『達陀』で「機能美を追求したい」尾上松緑×尾上左近インタビュー~歌舞伎座『團菊祭五月大歌舞伎』に約40名の圧巻の群舞!

インタビュー
舞台
2023.5.5
(右から)尾上松緑、尾上左近

(右から)尾上松緑、尾上左近

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2023年5月2日(火)に開幕した『歌舞伎座新開場十周年 團菊祭五月大歌舞伎』で、『達陀(だったん)』が上演されている。尾上松緑が主人公の僧・集慶(じゅうけい)を勤め、尾上左近が思い出のシーンの若い頃の集慶を勤める。

本作は、奈良・東大寺で行われる修二会(しゅにえ。通称「お水取り」とよばれる行事)を題材にした舞踊だ。松明の灯りではじまり、堂童子(どうどうじ。坂東亀蔵)が天下泰平、万物繁栄の願いを込めた力強い踊りをみせる。厳かな空気の中、女人禁制の御堂に青衣の女人(しょうえのにょにん。中村梅枝)が現れる。それはかつて集慶と思いあっていた女性だった……。さらに火の行「達陀」では、総勢約40名による練行衆(れんぎょうしゅう)の群舞が披露される。

『達陀』特別ポスター。二世松緑は、東大寺の平岡定海監修のもと萩原雪夫と本作を作った。「今でも東大寺の先生方が稽古を見に来てくださいます」と松緑。

『達陀』特別ポスター。二世松緑は、東大寺の平岡定海監修のもと萩原雪夫と本作を作った。「今でも東大寺の先生方が稽古を見に来てくださいます」と松緑。

センターポジションにいるのが松緑だ。しかし主役を勤める松緑は、集慶について「たくさんの僧の中でたまたまスポットが当たったひとり。練行衆一人ひとりに各々のバックボーンや物語があり、全員がその“私(わたくし)”を捨て、集まり、凝縮したものをお見せする意識で勤めます」と話す。松緑と左近に、本作への思いを聞いた。初日の舞台写真、観劇レポートとともにお届けする。

■二世松緑が創った今みても新しい舞踊作品

ーー『達陀』は1967年2月歌舞伎座で初演されました。二世尾上松緑さん(松緑の祖父、左近の曾祖父)が作られた作品です。

松緑:私が『達陀』に初めて携わったのは、尾上菊五郎のお兄さんが上演された時(1996年2月歌舞伎座)でした。練行衆のひとりとして出演し、その後に堂童子を、そして2010年には日生劇場で集慶を。新しくなった歌舞伎座では、日本舞踊藤間流の会(2015年)でやらせていただきましたが、歌舞伎座での公演としてはこれが初めてです。尾上眞秀さんの初舞台というおめでたい月、そして国立劇場では修二会の催し(声明公演「東大寺修二会の声明」)もあり、非常に良いタイミングだと思います。

ーーおふたりにとって『達陀』とはどのような演目でしょうか。

松緑:歌舞伎俳優としても日本舞踊家の藤間勘右衞門としても大事な、倅にも引き継いでもらいたい作品のひとつです。いま見ても新しく感じられるものです。これが2、30年後に錆びついたと思われないように磨き、次の世代にバトンを渡したいです。

左近:曾祖父の二世松緑さんの作品です。僕にとっても家(うち)にとっても、本当に大切なものだと感じています。

ーー左近さん、この作品にどのような感想をおもちですか。

左近:全く新しいものを見る感覚です。見て楽しく、聞いて楽しい舞踊だと思いました。この作品に出られることを、ずっととても楽しみにしていました。今回は幻想の集慶だけでなく、最後の総踊りにも出させていただきます。

ーーこの作品にみられる、二世松緑さんらしさとは。

松緑:祖父は先見の明を持つ人でした。2023年になった今でさえ、非常に新しい感覚でご覧いただける作品です。先を見て、現代的な感覚を取り入れる。それは私や父の辰之助よりも、祖父の二世松緑が秀でていたことのひとつだと思います。

