Rhythmic Toy Worldに訊く ギャップに次ぐギャップで見るものを惹きつけるバンドが新作で目指したもの
Rhythmic Toy World Photo by Taiyo Kazama
パッと見たら「あ、これはちょっとおっかない人たちかな」と思われても不思議ではない風貌。でも曲を聴くとソリッドでグッドメロディのギターロック。で、ライブに行ってみたらとんでもない熱量のフィジカルなステージ。そんなギャップに次ぐギャップでシーンを席巻中のバンドがRhythmic Toy Worldだ。SPICEでは初インタビューとなった今回、7月6日にリリースされる新アルバム『「HEY!」』の話題を中心に、結成当初のエピソードからバンドが大切にしていること、初の赤坂BLITZを含むリリースツアー、その先まで、バンドの実像にたっぷりと迫った。
――初のインタビュー登場ですので、バンドの成り立ちから簡単に振り返っていきたいんですけども。
須藤:最初は個々にバンドをやっていて、大学のときに僕が集めたんです。内田は大学の同級生で、ギターの岸が幼稚園からの幼馴染で、今のドラムの磯村が内田のバイト先の先輩で。
岸:元々は須藤と地元で遊びみたいにやっていて、ライブも2回くらいしかしてなくて、友達の延長線上みたいにバンドやってました。
内田:僕は東京で音楽やりたいっていう理由で、地元の友達と一緒に上京して大学に入って一緒にバンドやっていたんですけど、まぁ上手くいかなくて。一人で弾き語りみたいな感じでライブハウスやクラブに出たりっていう活動をしてたんですね。そんなときに須藤くんから「一緒にバンドやらないか」と声をかけられて、ちょうどレーベルみたいなところから「CDを作らないか」っていう話をもらってたから結構悩んだんですけど、須藤くんがきっちゃん(岸)が作った曲を「一回で良いから聴いてくれ」と。それを聴いたら、僕がすごくやりたいようなバンド像の音楽だったので、僕はきっちゃんとやりたい、でもきっちゃんと一緒にやるためには仲介してくれた須藤くんともやらないといけない、みたいな(笑)。
須藤:コーディネーター的な、ね。
内田:そこでまずはきっちゃんに会わせてくれって頼んだところからですね、はじまりは。
――内田さんを誘おうと思ったのは、やっぱり歌がうまかったから?
須藤:そうなんですよ。大学入って一番最初に仲良くなった友達だったんですけど、カラオケに行ったときにすごく歌声がよくて、この声だ!って。当時内田が作ってたデモもすげぇよくて。僕はバンドで勝負したかったんで、やっぱり大事なのは声だと、声が良くないと上に行けないと思ってたから、“こいつしかいない!”ってラブコールを送り続けて、断られ続け(笑)。やっと岸の音源で……
岸:食いついた(笑)。
――内田さんがソロでやっていた音楽っていわゆるバンドものではないですよね?
内田:シンガーソングライターというか、(今より)もっともっといわゆるJ-POP然としてて。そっちの活動もあったから心が揺れてたんですよ。須藤くんの度重なる誘いも、(ソロ活動を)振りきれるほどの重みがなくて。だって、どうなるか分からないものとCD出さないかって言われてる方だったら、CDの話の方がまだ望みがあるじゃないですか。
――当然そうなりますね。
内田:ですよね。カラオケ行って「お前の歌良いなぁ」って言われたその……軽さ?(一同笑) しかも大学も3~4年のときだったので、結構人生のこう、岐路に立ってたし、ちょっと決定打に欠けるなぁと思ってたんですけど、そこに決定打があったんですよ。(岸の曲を聴いて)「うわ、やっぱり俺ももう一回バンドやりてえ」って思えて。
――磯村さんはその後に加入ですよね。
内田:ライブをやり始めて1~2本ライブをしたくらいで当時のドラムが「抜けたい」ということになって。結構技巧派だったんですよね、インストとか好きな人で。僕らの向かって行く先としてポップさとかキャッチーさを狙いたかったので、その人からしても僕らのやりたい方向を邪魔したくないということになり……っていう話をサイゼリアでしてたんですけど(笑)。二人(須藤と岸)はすごい意気消沈しちゃってて、僕はサイゼリヤのテーブルの下で磯村にメールを送って「いまドラムが抜けるって言ってるんで入ってくれないすか?」みたいな。(磯村は)当時別のインディーズレーベルに入ってたから、サポートで良いので!って言ったら「今日の俺のバンドも解散決まったから」と返ってきたんです。
――すごいですね……!
