大衆演劇の入り口から[其之二十七] 「心配いらんよ。旅芝居は誰でも安らげるものやから…」山根演芸社・山根大社長の思い
山根演芸社三代目・山根大社長。2015年に先代より社長職を受け継いだ。
「しょせんドサ回りと思われてきた大衆演劇が、いつの日かやぐらの真ん中を乗っ取る。それが私の願いです」
9月の陽光が差し込む山根演芸社事務所(大阪府)。ジーンズ姿の山根大(やまね・はじめ)社長の声が熱を帯びた。
三代に渡り、どの劇場にどの劇団が乗るかの仲介業を営んできた山根演芸社。現社長は座長大会で舞台口上を務めることが多く、大衆演劇ファンにも馴染み深い存在だ。「大衆演劇界のディスコキング、橘小竜丸座長!」「人呼んで旅芝居のはぐれ狼、二代目紅丸!」など、役者に絶妙なキャッチフレーズを付ける名口上は広く知られている。
観客層の若年化や舞踊ショーの充実化など、大衆演劇の変化は目まぐるしい。旅芝居の未来はどうなっていくのだろう?山根社長に話を伺うべく、大阪に向かった。
プロレスの成功に学んで
――大阪に来ると、劇場に若いお客さんが多いのに驚きます!
観客層は変わってきていますね。若いお客さんを吸収できる劇団はいくつかあって、ポイントは、誰が観ても「楽しい」「健康的な」空間を提供できていること。と言っても、一般の方への周知はまだまだできていないです。なんでいまだにチャンネルが繋がらないのか…私がこの業界に入って30年、高い敷居が結局なかなか無くならないですね。
――大衆演劇のファン層を広げていくには、どんな方法が考えられるでしょうか。
今、プロレスがファン層拡大に成功していますよね。元々は大衆演劇と同様に敷居が高くて、わかってる人間だけが楽しむ所だったけど、新日本プロレスなどの団体が若いファンを吸収し、“プロレス女子”というのがたくさん出てくるほどの状況になっています。
――プロレスはどういった施策をとったのでしょう?
まずね、キャラ立ちです。新日本プロレスは、個々の選手のキャラが、ある意味アニメのキャラクターみたいにわかりやすいんです。だから個々の選手に対して思い入れがしやすい形になってる。実は私の舞台口上は、大衆演劇の役者さんのキャラを言葉で表せる程度にわかりやすくして、お客さんが役者に感情移入しやすくなることを狙っているんです。
――あの名口上にはそんな狙いがあったんですね…!
記念公演や座長大会での口上挨拶を数多く務める。藤美一馬座長芸道35周年記念公演(6/24) KIMIEさん撮影
次に、プロレスは攻防も派手・華麗・スピーディーになりました。だから明るくて楽しい健康的な空間になった。今、大衆演劇の中でも健康的な空間を作り出してる劇団は、やっぱり老若男女のお客さんが集まっています。プロレスというのは元々、我々のジャンルと非常に似てるなと思うんですよ。興行形態からして似ていて、地方興行を中心に公演コースを決めていくことを「コースを切る」って言い方をするんですけど、この言葉を使っているのは大衆演劇とプロレスだけじゃないかな。団体ができ、エースができ、花形ができていくとやがて分裂する、そういう形成の仕方もすごく似てる。そしてどこかに“やましい”匂いがあるのも。こういった類縁性を考えても、プロレスと同じような動きをする以外に、大衆演劇に新しいファンが増えてくる要素はないと思うんですよ。
“ラーメン”を作るか、“寿司”で押し切るか
――「楽しい」「健康的な」劇団には安定した魅力を感じます。ただ、人情芝居の独特の哀歓など、従来の旅芝居の魅力というのもあると思うんです。山根社長の中で、今の大衆演劇の方向性と、旅芝居は本来こうあってほしいという像は繋がっているんでしょうか?
もちろん自分の中の原風景として、こういうものが旅芝居だろうなっていうセンチメンタルな思いもあるけれど…。劇団というのは、これは料理屋みたいなものです。
――料理屋、ですか?