■私(わたくし)を捨て、機能美を追求する

ーー本物のお寺にいるような荘厳な空気ではじまり、幻想的な場面があり、迫力の群舞に繋がります。この作品で大切にしていることをお聞かせください。

松緑:前提として、東大寺のお水取りの行に忠実であること。実際の行を舞踊として舞台にのせた時点で、すでにフィクションが入ります。ここにサービス精神で「もっとドラマティックに」など考えようものなら、途端に“一切の欲を捨てた行”から離れていくでしょう。なるべく誤差も出さないように。東大寺へのリスペクトを持ち、各々が最大限の仕事をする。これをゴールの旗に、やるべきことをやる。やってはいけないことはやらない。皆が同じ方へ向かうことができれば、一日一日研ぎ澄まされたものになっていくと思います。

ーー「やってはいけないことはやらない」が難しそうです。

松緑:人間ですから枠にはめることはできませんのでね。自分は一生懸命のつもりでも「勝手なことをやり始めている」となることはあります。もしお客様に「群舞で奥から2番目の人が素敵だった」と思われたら、それは「できてなかった」ということ。各々が自制心を持ち、ある意味でシステマティックに。あくまでも機能美を追求していく作品です。

ーー群舞には約40名の方が登場します。松緑さん、左近さんの他、市蔵さん、松江さん、歌昇さん、萬太郎さん、巳之助さん、新悟さん、尾上右近さん、廣太郎さん、種之助さん、児太郎さん、鷹之資さん、莟玉さん、玉太郎さん……いつもそれぞれの個性で魅力を発揮される皆さんが、揃いの衣裳で同じ振りで踊ります。

松緑:舞台稽古では客席から舞台を見て、綺麗なピラミッド型になっているか。先輩後輩を抜きに身長や体格で並びを考え、舞台の板の何番目のどの辺りにスタンバイするか。きっちり揃えてシンメトリーを作っていきます。衣裳はある意味で、お坊さんの作業着。そこにも機能美を感じますね。

左近:私もそのパーツのひとつとなれるよう勤めたいです。そしてこの先、集慶を勤められる役者にならなければ、とも思いました。父が公演に向けて話すのを聞いていると、集慶のむずかしさは舞台上だけではないのだなと。舞台の裏にも目を配れる役者になければならないのだ、と感じます。

■青衣の女人と思い出の集慶

ーーあくまでもストイックに、機能美を見せる演目なのですね。

松緑:その中でもドラマティックな部分として成立するのが、梅枝さんと彼(左近)の青衣の女人の場面です。

左近:作中で唯一、“欲”を描く部分だと思っています。心に留めておきたいのは、そこに物語があるように、ということです。踊りが、ただの身体の動きになってはいけません。お客様に「こういうことがあっての今なのだ」と伝わるよう、集慶の心を大事に勤めます。

ーー青衣の女人は、歌舞伎化のために創作されたキャラクターではなく、東大寺の過去帳に名前がある伝説の存在だそうですね。かつて辰之助さん(三世松緑。松緑の父、左近の祖父)が勤めた役です。今回はどなたに教わるのでしょうか。

松緑:青衣の女人の、梅枝さんに預けました。倅にとって、女方の先輩とマンツーマンでやる役はほとんど初めてのことです。梅枝さんは大変気働きのきく方ですから、女方さんとの付き合い方や信頼関係の構築の仕方を学ぶにも、非常に良い相手だと思います。古典の役とも違いますので、梅枝さんには「年下の彼氏を育てるように、倅をお前のいいように染めてやってくれ」と伝えています(一同、笑)。

