唐組『透明人間』特別密着レポート 稽古場から紅テントが建つまでの様子を初公開!
稲荷卓央 写真/吉松伸太郎
河川敷に、公園に、広場に、神社に、今年もその紅い劇場は全国各地の街中に現れた。野外劇の代名詞、元祖にして現役のテント芝居、唐十郎率いる「劇団唐組」である。
2023年4都市ツアー公演として上演されているのは、1990年初演から外部公演も含むと6度目の上演となる『透明人間』。演出は、唐と共に演出を担い続けている座長代行・久保井研が手がける。4月に岡山市旭川河畔・京橋河川敷での開幕を皮切りにスタートした本ツアーは、神戸・湊川公園での上演を経て、5月6日(土)より東京公演に突入。新宿・花園神社と雑司ヶ谷・鬼子母神で計14ステージを上演した後、6月11日に長野市城山公演で大千秋楽を迎える予定だ。
往年のファンはさることながら、近年は十代、二十代の若い観客の姿も多く見受けられる紅テント。時代を問わず、世代を越え、観る者を魅了し続ける唐十郎戯曲の世界。その代表作の一つとも言える『透明人間』という物語が、現代を生きる観客に握らせるものとはー。
今回は、これまで多くは公開されてこなかった稽古場と新宿・花園神社でのテントの建て込みに密着し、その熱の発端をたっぷりと紐解きたい。舞台上で、客席で、次世代へと継承されゆく原体験。それらはどんな過程を経て、立ち上っていくのか。長い歴史と多くのファンを誇る劇団唐組である。かく言う筆者は三十代であり、その観劇歴も紅テントの歴史からすれば、わずか4分の1の割合にも満たない。だからこそ、このレポートが紅く聳える唯一の劇場をまだ知らぬ若い世代の観客の元へも届くことを切に願いながら、その魅力を伝えられたらと思う。
「唐組のチラシだ」とひと目で分かる宣伝美術だ。
合田佐和子の描く、儚くしかし強さを秘めたる女性の横顔。その横には戯曲の一節がこう添えられていた。
“ある暑い日、僕の町内に「水を恐がる犬」の噂がひろがった。”
次はどんな唯一無二の物語に、言葉に、景色に出会えるのだろう。
チラシやポスターに店や街中でふと遭遇する。そんな瞬間もまたテントに通じる道中の一つの楽しみと言っていい。毎度ながら感嘆を禁じ得ない、イメージが幾重にも広がるデザインであるが、戯曲の言葉はこう続いている。
“「水を恐がる犬」はまだ人を咬んだわけではないのだが、間もなく咬むことは間違いないと誰もが思っていた。そもそも、それが恐水症の犬らしいと思ったのは、水を見て猛り狂っているのを目撃したからではない。犬に付き添う一人の男が、シャツで作った小旗を振っていたからだという。その旗には「水を恐がりますので、水を遠くにやって下さい」と書かれてあった。”
物語の「あらすじ」をこちらでまとめて伝えることもできないわけではないが、このレポートをきっかけに唐組や紅テントを知る観客がいるかもしれないと思った時、やはり戯曲の強度に、言葉の起源やその魔力に少しでも触れてもらいたいと思わずにはいられない。稽古場でも、試行錯誤を重ねる俳優たちに向かって、久保井は繰り返しこんな言葉を投げていた。
「作家が選んだんですよ、この言葉を」
「きっと、書きながら唐さん笑っていたと思うんだよ、この言葉は」
「そこをもっと面白がることはできないだろうか」
圧倒的空間で繰り広げられる魂の言葉の応酬と、それらを通じて俳優の身体から湧き出る情念、惜しげもなく街中へと放り出されてゆくカタルシス。テントの色と同じ赤い血がこの言葉に、その身体に今まさに燃えるように流れていることを思い知る「生」の瞬間は、まさに代替の利かぬ演劇体験だ。だからこそ、言葉の内に潜む眼差しや、筆致の速度やリズム、戯曲の一文字一文字に内在するありとあらゆる痕跡を一つたりとも溢すまい、と俳優たちはその身体を使い果たすように一手、また一手と持ちうる限りのアプローチを重ねる。
その姿には、テントで目撃するあの熱気の所以が在った。紛れもない源流が在った。