俺は寿司職人だ、俺は鉄板焼きが得意だ、など色々得意料理がある。しかし大衆演劇ファンにも色んな好みの方がいて、ラーメン食べに来てるお客さんに、寿司をうまく握ったって食べないんですよ。しかし寿司職人だけどもラーメンを一生懸命に作って、お口に合わないかもしれませんけどどうですか、と言ってやれば、ラーメン食べに来てるお客さんはまんざら食べないわけでもない。こういう風にお客さんの好みに合わせる方法を取るか、あくまで寿司を食べさせたければ、ラーメン食べたい?何言うてんのや、俺の寿司を食べてみろよ、とこれを無理やりねじ込むだけのパワーがあるかどうかです。少人数の劇団でも、自分の世界を完全にお客さんに同調させることができるならば、成功はありえます。
――そしたら人気のラーメンが作れなくても、勝ち目がないわけではないですね。
ただ、食べてよ、この寿司食べてよ!と一生懸命やらなあかん。そこで懸命さがないと、やっぱりできない。大衆演劇も時代とともに推移している中で、かつては寿司ばっかりやったものが今はファミレス状態になってきてるんです。でも、そういう風に時代とともに柔軟に変化していく中に、旅芝居の本質があるんですよ。
――“変化することが本質”ですか。
そうです、お客さんの要望に応えて。私は昔から、旅芝居は客席と舞台の中間で成立すると思っています。お客さんの思い、役者の思い、両方がうまく一つにならないと良いものにならない。
――大衆演劇の現在の形も、お客さんの要望に応えてきた結果なんですね。
そう、昔は一公演でお芝居だけを3本上演していたものが、お芝居2本+舞踊ショーになり、今はミニショー+お芝居+舞踊ショーという形になりました。お客さんが芝居をそこまで求めなくなったか、それとも劇団側のショーを増やそうという提案にお客さんが乗ったか、ショーなら劇団の人数が少なくてもできるからか、色んなあやち(理由)があるんでしょうね。最近、舞踊ショーだけで一日興行した劇団もあります。今日は芝居やりませんって。エッ?っていう感じでしょ。でも現にお客さんは入ったんですよ。
――このままの傾向性が続いていったとすると、芝居がなくなってしまう可能性もあるんでしょうか。
難しいですが、一定のストーリーの上に乗っかったお芝居がないと、今みたいな一か月興行が成立しにくいと思います。大衆演劇以外でも、舞踊だけの公演って数日間でしょ。やっぱり芝居が核としてあって、その延長線上にショーがあるということなんですよね。そしてショーというのも、実は芝居心あってのショーなんです。この場合の芝居心というのは、踊っている役者の“キャラ”です。それがあって初めてショーが成立する。
――たしかに舞踊ショーでは、よけいに個人としての役者が見えてきます。
旅芝居は基本人間力の勝負なので、役者は自分で作り上げたキャラクターで勝負する以外にないんです。そういった中にいやおうなく芝居という形が残ってる。
――そうか、舞踊ショーも役者のキャラを成立させるという意味では、芝居的要素があるんですね!
それぞれの役者のキャラの魅力があってこそショーが成立する。小泉たつみ座長(左上)恋川純座長(右上)大川良太郎座長(左下)橘大五郎座長(右下)
芝居を仕掛けるということ
――大衆演劇の芝居は、基本的に口立て(※)というのが大きな特徴だと思います。
※稽古の際、座長が口で芝居の内容を説明し、座員は聞いて覚える。台本は存在しない。
口立てだから柔軟でもあり、伸び縮みもし、キャラクターが見やすい。一方で台本芝居に弱いということが弱点です。
――普通に考えたら台本で読むほうがラクな気がしてしまいますが…。
いや、私は台本を書いて劇団に提供することがありますが、ある座長に芝居を書いたとき台本一冊分を丸々、口で言ったことがあります。
――えっ、座長側からそうしてほしいって頼まれたんですか?
そうです。それを役者が聞いて、昔ながらの形でメモったり、録音したりするんです。台本を読むのが苦手やという役者もいますし…。それと台本を書く中で私も気がついたことですが、台本では「セリフだけで間を持たせる」といったことができないんです。だからどうしても、「ここのところは遊んでください(※)」とかいう風にしてしまうことがある。
※セリフを各役者が即興で自由に考えること。
大衆演劇の台本は難しい。独特の、芝居の間を待たせるところは、実際の演者でないと作れないというか…。
――口立てということもあって、どの劇団も共通のお芝居をたくさん持っていますよね。しかし、ジャンルとしてエネルギーを保ち続けていくためには、新しいお芝居や台本の書き手が増えていく必要があるのではないでしょうか?
そのためにはいくつも問題点があります。まず旅芝居っていうのは、同じ演目を違う役者がやることによって変化が出る。そこの面白みを観るのが真髄だとも言えるんです。そしてもし、内容を練った新しい芝居を作り出すなら、演目が日替わりという公演形態に限界がある。少なくとも演目を替えるのは一週間くらいの単位にしないと無理でしょう。そのためには台本芝居になる、でも台本芝居が苦手な役者も多い、さあどうする?
――う~ん、なるほど…日替わり公演を保つには口立て稽古のスピードが必須なんですね。
そしてこれが一番の問題なんだけれども…大衆演劇のお客さんは「台本に則ったお芝居」を観ているわけではないんです。
――と、おっしゃいますと…?