左近:この1ヶ月で、梅枝のお兄さん好みの男になることが目標です(一同、再び笑)。実際の年齢差や体格差を感じさせない踊りができるよう勤めたいです。

松緑:本人も言うように倅はまだ経験が浅く、梅枝さんと並べば見劣りすることもあるでしょう。けれども我々は、若い頃から先輩の相手役をやらせていただき成長してまいりました。役をなさった先輩に教わるのが基本ですが、その相手役をされた方から教わることも非常に多いです。私自身、玉三郎のお兄さん、魁春のお兄さん、時蔵のお兄さん、雀右衛門のお兄さん、福助のお兄さんなど、女方の先輩方に育てていただいて。同じ役でも、どの方とやるかで芝居は変わりますから、今回もふたりの信頼関係で構築してもらえれば。そこは親といえども、自分が入っていくことではないように思います。

ーー近年の上演では僧・集慶が、幻想の集慶も演じ、青衣の女人と踊りました。今回は、幻想の集慶が独立した役となります。

松緑:今回の見せ方は、祖父が初期にやっていたものです。祖父は再演を重ねる中で、若い頃の集慶も自分でやるようになり、菊五郎のお兄さんもその演出でなさっていました。その舞台は本当に素晴らしいものでした。ただ青衣の女人と踊る集慶が、僧の姿であることに引っかかりがまるでなかった、といえば嘘になります。

菊五郎のお兄さんは、祖父の『達陀』で青衣の女人をなさっていました。「あの時のようにやってみたいのですが」と相談したところ、「やってみたらいいんじゃないか」と。一度やってみて違和感がなければ、今後もこのやり方で。結果として僧の集慶が踊る方が自然だ、という結論に辿りつけば戻すかもしれません。息子や他の方がやる頃には、舞台機構がさらに進化して今は思いもつかないようなシステムが構築されているかもしれません。その時の判断で新しいもの、良いものを取り入れていい作品だとも思います。

ーー幻想の集慶が出ることで、作品全体の印象も変わりそうです。

松緑:基本は白、黒、グレーのモノクロの中で進み、炎の赤だけが印象的な舞台です。色彩的にはシックとも言える中に、若い頃の集慶が出ることで華やかな、若々しい色がひとつ出る。お客様の気分も変わるのではないでしょうか。

■親子ではなく、舞踊家として

ーー4月は『連獅子』で親子共演されました。1ヶ月を経て、左近さんの成長をどうご覧になりますか。

松緑:休演はありましたが、無事千穐楽を迎えることができ良かったです。彼に対してダメを出したいところはいくらでもありますが、それを差し置いても彼はもう、子役ではなくひとりの青年の役者なのだなと。「あれをしなさい、これをしなさい」と言う時代は終わったと感じました。今後も協力はいくらでもしますが、この先は、彼は彼の責任で尾上左近という役者を育てていくのでしょうね。

ーー左近さんは4月公演をどうふり返りますか?

左近:目の前の舞台に全力を尽くすのは当たり前として、役者としてひとつ上にいける、次に繋がる1か月に、と思い勤めてまいりました。自分では、その結果がどうであるかは分かりませんが、大きな1か月だったと思ってます。

ーー多くの絶賛の声を聞きました。

松緑:作品と僕ら親子を重ねて、ご覧いただいた方も多いのかもしれません。けれども僕はそのことを、ちょっと冷めた気持ちで見ていました(笑)。「息子の純然たる踊りを見てくれていますか?」と思ってしまったんですね。それに僕自身、中村富十郎のおじさんや(十二世)市川團十郎のおじさんと『連獅子』をやらせていただきました。(富十郎の息子)鷹之資さんともいつか、と思いますし、初舞台の眞秀くんと踊る時がこの先くるかもしれません。倅がこれから別の先輩と踊ることもあるでしょう。実の親子かどうかは関係なく、どのような場合も舞踊家の先輩後輩という意識で舞台に立っているつもりです。

ーー舞踊家の後輩として、今後左近さんが配信トークライブ『紀尾井町家話』にゲスト出演されることもあるのでしょうか。

松緑:配信はお金を払って見ていただくもの。彼は喋るのが苦手と言いますか、話す前に少し考えるところがありますので、どうでしょうか。娘(左近の姉)の方は喋るのが上手いのですが、彼女は表舞台に出ることを好まないようで……。

左近:「紀尾井町家話」は100回を越えたところですよね。200回目くらいまでには、トークの技術を間に合わせたいです!(笑)

ーーそんな左近さんにお聞きするのですが、松緑さんにも何か苦手なものはあるのでしょうか?