ところで、「水」は唐戯曲の多くで扱われるモチーフの一つであるが、この「水を恐がる犬」には、ふと今の世相を想起せずにはいられない。雨、涙、汗……私たちは日常生活において実に多くの水を経験するが、続くコロナ禍においてはまさに「水を避ける」ように過ごしていたとも言える。何十年も前に生まれた戯曲の言葉が、図らずも予見的な趣すら携えて今の世の中へと接続していく。そこにまた唐十郎戯曲の深さと果てしなさを思い知る。『透明人間』の上演の決め手について演出を手がける久保井に尋ねると、こんな言葉が返ってきた。
久保井研
「6回目の上演ですが、毎回戯曲の中に新しさを見出すような体感があります。とりわけ市井の人々、群衆の描き方に如実に現代とのリンクを感じます。これが書かれた当時、作家はもちろんパンデミックを描いたわけではい。けれども、作品の許容量の広さ、唐十郎戯曲の懐の深さとでも言うのでしょうか。そういう解釈をしても成立させられるという。そんな戯曲の深みや面白さを毎回端々で痛感しています」
色褪せぬどころか、時代の色や匂いを孕んで、一つ二つと更新されゆく劇世界。紅いテントをくぐり、現実には出くわすことのなさそうなシュールレアリズムの世界に迷い込んだと思っていた矢先に、突如として強烈なリアリズムがこの身へと襲いかかってくる。
俳優たちの身体、眼光に、指先に、息遣いによってそれが思い知らされる時、劇体験はたちまち「今」というライブとして観客の身体へ伝播し、体温の内側へとなだれ込んでくる。
稽古場に入ると忽ち、そこはテントなき紅テントであった。年季を感じさせる舞台美術、物語にぴたりと呼応した道具や衣装、文脈に伴走する手触りある音響や照明。テントのみならず、その全てが専門のスタッフではなく、舞台上に立つ演者全員の手によって作られていることもまた唐組ならではの特徴であり、大きな魅力である。
左から照明部の重村大介、加藤野奈
だからこそ、その段取りや調整にも余念がなく、わずかでも物語のリズムを損なう不具合が生じれば、稽古を止めて全員で話し合う。「それ以外に相応しいものはない」と思わせるほどの物や音、それらが織りなす風景。俳優の立つ場所、空間、触れるものの全てが自らの手によって生み出されていること。「人が居ること」と「物が在ること」が強く手を取りあっていること。稽古時間は、あの劇世界のえも言われぬ説得力やそれらの意義を強く感じる瞬間でもあった。
この日の稽古場で繰り返されていたのは、物語のラストへと向かう重要なシーンであった。
ゆえに、その詳細についての名言は避けたいが、「水を恐がる犬」の噂を発端に、狂犬病を恐れた保健所員・田口(岡田優)は調査の果て、元軍用犬調教師・合田(久保井)と、時次郎という名の犬が住む焼鳥屋に辿り着く。
岡田優
店で働く娘・モモ(大鶴美仁音)、彼女の世話をする辻(稲荷卓央)、さらに、田口とのある賭けに負けた上田(全原徳和)や、モモにそっくりの女(藤井由紀)など物語の核心を握る人物が一同に会し、その邂逅と混線はやがて「水中花」を巡るある記憶を手繰り寄せ、思わぬ方向へと駆け出していく。
それぞれの役を演じる俳優の魅力と強みについても触れておきたい。
初めて紅テントをくぐった日、それは、私が稲荷卓央という俳優に魅せられた瞬間でもあった。その眼光の強さに、身体から放たれる熱気に、そして、少しの未練もなく光と熱を外気に明け渡し、神社の奥すなわち外の世界へと劇を連れ出しながらテントを突き抜け走り去っていく姿に、「俳優とは恐ろしい」と打ち震えた。数年ぶりに稲荷が紅テントへと帰還した2019年秋公演『ビニールの城』、歌舞伎の大向こうよろしく桟敷席の其処彼処から「稲荷っ!」という掛け声があがったあの客席の待望は今でも鮮やかに思い出すことができる。そんな稲荷の孤高の存在感は本作でももちろん顕在。皮膚のように馴染んだ衣装、とびきりの緊迫と唐戯曲のユーモアを自在に舞台上に遊泳させる説得力。それら全てが板の上で刻まれた年輪と場数を物語る。
稲荷卓央
