青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.1 綾門優季(青年団リンク キュイ)評論編

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綾門優季(青年団リンク キュイ)

綾門優季(青年団リンク キュイ)

最近10年ほどの日本の現代演劇の新たな動きはほとんどが平田オリザの率いる「青年団」から出ている。こんな風に言い切ってしまうと「そうじゃない」と異を唱える人は必ず出てくるだろう。しかし、例えば次の数字はどのように見ればいいだろうか。2008年から15年までの8年間で新人劇作家の登竜門とされる岸田戯曲賞を12人の作家が受賞したが、このうち前田司郎(2008)、柴幸男(2010)、松井周(2011)、岩井秀人(2013)と4人の受賞者を劇団関係者から輩出した。野球に例えるのはいささかふさわしくはないかもしれないが、堂々たる3割打者だ。

これまでもひとつの劇団が複数の劇作家を生み出した例はあったが、多くの場合複数の書き手がいる時期はあっても過渡的なもの。しばらくすると劇団の分裂あるいは後から出てきた書き手が自分の集団を設立し、独立するまでの過渡的な形態だった。現在の「青年団」のようにいわば孵化器として新たな劇作家・演出家を生み出すためのシステムを持っているところはなかった。

青年団は前田、柴、松井、岩井らの下の世代にも数多くの俊才を抱えている。そのなかにはかなりのキャリアを持つ中堅作家からポストゼロ年代以降の新鋭までがおり、次世代の才能がしのぎを削っている。日本でもっとも刺激的な演劇空間である青年団で今いったいどんな動きが起こっているのか。今後何度かの連載を通じてその最前線の姿を紹介していきたい。

青年団周辺で次の世代を担うアンファンテリブルとして驚くべき才能の出現を感じさせたのが綾門優季(青年団リンク キュイ)だった。演劇批評サイトWLの「アンケート企画-2015年の3本」」で「汗と涙の結晶を破壊」をベスト1に選んだがその作風は才気に満ちている。

綾門は昨年、無隣館若手自主企画 vol.5 ショーケース企画 3 youths on the sandで上演した「不眠普及」でせんだい短編戯曲賞大賞を受賞。13年にも「止まらない子供たちが轢かれてゆく」で同戯曲賞を受賞しており異例の2回目の受賞となった。残念ながら今回の岸田戯曲賞では最終候補には残らなかったが、15年は平田オリザが「東京ノート」で岸田戯曲賞を受賞してから20年、岡田利規が「三月の5日間」で同賞を受賞してから10年となる年で、新たな才能が必ずしも周期的に登場する根拠はないが、実は私は綾門をひそかに「この次の最有力候補」と睨んでいる。

現在のところ最新作となっている「汗と涙の結晶を破壊」はアートコンペの授賞式の場面から始まる。「才能という言葉が嫌い。誰も幸せにしないと思う。能力とか、努力とか、そういうものがあるのはわかる。才能ってなんなの。才能の一言で片付けないで。いままでの歴史を覆すような天賦の才はあらかじめ備わっているなんて軽々しく言わないで。覆してないから。学んできてるから、ちゃんと。これまでの血の滲むような努力の末の蓄積をなかったことにしないで。いままでの歴史を把握したうえであえてやってるから。わたしが今回発表した作品は、30年ぐらい前に一回ブームになりかけたけど結局廃れた潮流で、いまどきやっている人なんてどこにもいないからそこに現代風のアレンジをちょっと加えてパッと見新しい感じに整えて、このコンクールの審査員の好みを思えばそこそこいいところまでいくとは読んでいたのだけれど、そこまで考えて結局3位。想像通りかよ! 超えてきてくれよ現実! そしてそこまで考えながら1位を取れないわたしの才能に心底がっかりだよ! がっかり! 」と独白する主人公が登場。綾門は「才能」という言葉に代表される芸術の神話性を冷酷に解体してみせる。青年団で先輩格にあたる柴幸男は岸田戯曲賞を受賞した「わが星」で物語の流れではなく作中で使われるラップ音楽の構造と作品世界の構造を相互に呼応するように戯曲を組み立て、それまでにまったく前例がないような構成で驚かせたが、綾門の作劇手法もその延長線上にある。

