北海道で初開催から25年、「伝説や奇跡が起きなくても、日常と地続きで続くフェス」にーー新たな価値観が生まれた『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』を振り返る
『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』
『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』2024.8.16(FRI)・17(SAT)北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
北海道の石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージで、8月16日(金)・17日(土)に『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 in EZO』(以下、『RSR』)が開催された。2019年・2022年とライブレポートを担当しているが、去年と同じ5ステージとはいえ、5年ぶりにBOHEMIAN GARDENが復活したことで、会場全体の広さも5年ぶりに完全復活したように感じた。
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)
朝11時00分に到着して、まずは全体を歩いてみることに。北海道石狩市と石川県輪島市が友好都市であることから被災地応援特設ブースが設けられていた。ほかにも、今でも東北ライブハウス大作戦のブースも設けられているように、街と街の繋がりを大切にしていることが伝わってくる。そして、野外ロックフェスの基本的な考えである「Do It Yourself ~自分のことは自分で~」というメッセージも大切にしている。1999年に初年度を迎えた『RSR』だが、2000年に設立されたNPO法人ezorockを中心にごみの13分別などを実施。食用に適さなくなったお米を含んだバイオマスプラスチックで出来たオリジナルごみ袋が入場ゲートで配布され、実際に昨年の『RSR』で出た生ごみの一部を堆肥にリサイクルして育てられたじゃがいもが入場ゲートで配られたり、フードブースでは調理されて販売されている。
また、石狩市浜益区の果樹園では担い手不足により収穫しきれないさくらんぼをezorockボランティアスタッフが収穫を行ない、完熟状態のさくらんぼをすぐに冷凍して、「雪どけのさくらんぼ」として同じくフードブースで販売されていた。入場ゲートでは、石狩近郊の未活用木材を利用した薪割り体験コーナーもあり、夜は焚火体験ブースも展開される。
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)
入場ゲート付近だけでも、これだけ書くことがあるが、いざ中に入ってもジンギスカン、石狩鍋、石狩ラーメン、スープカレー、サッポロビールなどの北海道名物はもちろんのこと、アイヌの伝統紋様を使うワークショップやアイヌ工芸品の販売など北海道の文化をたくさん体感することができる。ただライブを観るだけではなくて、開催地特有のコンセプトが存在しているのは見応えがある。
撮影=SPICE編集部(大西健斗)
それで言うと北海道と言えば雪であるが、どれだけ涼しいとはいえ流石に夏の北海道では雪をみることができないと思っていた。しかし、今年は北海道沼田町協力のもとPROVOエリアに巨大な雪の滑り台が出現。色々な取り組みがあるが、何よりも来場者を驚かせたい楽しませたいという遊び心は『RSR』ならではのもの。他にもアスレチック体験ブースやクレーンによる高所体験ブースなどがメインステージとなるSUN STAGEと同じエリアにあったりする。クレーンのブースに関しては夜にはイルミネーションで綺麗にライトアップされて、まるで遊園地の夜の観覧車みたいにランドマークとしてもひときわ目立っていた。まだまだ見落としている点はあるかもしれないが、あくまで私の目で見て気になった点をピックアップさせてもらった訳であり、そろそろ肝心のライブについて書いていきたい。こちらも、あくまで私のピックアップ紹介であり、過去2回のSPICEでのレポートもそうであったように、全出演者を同じ文字数で書くのは物理的に不可能に近いので、このライブレポートもある種の総括・総論的な”鈴木が覗いた『RSR』”的な文章になってしまうことを予めご了承下さい。
Hwyl (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下聡一朗
13時00分・def gargeにて、公募で選ばれた、いわゆる若手・新人アーティストが登場する「RISING★STAR」枠としてHwylが登場。海外の有名ロックバンドたちも初ライブはガレージからスタートということで名付けられたステージだが、このステージからSUN STAGEへと巣立っていったバンドも多い。
怒髪天 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞
