仁左衛門による圧巻の悪の華、松緑×愛之助×七之助の濃密な芝居『三人吉三』、鷹之資渾身の『船弁慶』~歌舞伎座『二月大歌舞伎』観劇レポート
歌舞伎座新開場十周年 『二月大歌舞伎』
2023年2月2日(木)より25日(土)まで、歌舞伎座で『二月大歌舞伎』が上演されている。第一部は尾上松緑、片岡愛之助、中村七之助による『三人吉三巴白浪』、第二部は中村魁春、中村雀右衛門、七之助による『女車引』と、中村鷹之資による五世中村富十郎十三回忌追善狂言『船弁慶』、第三部は片岡仁左衛門が一世一代で勤める『霊験亀山鉾』。見逃せないラインナップであり、いずれも出演者たちの息があった、勢いのある公演となっていた。初日の模様をレポートする。
第一部 午前11時
『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』
「吉三」と名乗る3人が、運命に翻弄される『三人吉三巴白浪』。振袖姿で悪事を働くお嬢吉三に、七之助。旗本の家に生まれたお坊ちゃんでありながら、零落してしまったお坊吉三に、愛之助。修行僧から落ちぶれた和尚吉三に、松緑。3人は偶然の出会いをきっかけに、義兄弟の契りを結ぶ……。
花道に登場した夜鷹おとせは、中村壱太郎。口に咥えていた手ぬぐいの端がハラリと落ちた時、空気の匂いが変わるような色香が広がった。芝居のはじまりを告げるような瞬間だった。そこへお嬢がやってくる。いかにも装った風の“世間知らず”に、笑いと拍手が起こり客席が温まる。お嬢が素性をあらわしてからは、江戸っ子らしい台詞まわしに、美麗なお嬢さんの見た目という不均衡を、ジェンダーを超えた美しさで成立させる。「こいつぁ春から」の名台詞では、思わず大向うをかけかけて、グッとのみ込んだお客さんもいた。愛之助のお坊は、まっすぐと育った品の良さがありつつ線は太い。柔らかな笑顔には、厭世観と儚さを感じさせる。お嬢との命のやり取りでは、相手の台詞を深く受け、掛け合いの1ターンごとに緩急をつける。ギアが上がっていくかのような、ドラマティックな盛り上がりをみせた。
松緑の和尚は、格好いいアニキだった。お嬢とお坊が五十両ずつ預ける時、和尚はそれを「自分が預かっておこう」と懐におさめる。今まで、このやりとりをクスっと笑ってみていたように思う。今回は、預けるのは道理と感じられた。五十両を預けたくなる和尚だった。壱太郎のおとせと坂東巳之助の手代十三郎の、悲しい事実が明らかになった時も、突然の和尚の行動に、未練はなく深い思いが感じられ、純粋に3人の悲しみに触れた。そのような中で坂東亀蔵の源次坊は、ごきげんに芝居のテンポと明るさを支えた。松緑、愛之助、七之助の息の合った濃密な芝居が、希望と失望を加速度的に折り重ね、ついにクライマックスの「火の見櫓の場」へ。雪の中、3人の吉三の命が鮮烈な美しさを放ち、涙を誘う。万雷の拍手の中、幕となった。
第二部 午後2時30分~
『女車引(おんなくるまびき)』
名作『菅原伝授手習鑑』には、松王丸、梅王丸、桜丸の三つ子の兄弟が登場する。3人は、仕えた主の都合により、敵と味方に分かれてしまう。そんな3人が再会する『車引』の場面を、二次創作したのが『女車引』だ。三つ子ではなく、それぞれの妻が登場する。
舞台には、梅の花が咲き、京都・吉田神社の赤い鳥居がみえる。清元の華やかな演奏の中、花道に梅王丸の妻・春と桜丸の妻・八重が現れる。中村雀右衛門の春は、すっきりとしつつ持ち前のやわらかな艶やかさ。七之助の八重は振袖姿ではんなりと初々しかった。そこへ中村魁春の松王丸の妻・千代が現れた。手には、松王丸を想起させる白い布の袋に納めた参内傘。アンバランスなほど大きな傘が、魁春の品格溢れる女方に大らかさを添えていた。3人の妻は『車引』の後の段で描かれる『賀の祝』に向けて、いそいそ料理の仕度をはじめる。着物には松、梅、桜にちなんだ柄があしらわれるなど、『車引』のエッセンスが遊び心、役の個性、俳優の魅力とともに描き出されていた。
新歌舞伎十八番の内『船弁慶(ふなべんけい)』
鷹之資が前半に静御前を、後半に平知盛の霊を勤める『船弁慶』。五世中村富十郎の十三回忌追善狂言だ。大間(ロビー)には、富十郎の祭壇が飾られていた。写真の富十郎は明るくエネルギッシュに笑っている。「声が聞こえてきそう」と来場者が懐かしんでいた。
松羽目の舞台。笛の音に背筋が伸びる。能舞台によせた五色の御幕が上がると、弁慶(中村又五郎)が登場した。花道より現れる義経(中村扇雀)は、壇ノ浦で平家軍の討伐に成功するも、兄の頼朝から謀反の疑いをかけられ命を狙われている。愛妾の静御前を連れて逃亡中だ。しかし弁慶は、大物浦より先へ静を連れていくのは難しい、と提案する。義経も同意し、静を都へ帰すことに。
