幸四郎、染五郎、金太郎『壽初春大歌舞伎』『二月大歌舞伎』高麗屋三代襲名披露へ意気込み語る

インタビュー
舞台
2017.12.7
左から、松本金太郎(新市川染五郎)、市川染五郎(新松本幸四郎)、松本幸四郎(新白鸚)

左から、松本金太郎(新市川染五郎)、市川染五郎(新松本幸四郎)、松本幸四郎(新白鸚)

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松本幸四郎市川染五郎松本金太郎の高麗屋三代が、東京・歌舞伎座で開幕する『壽初春大歌舞伎』(平成30年1月2日~)、『二月大歌舞伎』(2月1日~)の合同取材に応じた。実の親・子・孫である三代が、それぞれ幸四郎が二代目松本白鸚を、染五郎が十代目幸四郎を、金太郎が八代目染五郎を襲名する。三代同時襲名は、当代幸四郎、当代染五郎、そして初世白鸚の襲名以来37年ぶりのこと。2代続けて叶える高麗屋三代同時襲名興行を前に、幸四郎、染五郎、金太郎の三人が思いを語る。

幸四郎、染五郎、金太郎としての最後の1年

――現在の心境と、この一年を振り返っていかがですか?

染五郎 襲名は、したいと言ってできるものではありません。今までやってきたことが多少なりとも認められたのかなとうれしく思います。この一年は、毎月毎月の舞台に立つことであっという間でした。来年は歌舞伎座130年の年であり、三代襲名が37年ぶりということは初世白鸚の37回忌でもあります。来年に襲名興行をやる意味があるように思います。代々受け継いできた「松本幸四郎」を名乗ることにはもちろん責任を伴いますが、背負うというよりは、歌舞伎を生きた歌舞伎として存在させつづけてきた代々の精神をしっかりと受け継ぎ、これからも邁進してまいります。

金太郎 去年の会見では「あまり実感がない」とお話させていただきましたが、今年一年準備を進めていく中で実感がわいてきました。それと同時に、実感が責任や覚悟にかわってきた気がしております。一月に襲名をしたら市川染五郎になるというわけではなく、そこがスタートだと思っております。完成した染五郎をお見せできるように、勉強や経験を積んでまいります。

幸四郎 感無量でございます。36年間の松本幸四郎時代は、歌舞伎ばかりではなく『アマデウス』や『ラ・マンチャの男』等、大変多くの方に大変お世話になりました。本当にありがとうございました。立派に後を継いでくれる新しい幸四郎、新しい染五郎を、どうかひとつご贔屓くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

幸四郎という名前との別れに感慨深い思いはございましたが、二代目白鸚としてやるべきことがたくさんあり、感傷に浸る間もございません。すでに来年に向け歩み出しております。皆さまもご存じの通り、俳優の世界は競争社会でございます。これからは松本白鸚の名前で自分を磨き勉強し、精進していこうという気持ちです。

厳しい世界、息子も孫もございません

――2ヶ月続く襲名披露興行の役について伺います。『壽初春大歌舞伎』で幸四郎さんは、『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」の松王丸を演じられます。

幸四郎 《伝統芸能としての歌舞伎》と《演劇としての歌舞伎》。幸四郎時代の36年間、そこを考え続けてきた気がいたします。その意味で「寺子屋」は非常に演劇的要素のある場面です。この役を、白鸚でもまた務めさせていただくということで、もうひとつこなれた形で皆様にお見せできればいいですね。台詞や形は前の通り同じだれど「なんだか今度の白鸚の松王は違う」と。できればそれが「良い意味で違う」とお客様に感じていただけるよう演じられたらいいですね。そして松王は、10代の役でございます。節々の痛みに耐えて若さをお見せできるよう頑張ります。

――翌月の『二月大歌舞伎』では、前回の高麗屋三代襲名披露興行でも演じられた「仮名手本忠臣蔵」『七段目』に大星由良之助の役で出演されます。

幸四郎 ちょうど37年前、私の父(初世白鸚)と、新幸四郎(当代染五郎)とともに演じました。今度は自分の孫と一緒にできるということで、舞台では色々な思いが胸に沸き起こってくるだろうと思います。今、家族の情のような話をしておりますが、舞台は非常に厳しい世界。幕が開きましたらみんなライバルで息子も孫もございません。このような話をするのは今日だけですよ(笑) 

