人生最大の恋を描く『神霊矢口渡』市川男女蔵×中村児太郎インタビュー『七月大歌舞伎』ビジュアル撮影レポート
『七月大歌舞伎』夜の部『神霊矢口渡』ビジュアル撮影より
7月3日から28日まで、歌舞伎座で上演される『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』。市川男女蔵が矢口の渡しの船頭・頓兵衛(とんべえ)を、中村児太郎が娘・お舟を演じる。
右から市川男女蔵(おめぞう)、中村児太郎(こたろう)
600年以上も昔の設定で、江戸時代に書かれた作品だ。しかし児太郎は「今の時代の方々にも共感していただきやすい物語」だと話す。ビジュアル撮影を取材し、男女蔵、児太郎、それぞれに話を聞いた。
■市川男女蔵の渡し守の頓兵衛
舞台は、足利尊氏の北朝と新田義貞がいる南朝が対立した南北朝時代。足利尊氏討伐に向かっていた新田義興は、矢口の渡しで船が沈み命を落とす。その時、渡し守をしていたのが頓兵衛だった。船が沈むように密かに工作し、足利方から恩賞を受け取っていたのだ。
藤浪小道具さんが用意した頓兵衛の刀。鍔が3枚のプレートでできており、緊張感が高まる場面でチャリチャリ響く(鳴り鍔)。
男女蔵は初役で頓兵衛を勤める。今年4月に他界した、父・四世市川左團次も勤めた役だ。
「親父(左團次)さんからは、小細工せずに勤めるように、と言われました。僕に対して、手とり足とり教えることはほとんどない人でした。ヨイショしてヨイショして、皮肉じゃないけれど“坊ちゃんなら大丈夫ですよ”で終わっちゃう。たしかに芝居は、教わったところでできるものではありません。『暫』の成田五郎なんか、教えてもらったところで手も足も出ませんでした。親父さんはそれを何事もないかのようにやるんですから、僕にとってスーパーマンのような役者でした」
この日の撮影は、男女蔵から。
「結局見て盗んで一役一役勉強するしかない。すると、出来はともかく引き出しは増えます。親と同じ役を同じ台詞、同じ拵えでやれば、嫌でも似る部分が出てきます。“そうやって受け継いでいけるものだから、ちゃんと勉強しなさいよ”ってことかもしれませんね。面と向かって言われたわけではなく、僕の妄想。四代目左團次の息子としての自負みたいなもの」
頓兵衛は、娘よりお金を優先する強欲な男。作中では強い印象を残す。意気込みを聞くと「最後に出て(芝居の)色を変える役。お舟役の児太郎さんに気持ちよくやってもらえたら」と男女蔵。消極的とも受け取れる答えだが……。
「僕にストイックさが足りないのかな。例えば野球で四番バッターを目指しているわけではない。漫画の『東京卍リベンジャーズ』に例えるなら、総長になりたいわけでもない。たしかに皆がずらっと並んで、こんちわっす! と次々に頭を下げていくのは気持ち良いかもしれないね。でも全員が総長じゃ、こんちわっす! を誰がいうの。総長が先頭を走るときに、最後を任せられる二番手も必要。芝居でも、俺はスターだ! と自分だけが気持ちよい芝居をしていたらダメでしょう。その意味で歌舞伎は上手くできています。どの家や役にも役割や意味がある。そう信じてやっています」
敵役も可笑しみのある役も、作品に馴染みつつ作品に欠かせない味わいを残す。その存在感と人となりから、三谷幸喜監督の映画『記憶にございません!』にも出演を果たしている男女蔵。独特のストイックさはどのように育まれたのか。
「高校生の頃は、色々とバイトもしましたね」
いたずらっぽく笑う男女蔵は、横浜生まれの横浜育ち。6歳で初舞台を踏んだが、学生時代から20歳手前までは歌舞伎から遠ざかっていた。
