第15回AAF戯曲賞受賞作『みちゆき』が名古屋で上演
『みちゆき』チラシビジュアル photo:Hisaki Matsumoto
新進作家・松原俊太郎の戯曲を、三浦基が映像を駆使した大胆演出で魅せる!
「受賞作の上演」を前提とした戯曲賞として、愛知県文化振興事業団が2000年から開催している〈AAF戯曲賞〉。昨年、15回目を迎えるにあたって「戯曲とは何か?」という原点に立ち返り、篠田千明(演出家、作家)、鳴海康平(第七劇場代表、演出家)、羊屋白玉(指輪ホテル芸術監督、劇作家、演出家、俳優)、三浦基(演出家、地点代表)を新たに審査員として迎え、リニューアルした。その新生〈AAF戯曲賞〉で大賞を受賞した松原俊太郎の『みちゆき』が、三浦基演出で地点の役者により9月9日(金)から「愛知県芸術劇場小ホール」で上演される。
全114作品の中から、第1次・第2次審査、そして昨年末に行われた最終の公開審査会(審査の様子はこちらの記事http://spice.eplus.jp/articles/28978を参照)を突破した『みちゆき』は、作者・松原俊太郎の処女戯曲である。これまでひたすら小説を書き続けてきた彼は、昨年の受賞作『茨姫』の上演(三浦基が演出)を観て奮起、「受賞すれば作品が上演される!」と初の戯曲執筆に挑み、いきなり大賞を手にしたというわけだ。
その経歴同様に作風も特異で、雄弁なダイアローグを軸に構成される『みちゆき』に登場するのは、声、音、浮浪者、屍体、蝿…と、実に謎めいている。作者は「一言で言うなら共同体の話です」と述べているが、一読しただけで内容を把握するのは困難な戯曲といえる。それゆえに公開審査会でもさまざまな見解や解釈が飛び出し、熱い議論が交わされたのだが、審査から引き続き演出も担当する三浦は、下記のインタビューでも、あらゆる角度からその特色や魅力について語った。
── 三浦さんは、公開審査会の時に本作を推薦された理由として、「筆力が高い」ということと「圧倒的にダイアローグをしようとしている」ということを主に挙げられていますが、稽古に入られてから改めて感じた戯曲の魅力や気づいた点などはありますでしょうか。
何か具体的に書いているというよりも、イメージというか隠喩というか、そういうものが含まれているなというのは、俳優といっしょに作業してみるとよくわかってきますね。今回は、伊藤高志さん(「あいちトリエンナーレ2016」参加作家でもある)に舞台映像をお願いしていて、スクリーンに風景の映像が映し出されるんです。戯曲を読んでるだけだと抽象的なんだけど、具体的な日常の風景をバックに台詞を聞くと、こういうことを想定して書いているんだなということが改めてわかるなっていう印象は持っています。
稽古風景より 撮影:羽鳥 直志
── 今作が松原さんの書いた初めての戯曲ということですが、古今東西の多彩な戯曲をテキストとして用いられている三浦さんからご覧になって、どういった感触のものでしたか。
松原さんはそれまでも小説を書いていて、決して初めて書きましたっていう文体ではないです。固有の文体や世界観を持っている作家なんですね。なので、僕としてはどういう風にしたらこの新しい才能の世界観とかことばの質感みたいなものを提示できるのかな、っていうのが楽しみでもあり、苦しみでもあります。こういう気持ちになるのは珍しいですね。僕は基本的に作家ではないし、古典作品やテキストのコラージュ作品を演出しているので、この戯曲賞をきっかけに新人の作家を「見つけた! 」っていう感じです。まだ全然手垢のついてない、新しい才能を皆さんと共有できれば、ひとつ仕事をしたことになるのかなって思っています。
── 松原さんは地点の公演をご覧になっていたようですが、三浦さんも松原さんのことはご存知だったんでしょうか?
そこが微妙で、彼は京都の僕のアトリエで作品を観ていた一般の観客だったんです。アトリエでエッセイ集を発行したんですが、それに載った彼のエッセイが素晴らしかった。それで、これは一体誰だ? ということで会ったら「作家志望なんです」と言っていて。気づいたら『茨姫』を観に来て、戯曲賞に応募することを決めたらしいです。1次審査の時は知らなかったんですよ。青山俊太郎という名前で応募していて。1次はそんなに絞りこんだ審査じゃないので、他の審査員の人たちと17作品挙げて、その中にもちろん入っていたんですね。読んでいくうちに、青山とあるけど名前は俊太郎だし、これはあの松原だ、っていう感じで(笑)。
── 映像を依頼した伊藤高志さんがトリエンナーレに参加されているということは?