――『七段目』には、金太郎さんも大星力弥の役で出演されます。

金太郎 父が染五郎を襲名した時と同じ役なので、ご縁のようなものを感じます。

――『壽初春大歌舞伎』の「勧進帳」では義経の役でご出演されます。

金太郎 「勧進帳」には、太刀持の役で2回出させていただいたことがあります。その時に義経をなさっていたのが、山城屋のおじさま(坂田藤十郎)と播磨屋のおじさま(中村吉右衛門)でした。大先輩がなさる義経の役を自分がやっていいのかと不安もありますが、今、義経役は父に習っています。緊張するとは思いますが、染五郎として認めていただけるような義経をお見せしたいです。

その四役に、尽きる歌舞伎役者に

――染五郎さんのお役について伺います。『壽初春大歌舞伎』で「車引」の松王丸、「勧進帳」の弁慶。続く『二月大歌舞伎』では「一条大蔵譚」大蔵卿、「熊谷陣屋」の熊谷直実と、2か月の襲名披露興行で4役をお務めになります。

染五郎 一番高いハードルで始まるという感じがいたします。光栄なことです。それに立ち向かうためにも「高麗屋の八代目幸四郎として、松王丸を務めるべき人間である」「弁慶を務めるべき人間である」「この役を目指す役者、この四役に尽きる役者になる」と自分に暗示をかけ、プレッシャーをかけているところです。

――『勧進帳』の弁慶は七世幸四郎さんが生涯で1600回以上演じ、幸四郎さんも1100回以上務めておられる縁の深い役です。襲名披露興行で、染五郎さんはどのような弁慶を目指しますか?

染五郎 僕は父の弁慶を見て育ちました。祖父、曽祖父の弁慶があっての父の弁慶を、僕の体を使って伝える。それが僕の弁慶で、“自分なりの”と考えたことは一切ございません。「憧れてきたものをその通りに体現する」というのが、弁慶を務める時の気持ちです。

幸四郎 (深く頷き)歌舞伎は伝統や継承の芸だと言われますが、芸自体はその人一代で終わる。その人が死んだときに芸も終わるものと思っております。私の芸を見て育った申しましても、新幸四郎と私は素質も個性も魅力も違います。見た芸を忠実に演じても私とは違うものになる。それでいいと思うんです。芸は一代でおしまい。後に続く者が努力し精進し、自分の芸を創る。それが歌舞伎の継承ではないでしょうか。

潔く清々しいバトンタッチ

――幸四郎さんは、”襲名"にはどのような思いをよせますか?

幸四郎 お客様には歌舞伎の襲名披露興行を楽しんでいただきたいです。自分の中では、人間の魂を息子や孫に渡していく絆、つながりのようにも感じられ、歌舞伎の襲名というよりももっと深いところに感慨を覚えております。これは私の中でだけ分かればいい感覚ですが、なかなかうまい言葉が見つからない。「認める」「名前を与える」「芸を受け渡す」「継いでもらう」…、それよりもっと素敵な言葉があるんじゃないかと。

幸四郎 それは必ずしも優雅にお行儀よく、心優しく名前を譲るという意味ではございません。ひょっとすると染五郎は幸四郎という名を鷲掴みにし、ふんだくって自分の懐にいれたのかもしれない。そのくらいの精神でないと、名前と言うものは形ばかりでは着られないと思うのです。その証拠といいましょうか、37年前私は『父の名前を受け継ぐことができ』とか『この偉大なる名前を』とか形式的なことを言ったと思いますが、新幸四郎はそのような形ばかりの言葉を口にしたことは一度もございません。『父は父の幸四郎。私は私の幸四郎を創ります。この名前をもらえたのは自分のやってきたことが認めてもらえたからで、認められたことがうれしいです』と。こんなシビアなことを申し上げる後継者が、いましたでしょうか。

一同 (笑)

幸四郎 おかげで潔く、清々しいバトンタッチができました。

染五郎 ……すみません。うっかりしていました(苦笑)

幸四郎 いいのいいの。本当に! 本心よ?(一同、ふたたび笑)

染五郎 いい方は難しいのですが、松本幸四郎を名乗ること自体を目標にしたことはございません。何をするかが大事だと考えてまいりました。「認められてうれしい」と申しますのは、松本幸四郎の名前が許されることはつまり、自分が憧れ、目指す正当な歌舞伎の世界に少しでも近づけた証かなと受け止めたからです。ただ、去年の会見の時はこの名前の襲名に、自分でもびっくりするほど感動いたしました。そこには、認められたうれしさと同時に、「これでわずかながらでも親孝行できたのかな」という感動もあったように思います。

挑戦者としての高麗屋

――染五郎さんは「高麗屋らしさ」をどう考えますか?