そんな稲荷と同じく唐組の世界観を一身に背負い、時に誰より淡く遠く、また時には誰よりも濃く強かに唐戯曲の女性像を心身まるごとで体現するのが藤井由紀である。あの日は雨が降っていた。ビニールに包まれながらも何かからするりと抜け出すようにテントを去る、その濡れた白い背中があまりに美しく、私は観劇からの帰路でつい持っていた傘とは別にビニール傘を買ってしまったほどであった。余韻も含めて劇体験であること。そんなことを毎回新鮮に感じさせてくれるのも唐組の魅力の一つだ。稽古がひとたび始まれば、その目つきは忽ち鋭く光り、全てのシーンにおいてベストを追求する姿が印象的であった。女性の柔らかさと強さを同居させ、細くしなやかな身体から想像できないほど重厚なエネルギーを放ちながら劇世界を鮮やかに彩るその姿には、舞台に居ることの覚悟が滲む。
藤井由紀
そして、言葉をほとんど発さずしてもなおその姿を目で追わずにいられないのが、モモを演じる大鶴美仁音である。舞台に現れた瞬間からその場の湿度をあげるような潤いと、それでいて揮発するような物悲しさと儚さが舞台にふわあっと浮遊するとき、唐戯曲の詩的さは一気に加速する。大鶴の妖しく儚い存在感が劇場を支配した『少女都市からの呼び声』は私の最も愛する唐組作品の一つであるが、今作でも大鶴のそんなガラスのように繊細でしかし芯の通ったオルタナティブな魅力には存分に触れることができる。モモは多くを口にはしない。できない。しかし、沈黙の中でこちらに向けられるその雄弁な眼差しに物語の奥行きが隠されている気がしてならないのである。
大鶴美仁音
そんなモモと心を通わせ、対峙する田口を演じるのは、唐組初出演となる客演・岡田優である。かねてより唐組の演劇を愛し、出演を切望していたと言う岡田であるが、その意欲的なアプローチは稽古場でも見受けることができた。唐戯曲の多くに「田口」という人物は登場するが、本作では田口の視点で世界の様相が語られるシーンも多く、物語の中核を担う役どころと言っても過ぎない。水辺に一つ二つと波紋を呼び込むような独特の声色と揺らぎを背負った佇まい。過去上演で久保井が好演した役でもあるが、またガラリとタイプの異なる「田口」の誕生は本作の新たな見どころの一つになりうるかもしれない。
左から岡田優、大鶴美仁音
近年の唐組に欠かせぬ客演陣と言えば、やはりこの二人であろう。ダイナミックな立ち回りが圧巻の全原徳和とユーモアの術師・友寄有司。袖から全原が現れる瞬間を今か今かと待望してしまうその理由は、やはり抜群の破壊力である。腹の奥底から唸るような太く逞しい声と人間の体の抑揚を鮮やかに捉えた身体性で物語のうねりを一挙引き受ける姿はいつ見ても清々しい。今作でもそのエンジンはやはり全開、魂の乱闘の中、ふと見せる物憂げな視線のギャップも含めて魅力である。
全原徳和
唐作品に多出する頓狂な男を多く演じてきた友寄が今回演じるのは、田口の上司・小役人だ。役人ではなく、“小”役人という役どころの絶妙な可笑しみを、細かく豊かな表情で表現する友寄には舞台の端にただ座っている時にもつい視線を奪われてしまう。舞台を端から端まで見渡したとき、見逃せぬようなユーモアの仕掛けが転がっているのも唐戯曲の面白さの一つ。友寄の姿にはいつもそんなことをつくづく感じさせられる。
友寄有司(写真中央)
そんな魅惑溢れる布陣で上演に挑む唐組であるが、次世代への継承を確かに担っているのが、頼もしい若手の多様なパワーである。公演を重ねる毎に強いインパクトを残す福原由加里は、やはり今日も狂演を叩き出す。『ビニールの城』での潜った水槽内でもまるで滲まぬ瞳の強さも記憶に新しいが、今作でも妖気と狂気が入り混じるフェチズムを踊るような表情で魅せる姿には目を見張るものがある。
福原由加里
少年・マサヤを演じるのはさらに若手の劇団員・升田愛である。稽古ではその居方に苦悩しながらあれも違う、これも違うと食らいつく姿が印象的であった。少年の性の目覚めをも想起させるような難しい役どころではあるが、性別や年齢を横断したそのイノセンスな存在感と輝きはこれまでの唐組にはいなかった強みとも言えるのではないだろうか。前作の若手公演『赤い靴』とはまるで異なる役柄で新たな魅力を更新する瞬間が待ち遠しい。
左から升田愛、福原由加里
登場人物の記憶や思惑が其処彼処で絡み合うクライマックスへの序章。激しく入り乱れる登場人物たちと、その一挙手一投足に呼応して唸りをあげる物語。
