《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol.3 鶴澤燕三(文楽三味線)

インタビュー
舞台
2023.2.1
鶴澤燕三(文楽三味線)

鶴澤燕三(文楽三味線)

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三人遣いの人形が躍動する舞台の横、“床”と呼ばれる空間で、義太夫節を語る太夫の隣で演奏する三味線弾き。その第一人者の一人が鶴澤燕三(64)だ。ひょんなことから三味線に魅入られ、国立劇場の文楽養成所の研修生から文楽の世界へ。近年円熟の時を迎えつつある彼は、6年間続く国立劇場建て替えをこの秋に控える中、文楽の未来をどうみつめているのだろうか?

ウクレレ、笛、三味線と出会って

15年ほど前だろうか、NHKの英語トーク番組に燕三さんが出演し、英語で文楽の案内をしていたことがあった。のちにハワイで育ったと知り、納得。ご本人は「小学生で帰国したので全然喋れなくて」と笑うが、最初に手にした楽器は、そのハワイで出会ったウクレレだった。

「音楽は小さいころから好きでしたね。姉が3人に弟が1人の5人姉弟で、姉が3人ともピアノを習っていたので次は僕の番だと楽しみにしていたら、父に『男は剣道だ』とハワイの道場に連れて行かれてがっかりしたのを覚えています。ハワイで最初に通った日本人学校が閉鎖的で排他的な雰囲気だったので、姉弟みんなでクーデターを起こして、現地の学校に転校して。ハワイの小学校では、ウクレレが必須科目なんです。決して上手ではなかったけれど、クラスの数人でバンドを組んでクリスマスパーティーなどで弾いていましたね。コミックバンドみたいになっちゃって、演奏にはあまり身が入ってなかったですけど(笑)」

とはいえ、燕三さんにとって三味線に繋がる楽器は、帰国後に日本で習ったお囃子の笛だという。

「地元・葉山の御霊神社でお祭りの時に演奏するお囃子の横笛を吹く姿がカッコいいと思い、演奏者の募集に応募したんです。五線譜ではない楽譜で、オヒャラヒャーラヒャなどと書いてあって、初見では全く意味がわからない。それをお師匠さんに、まず笛から習い、その笛と太鼓がどう絡むかを聴いて覚えて、そうすると自然に太鼓も叩けるようになるので両方やっていました。楽しくてね」

そして、受験勉強をしなければならないと思いつつ志望校も決まらずにいた高校3年生の冬休み、ついに三味線と運命の出会いをする。

「ぼーっとテレビを見ていたら、長唄、民謡、小唄、義太夫などの三味線の特集をやっていたんです。義太夫は(四世竹本)津太夫師匠と(二世野澤)勝太郎師匠の『逆櫓』をやっていて、興味を抱いて。年明けに同級生に話したら『僕のお母さん、城ヶ島で民謡の教室に通っているから見に行こうよ』と言うので、受験勉強で忙しい時期のはずなのに城ヶ島まで行って見学したところ、面白そうだったんです。そこに来ていらした先生が葉山の隣の逗子に居られるというので、『じゃあ、うちに来なさい』『お願いします』。その頃、両親が転勤で香港にいたので姉に相談したら『いいよ! 大学ばかりが能じゃないよ』と、さっさと鎌倉の小町通りにある三味線屋に行って三味線一式買ってくれ、通い始めました。それが非常に面白くて。他の生徒さんは皆おばさんで一人だけ高校生ですから、随分と可愛がられましたね。通い始めて3ヶ月ほど経ったある時、大学の卒業論文を淡路の人形芝居で書いていた福岡の従姉妹がたまたま家に遊びに来て、『三味線がやりたいなら、今、国立劇場で文楽の研修生募集しているよ』と教えてくれたんです。その場で彼女が国立劇場に電話し、翌日見学に行ったら、『これは凄い』と引き込まれて。民謡がどうこうではないのですが、文楽の三味線は音色が全く違っていて、直感ですが、より奥が深そうな気がしました。民謡の先生に『研修生になろうと思うんです』と言ったら、大いに励ましながら送り出してくれたのにはとても感謝しています」

≫五世燕三師匠に弟子入りし、文楽の世界へ

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