ハチャメチャに楽しいステージにしたい!「DRUM TAO」インタビュー 

インタビュー
クラシック
舞台
2016.4.12
「DRUM TAO」(左から)岸野 央明・西 亜里沙・藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)

「DRUM TAO」(左から)岸野 央明・西 亜里沙・藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)


今年2月、ブロードウェイ・デビュー公演を見事に成功させた「DRUM TAO」(以下、「TAO」)が、凱旋公演とも言うべき最新作 『DRUM TAO 舞響~Bukyo~踊る○(WA)太鼓 を引っ提げ、国内ツアーを行う。東京では7月にZeppブルーシアター六本木で10日間に及ぶ公演を開催する。そこで、公演に寄せる思いを、「TAO」の運営会社であるタオ・エンターテイメント代表取締役の藤高 郁夫、そして「TAO」のメンバーである西 亜里沙(座長)、岸野 央明の3名から話を訊いた。


――まずは、ブロードウェイでの成功、おめでとうございます。

藤高: ありがとうございます。僕らは和太鼓という伝統的な芸能を、世界に通用する、より新しいものに生まれ変わらせたいという思いがあり、「DRUM TAO」という(洋風の)名前を使っています。世界に向けた活動は2004年から行なってきましたが、何といってもエンターテインメントの聖地であるブロードウェイで上演することが長年の夢でした。それも、単なる国際交流の一環としてではなく、すなわち「世界一のショービジネスの地での成功」という目標を高く掲げ、今年ついにそれにチャレンジして、夢を叶えることができました。

――ブロードウェイ公演を振り返っての感想をお聞かせください。

藤高: ブロードウェイでは、キャパシティ900弱のスカーボールセンターという、ニューヨークでは珍しいくらい近代化された素晴らしい劇場で6回の公演を行い、連日スタンディングオベーションの大喝采をいただきました。そこまでの道のりを思うと、実に感無量でした。

というのも、20年前、初めて現地へ営業に赴き、「私たちは日本の太鼓で、世界のエンターテインメントを背負っていくような作品を上演したい」と、ある方に持ちかけたところ、あっさり「無理でしょう」と言われてしまったのです。「なんで無理なのか」と問い返すと、「日本人だから無理だ」と。「日本人の何が無理なんですか」と食い下がると、「世界のエンターテインメントを背負っていくということは、それだけ洗練された芸術性も必要だ。圧倒的な表現力や色気が備わっていないとダメなんだ」と言われました。「しかし日本人はちょっとシャイなので、表現力が劣る」と。

その挙句に「とりあえず、ブロードウェイのホールで公演を1回だけ行い、無料でお客さんをたくさん呼べばいい。それで帰国したら“ブロードウェイで成功した”と宣伝すれば、それでいいんじゃないか」と言われたんです。相手が日本のエンターテイメントの本質をそこそこ知っている方だっただけに、そう言われたのがとても悔しかった。「どうにかしてブロードウェイで本当の成功を掴み取りたいんです」と伝えたところ、「それならまず実績を作るしかない」と言う。「どう実績を作るのか」と尋ねると、「世界ツアーで認められることだ」と。

「君らは、英国スコットランド・エジンバラで行われている“フリンジ”という世界最大の演劇フェスティバルを知っているか」と訊かれました。実は知らなかったんですね、その時。そうしたら「なんだ、そんなことも知らないのか」と言われ、「まずはエジンバラに行きなさい」と。それで、エジンバラの演劇祭に参加して、たちまち評判をとることができました。これで世界に広がるきっかけを作ることができたのですが、それでもなお、ブロードウェイのプロデューサーたちは「難しい」と言うのです。

それで、今度は2010年から北米ツアーを行ない、約80ケ所もの都市を巡りました。20万枚近くのを売りました。その当時、バンクーバー・オリンピック関連事業の日本代表アーティストとしての招聘も受け、現地新聞でとても高い評価をいただきました。そういうこともあって、我々は2012年と2014年にも、全米ツアーを行なうことができました。

そして2016年は、カナダからスタートした北米ツアーがあり、その中の1週間、ついにニューヨークで公演を打てることになりました。そこで現地の方に相談したところ、「ニューヨークでは、これだけのことをすればが売れますよ」という宣伝のアドバイスをいただいたので、それを実行しました。