「青春時代に素敵な先輩に恵まれたんです。人との出会いって、スマホの検索じゃ得られない人生の感覚がありますよね。もし僕に“持っているもの”があるとすれば、そのような経験値や情の部分かもしれません。お客様も人間、歌舞伎役者も人間。僕はスターではありませんが、いい意味で開き直り、役者も最後は人間性だと思っています。ポジティブに、ヨッシャ! という気持ちで舞台に立ち、一生懸命やった結果をご覧いただく。それがなければお客様のハートにも何も届きません」
この日の撮影には、ダークブルーの背景が用意された。河口間際の矢口の渡しから広がる、夜の海のようだ。頓兵衛のギラっとした強さがよく映える。男女蔵のソロの撮影が進む中、児太郎が到着した。児太郎の父・中村福助も合流した。
■恋をしたお舟、命を狙う頓兵衛
頓兵衞は、義興の船を沈めた恩賞で立派な家に住んでいた。しかし人使いが荒いせいで使用人がいつかない。娘お舟が家のことをこなしていた。そこに訪ねてきたのが、落人となった新田義峯(義興の弟)と恋人の傾城うてなだった。お舟は一目で義峯に恋をするが頓兵衛は……。
頓兵衛とお舟の2ショットの撮影へ。
歌舞伎座の7月公演に向けた特別ビジュアルでは、ふたりが対峙する場面をが再現されている。モニターに1枚目のショットが表示されるや、児太郎がお互いの距離をみて「これだと近い」とつぶやき、男女蔵が「このくらいでしょうね」と調整。
フランクに言葉を交わしつつ、カメラに向かえば頓兵衛とお舟の緊張感が一気に立ち上がる。さらに福助が「もっと、ぐっ……と見て!」など舞台稽古さながら声をかける。物語が、まさにここから動き出すようだった。
■中村児太郎の娘お舟
お舟は、新田義峯を一目で好きになる。
「お舟にとっては、雷に打たれたような一目惚れだったと思います。いつも通りのある日、“一夜の宿を頼むわいな”と家の戸を叩く人がいて、“あい、あい”と開けたら見たこともないような美男子がいた。強欲な船頭の父親、地元の漁師、下男に囲まれて生きてきたお舟の日常に、突然の美男子。え!? うそ! どうしよう……きゅんです!! という心情ですね」
今どきの意味の「きゅん」か確認すると、児太郎は「ええ、きゅんです」と頷いた。
女方による主人公が、好きな男のために命を懸ける。歌舞伎で時折みられる展開だ。例えば『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』のお三輪も。お舟ならではの特徴とは。
「お舟とお三輪の最大の違いは、純粋無垢かそうではないかだと思います。お三輪は求女(もとめ。恋をした相手)と“枕かわした”仲だと言っています。一方でお舟は、きっと初恋。義峯とも話をしただけの一方的な一目惚れです。それに義峯は恋人の傾城うてなを連れてきています。それでもアタックしてしまうなんて、実在したらなかなかのハードパンチャーだけど、それもお舟が初心な子だから。一目で惚れて惚れて、命をなげうってまで義峯を守りたいと考えます。その初心で無垢なところをどこまで深めてお見せできるか」
お舟は、父・福助も大事に演じていた役だ。福助は、スチール撮影の場でも、実際の舞台と変わらない心の動きを求めていた。児太郎はお舟役に向けて、福助から話を聞きながら、細かな動きは中村時蔵に教わる。
「2019年12月、中村梅枝のお兄さんがお舟をやられた『神霊矢口渡』で、傾城うてなに立候補して出させていただきました。その時にみた、お兄さんのお舟がとても素敵だったので、(梅枝の父)時蔵のおじさまに教えていただきたいとお願いしました」
最後に児太郎さんのソロを撮影。
同年同月、歌舞伎座では坂東玉三郎、梅枝、児太郎のトリプルキャストによる『阿古屋』も話題となっていた。前年に梅枝と児太郎が初役で挑むまで、阿古屋は、昭和では中村歌右衛門だけ、平成では玉三郎だけが勤めた難役。劇中では箏、三味線、胡弓の生演奏が求められる。
「大変なプレッシャーで追い詰められて、梅枝のお兄さんも僕も頭がおかしくなりそうで。もう何が正解か分からない、となった時期もあったんです」