依頼した時点では全く知りませんでした。彼が京都にいた頃、すれ違ってはいたんですがいっしょに仕事をしたことはなくて。なんとなく直感的に伊藤さんにお願いしたらいいんじゃないかなと思ってお願いしたら、劇場側から実はトリエンナーレでの出品があるかもしれないと。
── 日常の風景をスクリーンに映すということですが、どういった映像を伊藤さんにオファーされたんでしょう。
戯曲の背景に地震とか津波とかっていうものが描かれているんだけど、そういった日本の風景みたいなものとか、日本は島国なので海というものをどういう風に映像として演劇で出せますかね? っていう相談をしました。
稽古風景より 撮影:羽鳥 直志
── 映像の占める割合というのは、かなり高いんでしょうか。
もうずっと出っ放しです。今のところ75分~80分の上演になる予定ですけど、映像が途切れるのは最後までほとんどないです。
── 具体的な場面のご指示などもされたんですか?
俳優を撮影するときもいっしょにいて、指示というよりノリで選んでいった感じです。もちろん風景とかは九州(伊藤は現在、福岡在住)で撮ってきたものや、全国で撮っているもの、この作品のために撮り下ろししてもらったりもしてるんですけど。
── 今回の演出のポイントというのは?
とにかく映像が出っ放しっていう。劇的効果として、映像があるシーンで流れる、っていうやり方ではない使い方をしたいと思っていたので、ずっと映像を通して舞台を観るっていうのがポイントのひとつですね。あとはまあ、なんといっても戯曲賞の受賞作品で初お目見えなので、「松原戯曲の世界」っていうのが伝わるように心がけてはいますね。
── 松原戯曲のことばが浮き立つような形を考えていらっしゃると。
そうですね。特異な文体っていうものが伝わってくれるといいなと思ってます。映像がメインの演出なので、スクリーンに俳優が“影”として登場するのが中心なんですよね。ですから、彼の文体を通じて、日本の風景に抽象的なかたちで人間の姿を流し込むっていうことがまずひとつ、大きな挑戦ではありますね。舞台で映像を使うと失敗するケースが多くて、それは舞台のリアリティと映像のリアリティが違うからなんですよね。そこがひとつ挑戦なんだけど、どうしてこういう挑戦をするかというと、松原文体に触発された部分がある。直感的ではあったんだけど、今はそれを検証しながら進めているという感じです。
稽古風景より 撮影:羽鳥 直志
── 音楽はどういった感じに?
自然音とか、そういうものを少しフィクショナルに使っています。音響は荒木(優光)君といって、僕も昔仕事をいっしょにしてた人なんですけど、伊藤さんに映像をお願いしたら、効果音や自然音を「荒木君に頼みたい」と言われて、「ああ、よく知ってます」ってなって。
── 伊藤さんとはやはり相通ずるものがあるんですね。
そうですね。伊藤監督作品の最近の音響デザインも荒木君が担当しているようなので、もう全然問題なく「じゃあ、それでやりましょう」っていう感じでしたね。
── ことばが重要な作品ということで、俳優に対して、台詞の言い方や発声の仕方など指示されている点はありますか?
演出の大きな方針としては、とにかく大げさに嘆くっていう(笑)。 “泣き女”とか、昔の葬式とかで感情を煽る文化があったわけですね。そういうことにちょっと挑戦していて、とにかく大げさに泣いたり笑ったり嘆いたりすると。『みちゆき』という作品は、具体的にはそんなに書かれていないけど、背景には震災とか日本の問題が大きく横たわっているわけですよね。それを、“泣き女”とか“、泣き男”でもいいんですけど(笑)、そういう形で俳優が掘り起こしていく。オーバーに演技することによってこの問題を提示していくことを目指しています。
震災に関連する歌とか文学とか、芸術表現がどういう方向に向かうかというと、「鎮魂」になるわけですよね。『みちゆき』に関しては、たぶんそこに行かない方法を模索しているような気がしていて、その隠されていたものを暴いていくというか。本当に悲しかったのか、もし悲しいとすれば何が原因だったのか、ということを明らかにしていきたい衝動があると思うんですね。そういうかたちで震災や戦後のことを扱ってる芸術というのは、少ないと思う。わざわざ掘り出すっていうことが演劇に出来ること。しかも説教臭くなく、暗くなることもなく(笑)。
『みちゆき』と聞くとどうしても心中ものと捉えがちだけど、そうじゃなくてプロセスだと思うんですね。要は通過しているところで、過去の事を葬って、見ない事にするっていうことにはしないよ。でも悲観だけしているわけではなくて、明日はどうするんだっけ、っていうことを言ってるような気がするんですね。それにはやっぱり、“泣き女”とか“泣き男”みたいなものが、わざわざえぐり出していくというようなことを、発声というか演技の方法として挑戦はしているんですけどね。
稽古風景より 撮影:羽鳥 直志
── それは初見の時から思われていたんでしょうか? それとも、演出されていく中で気づいたということですか?