いよいよSUN STAGEも始まるが、13時55分には袖から野太い男達の気合い入れの掛け声が聴こえてくる。主催・WESSスタッフの「札幌の兄貴」という紹介により、北海道の大御所である北島三郎「まつり」を登場SEにして、ふんどし姿の屈強な男20人が担ぐ神輿に乗り、怒髪天の増子直純が「よく来た~!」と雄たけびをあげながら登場。この光景は5年前にも観ているが、今年は結成40周年を記念して「仲間(ひと)のふんどし祭り」と題されている。それにしても多くのフェス現場をライブレポートしてきたが、ふんどし姿の男達を観られるのは『RSR』の怒髪天でしかありえない。そうかと思えば、ゲストの御年64歳のLOUDNESS・二位原実による男というか漢の叫びが聴けたり、GLAY「Winter,again」カバーなど、スペシャル企画とはいえ初っ端から盛りだくさん過ぎる。今年から怒髪天はメンバーが3人となり、この日もベースをサポートメンバーの御年64歳のアナーキー・寺岡信芳が鳴らしまくっていたが、バンドが止まることなく、それもよりパワーアップして進み続けている姿は堪らない。やはり40年の重みを感じる。
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞
続くゲストの御年67歳のスターダスト☆レビュー・根本要は「あんまりロックぽくなくてゴメンね」などと自虐気味に話すも、代表曲「夢伝説」を歌うと一気に雰囲気が変わる。40年前の楽曲だが、その大衆性はとてつもないし、何よりもギターを弾き歌う根本の姿は、どこからどう見てもロックでしかない……。唯一の紅一点ゲストの渡辺美里は「My Revolution」を歌うが、緩やかに後方で聴いていた人たちも思わずテントから飛び出して一緒に口ずさんでいる。こちらも38年前の楽曲だが、大ヒット曲の威力をまざまざと見せつけられた。私のような40代半ばの大人が興奮するだけでなく、流行・旬の人気ミュージシャンを観に来たヤングキッズたちにも新鮮かつ刺激的であったはずだ。現在の音楽シーンの流行も当たり前の如く大切ではあるが、音楽シーンの先人たちの歴史も知ることができるというのは、『RSR』というフェスの特質でもあり、大事な役割でもあるということをライブレポート3回目にして改めて感じた。ラストはSLANG・KOHEYをドラムに迎え、スピッツのサポートキーボディストとしてもお馴染みのクージーも加わり、二位原、根本、渡辺、ふんどし隊と全員集合で「オトナノススメ」。
<オトナはサイコー!>
まさしく歌詞の通り大人讃歌な楽曲だが、我々が『RSR』初年度はヤングキッズだった様に、現在のヤングキッズたちも大人になっても『RSR』に来続けて欲しいし、常にキッズからオトナまでが同じ場所で一緒に楽しめる祭であって欲しいと心から思えた。
「ライジングサンは北海道の大晦日なんで良い年を!」
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞
この増子の〆の言葉には高揚するしかなかった。だからこそ2日目のオールナイトから迎える朝の日の出の時に「明けましておめでとうございます!」という『RSR』独特の最高にハッピーな言葉が飛び交うのだ。地元・北海道のことを歌った「いいんでないかい音頭(北海Ver)」が流れる中、大団円を迎えるが、最後の増子のロックフェス三大要素名言も記しておきたい。
「水分! 塩分! 兄貴分!」
まずは兄貴分を摂取できたわけだが、水分塩分と言えば、去年の『RSR』が珍しく猛暑だっただけに今年も……と心配はした。しかし今年はライブ中に小雨も降るくらいの天候だったので涼しめの暑さで凌げた。
PROVO (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)
北海道のフェスだからこそ、地元・北海道出身者のライブを観たいので、15時00分には雪の滑り台があるPROVOへと向かう。『RSR』はオールナイトフェスであるからこそ、まったりくつろいで落ち着ける、いわゆるチルアウトができる場所も重要になってくる。色鮮やかなデコレーション、アートが楽しめ、夜になるとライトアップが美しいチルアウトスペースがあるのも『RSR』の良いところ。その象徴ともいえるのが、札幌で音楽・アート・スパイス料理などを発信するショップ「PROVO」オーナーの吉田龍太プロデュースによるエリア。
撮影=SPICE編集部(大西健斗)
ライブペイントからDJ、そしてフェス服・雑貨・飲食の販売まで古き良きヒッピー文化が感じられる。前述の雪の滑り台から雪だるまや大きな大きなシャボン玉の実演など子供たちも楽しめるエリアであり、子供たちの休憩スペースや子供たちが切り盛りするキッズカフェ「らいじんぐーちょきぱー」まで出店されていた。いわゆる元気いっぱいでヤングなフェスキッズは思う存分メインステージを最前でエンジョイできるし、ゆっくりじっくりフェスを味わいたい私みたいな大人世代は、こういったスペース、ステージでものんびりエンジョイできる。メインステージからコンパクトなステージまで、全ての世代の要望に応えられるのは、やはり広大な北海道の土地で展開される『RSR』だからこそ。
NOT WONK (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大谷康介
