「リアル脱出ゲームと観客参加型演劇」 ~OM-2, PortB, 冨士山アネット~ by 大塚正美 [チケットプレゼント企画] 【特別企画:観客参加型演劇】
●観客が他の観客を観察する演劇
『架空の花』の半年後、1990年に開催されたのが『B-DAMAGE』。僕は、さらなる驚きを求めて、田端の倉庫街にあった黄色舞伎團2の本拠地、die pratzeに赴いた。
僕たち参加者は数人ずつのグループで入場する。中は『架空の花』のような暗く狭い迷路。そこには、いろんな種類の衣装に身を包んだ役者がいて、そのパフォーマンスを見ながらスタッフの誘導によって歩く。
しばらく進むと、狭い小さな部屋に着いた。と、おもむろに壁が上昇し、客席が四方に現れる。コロシアム型の客席の中心に置かれた箱の中に自分たちがいたのだと、ここで初めて気付く。客席には、既に先客がいて、僕たちは客席に座るよう則される。そして皆、次にやってくるグループが箱から出て戸惑う姿を、四方の客席から鑑賞するわけだ。何という仕掛け!
客入れが終わると、コロシアムの上方から次々に役者が登場し、しばしのパフォーマンス。その後役者は消え、以降、観客は女性のアナウンスの指示に従って行動する。2つの座席番号を告げ、観客に座席交換を要求したり、客に上半身の服を脱ぐように指示して、記念撮影をしたり。さらには、カレーライスの皿を持った役者がやって来て、1人の客に皿を手渡したり。これら一連の行為を、観客はじっと見守る。
黄色舞伎團2『B-DAMAGE』
僕は他の客がいじられているのを楽しみながら、いつ自分が指名されるかと怖がっていた。この空間では、観るのも観られるのも観客だ。
しばらく客いじりが続くと、突如ヒーリング音楽が流れ、照明が落ちていく。そして、今までよりもゆっくりとしたアナウンスで、目をつぶり、子供のころを回想せよ、母親の顔を思い出せなどと、会場全体への指示が出る。当時流行していた自己啓発セミナーのように。
回想タイムがしばらく続いた後、指示に従って目を開けると、僕を見つめている女優が目の前にいた。これが黄色舞伎團2の特徴だった「視線のシーン」。僕も彼女を見つめ返した。周りでも大勢の役者が観客と目を合わせている。数十分経つと、妙な感動を覚え始める。
ぼんやりとしていると突然、彼女はおもむろに僕にキスをしてきた。驚いたが、僕はそれまで長い時間視線を合わせてきた彼女のことが愛おしく感じ、その時間を過ごした。そのせいか、どうやって舞台が終わったのか、全く覚えていない……。ただ、「観客が観客を見る」「役者と一対一で見つめ合う」この異常な体験に興奮していたと思う。
●観客が想像するだけの架空公演
黄色舞伎團2でもう1つ忘れられないのは、同じく1990年開催の『ゴドーを待ちつかれて』という公演。
郵送された案内ハガキを見て、すぐに予約するために電話をかけたのだが、既に完売。当日のキャンセル待ちは受け付けるというので、どうしても観たかった僕は公演初日に会場のdie pratzeに足を運んだ。しかしキャンセルはなく、帰される。しつこく次の日も行ってみたが、キャンセルは発生しない。僕はもうこの公演を観ることをあきらめた。
ほどなくして、雑誌『演劇ぶっく』にて、『ゴドーを待ちつかれて』のレビュー記事を見かけた。そこにはこんなことが書いてあった。
「会場に出向くと観客たちは目隠しをされバスに乗せられる。途中、記念撮影をされ、錠剤を飲まされる。そして見知らぬ倉庫に降ろされ、放し飼いにされた鳥の中に置かれノイズを聴かされたり、パフォーマンスやビデオを観せられる」
これは体験したかった……と相当悔やんだ。
それから20年後の2010年。主宰の真壁茂夫さんの著書『「核」からの視点』が出版された。読むと、件の『ゴドーを待ちつかれて』についての記述があった。そこで僕は目玉が飛び出る。
「架空の公演『ゴドーを待ちつかれて』……実際の公演は行わずに、噂だけが広がるという情報を操ろうと考えたもの。雑誌などの編集者や批評家なども参加し、年間ベスト10などに選出されるが、誰も見ていない。実際には公演を行っていないことを参加者以外、誰も知らない」
何と、『ゴドーを待ちつかれて』は「架空の公演」だったのだ! 僕は20年越しで騙された。ただ、これだけ時間が経つと、悔しいというより「お見事でした」という他ない。この公演は、「ネットがなかった時代だからこそ成立した観客参加型演劇」ということになるだろうか。