帝国劇場の“生き字引” 森公美子が語る“あの頃”の帝劇~作家・小川洋子特別対談/特集「帝国劇場」
「10年待っていた」と言われたマダム・テナルディエ役
『レ・ミゼラブル』(写真提供:東宝演劇部)
小川:『レ・ミゼラブル』では、オーディションを受けた時に「君だ!」と言われたそうですね。
森:はい。1997年、日本公演10年目のオーディションでした。ジョン・ケアードさんがサーッと来て「君を僕は10年間待ってた」と言われて。
小川:なんて素敵な言葉!
森:「そうなんですか……!」とウルウルしたのですが、その後『「レ・ミゼラブル」百六景』という本を読みましたら、マダム・テナルディエは熊のような女と書いてあった(笑)。だからか、と。
小川:でも今や、世界のカンパニーでマダム・テナルディエは森さんがお手本のようになっていると。
森:初演は鳳蘭さんでしたし、私の出る幕はないと思っていたのですが、実は求められていたのが熊のような女で、その熊のような女を29年も務めさせていただきました。
小川:歴代一、長く出演されている。森さんのいない『レ・ミゼラブル』なんて考えられません。
森:世界一、長いそうです。でも次回に関しては悩み中です。29年務めて、ちょうど“肉(29)”で区切りがいいかなとも思ったのですが(笑)。
小川:(笑)。新しい帝劇でも出演してください。でもテナルディエ夫妻は作中の憎まれ役ですが、カーテンコールの観客の拍手が温かい。ジャン・バルジャンへの拍手とは違って「待ってました!」「ありがとう!」という感じの拍手です。
森:子どもをいじめたり、シリアスなことをやっているのに関わらず、一番人間らしいとも言える役です。
小川:あの時代をただ一生懸命生きているだけだと、観客もちゃんと分かっているはずです。
森:そうなんです。色々な生き方があるということも『レ・ミゼラブル』は描いている。一人の役者が何役もやるというのもその証。すべての人の生きた姿が反映されて一つの舞台になるという、すごい作品です。たしか、のべ300人ほど登場人物はいるはず。一人で15役くらい演じる俳優もいます。
小川:マダム・テナルディエ(の俳優)も色々なところに出てきますね。
森:「森公美子はどこにいるかすぐわかる」と言われます(笑)。
小川:29年もやっていらっしゃると、相手役であるテナルディエもたくさんいらっしゃる。相手によって変わる部分があるのでしょうか? 役者じゃない人間にとっては、想像できないんですよ。私が一番多く拝見したのは、駒田一さんとのペアです。駒田さんとは本当にご夫婦じゃないかというくらい、何の心配もいらないと思える息の合いようでした。
森:二人で笑い合いながら悪いことをしているという夫婦ですよね。盗んできたものを「ゲヘヘヘ」と見せあうような。
小川:やはり時間が築き上げた確固たる信頼がある?
森:そうだと思います。駒田さんは斉藤晴彦さんと入れ替えで入ってきたんですよね。2003年からだから、もう20年以上になります。それまでは圧倒的に晴彦さんと組むことが多かったのですが。……晴彦さんとやっていた時に、ちょっとしたアクシデントがあり、晴彦さんのマイクが汗で死んでしまったんです(※使えなくなった)。私はそのことに気付いたのですが、ご本人は気付いていない。私は自分のやることをすべて放って、私のおでこについているマイクを使えと晴彦さんにピッタリついて回ったんです。
小川:そういうところもお互いあうんの呼吸で……。
森:いえ、最初は晴彦さんは「どけ! どけ!」って(笑)。一生懸命口パクで「マイク!」と教えましたら、途中で気が付かれましたが。
小川:なぜ森さんが付いてくるのかと思われたんですね(笑)。森さんは旧演出と今の演出、両方体験されていますが、演出が変わるというのは役者さんにとってはどんな体験なのでしょう。新作を作るのと変わらない労力があるのでしょうか。
森:旧演出から新演出に変わる時だけでなく、同じ演出でも常に新作を作っている気持ちです。新演出で言えば、基本的にはアクションは同じなのですが、「テナルディエ・イン」と呼ばれるシーン(『宿屋の主人の歌』の場面)に限っては毎回大変更が入るんです。
――今回(2024-25年版)も大きく変わっていました。キャッチするものも増えて。
森:そう。誰かの服を盗んで、別の人に渡したり。どんどんやることが増えていく! 大変です。
小川:これだけ再演を繰り返して、同じ役を演じていても、大変なんですね。
森:本当に舞台が「生きている」と感じます。常に前進している。冒頭のガレー船のシーンにしても「目線がちょっとだけ上すぎる」とか、細かく指示が入って。そうすると今度は音楽監督が「もうちょっと上を向かないと言葉が聞こえない」と言ってきたり(笑)。その“ぐちゃぐちゃ”なさまも、生きているなと思うゆえんです。
小川:私は『レ・ミゼラブル』のお稽古を拝見したのですが、そのシーンの囚人たちの第一声を演出の方が「地面に埋め込むように」と指示をされていて、そんな細かいニュアンスまで練習しているのだと気が遠くなりました。
森:本当に細かくやっていますので、稽古場にいても自分の出番がない時もありますよ(笑)。もちろんそうしたら別室で歌稽古をしたりしますけどね。私の場合は子どもと一緒のシーンが多いので、子どもの相手をしています。