そんなPROVOで15時30分からライブ始めとなるのは地元・北海道のNOT WONK。DJブースもあるピラミッド型のステージは前方にバンドセットが組まれるが、高さは観客の目線とほぼ同じであり、特に前方には柵もないため、ライブの一体感がまるでコンパクトなライブハウスであり、その上に野外なのは最高すぎる。
「ギュッとやってワチャッとやって一瞬で終わろうかなと」
NOT WONKの加藤修平はそう言っていたが、まさにその通りで気持ち良い轟音を浴びていたら一瞬で終わった。5年前の初体験時にも感じたが、何よりも音が良すぎる。「PROVO」からの持ち込みの音響機材がほとんどらしいが、いつか札幌の店自体にも伺いたいと本気で思うくらいに設営が素晴らしすぎる。
BAND-MAID (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=小川舞
羊文学 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人
離婚伝説 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=山下恭子
5年前の初参加時と大きく違うのは、コロナ禍もひと段落したことにより、日本国内からの観客だけではなくて、中国や韓国、台湾などアジア圏のほか、アメリカやヨーロッパなど海外からの観客も増えていることであった。RED STAR FIELDでの15時00分におけるAwichを皮切りに、同じステージの羊文学、BOHEMIAN GARDEN での離婚伝説、EARTH TENTでのBAND-MAIDなど夕方にかけて、海外でも人気があり注目される出演者たちが続いていた。
Awich (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人
特にAwichは海外からの観客が多く見受けられたし、HIPHOPの強さも感じた。ソリッドであったりメロウであったり、それぞれ音楽ジャンルは違えども型にとらわれない音楽を鳴らしていることは共通であり、そこが海外の観客にも響いているのだろう。学生時代に洋楽に憧れた世代としては、自分の国である日本の音楽が逆に憧れられるカルチャーへと進化を遂げているのは喜ばしいことであり、誇らしいことでもある。
ちなみに海外の観客が自国のフェスとの違いで感激していたのはフードの種類の多さ。確かにカレーライス、ラーメン、ピザに肉まん、魯肉飯、小籠包など何だってあるし、ドリンクだって多くの種類がそろう。ホスピタリティーすなわち“もてなし”という意味では完璧ではないか。西洋から知ったフェスという文化だが、日本が独自の変化を遂げ、発祥の地である西洋からも注目されるようになったことは本当に特筆すべき点である。
a flood of circle (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=千葉薫
気付くと日は暮れて、def gargeにて19時10分のa flood of circleを迎えようとしていた。フラッドは8月12日に日比谷野外音楽堂でデビュー15周年記念ライブを終えたばかりだが、ずっと1年中を全国各地のライブハウスやフェスを周り続けるライブバンドからすると今日も通常のライブなわけで、1曲目から真っ直ぐなロックンロールをぶちかます。佐々木亮介はアルコールを片手にステージから観客フロアへと降りて、ど真ん中の道を歌いながら進み続ける。どんな手を使ってでもストレートに伝えようとするライブバンドの矜持を見せつけられた。
syrup16g (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=タマイシンゴ
すっかりロックバンドの口というか耳になっているので、EARTH TENTのsyrup16gへと急ぐ。1996年結成の彼らだが、『RSR』には2004年以来の20年ぶりとなる出場。バンドと『RSR』共に歴史を感じるが、とにかく音の歪みが凄すぎて、20年前という当時の楽曲たちも強烈に響きまくる。寡黙なイメージがあるボーカルの五十嵐隆が「20年も歳を取ったから20年の疲れが出ていますけど、まだ元気があった天才だった頃……」と話してから歌われた「天才」は特に強烈に響きまくった。過去のデータを調べると2004年の『RSR』でも歌われたらしい。1999年初年度から丸25年の『RSR』だからこその歴史を再度感じられた。
Vaundy 撮影=日吉"JP"純平
25年も日本のフェスシーンにおいて独自の路線を持ちつつも王道として先頭を歩み続けられているのは、先程から散々ヤングキッズと書いてきたが、今現在の若者に大人気のミュージシャンたちもしっかりとブッキングされてきたからである。幅広い層の音楽ファンの期待に応えられていることに関しては目を見張るしかない。この日のSUN STAGE・21時00分のVaundyはまさに象徴的なライブであった。どの楽曲も歌う度に大きな歓声が起きて、あっという間に入場規制がかかる。私も遠く後方から聴いていたが、身振り手振りひとつをとっても、その圧倒的な存在感が伝わってくるし、若者たちから絶大なる人気を得ていることが理解できる。きっちりと重低音が効いているので、ステージから遠い後方で聴いている若者たちも体を揺らし嬉しそうに楽しんでいた。