まず、NY1(ニュー・ヨーク・ワン)という約650万人が視聴しているというケーブルテレビ局で1日20回ほどCMを流しました。また、現地タクシー(イエローキャブ)の車内でもCMを88万5千回流しました。タクシーの乗客は誰もが「TAO」のCMを観れる状況になったのです。さらに、ニューヨークでも大人気の博多ラーメン「一風堂」で、壁一面に「TAO」のイメージポスターを貼ってもらいました。メディア関係者たちに「ラーメンをご馳走したら、公演を観に来てくれますか」なんて声をかけたら、みんな「行きます」と言ってくれました。しかし実際に「一風堂」に来た人は、たった2人だけでした。結局、広告に大金をかけたにも関わらず、初日2日前までに前売は3割も売れませんでした。「これがニューヨークの現実か」というくらい当初は本当に厳しかったんです。

そうした中、全米ネットワークのCBSから突然テレビ出演の依頼があったのです。全米視聴率NO.1と言われる、スティーヴン・コルベアが司会を務める夜中の番組『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』です。公演初日の前日にオンエアされることになり、それが奇跡のサヨナラ満塁ホームランをもたらしたのです。番組のいちばん最後の方で5分間のパフォーマンスがオンエアされると、そこから翌朝の5時までに、なんと2000枚ものが動いたのです。そして最終的には約4000枚が売れました。もともとニューヨーカーの方たちには、和太鼓=ジャパニーズ・ドラムといえば、褌を締めて鉢巻きをして大汗かいて延々と打ち続ける、年配の方しか見ない芸能…というイメージが先入観としてあったようです。しかしテレビ出演によって、そのイメージを一気に覆すことができたんです。

「DRUM TAO」藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)

「DRUM TAO」藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)

西: 世界のトップ・エンターテイナーが集まるブロードウェイでの公演ですから、観る人たちの目も厳しく、自分たちがどれだけ受け入れてもらえるのか、どれだけ楽しんでもらえるのか、どれだけ深く感じてもらえるのか、日本よりさらに上を目指して表現していかなければならない、との思いで、すごく気合いが入っていました。当初は、どれだけ宣伝しても人が集まらない。しかし、テレビ出演の効果で、初日にたくさんの方々が観にきてくださった。その一発目でしっかりニューヨークのお客様の心を掴んで、そこから一週間続く公演の中で、さらにどれだけお客さんを増やしていけるか…。そんな気持ちを常に抱きながら、懸命に演奏していましたね。そして、その成果は充分に出し尽くせたと思ってます。

――そんなブロードウェイ公演の成功を受けて行われる次の新作ですが、「ハチャメチャに楽しい!」というキャッチコピーが気になります。どういった構想をお持ちですか。

藤高: 昨年の『百花繚乱 日本ドラム絵巻』は宮本亜門さんに演出していただきました。衣装はこれまでもずっと手掛けていただいているコシノジュンコさんに、舞台美術は2004年に(宮本亜門さん演出の)『太平洋序曲』でト二ー賞にノミネートされた松井るみさんに、それぞれお願いしました。おかげさまで日本ではこれ以上のチームはないというくらい素晴らしいスタッフの布陣が実現しました。作品も、ストーリー性が重視された、何度も涙が溢れてくるほどの感動的な仕上がりとなりました。

しかし今回の『DRUM TAO 舞響~Bukyo~踊る○(WA)太鼓』では、作品の「重さ」をちょっととっぱらって、ハチャメチャに面白いもの作りたいという思いがありました。太鼓で面白くするとか、EXILEのダンスのようにメチャクチャ華やかで楽しくするっていうものをやりたかったんです。今回は踊って響く、「舞響」というコンセプトになっています。ストーリーは作らずに、我々で自由に面白さを表現、「和太鼓でこんな表現もできるの?」「よくぞこんなことを考えました!」というくらいのアイディアを出してます。そして、何よりもブロードウェイを経験したことによって、進化を実感していただけるような舞台をZeppブルーシアター六本木でお見せすることができるでしょう。

岸野: 「TAO」は創立以来23年が経っていますが、僕は「TAO」に参加してから15年経ちます。和太鼓の魅力をどうしたら皆さんにかっこよくお届けできるのかと、年中無休で一所懸命に考えて活動してきましたが、一般の皆さんには必ずしも浸透されていないのが現状です。でも、ニューヨークでの成功を踏まえて、ますます皆さんに知っていただけるよう、よりいっそう奮起してまいります。

「DRUM TAO」岸野 央明 (撮影=こむらさき)

「DRUM TAO」岸野 央明 (撮影=こむらさき)

――たとえば2020年の東京オリンピックの関連事業などを意識すると、今やっている様々な活動とともに、もうひとつ、後進の人たちをどう育てていくか、ということも重要な課題になってくると思うのですが、その辺りはどうお考えですか。