「汗と涙の結晶を破壊」の登場人物は4つの方位に象徴される東、西、南、北と中心を示す中(あたる)の5人のアーティストだ。その周囲にさらに何人かの人物が配置されるが、すべての人物が東西南北中を演じる5人の俳優によって演じられる。中はコンペでグランプリを受賞する「天才芸術家」、南はそれに匹敵する才能の持ち主でコンペで2位入選するが審査委員長である中の父親と対立して、賞を辞退してしまう破滅型の芸術家である。さらにコンペには入賞できないが後にエッセイストとして別の才能を開花させる西、自分の才能のなさに絶望して自殺する北。主役格の東。東は冒頭にも書いたように海外留学の権利が獲得できる2位以内入賞を狙って作品創作しコンペに応募するが、結局とどかない3位となったことを嘆くが南の棄権により、2位の座を手中に収める。

この5人を作者は「キャラ」として構築し、作品上に駒のように配置してみせる。その置き方は伝統的に演劇表現が造形してきた人間のリアリティーを感じさせるものではない。むしろゲームやアニメ・漫画のキャラに近いものといっていいかもしれない。それが綾門の作劇の特徴である。東にとっては芸術作品を創作する行為は特定のルール(レギュレーション)のもとでゲームを勝ち抜くのとほぼ同義だ。それが1人称の独白で語られるが、この作品が面白いのはそこで語られる内容自体が自己言及的でこの「汗と涙の結晶を破壊」という作品も同様の創作的アプローチによって設計され、作られたものではないのかと感じさせるところである。

さらに興味深いのはこの登場人物のうち「一番自分に近いのは誰か」というアフタートークの質問に対し凡庸な作家なら主人公的な視座にある東と答えるだろうところを綾門は「作中で天才とされている中か自殺してしまう北のどちらか」と答えていることだ。自分の才能に絶望して自殺する北はともかく、作中で天才とされている人物を「自分に近い」と言い切るのはちょっとぶっとんだ感覚を持った人だなと考えざるえないのだが、時として見えるそんな大胆さなのか危うさなのか分らない身ぶりにも異能ぶりを感じざるをえない。

もうひとつ注目したいのは綾門が劇作の傍らで、東浩紀と佐々木敦が主宰する「批評再成塾」にも参加している批評家の卵でもあり、これまでも同世代の批評家仲間と一緒に同人誌に批評を書いたり、創作と並行して批評活動も行ってきたことだ。宮沢章夫が一時演劇批評を手掛け、現在もサブカル論などを書いている例はあるが、演劇では批評活動と創作活動を同時に手掛けることはある種のタブーとなっているのか珍しい。綾門の場合は一種の芸術論でもあった「汗と涙の結晶を破壊」のように批評的な視座が作品に組み込まれているし、先に挙げた「批評再生塾」では演劇の戯曲とも見なしうる作品を課題評論として提出した*2こともあり、この2つはどこか深いところでリンケージ(連関)しているのかもしれない。

小説のジャンルでは筒井康隆の「文学部唯野教授」のような作品が生まれた例もあるが、こうした独自のアプローチが今後どんな作品を生み出すのか。今後が期待される作家なのである。

⇒ インタビュー編はコチラ

公演情報
青年団リンク キュイ

<東京>
『止まらない子供たちが轢かれてゆく』『不眠普及』
■日時:6/24(金)~ 7/2(土)
■会場:アトリエ春風舎

<京都>
『止まらない子供たちが轢かれてゆく』『不眠普及』
■日時: 7/7(木) ~ 7/10(日)
■会場:京都アトリエ劇研

<宮城>
『不眠普及』
■日時: 7/15(金)~ 7/18(月)
■会場:能-BOX
『止まらない子供たちが轢かれてゆく』
■日時: 7/21(木)~ 7/24(日)
■会場:せんだい演劇工房10-BOX box-1

■脚本:綾門優季(青年団/キュイ)
■演出:得地弘基(お布団/東京デスロック)
■出演: 石松太一(青年団)、串尾一輝(青年団)、コウダケンタロヲ(白昼夢)、坂倉花奈(青年団)、鶴田理紗(白昼夢)、新田佑梨(ホロロッカ)

■公式サイト:http://cuicuicuicuicui.jimdo.com/​
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