読んでる時は、異常にセンテンスが長くぼたぼたっとこぼれ落ちていくようなところがあるんです。それが松原文体の最大の特徴なんだけど、それはなんとかして伝えなきゃいけないというか、何か切り口を見つけたらいいんだろうな、とは思ってたんですね。で、そういう事を考えた時に、こんな哲学的なグジャグジャしたことを、もしうちの母親が電話で泣きながら、10分位ずっと喋ってる状態だったら面白いんじゃないか、とかそういうことを考えるんです(笑)。僕の母親は僕の芝居を観ても「何もわからない」って言う人ですから、そういう人が感情に任せてワーッと言い出す時に光るものがあるんです。人間の頭脳や潜在意識というのは、そういうことを秘めていると思っていて。
松原君とね、こういうことを話してもほとんど喋らないんですよ。シャイというか、声も小さいし口数も極端に少ない方だと思う。だから頭を叩くとバーっとことばが出てくるのかなと(笑)。書くとなると冗舌になるんです。だから本物の作家なんですよ。
── もう、書くしかないっていう感じなんですね。
そう。だからそこで頭をぽんって叩けるかっていうこと。それがたぶん俳優の仕事っていうか。真面目くさって、彼のようにシャイにボソボソっとああいう台詞を言っても絶対面白くない、っていうことをすごく考えるんです(笑)。
話を聞くと、三浦は本作をかなり面白がって演出に取り組んでいるようだが、この日の稽古では、スクリーンに映し出される映像と俳優のシルエットのバランスについて入念に微調整を繰り返すなど、現場では実に根気のいる作業が重ねられていた。
映像を担当する伊藤高志も、九州、熊本、京都で撮影してきた映像に加えてさらに名古屋の風景も作品に取り入れるべく、新たな撮影にも出掛けるという。
「いろんな地域のさりげない風景を見せていきながら、チラチラと災害や原発の風景とか問題を喚起させるような映像を忍ばせていって、それが役者のセリフと関係しあう。風景の中に役者たちがシルエットで入り込んだ時の偶然の面白さを僕も感じたし、今まではダンサーとのコラボレーションが非常に多かったんですが、今回は物語のある演劇という空間の中で映像を関係させる面白さを見つけたいと思います」と、本作に対する意欲を語った。
9月10日(土)の終演後は演出家・三浦基と作者・松原俊太郎による【アフタートーク】が、11日(日)の終演後は、観劇の感想を語り合う【Theatre Meeting『みちゆき』を語ろう】が開催されるので、興味のある方はご参加を。尚、本作の戯曲は公式サイトから閲覧可能なので、まずは“松原文体”を文字から体感してみるのも。
前列左から・映像の伊藤高志、演出の三浦基 中列左から・小林洋平、安部聡子、窪田史恵、田中祐気 後列左から・小河原康二、石田大、河野早紀
■作:松原俊太郎
■演出:三浦基
■映像:伊藤高志
■出演:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平、田中祐気
■日時:2016年9月9日(金)19:30、10日(土)19:30、11日(日)15:00、12日(月)19:30
■会場:愛知県芸術劇場小ホール(名古屋市東区東桜1-13-2 愛知芸術文化センターB1F)
■料金:一般3,000円、学生(25歳以下、要証明書)
■アクセス:名古屋駅から地下鉄東山線で「栄」駅下車、オアシス21地下通路経由または2F連絡通路経由で徒歩5分
■問い合わせ:愛知県芸術劇場 052-971-5609(10:00~18:00)
■公式サイト:http://www.aac.pref.aichi.jp