藤高: それはずっと課題でした。日本には和太鼓を教えてくれる学校が無いのです。和太鼓奏者たちは、それぞれの地域でそれぞれ独自のやり方で和太鼓を学ぶしかなかった。しかし、そこはやはり、きちんとプロが教える教育環境を日本の中に整備すべきだと考え、昨年「TAO文化振興財団」という一般財団法人を作りました。その財団は、大分県竹田市に「TAO」の芸術村を作り、そこに学校を設置して、太鼓を学ぼうとする人たちに全国から来ていただく、という構想を実現させるための組織なのです。そこに集まった学生たちは、昼間は働きながら、夜間に学校で学ぶ。竹田市というのは人口3万人にも満たない小さな町なのですが、そこに芸術学校の構想を立ち上げることによって、かなり沢山の人々が流入するようになり、地域創生にもつながってゆくと思います。毎年若い人たちが100名くらい「TAO」に入りたくて門戸を叩いてくれますが、現在の我々には毎年10人までしか採用することができません。残りの90人の中には、また翌年にチャレンジしてくださる人も少なくありません。毎年チャレンジして、合格までに3年も4年もかかる人だっています。また、せっかくの意欲が失われて途中で挫折してしまう人も少なくありません。そんなこともあって、今回の構想を立ち上げたのです。

岸野: 僕の場合、生まれ育った町に、たまたま古くから続く太鼓のチームがあったので、ある時期までそこで太鼓を叩くことができました。しかし、みんながみんな、そういう環境が必ずしも身近にあるわけではないので、芸術学校の構想は非常に有意義だと思います。

西: 私は「TAO」を見たことがきっかけで和太鼓を始めたんです。和太鼓があるとか、プロの奏者がいるとか、全然知りませんでした。たまたま知り合いに誘われて「TAO」のショーを見に行って「わっ」と衝撃を受けたのです。その頃、ちょうど学校や保育園で和太鼓が流行っていた時期で、私も太鼓を始めた当初は保育園の先生に教えてもらっていました。

「DRUM TAO」西 亜里沙 (撮影=こむらさき)

「DRUM TAO」西 亜里沙 (撮影=こむらさき)

――専門的に教えてもらえる環境はないのですか?

岸野: 太鼓をやっている人は皆さん真剣にやってはいらっしゃるのですが、なにしろ統一のマニュアルというものがないですからね。「TAO」に入ってくる新人にも、一から全部教え直さないといけない。本来ならば、うちに入る前からマニュアルに沿って、基礎をしっかり体得して来てくれれば、もっとスムースに人材が育っていくのになあと、いつも思っているのです。

――様々な企画を展開していく中で、ご自身の中で絶対にブレない点があるとしたらそれは何だと思いますか?

岸野: 「TAO」には色んな楽器があって、それらを担当することも多いのですが、根本的には自分は「太鼓打ち」である、という自覚を持ち続けています。それによって、色んなことをやっても中途半端にはならないようにしてきました。様々なアイデアで面白いシーンを作るにしても、高い演奏クォリティが「芯」として据えられていればこそ、という気持ちがあります。

西: 私は「とにかくかっこいい舞台を作りたい」ということですかね。観に来てくださる皆さんが憧れるような。そういったところは常にブレてないですね。何をするにしても。

藤高: ブレてはいけないところは、まず僕らが「太鼓打ち」であるということ。それも「日本の太鼓」ですね。日本人が日本の楽器を使って作った最新のエンターテインメントをやっていればこそ、それが評価された時に「お前らはTHE・JAPANだな」って言ってもらえる。僕らのやってることは、オペラにも負けないし、シルク・ドゥ・ソレイユにも負けないと、胸を張って言えます。世界中の人が度肝を抜く表現だと思ってる。もちろんそのために、ものすごいトレーニングをしますけどね。けっしてチャラチャラはしてない。それでいて、舞台ではそれを微塵も感じさせないようにすることが大事なんです。「修行僧みたいな共同生活していて大変なんでしょう」なんて、けっして思われないようにする。それこそが世界に通用する洗練されたセンスなんだと思いますね。

「DRUM TAO」(左から)岸野 央明・西 亜里沙・藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)

「DRUM TAO」(左から)岸野 央明・西 亜里沙・藤高 郁夫 (撮影=こむらさき)


取材・文:こむらさき
 
公演情報
「DRUM TAO 舞響~Bukyo~踊る○(WA)太鼓」
■日程:2016年7月15日(金)~7月24日(日)
会場:Zeppブルーシアター六本木
     ほか、全国各地で公演あり。

■お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337
公式HP:http://www.drum-tao.com/main/
 
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