その時、玉三郎の言葉が心を支えた。
「大和屋(玉三郎)のおじさまは、“天に向けて、今日も感謝して勤めさせていただきます、という気持ちでやるんだよ”とおっしゃいました。目の前のお客様のために、と思うから、楽器で一音外したことも気になるし、自分の評価も考えてしまう。お客様も大切だけど、それよりも天に向けて感謝の気持ちで。あとは“根性を決めていけ!”と。今でも大切にしています」
日頃から「相手役(立役)を立てるのが女方の仕事」だと児太郎。プライベートで宝塚を鑑賞していても、娘役が「トップスターさんをちゃんと守れているか、とても厳しい目で見てしまう」と笑う。だからこそ自らが主役の今作には、特別な思いもあるのではないだろうか。
「たしかに歌舞伎の中で数少ない女方が主役の作品ですが、やはり女方として、男女蔵のお兄さんにはやりやすいようにやっていただきたいです。タイミング次第では、僕が主導権を持つこともあるでしょう。逆もあります。でも女方は、常に相手役にとって一番良い芝居は何かを考えるもの。自分ではなく芝居全体が、ひとつの作品として“良い芝居だった”とお客様に思っていただけたら、女方は勝ちだと思っています」
■これは恋の物語
南北朝の対立が、船頭の父娘を悲劇に巻き込む『神霊矢口渡』。
「物語の背景には様々な事情がありますが、これはお舟の人生で初めての恋の話です。きっと誰もが一度は経験のある、忘れられない恋。今の時代の皆さまにも、共感いただきやすい内容だと思います。歌舞伎座が初めてという方も難しく考えず、最初で最後の最大の恋愛物語をご覧になるつもりでお運びください。僕はそれを、歌舞伎の型をもってお見せします」
歌舞伎座『七月大歌舞伎』は、2023年7月3日(月)から28日(金)までの上演。
取材・文・撮影(クレジット表記のないもの): 塚田史香
公演情報
『七月大歌舞伎』
会場:歌舞伎座
金笄のおかる:中村壱太郎
塩谷縫之助:中村種之助
腰元浮橋:市川男寅
角兵衛獅子猪之松:市村竹松
毛利小源太:中村福之助
丁稚伊吾:中村玉太郎
下部与五郎:中村歌之助
高野師泰:市川青虎
山名次郎左衛門:澤村由次郎
世話人寿作:市川寿猿
一文字屋お六:市川笑三郎
加古川:市川笑也
仏権兵衛:市川猿弥
斧九郎兵衛:浅野和之
石堂数馬之助:市川門之助
福内鬼外 作
一、神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)
新田義峯:市川九團次
傾城うてな:大谷廣松
渡し守頓兵衛:市川男女蔵
二、神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)
め組の喧嘩
め組辰五郎:市川團十郎
女房お仲:中村雀右衛門
江戸座喜太郎:河原崎権十郎
四ツ車大八:市川右團次
九竜山浪右衛門:市川男女蔵
背高の竹:中村歌昇
おもちゃの文次:中村種之助
山門の仙太:市川新之助
島崎楼抱おさき/三ツ星半次:大谷廣松
伊皿子の安三:市村竹松
芝浦の銀蔵:市川男寅
御成門の鶴吉:中村玉太郎
左利の芳松:市村橘太郎
田毎川浪蔵:市村光
柴井町藤松:市川九團次
露月町亀右衛門:片岡市蔵
三池八右衛門:市川齊入
葉山九郎次:市村家橘
喜三郎女房おいの:市村萬次郎
焚出し喜三郎:中村又五郎
尾花屋女房おくら:中村魁春
松岡 亮 作
三、新歌舞伎十八番の内 鎌倉八幡宮静の法楽舞(かまくらはちまんぐうしずかのほうらくまい)
静御前/源義経/老女/白蔵主/油坊主/三途川の船頭/化生:市川團十郎
三ツ目/町娘/五郎姉二宮姫:市川ぼたん
提灯/若船頭/竹抜五郎:市川新之助
僧普聞坊:大谷廣松
僧寿量坊:市川男寅
僧隋喜坊:中村玉太郎
蛇骨婆:市川九團次
姑獲鳥:中村児太郎
僧方便坊:中村種之助