畳みかけるような猛スピードの混沌の中で、ふと点灯する人間の可笑しみ。主観と客観、緊張と緩和、意識と無意識。相反するものが同時多発的に発生する複雑極める土壇場で、その行方は、誰を、何を透明化ないしは不透明化し、誰に、何に色彩を与えるのか。その全貌は是非とも紅テントをくぐってから。一人でも多くの人に、より若い世代へと届いてほしいと願う。
(上段左より右へ螺旋順に)藤森宗、西間木美希、春田玲緒、岩田陽彦、全原徳和、福原由加里、升田愛、加藤野奈、重村大介、壷阪麻里子、大鶴美仁音、藤井由紀、稲荷卓央、岡田優、久保井研、友寄有司、金子望乃
テント建て込みレポート〜花園神社に紅テントが建つ瞬間〜
開幕を控えたカンパニーが劇場に入ることを「小屋入り」というが、唐組においてはズバリ「小屋建て」からである。俳優自らが自身の立つ舞台を、劇場を1から作る。これもまた紅テントという圧倒的空間の所以だ。稽古場取材から1ヶ月、2都市での公演を終えた一行は一息つくまもなく東京公演に向けて始動。紅テントを見た/観たことはあっても、建つ様子を見ることはなかなかないのではないか。そう思い立ったが吉日、SPICEは新宿・花園神社でのテントの建て込み日に1日密着。これまでほとんど取材されてこなかった “紅テントが建つ瞬間”を併せてレポートしたい。
GW初日、抜けるような快晴に胸を撫で下ろす。建て込み日に重要なのがまず天候である。ただ作業がしやすいというだけでなく、地盤が緩むことによってテントの強度が危ぶまれるのもその理由の一つ。もちろん公演中も天候の細かな確認やそれに呼応して都度補強が行われたり、またやむをえず中止されることもある。自然との目配せ、そして共存が欠かせないのも野外劇・テント芝居の特徴の一つだ。
この日の作業動員人数は24名。劇団員・出演者の他、過去作品のキャストなど頼もしい助っ人たちも駆け付けた。開始時間は9時、まずは荷下ろし作業から。4tトラック二台に“劇場”の全てが積み込まれている。小道具や衣裳や機材などを載せているトラックと舞台や楽屋の元となる木材や大道具を載せているトラック。二班に分かれて荷下ろしがされる。
その間に同時に進められるのがテントの製図だ。これは久保井を中心に3名ほどで行われる。テントの支柱となるメインポールを建てる位置を決め、メジャーで測量をしながら等間隔に杭を打っていく。メインポールは6本、その他の柱を固定する杭は大小含めて数えられないほどの数であった。
唐組馴染みの会場と言っても過ぎない花園神社であるが、作業は常に慎重に、メジャーのわずかな緩みにも気遣いながら進められる。ここで狂うと全体に影響が及ぶ、製図はテントの基盤。何もない場所に劇場を建てる。舞台を作る。それが1ではなく、0からの作業であるということを思い知らされる瞬間であった。
製図が済んだら、コーンで方々の際を仕切っていく。そこまでがテントの裾野が来ても良い位置、すなわちその内側が神社内の唐組のテリトリーとなる。その後、前述したメインポールを然るべき場所に配置し、いよいよテントが運び込まれる。
各セクションで荷下ろしを行なっていた男性陣が方々から集まる。しかしながら男性10名程の全力を以てしても決して楽には持ち上げることができないその重みは想像以上のものであった。「せーの!」という掛け声で中へと運び、ブルーシートを剥がす。
ここで初めて唐組のあの“紅色”が目に入る。ここまでくるのに開始から約1時間10分。この地点で早くも感動してしまった筆者であるが、ここからさらに高揚する光景を目の当たりにする。テントがベールを脱いだのを暗黙の合図に、出演者の全員がテントに沿うように集結したのだ。
それは、今まさにテントを広げようとする瞬間であった。もちろん作業工程としてそれ相応の力が必要ということもあると思うが、全員で行う理由はそれだけではないはず。運び込んだ時よりも一層大きく強い掛け声が上がり、全員の手によってテントが宙に舞い、広がった。全員で同じ作業を行うのはこの時のみである。