富十郎の当り役のひとつで、鷹之資が幼い頃から憧れてきた作品だ。客席には、祈るように両手を胸の前で握る人がいた。再びゆっくり御幕が上がる。鷹之資の静が現れた。熱い拍手が迎えた。静は弁慶の話を聞き、返事は義経に直々に伝えたい、と答える。鷹之資のハリと艶のある愛らしい声がよく通っていた。義経との別れの盃をかわす場面では、盃を手にふと義経に向けた静の目は、絶望的な悲しみに溢れていた。静は義経のために『都名所』を踊りはじめる。壺折と呼ばれる衣裳は、富十郎が使っていたものだという。
そこへ、大物浦を渡る船の仕度ができた、と知らせに来るのは舟長三保太夫(尾上松緑)と舟子(中村種之助、尾上左近)。松緑が空気をパッと変えてまとめあげ、中村種之助と尾上左近がのびやかに後シテへと繋いだ。
白い衣裳、黒く長い毛に、青黛隈の知盛の霊となった鷹之資は、長刀と一心同体となり身体の何倍もの大きさを感じさせ、足さばきで海原の荒波を見せた。弁慶が、演奏が、ツケが、鷹之資に優しく手を差し伸べるのではなく、うねり上げるように力強く、向かい風のように知盛を迎えうつ。これに猛烈に抗い、薙ぎ払おうとする知盛からは、凄まじい気迫が漲っていた。今月の歌舞伎座で一番強い風を感じた瞬間だった。悲しい怨霊の場面でありつつも、格調高く華やか。幕外の花道では、今の鷹之資だからこその煌めきを見せた。一体感のある熱い舞台に、客席から喝采が送られた。
■第三部 午後5時30分~
通し狂言『霊験亀山鉾(れいげん かめやまほこ)』
片岡仁左衛門が、浪人の藤田水右衛門と隠亡の八郎兵衛の二役を一世一代で勤める。
水右衛門は極悪人だ。石井右内を闇討ちにして、大事な巻物を奪う。右内の仇を討つべく石井家の人々が力をあわせて水右衛門に挑む物語だ。登場人物は、水右衛門一派VS石井家に分けることができて、人数は多いが分かりやすい。予測のつかない物語、本水やだんまりのような歌舞伎らしい演出もあり、エンターテインメント性に富んでいる。イレギュラーなのは、水右衛門の圧倒的な強さだ。しかも意外と味方が多い。石井家の人々は次々に返り討ちにあい、勧善懲悪と真逆の展開が続く。幕間に入った時、歌舞伎座の場内はいつにないザワつきがあった。高揚感が入り混じった独特のムードだった。
初演は1822年7月。上演が途絶えていたものを、1989年に二世中村吉右衛門が復活させた。次に上演されたのが2002年。仁左衛門が同じ題材に、新たな台本で挑んだ。それからは仁左衛門だけが再演を重ねてきた。70年ぶりの場面の復活や独自の演出など、芝居全体にも役にも磨きをかけ、今回が最後の上演となる。
水右衛門は、事もなげに人を殺める。中でも強い印象を残すのが「中島村焼場の場」だ。時に事もなげに、時に楽しそうに、刀を振り下ろす。さらには抱き寄せるように刀を突き立て、殺めた人の数を指折り数える。陰惨な場面にもかかわらず、濡場をみるようだった。雨上がりの月がきれいな夜の絵として目に焼き付いた。仁左衛門のもう一役、八郎兵衛は村の焼き場で働く俗な男だが、顔が水右衛門と瓜二つなばっかりに、思いがけない事態になる。仁左衛門は、八郎兵衛を表情豊かに愛嬌たっぷりに演じてみせた。その親しみやすさに油断すると、派手な刺青に、そして思わぬ展開に絶望感を突き付けられる。水右衛門と八郎兵衛では、眼光から佇まいまで、まるで別人だった。思えば早替りの二役という点を、ほとんど意識せずに観劇していた。
共演は、芸者おつまに雀右衛門。健気さと愛らしさが劇中の光となり、ある場面では悲壮感を高めてもいた。石井源之丞と袖介の二役に中村芝翫。情深く、可笑しみもみせる佇まいが、水右衛門の冷酷さを引き立てる。源之丞の女房お松に片岡孝太郎。仁左衛門の『亀山鉾』の全公演でこの役を演じてきた。ふとした仕草、居方にそこでの生活を想像させ、鶴屋南北のとんでもない物語をリアルにみせる。掛塚官兵衛と大岸頼母に中村鴈治郎。悪い役もモテない役も、品と華で体現し、登場するだけで観るものを安心させる存在だった。石井兵介に坂東亀蔵、若党轟金六に中村歌昇、さらにドラマを大きく動かす貞林尼に中村東蔵という層の厚さ。上村吉弥の粋でスパイシーな丹波屋おりきや、中村種太郎の可愛らしく立派な源次郎も印象的で、どの登場人物にも個性があった。仁左衛門が磨き上げた悪の華の集大成にふさわしい、盤石な配役だ。ダークな世界から一転、晴れやかに迎えた幕切れに、大きな拍手で歌舞伎座が揺れた。仁左衛門が当り役とし、きっと「仁左衛門の型」として語り継がれるにちがいないお芝居を、仁左衛門本人の歌舞伎でみられる最後のチャンスだ。
『二月大歌舞伎』は年2月2日(木)から25日(土)までの上演。
取材・文=塚田史香
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。