左近:言っていいのかな。かぼちゃ……ですよね?

(松緑が無言で頷き、一同笑)

左近:祖父の辰之助さんも苦手だったそうです。僕は食べられるので、代々のレールから外れてしまい申し訳ないです(笑)。

松緑:親父は戦後間もない生まれでした。かぼちゃを食べすぎて嫌いになったとか、毛虫を踏んだらかぼちゃ色の何かが出てきたとか……。父と母と私と食卓にかぼちゃが出ることはありませんでした。でも父が巡業で家にいない時だけ、出るんです。ある時、たまたま食べた日に具合を悪くしてしまいそれ以来。思えば、かぼちゃでアタることはまずないのですが。

ーーそのまま今に至るのですね。

松緑:デートの相手がデザートにパンプキンプリンを選んだら、先に帰ります。オードブルの後にかぼちゃのポタージュを頼まれたら、その時点で帰りたいです。

ーーまだ前菜なのに……。

松緑:苦手と言えば、自転車も。

ーーあの体幹と身体能力をお持ちでありながら!?

松緑:自分でも運動神経は悪くない方だと思うのですが。お前は乗れるんだっけ?

左近:補助輪があれば(余裕の笑み)。

松緑:そうだよな!(一同笑)

ーー最後に読者の方へお誘いの言葉をお願いします。

松緑:音楽は長唄の方たちにも協力していただきながら、いわゆる歌舞伎の邦楽とは違うものが使われます。40名で“私(わたくし)”を捨て団体行動を務める。そこは東大寺さんのお水取りと近いものがあるかもしれません。すべてのエネルギーを溜めて最後の総踊りへ向かっていく。終わった後、お客様にカタルシスを味わっていただければ幸いです。

左近:作品の背景には様々なことがありますが、お客様は何も考えなくても、特別な知識がなくても、最後に、おお! となっていただけるはずです。僕と同世代の方にも「とにかく1回来て、とりあえず観てみて!」 と伝えたいです。

■『達陀』初日観劇レポート

暗転した場内に鐘が響き、青みがかった暗闇の向こうに霞がかったお寺の境内が広がる。揚幕から松明を携えた僧たちが現れ舞台へ。階段を上っていく。静謐な空気は堂童子の法螺貝で大きく動き出し、練行衆たちが床を鳴らし火に照らし出された須弥壇の周りを駆ける。過去帳が読み上げられる中、気がつけば青衣の女人がいた。

『達陀』左より、青衣の女人=中村梅枝、幻想の集慶=尾上左近

『達陀』左より、青衣の女人=中村梅枝、幻想の集慶=尾上左近

青衣の女人は現実離れした、しかしたしかな存在感を体現する。思い出の場面には、若い頃の集慶も高貴な装いで現れる。ふたりは背景の春の満開の桜、秋の色づいた紅葉と溶け合い、底の知れない淡さと美しさをみせた。集慶が煩悩をふり払ってからは、空間に一気にエネルギーが蓄積されていく。火天と水天の踊りが緩急をつけ、群舞となる。

『達陀』僧集慶=尾上松緑

『達陀』僧集慶=尾上松緑

約40名が生み出すリズムは、日常生活では意識を向けることのない、心の中のプリミティブな部分に響いてくる。練行衆たちに火の粉が舞い散り、見ているだけで顔が熱くなるようだった。熱量が最高潮に達したまま幕となり、一瞬おいて拍手がわき起こった。歌舞伎座にいることを忘れさせる、しかし歌舞伎俳優たちだから成立する、骨太で躍動感に満ちた一幕だった。

