《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol.3 鶴澤燕三(文楽三味線)

インタビュー
舞台
2023.2.1

修業は死ぬまで通過点

燕三襲名から17年。14年には脳梗塞を患ったが同年中に復帰した。もともと冴えのある三味線だったが、近年はその一音一音が研ぎ澄まされ、全てが必要な音として鳴っているという印象だ。

「脳梗塞で倒れて以来、変わったみたいなんです。今はだいぶ戻ってきたけども、復帰した最初の舞台では三味線のツボ(弦を押さえる位置)がわからなくて。手元を見ればよかったのですが、三味線弾きの矜持として、やはり三味線をかまえたらまっすぐ前を向いて弾くもの。見ずに弾けたときにはホッとしました。無理やりの復帰でかなりの荒療治でしたが、僕には良かった。きちんと治るまで何年も休んでいたら、文楽は辞めていたでしょうから。かつての演奏の映像を見ると『こんなに弾けたんだ』と思います。今は昔のようには手が回らないので、鮮やかに弾きこなすというより、弾く音、バチ使い、タイミング、太夫さんが語れるように……といったところに重点を置いている。そういう意味で、違った芸風になったのかもしれません」

令和4年12月の文楽公演にて   提供:国立劇場

令和4年12月の文楽公演にて   提供:国立劇場

2月の東京公演で演奏するのは、近松門左衛門の傑作『心中天網島』の大和屋の段。物語としては、その前の北新地河庄の段や天満紙屋内の段に描かれるような人間模様もなければ、最後の心中のような大きな出来事もまだなく、表面上は主人公の小春と治兵衛が小春のいる大和屋を一緒に抜け出して心中へと向かうだけなのだが、密かに大きな悲劇に向かって全てが動き出す大事な場面だ。燕三さんは過去に何度もこの段を弾いている。

「何遍やらせていただいても恐ろしい曲です。人形の動きはあまりないのですが、こっち(太夫と三味線)は大変な緊張の連続。ほとんど心の休まる間がない曲の一つですね。文楽では段の始まりはだいたい弾き始めればそのまま進んでいける弾き出しが多いけど、大和屋の段の場合、舞台に上がって弾き出すと太夫と三味線の関係がわからなくなって、最初は本当に恐ろしい目に遭いました。カミソリで切るような河庄の段、ナタを振るうような天満紙屋内の段に対して、大和屋の段は針に糸を通すような作業。今回もとにかくできることをやるだけです。修業する身にゴールはなく、常に発見があるし、失敗もある。会心の出来だと思ったら、妻に酷評されたりしますから(笑)。死ぬまでは、全てが通過点なんです」
 

≫「技芸員への3つの質問」

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