(C)RISING SUN ROCK FESTIVAL(撮影:n-foto RSR team)
よくよく考えたら、5年前のライブレポートでも、メインステージからコンパクトなステージまで全ての世代の要望に応えられるという点に、私としてもこだわって注目して記していた。それを今年もっとも大きく感じられたのは、この21時台である。def gargeには、地元・北海道の札幌を拠点に活動するTHA BLUE HERBが立っていた。ILL-BOSSTINOことMCのBOSSは、私がステージに辿り着いた時に、こんなリリックを投げかけていた。
<鹿児島 知覧に行けよ そこで俺らを待ってる 賛成か反対かじゃありません やるせない思いと共にただ泣ける 俺は不満です 同じだけ不安です 1人のHIPHOPファンです ただのエンターテイナー以上に何を語れるか 俺なりに それなりに考えてんだ>
THA BLUE HERB (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=千葉薫
5年前の終戦記念日に公開された「REQUIEM」のMV。戦後79年の終戦記念日の翌日に、この曲が日本のフェスで鳴らされる意義は絶対にあった。それこそ賛成か反対ではなくて、そこには歴史を知る意味があり、音楽から歴史を感じ取れるのは有意義でしかない。これ以上、書くと安っぽくなるので止めるが、是非とも何かしらの方法で、この曲を聴いていただきたい。
ロックンローラー、パンクス、そしてヒップホッパーなど各ジャンルの音楽に「何か言えよ」と問いかけてからの「未来は俺等の手の中」。観客フロアの柵ギリギリまでBOSSは近づき訴えかける。もうとっくにタイムテーブルの時間を過ぎているなと思っていたら、「俺、最初にWESSに話を通しているから、このままいこうぜ」とBOSSが言う。真正面から我々にぶつかり音と言葉を通して必死に伝えようとしてくれている。音が楽しいと書いて音楽なので馬鹿騒ぎを何も否定しないが、胸が騒がしくなるような音と言葉に掴まれた夜だった。
「勇気出して60分頼んで良かった。誰もいなかったら格好つかないから。明日もまた来るんでね。チバ君のところ来るんでね」
そう言い残してBOSSは、最後に帽子を取って頭を深く下げて去っていった。
フジファブリック (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人
23時00分以降は通し券を購入した人のみが観られる「for CAMPERS」という特別ライブが行われる。RED STAR FIELDのフジファブリックはデビュー20周年なので、ボーカルの山内総一郎は「今日は特別なステージなので、僕らにゆかりのある方々をゲストでお呼びします!」と言って、まずは同じ事務所所属でもある斎藤宏介(UNISON SQUARE GARDEN/XIIX)を呼び込み、「Green Bird」を歌う。
フジファブリック x 斎藤宏介(UNISON SQUARE GARDEN/XIIX) (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人
フジファブリック x 斉藤和義 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=大峡典人
そして、フジファブリックが活動できなかった約15年前の時期にサポートギタリストとしてツアーを回っていたというバンドにとっての恩人である斉藤和義とは「ブルー」を歌った。2025年2月での活動休止を発表しているだけに、休止前最後の『RSR』。フジファブリックとしてライジングに帰って来れる日を夢見てという山内の祈願が届いたライブだった。
WurtS (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影=タマイシンゴ
同じ時間帯、EARTH TENTでは『RSR』初出場のWurtSがステージに上がっていた。夜中なのにテントからは人が溢れ返っていて、とにかく凄い歓声がずっと起きていて、テント外のスクリーン前にも何とかWurtSのライブを目に焼き付けたい若者たちで溢れ返っていた。DJやダンスを担当するうさぎも大活躍する大人気曲「分かってないよ」では、若者たちが飛び跳ねている。ロックナンバーでありダンスナンバーでもあるWurtSが鳴らす音楽が鳴り響きまくっていた。若者たちは、WurtSから音で踊るという感覚を浴びせられていたように感じる。踊り疲れながらも爽快な表情でEARTH TENTから出てくる若者たちはキラキラしていた。
台風の影響による交通機関の運休・欠航で平井大が出演キャンセルという不測の事態は起きたが、計30組による約12時間に及ぶ初日は終わった。かつては前夜祭とも呼ばれたという初日。約3万3000人の老若男女たちが音楽に鼓舞された。かつては本祭とも呼ばれたという約3万5000人が集った2日目へと物語は続いていく。
撮影=SPICE編集部(大西健斗)
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