磯村:そう。まさにその日に当時所属してたバンドのボーカルから「バンド続けていけなくなりそう」っていう連絡が来て、ボーカルが抜けるならもう解散しようっていう話をして、バイトの休憩に入ったんですよ。そしたら携帯が鳴って。内田に「サポートで」って言われたから「サポートじゃなくてメンバーで入れてくれないですか」って返したんです。
内田:店を出て帰りながら「どうする?」みたいな感じのところ、「あ、もう大丈夫。ドラム決まったから!」(一同笑)。
須藤:忘れもしない、新宿西口の信号で。
内田:そこからですね。加速っていうか、バンド活動のルーティンとか、やるべきこと、足りないことをちゃんと見つめられるようになったのは。
――現体制になって、「こういう音楽を目指そう」っていうものが固まって。
内田:そうですね。でも最初はちょっと違ったというか、バンド自体もちょっと斜に構えてて。
磯村:インストっぽい楽曲にキャッチーなメロを載っけて、みたいな。
内田:そういうポストロック的なものを目指してて、それはそれでカッコ良いと思ってやってたんですけど、あるタイミングで「もっとポップな曲を書いてみなよ」みたいなことを当時のライブハウスの人だったか、業界の人だったかに言われて。すげえカチンときて(笑)。「君らの曲は全然よく分かんないんだよ」「自分らの中で解決してるから伝わらないんだよ」みたいな。
――ああ〜。
内田:「マジか!」ってなって、じゃあそんだけ言うんだったら一曲作ってやろうぜみたいな感じで、作ってみたらその曲がライブで人気出ちゃって(笑)、お客さんも増えてっていう。それが「さなぎ」っていう曲で、まだ流通もかける前だったんですけど、あの曲がキッカケになって10人以上の予約が入るようになったりとか、そういう動きが一曲作ったことで見えてきて。バンドを長くやるためにはこういう曲も大事なのかな?っていうところから、だんだんこういう曲をやるのが楽しい、みたいな感覚になっていって、作る曲も変わっていきましたね。今となっては聴く人の背中を押すような応援的要素がすごく濃くなってるっていう。
――結果的にはすごく良かったですよね。
内田:良かったんですよねぇ、本当に。言われた時は本当に嫌だったんですけど(笑)、良いキッカケをくださったなぁって。あのとき悔しいながらもそれを糧に曲を作って良かったなって。ターニングポイントだったと思います。
――その変化がまずライブの動員という形で返ってきたわけですけど、それ以降もリズミックは活動の軸足をライブに置いているバンドですよね。
内田:もう、とことんライブバンドであろうっていう意識ですね。当時僕らがやっていたライブハウスが、結構パンクとかが多い場所で。
須藤:青春パンクみたいな。
内田:ね。でも僕らはギターロックみたいなことをやっていたので、パンク5バンドと僕ら1バンドみたいな対バンも結構ありました。でもなんかイヤじゃなかったし、カッコ良いなと思って。あの削ってる感じというか生な感じ。そういう要素を自分たちにも活かしたい、それがライブだなって思ったんです。だから今でもそういう雰囲気を感じてくれる人もいるみたいで。「パンクみたいだね」って。
――実際ライブでは特に感じますよ。
岸:昔はお客さんの顔を一回も見ないで終わったこともありましたね、ずっと下向いてて。
磯村:あったなぁ。
――それは初期?
岸:初期ですね。当時はそれがカッコ良いと思ってて。今思うと……バカっていうか(一同笑)。
内田:もったいないことしたなって思いますね。こんなに良い顔をして観てくれてる人たちを。自分たちが演奏することで泣いてくれたり笑ってくれたりする顔を、今はなるべく一人残らず見逃したくない、みたいな感覚ですから。あのときはそんなことは考えられてなくて、自分たちだけでライブやってたんだろうなっていう。そういう意味でもパンクのライブから得たものは大きかったと思いますね。自分たちっていろんなギャップのあるバンドだと思うんですよ。見た目と音楽性然り、楽曲とライブもしかり。
――そうですね。
内田:だからあまりカテゴライズされないというか。“こういう曲をやってるバンドのライブってこうだよね”っていうのをまず裏切りたいし、見た目でも裏切ってるし。でもそれが面白いじゃないですか。コイツらなんなんだろう?次は何やってくるんだろう?みたいなワクワク感を届けたいです。それが一番最前線で受け入れられるのはやっぱりライブなので、そこは完全にコアな部分ですね。
Rhythmic Toy World Photo by Taiyo Kazama
――そのスタンスは今回の新作『「HEY!」』にも存分に生きてるんじゃないでしょうか。
内田:そうですね。もう、ありったけを。
磯村:よりライブに寄せた意識はあります。
――みんなで歌うとか合いの手を入れることを想定したような曲が多いですし、ポップに開かれてもいます。
内田:まず、フルアルバムとしては今回2枚目で、ファーストはカッコ良さを追求したんですよね。自分たちのポテンシャルとか、こういうこともできるんだぜ?みたいな部分をアピールする狙いがあったんですけど、自分たちのお客さんがRhythmic Toy Worldというバンドに求めているものは、そこよりも『「HEY!」』だったっていう。
岸:ライブをやっていく中で、もっとこういう曲が欲しいなっていうものがどんどん出てきて。
内田:そうそうそう。ライブ中に「ここでこういう曲があればなぁ」みたいな瞬間が多かったから、その足りない曲を13曲集めたら『「HEY!」』が出来た。だからよりライブをそのままパッケージした感じというか、聴いていてもそのままライブが想像できるCDになってると思います。僕らの中でも今までで一番完成した後聴いてるアルバムで。レコーディング中に何百回も聴いてるのに、新鮮な気持ちで聴けてるんですよね。だから自信にもなりました。
――サウンド面の幅も広がったと思うんですが、そのあたりの工夫はどうでしたか?