小川:そういえば、今の子はほうきの掃き方を知らないとか。
森:そうなんですよ。しかも、リトルコゼットはなぜかほうきを左手で掃くんですよね。右でも左でもどっちでもいいのではと思うのですが、そこはきちんと演出に合わせて子どもたちも練習しています。子どももすごい技術です。また、運ぶ樽も重いですしね。
小川:軽いものを重そうに持つのと、本当に重いものを持つのとでは、伝わるものが違うんでしょうね。
森:置く音も違いますからね。
幕内係、エレベーター係の思い出
楽屋口(帝国劇場アニバーサリーブック NEW HISTORY COMINGより)
小川:森さんがお使いになっていた楽屋も拝見しました。森さん専用ソファというものもまだ置いてありました。もともと舞台の小道具だったものを、森さん専用にしているんだと幕内さんがおっしゃっていました。
森:そうなんです。『レ・ミゼラブル』になると、楽屋にソファが運ばれてくる(笑)。先日出演していたシアタークリエにも運ばれてきましたよ。
小川:同じものが!?
森:いえ、クリエの楽屋は小さいので、もう少し小ぶりのものが、二代目として(笑)。幕内さんのお心遣いですね、ありがたいです。
小川:最初、幕内係というものが漠然としすぎていてどんなお仕事なのだろうと思ったのですが、役者さんにとっては幕内係さんとはどういう存在ですか?
森:幕内がいないと何もまわりません! 「何分遅れます」というような電話も幕内さんにしていましたね。
小川:そんな大事なことも。
森:当時はケータイ電話が普及する前でしたから、直通電話がある幕内さんの部屋にかかってくるんです。私がたまたま幕内さんの部屋へ行った時に電話が鳴り、代わりに出たら出演者から、「ごめん、30分遅れる!」という電話も受けましたよ(笑)。「喉の病院に行っているみたいで30分遅れるそうです」とアナウンスしました。……単に寝坊なんですが(笑)。
小川:そんな緊急のご連絡から、何が壊れたとか、お弁当が何個必要かとか。本当に幕内係さんのお仕事は多岐にわたっているそうで、目配りがすごいですよね。
森:そうなんです、どこのセクションに何人いるというのもすべて幕内さんが把握している。……人数といえば、帝劇最後のコンサート『THE BEST New HISTORY COMING』の時に、私は恒例のまい泉のポケットサンドを差し入れしたんです。いつも160個くらいで済むので、それくらいの量を持っていったら100個足りなくて! 各部署のスタッフが「最後だから」と大勢来て、一気に人数が増えたらしいです(笑)。きっと「あそこのセリを上げるのは俺だ」とか、色々あったんでしょうね。
小川:みんなお別れしたかったんですね。帝劇にはエレベーター係さんというのもいるんですよね。あれも神経を使うお仕事です。
森:エレベーター係の方々は、稽古中に台本を見ながら「この人は何階の楽屋で、このタイミングで出る」とメモを取っていらっしゃるんですよ。逆にこちらから「この音楽が鳴ったら私は7階から降ります」と申告したりも。“クマちゃん”という有名人もいました。
小川:クマちゃんが稽古場に来るとその作品は当たるという伝説の持ち主ですね。
森:はい。そのクマちゃんが「俺、好きなんだよコレ」と言うのが『ラ・カージュ~』でした。
小川:地方まで追いかけて、地方の劇場のボタンまで押していたとか。
森:そうそう。面白かったですね。
「帝劇は聖なるところ」
『THE BEST New HISTORY COMING』(帝国劇場アニバーサリーブック NEW HISTORY COMINGより)
――それにしても森さんはいろんな人と仲良くなっていらっしゃる。
森:「この前もらったアレ、美味かったな、もう一度食べたいな」と言われたら「わっかりました!」とまた買っていったりしちゃうんですよ。だからかな(笑)。でも確かに“生き字引”かもしれません。スタッフも、照明だった方、大道具だった方が幕内になったりする、そんな変遷も見ていますし。
小川:私は『THE BEST New HISTORY COMING』最後の日も取材させていただきましたが、けっこう皆さん、清々しいお顔でお別れしているなと感じました。そこまで感傷的では……。
森:なかったと思います。ただ、口には出さなかったけれど、俳優はみんな、新しくなった劇場には私は出る方かな、観る方かな、と思っていたと思います。井上芳雄くんに「あなたは(新劇場にも)出るでしょう」と言ったら「俺だって何があるかわかりませんから」と言ってました。特に年齢が上の方は「これが最後かもしれない」と思っていた気がします。……でも新劇場ができたら、また『THE BEST』みたいな作品から始まってくれたらいいな。あの作品は良かったですよね。
――楽しかったです。
小川:贅沢でしたね。
森:内輪受けばかりでしたが(笑)。
小川:それを分かる、共有できるお客さんばかりだったというのも素敵でした。切符を買えなかった方が劇場の外で写真を撮ったり、グッズを見せ合ったりしているのも見ました。ファンの熱い思いで包まれていました。……森さんは“着到板”はお持ち帰りになったのですか?