やはりこれはただの「工程」ではない。俳優らが自らその屋根を広げることに唐組のオリジン、そしてフィロソフィーが宿っている、いわば「真髄」である気がしてならない。遠目に見たらもはや綱引きの様相であるが、この紅い屋根を広げるにはフィジカル・メンタルともにそのくらいの全力が必要なのだろう。どのくらいの力がかかっているか、別角度からもお届けしたい。
両手で持ち上げた後、テントを背負いこむような形で外へ外へと広げていく。メインポールの位置に合わせてテントを配置したら、ここから作業はさらに以下の三手に分かれる。一つはテントの裾を引っ張り、全体を固定するための巨大な杭を打ち込むチーム。杭を支える者と打ち込む者と男性が二人一組になって進める相当な力仕事だ。
二つ目はメインポールとテントを繋ぐ作業でこちらも二人一組で行う。一人はテントの内側に潜り、もう一人は外側で接続に当たる。雨風を防ぐ丈夫なテント生地に潜り作業を行うのは5月でも夏日のような蒸し暑さであると想像する。三つ目は女性を中心に行われる、テント内部にループを通すチーム。これも結構な力を要するため仕上げの段階には男性が入る。
ここからいよいよ文字通り「テントを建てる」本現場へ。男性総動員で6本のメインポールを建てる作業を1本ずつ順に行なっていく。1本建ったら、その次は対角線上の1本、といった塩梅で進行。
柱を建てる班とポールの頭部に接続された縄を引っ張り杭に固定する班に分かれ、しかしタイミングや力加減などの連携を細やかに取りながら進める。掛け声は「せーの!」から「よいしょ!よいしょ!」とテンポを刻むようなものへと変わる。テントの内部にいる者と外部にいる者が息を合わせて進めること、統制の取れた力の掛け方がポイントなのである。こちらも別角度から。
ポールを建たせる時には相当大きな力が必要だが、いざ建ち始めると力の入れ過ぎによって滑りが生じることもある。そのため、地面に対してポールの角度が垂直に近づけば近づくほど掛ける力は緩やかに、スピードもゆっくりと進めなければならない。
歪みや緩みがないか。バランスはしっかり取れているか。近すぎると見えない全体像を遠目に回って都度確認する久保井の姿も印象的であった。こうして6本のメインポールが全て建ってようやく紅テントは見慣れた形を成す。
しかしこれはあくまで外側の形成、つまり「仮」の姿に過ぎない。作業開始からここまでくるのに約二時間半。一時間の昼休憩を挟んだ後、次に取り掛かるのは内側の形成。丸太柱を重ね合わせて櫓を作る、つまり補強の作業である。
人数が少ない時は全員でこの櫓作業に当たった後に舞台を作る通称「平台作業」に移るが、この日は助っ人陣の尽力もあり、二手に分かれ平行して作業を進めることができた。これは効率的にとても大きなことなのだと言う。櫓を組むのは高所での作業であり、平台作業も電動工具や鋸を多用する。危険を伴う作業のため、細心の注意を払いながら一つ一つが丁寧に行われる。
男性メインの作業が目立つように見えるが、傍らで女性たちが進めている作業の多さ、その重要さについても特筆しておきたい。現場を円滑に進める上で欠かせない細やかな作業。それらを把握し、担っているのが劇団員の女性たちなのだ。
この連携、このスムーズさあっての全体効率。そう言っても過ぎない奔走ぶりだ。そして、ここにはいない劇団員の役割についても忘れてはならない。ハード面のみでは公演は回らない。膨大な事務作業や制作業務。そんなソフト面を担うメンバーがいて初めて舞台は公のものとなる。
ちなみに、7名の女性たちがそれぞれ手分けして行っていたのは、トラックの清掃からブルーシート類の片付け、杭の防護や夜間で目印となる白布の装着、立て看板の作成と掲示、ワイヤーの分別、衣装や小道具の整理……など枚挙にいとまがない。
テントを建てている間に全ての作業をこなさなくてはならないため、常に神社敷地内を走り回っている状態である。女子楽屋となるテントも自分たちの手で建てる。小さくとも、こちらも公演に欠かせぬ“紅テント”である。
看板が出来上がり、大通り沿いに掲示しに行くと言うので後を追わせてもらった。立て掛けるや否や通行人から声がかかる。写真を撮る人もいた。街行く人のそんな反応に丁寧に、しかし力強く応対する様子も印象的であった。