内田:プロデューサーの方にヒントをもらうことも多かったんですけど……今までの自分の音楽性は、洋楽のUSの方をあまり通ってなくて。それを随所に差し込んでもらったというか、種を埋めてもらってそれを自分なりに解釈して「カッコ良いな」っていう部分を蓄積していって、そのニュアンスを足して作ってました。だからサウンドの幅に関しては、もう一人のメンバーとも言えるプロデューサーが、外から客観的に見て投げかけてくれた要素を、自分たちに噛み砕いてアレンジして出せたという気がします。
岸:そうだね。
内田:あとは体が慣れていってるというか。そこが一番大きいと思います。「こういう曲やってみよう」っていきなり言われても抵抗感があったりするんですけど、それを日々の中で「こういう曲カッコ良いよ」って教わっていると、自分たちもプライベートで聴くようになったりして、その音楽性が自分たちの体に馴染むという。これを作っているときも「この曲カッコ良いですね」って言ったら「その曲、2年前くらいに聴かせたら全然よくないって言ってたやつだよ」とか言われて、“え?”って。
須藤:そうそうそう! そのパターンよくあるよね。
岸:今聴いたらめちゃめちゃカッコ良いっていうやつ。
――一般のリスナーでもそういうことはありますもんね。
内田:確かにそうですよね! だから、2年もかけて、僕らの楽曲性が凝り固まらないようにプレゼンしてもらえたんだなって。……多分辛い思いをされたんじゃないかと(一同笑)。そういう存在があって、これだけ開けた、爽快な感じでやれてるんだと思います。
――今作を語る上で大きな要素として、収録曲の中にCMのタイアップがあった「輝きだす」が入ってます。
内田:ああいう“ザ・タイアップ”みたいな作り方は初めてでしたね。あの曲は僕たちにとって第2のターニングポイントで、あの曲があったから『「HEY!」』の楽曲たちに踏み込めたっていう。最近の中では相当大きい、バンド観を変えたくらいの曲です。
――タイアップが付くよっていうことがまず決まると、制約も生まれるじゃないですか。サビはこのくらいの尺で……とか。その制約下での曲作りはいかがでしたか。
須藤:それが……楽しかったんですよ。
磯村:めちゃめちゃ楽しかったですね。◯秒で盛り上がって~とか指示があったら、まずメロディをもらったときに「◯秒で盛り上がるにはこのテンポじゃなきゃいけない」っていうことを、すごく数学的に考えたりして。
内田:ホワイトボードに歌詞を書いて、一回秒数を数えて、このBPMだとここが6秒で、それだと微妙だからあと(BPMを)2くらい上げる?とか、わりとゲーム感覚で。
磯村:確かに。パズルを組み合わせていくような。
内田:初めてそういう作り方をしたので、本当にすげえワクワクしたというか。「こういう作り方もあったんだ!」みたいな。だから、「縛りがあるとキツくないですか?」ってよく言われるんですけど、俺らは「超楽しいよね」って。この曲を作ってた時はチーム間での空気も特に良かったですよ。みんなヤンチャだったというか。
須藤:ははは(笑)。
磯村:秒数が決まってたので、その何秒間かだけだったら何パターンも作ってみようってなったんですよ。入りのドラムとかも、プロデューサーからのアドバイスを全部試して。その上でみんなで聴いてみて。
内田:CMで流れるのはサビだけだったから、そのサビの30秒に3分半の想いを込めるというか。
岸:確かに濃度は高かったね。