役者を観ているんですよ。役者の芝居の仕口、やり方を。実はこの観方は昔から変わってないんです。ポスター見てもわかるじゃないですか、たとえば劇団☆新感線がお芝居をすると、『髑髏城の七人』『阿修羅城の瞳』という演目のポスターを掛けます。ところが大衆演劇のポスターは演目のポスターなんてない。“大川良太郎” “都若丸”…役者の名前と顔しか載ってない。これすなわち、旅芝居が役者を観るものだということなんですよ。
大衆演劇のポスターに大きく載るのは座長の顔と名前。
だからお客さんにお芝居を観ていただくには、興行として仕掛けが必要になってくるんです。たとえば外連(けれん)物(奇抜な早変わりやアクロバット)のお芝居が得意な劇団だったら、『四谷怪談』や『化け猫』を中心に興行を組み立て、それらの演目の日を特別公演にする。こうやってイベント化された芝居であれば、お客さんは観に来てくれる。
――「その芝居をやりますよ」ということ自体をイベントにするんですね。
いっそ舞踊ショーなしで「お芝居だけの日」を作ってみたりね。こういった特別公演という形で切っていく以外ないと思うんですよ。
「旅芝居はお客さんに“優しく”あってほしい」
――山根社長がスピーチや講演でよくおっしゃっている、「いつか大衆演劇がやぐらの真ん中を乗っ取る」という印象的なフレーズがありますね。あの言葉を言うとき、どんな光景を思い描いているんでしょうか?
世間的には今も、大衆演劇って安かろう悪かろうじゃないかと思われています。しょせん旅回り、ドサ回りの役者たちじゃないかと。でも俺たちは本当は絶対できるんだと、このじりじりした、世間との戦いという感覚を大衆演劇はずっと抱えています。じゃあ大衆演劇の実力を世間に知らしめるには、やっぱりやぐらの真ん中と思われている所でやらなきゃダメですよね。大阪松竹座や新歌舞伎座などの大きな劇場に、浪速クラブや梅南座でやってる旅芝居のパッケージをそのままかける。それを観てもらって、新聞の芸能欄で良いか悪いか評価してもらう。そして「歌舞伎より面白いじゃないか!」「小劇場より面白いぞ!」と評価されたときです。
――そのときが、やぐらの真ん中を乗っ取ったときですか。
とりあえずは乗っ取ったときです。そこから先は、もういっぺん普段の旅芝居の小屋に帰ってくるんです。やっぱり常設の劇場のほうが面白いじゃん、となる。自分のイメージでは、こういう風に行って帰って来る形です。
――それでは山根演芸社としても、大劇場で旅芝居を観てもらおうっていうプランは持っていらっしゃるんですか。
ありますが、莫大な資金の問題、それからなかなか大劇場を貸してくれないという問題など、ハードルが高いですね。むちゃくちゃ高額なこと言われるしね…(笑)。それでも私は、そのままの形のベタベタの旅芝居をもっと広く世間に認知してもらう必要があると思います。他の演劇と横並びになって、そこで初めてスタートラインに立って、評価の対象たりえるんです。
――それでは最後に、山根社長の夢というのを語るとどんな形になりますか?
(目を閉じて深く息をつく)
――抽象的な質問をしてしまいましたでしょうか…(笑)。
(目を閉じたまま)山根演芸社の初代、私の祖父はそもそも浪曲師でした。でも、浪曲師としてはおそらくうだつが上がらなかったと思います。だから浪曲師を世話する興行のほうへ入っていきました。新世界にある浪速クラブは私どもにとって原点といえる劇場なんです。
浪速クラブ外観
浪速クラブは昔、浪曲の常設館でした。でも時代の流れで浪曲にお客さんが集まらなくなった。元々浪曲でお付き合いしていた浪速クラブさんが大衆演劇をやってみたいというので、祖父は旅芝居に足を踏み入れることになるわけです。以来、ずっと浪速クラブはそこにある。形を少しずつ変えながらも、日本で一番安い入場料で観られる劇場として(※)。
※現在、浪速クラブの入場料は1400円(前売り券1100円)。不景気の中でも低料金を保っている。
だからすぐ隣の労働者の街・釜ヶ崎で暴動が起こってみんなが投石をしたときも、あそこの劇場には投石したらダメやと、労働者の中で不文律があった。「あそこは俺たちの歌舞伎座や」と。要するに一番お金のない人間でも、あそこに行ったら救われるんやと。私は、世間で生きてる人間というのはみんな、“空中ブランコ”してると思ってる。みんなが空中ブランコをして、一生懸命日にちを渡ってると思ってる。でも調子の悪い日もあるやろうから、バーをつかみ損ねて落ちる日があるかもしれない。でも、心配いらんよ。落ちてもネットがあるから。そのネットが俺たちなんだということなんですよ。
――それが旅芝居ですか。
それが旅芝居。誰でもわかり、誰でも安らぐことができ、誰でも楽しんで活力を得ることができる。そういうものを世間がわかってくれれば、もうちょっと世の中良くなるんじゃないでしょうか。それが私の思いです。夢ですね。
――はい!
そして旅芝居はやっぱり、お客さんに“優しく”あってほしい。こんなことやってや、こんな風にやってや、もっと握手してや(笑)…お客さんの思いにそのまま応えることは簡単です。でもお客さんを甘やかさずに優しくして、かつ、お客さんの心を引き上げるものであってほしいですね。
山根演芸社事務所にて
事務所を後にし、環状線の駅に向かうと、近くの劇場帰りとおぼしき女性グループがホームにいた。スマホで撮ったショーの写真を見せ合い、嬉しそうに口元を緩めていた。
時代に合わせて変化しながら。旅芝居は今日も、一生懸命生きている人々とともにある。