森:はい。3つも4つもありまして、「こんなにあったんだ!」と思いました。地方の劇場はスイッチを押すものもあり、それも機能的で良いのですが、帝劇は“着到板をひっくり返す”という伝統を守ってほしいですね。それで私、気合が入るんです。
小川:舞台という異世界に行く儀式のような。
森:はい。それが素敵だなと。帝劇にはやっぱり、神様がいますから。精霊かもしれませんが。
小川:毎日幕が上がって無事に降りるって、奇跡的なことですよね。
森:奇跡ですよね。
小川:コロナの時にそれを思い知らされました。
森:そういえば、帝劇って舞台にシャッターが下りるんですよ。ご存知でしたか? ほとんどの方はご存知ないと思うのですが、緞帳の前にシャッターがある。
小川:帝劇って隅から隅まで見て歩いても、まだ不思議な場所がありますよね。支配人さんでも開けたことがないドアがあるとおっしゃっていました。一種の迷宮みたい。
森:役者にとっては、客席が迷宮です。特に2階の客席は「この奥に何があるんだろう」というものが多くて。
帝国劇場(写真提供:東宝演劇部)
――そういえば、小川さんの小説に登場する「ステンドグラスの裏に入るための扉」というのは本当にあるんですか?
小川:あるんですよ!
森:あるんですか!?
小川:ご存知なかったですか?
森:知らないです! どこから入るんですか?
小川:2階のロビーの下手側、柱の裏に小さい扉がありました。もったいないですよね、その向こうには東京一の景色が広がっているのに、お堀端のあんなに素敵な景色をわざわざステンドグラスで閉ざして。外が見えないようにしたのは「舞台の世界に浸ってほしい」という菊田一夫先生の思いだったとお伺いしました。
森:なるほど~。そういえば『屋根~』の時に、帝劇の屋上で雪合戦をしたことがあるんです。そうしたら宮内庁から「何か屋上でやっている人がいるので注意してください」と電話がかかってきました(笑)。
小川:テロと間違えられたのかしら(笑)。
森:皇居の側でやってはいけないことというのがあるらしいです。
小川:帝劇の工事の方が、工事の影響でお堀の水位が下がらないかを心配しているとおっしゃっていました。
森:たしかにそれは大変(笑)。でもそんな場所に劇場が建っていること自体が奇跡ですよ。
小川:だからこそ、帝劇には聖なるところがどこかにあるのでしょうね。そのゼロ番(真ん中)に立つというのは、本当に素晴らしいことですよ。
――森さんは2014年『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』で帝劇初主演されています。
森:50代になって主演のお話をいただき「この年齢で帝劇ゼロ番はキツい……」と思ったんですよ。でもやっぱり、特別な経験でしたね。
小川:他の方がどんなに願ってもできない、一握りの方にしかできないことを成し遂げられた。
森:そうおっしゃっていただくと「頑張らなきゃな」と思います。やっぱり早く新しい帝劇を完成させていただかなきゃ。そうしないと私の体力が持ちませんから(笑)。
取材・文=平野祥恵 撮影=福岡諒祠
特集「帝国劇場」特設ページはこちら
書籍情報
四六判/288ページ
ISBN:978-4-08-770038-1
◎白杖の父が遺した、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のパンフレット。そこには新人案内係からの手紙が挟まれていた――「ホタルさんへの手紙」