「状況劇場じゃない? 私の頃はそう呼んでいたのよ。懐かしいわ」
「結構長い期間やっているもんなんだね」
そんな声をあげるおばあさんやおじいさんもいて、紅テントの歴史の長さを痛感する。取材中「what kind of shop?」と外国人観光客に尋ねられた筆者もつい「Theatre!」と声色がひと匙上がってしまった。「Traditional」と付けなかったことを少し悔やんだが、このただならぬ様子からきっと伝わっているのではないかとも思った。
そうこうしている間に櫓班も平台班も作業は大詰めに。お察しの方もいるだろうが、ここまで読んでくださった方についぞこの事実をお伝えしなければならない時が来た。
ズバリ「紅テントは1日にしてならず」である。
この日の作業はひとまずこれにて終了。その時刻17:00。晴天の元、24名による7時間強の作業であった。内部の補強と舞台はほぼ完成、全てのものをテント内に収めて閉じたら今日は解散である。
その最後の最後である。紅テントの外に西日が差し、その中に小さな明かりが灯った。ここに至るまでにも文字通り紆余曲折の工程がある。電柱から電気を引っ張り、木を飛び越え、テント上部に配線を這わせるように固定するのだ。
まだ陽のある宵待時ではあったが、そのわずかな灯りはとても偉大なものに思えた。0から作り上げた劇場に一つの火が灯るまで。今日一日そのことを追っていたような気にすらなった。明日引き続き行われるのは照明、楽屋作りと舞台美術のセット、そして最後に客席が作られ、紅テントはいよいよ完成する。その全ての工程を最後まで追うことは叶わなかったが、テントが建つ瞬間を、その中に明かりが灯る瞬間を見届けられたことは実に感慨深い体感があった。俳優が自身の立つ舞台を作るのも、4tトラックを運転する姿もそう見られるものではないとつくづく思う。
紅テントの下、今はまだない桟敷席に座ってその上演を待ち構える時、この胸の高揚はこれまで以上に大きなものとなりそうだ。本レポートを読んで下さった方にも少しでもそんな気持ちになっていただけたら、と願うばかりである。
ちなみに男性俳優には交代で「テント番」なる役割が回ってくる。その名の通りテントの番人。公演以外の間も複数人でテントを守り、天候面や設営面に異常がないかを細かく確認する係である。舞台に立つ者も客席に座る者も安全な環境で安心して公演が迎えられるように。そんな徹底もまた紅テントが長年愛される理由の一つであると私は思う。
公演情報
■演出:久保井研+唐十郎
■出演:久保井研、稲荷卓央、藤井由紀、福原由加里、加藤野奈、大鶴美仁音、重村大介、栗田千亜希、升田愛、藤森宗、西間木美希、岩田陽彦、春田玲緒、金子望乃、壷阪麻里子、全原徳和、友寄有司、岡田優
〈岡山公演〉※終演
■日時:2023年4月22日(土)・23日(日)
■会場:岡山市旭川河畔 京橋河川敷(岡山市北区京橋町地先)
■問い合わせ:086-233-5175(NPO法人アートファーム)
〈兵庫公演〉※終演
■日時:2023年4月28日(金)~30日(日)
■会場:湊川公園
■問い合わせ:090-8168-5353(TRASH2)
〈東京・新宿公演〉
■日時:2023年5月6日(土)・7日(日)/11日(木)~14日(日)/6月2日(金)~4日(日)
■会場:花園神社
■問い合わせ:03-6913-9225(唐組)
■日時:2023年5月20日(土)・21日(日)/26日(金)~28日(日)
■会場:雑司ヶ谷 鬼子母神
■問い合わせ:03-6913-9225(唐組)
〈長野公演〉
■日時:2023年6月10日(土)・11日(日)
■会場:長野市城山公園 ふれあい広場
■問い合わせ:026-217-0608(ISHIKAWA地域文化企画室)
■開演時間:19:00(全都市共通・雨天決行)
■料金:一般=前売4,000円、当日4,200円 学生=3,300円 子ども(小学6年生まで)=2,000円(全都市共通)
※長野公演は5月8日(月)から発売開始。
■公演サイト:https://karagumi.or.jp/information/1102/