。それで世界を目指すのが、今の僕が思い描く最終到達点なのかもしれないです。
――そのビジョンの実現は、日本の音楽業界にとっても非常に意味があると思います。
こういうことの何歩も先を進んでいるのが、例えば日高くんですよね。世界を最初から見据えて作ったのがBE:FIRSTですから。基本的に「生きている」って「社会貢献をどうできるか」だと思うんですけど、僕にとってそれは音楽しかないんですよ。だから日本の音楽業界に貢献することを考えると、何とかして夢を実らせていきたいです。この記事を読んで感じることは十人十色だと思いますけど、「こういう動き方をしている人がいるんだ?」「そんなことやっていいんだ?」って、いろんな人に気づいてもらえると嬉しいですね。
取材・文=田中大
告知情報
https://revelmusic.tokyo/
https://oikosmusic.jp/