『達陀』の幕切れの群舞。中央が僧集慶=尾上松緑。

『達陀』の幕切れの群舞。中央が僧集慶=尾上松緑。

歌舞伎座新開場十周年『團菊祭五月大歌舞伎』は、5月2日(火)から27日(土)まで。『達陀』は「夜の部」での上演。

舞台写真提供:松竹株式会社  取材・文・インタビュー写真:塚田史香

公演情報

歌舞伎座新開場十周年
『團菊祭五月大歌舞伎』
■日程:2023年5月2日(火)~27日(土) 【休演】10日(水)、17日(水)
■会場:歌舞伎座
 
<昼の部> 午前11時開演
 
一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)

工藤左衛門祐経 中村梅玉
曽我五郎時致 尾上松也
曽我十郎祐成 尾上右近
小林朝比奈 坂東巳之助
化粧坂少将 坂東新悟
八幡三郎 中村莟玉
梶原平次景高 中村吉之丞
近江小藤太 中村亀鶴
梶原平三景時 大谷桂三
鬼王新左衛門 大谷友右衛門
大磯の虎 中村魁春


十二世市川團十郎十年祭
大佛次郎 作
守屋多々志 美術原案

二、若き日の信長(わかきひののぶなが)

織田上総之介信長 市川團十郎
木下藤吉郎 市川右團次
弥生 中村児太郎
五郎右衛門 市川男女蔵
甚左衛門 大谷廣松
監物 市川九團次
林美作守 片岡市蔵
僧覚円 市川齊入
林佐渡守 市村家橘
平手中務政秀 中村梅玉
 
今井豊茂 脚本
尾上菊五郎 演出

三、音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)
岩見重太郎狒々退治
初代尾上眞秀初舞台


岩見重太郎 初舞台尾上眞秀
弓矢八幡 尾上菊五郎
長坂趙範 尾上松緑
藤波御前 尾上菊之助
大伴家茂 市川團十郎
渋谿監物 坂東彦三郎
趙範手下鷹造 坂東亀蔵

腰元梅野 中村梅枝
村の若い者萬兵衛 中村萬太郎
同 光作 坂東巳之助
同 佑蔵 尾上右近
重臣布勢掃部 市川團蔵
局高岡 中村時蔵
重臣二上将監 坂東楽善
 
 
<夜の部> 午後4時開演
 
一、宮島のだんまり(みやじまのだんまり)
 
傾城浮舟太夫実は盗賊袈裟太郎 中村雀右衛門
畠山庄司重忠 中村又五郎
典侍の局 中村梅枝
悪七兵衛景清 中村歌昇
相模五郎 中村萬太郎
大江広元 尾上右近
白拍子祇王 中村種之助
御守殿おたき 中村歌女之丞
浪越采女之助 中村東蔵
平相国清盛 中村歌六
 
萩原雪夫 作
守屋多々志 美術原案

二、春をよぶ二月堂お水取り達陀(だったん)
 
僧集慶 尾上松緑
青衣の女人 中村梅枝
幻想の集慶 尾上左近
練行衆 片岡市蔵
同 中村松江
同 中村歌昇
同 中村萬太郎
同 坂東巳之助
同 坂東新悟
同 尾上右近
同 大谷廣太郎
同 中村種之助
同 中村児太郎
同 中村鷹之資
同 中村莟玉
同 中村玉太郎
同 市村橘太郎
同 中村吉之丞
堂童子 坂東亀蔵
 
河竹黙阿弥 作
三、梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
髪結新三
 
髪結新三 尾上菊之助
弥太五郎源七 坂東彦三郎
手代忠七 中村萬太郎
お熊 中村児太郎
車力善八 尾上菊市郎
下剃勝奴 尾上菊次
家主女房おかく 市村萬次郎
家主長兵衛 河原崎権十郎
加賀屋藤兵衛 中村錦之助
後家お常 中村雀右衛門
 
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