染五郎 挑戦者でありつづける。高麗屋は、代々そういう生き方をしている気がします。父から「子供であろうが孫であろうがライバル」という話がありましたが、これも高麗屋が代々、挑戦者としての生き方をしているからなのかなと。私がやって多くの方に喜んでいただけたものを、父が評価し認めてくれる時があるのですが、その認め方がしつこい時があります。それはおそらく、やきもちを焼いている時なんです。決して言葉にはしませんが、しつこく認める時は悔しい時(笑)。

幸四郎 それじゃあ『アマデウス』の世界でしょ!?

一同 (笑)

――ラスベガス公演や歌舞伎とフィギュアスケートの融合など、染五郎さんにはすでに挑戦者としてのイメージがあります。新しいことへの挑戦と、伝統を継承し“弁慶役者”になることの折り合いは?

染五郎 まだわかりませんが、同じ線上にある気がします。最近感じるのは、新しいものを創る時こそしっかり歌舞伎をやることが大事だということ。たとえば見得は格好良くなくてはいけない。「昔からある歌舞伎の所作です」と説明してもダメで、「決まった!かっこいい!」と思われなければ意味がない。ラスベガスやイギリスでも歌舞伎をやりましたが、歌舞伎という演出には世界中で受け入れられる力があると思っています。

幸四郎 挑戦者としての私どもを見守ってくださる皆さまに、心より感謝申し上げます。アマチュアの挑戦者ではなく、プロフェッショナルの挑戦者として、アーティストというよりもアーティザン(職人・匠)になり手に芸をつけ、新たな名前でスタートします。今まで以上に皆様のご後援、ご叱咤、ご批判を賜れれば幸いでございます。

左から、松本金太郎(新市川染五郎)、市川染五郎(新松本幸四郎)、松本幸四郎(新白鸚)

左から、松本金太郎(新市川染五郎)、市川染五郎(新松本幸四郎)、松本幸四郎(新白鸚)

もっとすごいところを目指してほしい

三世代の取材終了後、染五郎と金太郎が追加インタビューに応じてくれた。

――染五郎さんにとっても、幸四郎さんはライバルですか?

染五郎 父は父ですね。「父を越えていくことが親孝行」と考えた時期もありましたが、今は追い抜くとか、そういう存在ではありません。常に背中をみてそこを目指し追いかけていく。でも(距離が縮むことで)見える背中が大きくなってほしくはない。ずっと追いかけていたい、超えられない存在です。

――金太郎さんにもそう思ってほしいですか?

染五郎 僕をライバルと思っていたんじゃだめだと思います。お芝居が好きでやる気を感じる部分はありますので、それに対し僕が教わったものすべてを教えていきたいとは思いますが、もっとすごいところを目指してもらいたいです。

――おふたりに伺います。今のお名前を襲名した時のご記憶はありますか? 染五郎さんは昭和56年当時8才。金太郎さんは平成21年で、4才の時でした。

金太郎 『連獅子』を花道からの登場ではなくセリから上がる演出に変更して出させていただきました。セリが上がりだんだん照明が当たってきて、三階、二階、一階のお客様が順に見えてきて、その景色がすごい綺麗だなって。その記憶しかありません。

染五郎 襲名披露口上の時、高麗屋は一門でそろいの柿色の裃を着ます。衣装さんから『一生これを着るんだからね』と言われ、この小さい裃を大人になっても着ないといけないのかと勘違いし「なかなか大変なことだな」と戸惑った記憶があります(笑)。初代白鸚は十月、十一月に襲名披露興行を終え、翌年1月に亡くなりました。同じ楽屋にいても祖父が苦しい姿を見せることはありませんでしたが、本当にぎりぎりの命がけの襲名興行だったのだと思います。幸い二代目白鸚となる父・幸四郎は、襲名を「新しいスタート」と言ってくれています。自分も気を引き締めて務めてまいります。

幸四郎、染五郎、金太郎が新たな名前で新たな歌舞伎役者としての道を歩みだす。門出の襲名披露興行『壽初春大歌舞伎』は、歌舞伎座にて2018年1月2日から26日まで。

取材・文・撮影=塚田史香

公演情報
歌舞伎座百三十年
松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎 襲名披露
松本金太郎改め 八代目 市川染五郎

壽初春大歌舞伎
■日時:2018年1月2日(火)~26日(金)
会場:歌舞伎座
■公式サイト:http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/541​

歌舞伎座百三十年
松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎 襲名披露
松本金太郎改め 八代目 市川染五郎

『二月大歌舞伎』
■日時:2018年2月1日(木)~25日(日)
■会場:歌舞伎座
■公式サイト:
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/542
 
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