坂東巳之助の伴蔵と尾上右近のお峰、無邪気に一線を越える『怪談 牡丹燈籠』8月歌舞伎座観劇レポート
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)伴蔵=坂東巳之助、お峰=尾上右近
2026年8月2日(日)、歌舞伎座で『八月納涼歌舞伎』が開幕した。1日三部制での上演となり、各部ともに個性豊かな演目が揃っている。11時開演の第一部は、三遊亭円朝の口演から創られた『怪談 牡丹燈籠』だ。しばしば「幽霊より人間が怖い」と語られる本作だが、今月歌舞伎座で観た『牡丹燈籠』は、幽霊も人間も怖かった。そのどちらもが悲しかった。
■はじまりは江戸、根津清水谷
物語の前半は、江戸の根津清水谷。伴蔵(坂東巳之助)と女房お峰(尾上右近)は、浪人の新三郎(市川染五郎)に雇われ、身の回りの世話をしていた。
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)お露=尾上辰之助、乳母お米=尾上緑、萩原新三郎=市川染五郎
新三郎は、旗本飯島平左衛門の娘・お露(尾上辰之助)と相思相愛の仲だった。しかし、ふたりが結ばれる前に、お露は焦がれ死をしてしまう。まもなくして、死んだはずのお露が、新三郎の家を訪ねてくる。死んだと聞いたのは間違いだったのか、と喜ぶ新三郎。そんなふたりの逢瀬を、のぞき見たことから、伴蔵は……。
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)伴蔵=坂東巳之助、お露=尾上辰之助、萩原新三郎=市川染五郎
笑いの中で越えていく一線
伴蔵とお峰の丁々発止の掛け合いは、前半の大きな見どころだ。伴蔵は、幽霊からの頼まれごとに、恐怖していた。事情を知らないお峰は、話を聞き出そうと「それからどうしたの!」「じれったいねえ!」と、前のめりにツッコむ。客席の気持ちを代弁するようで、何度も笑いをさらっていた。
伴蔵も、恐ろしい体験を実に恐ろしそうに語る。けれど、ビビり散らかす姿に愛嬌があり、反応ひとつにも笑いが起こる。伴蔵が、幽霊からお札をはがすように頼まれていたことが明らかになると、お峰は、大金と引き換えに、お札をはがす取引を提案するのだった。
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)お峰=尾上右近、伴蔵=坂東巳之助
直接ではないが、主の命を差し出すに等しいアイディアだ。でもこの夫婦を、不思議と強欲だとは感じなかった。貧しい暮らしの中に、ふってわいたチャンスに、ふたりの無邪気な希望と笑いが溢れていた。取り返しのつかない一線を、ずいぶん明るく越えていった。今の時代にも通じる、危ういテンションを見た気がした。
幽霊の恋、人間の欲
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)お露=尾上辰之助、乳母お米=尾上緑
本作には、ほかにも2組の男女が登場する。まずは、お露と新三郎だ。辰之助のお露は、小舟にのって登場する。そこだけ月明かりに照らされるように美しかった。『牡丹燈籠』の「焦がれ死」という設定は、これまで少し無理を感じていた。しかし、辰之助の静かに集中するような眼差しは、お露が新三郎へ向ける一途さに重なる。このお嬢さんなら、焦がれて死にもするかもしれない。あの世のものとなっても会いに来るかもしれない。そんなお露のそばには、いつも乳母お米(尾上緑)がいた。強引ではないのに有無を言わさぬ説得力。時には観客の笑いも引き出し、“お嬢様”のために淡々と勤めを果たしていく。染五郎の新三郎は、佇まいから誠実さが溢れていた。一番理不尽な目に遭う役。それでも第一幕の幕切れは、哀れより、歌舞伎らしい美しさを強く印象づけた。
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)お国=坂東新語、宮野辺源次郎=中村橋之助
もう一組、物語に欠かせない男女がいる。お露の父・飯島平左衛門(河原崎権十郎)の後添えとなったお国(坂東新悟)と、お国と深い仲にある源次郎(中村橋之助)。ふたりは飯島家を乗っ取ろうと企んでいる。橋之助の源次郎には、どこか迷いや弱さがあるのに対し、新悟のお国は自分の欲に正直で、芯の強さを感じさせる。ただしその芯は、必ずしも真っすぐではない。その危うさに色気を感じた。
円朝がつなぐ、『牡丹燈籠』と歌舞伎
第一部『怪談 牡丹燈籠』三遊亭円朝=松本幸四郎
落語の『牡丹燈籠』にはない、舞台ならではの趣向の一つは、ストーリーテラーのように登場する原作者・三遊亭円朝だ。それを松本幸四郎が勤めるという贅沢さ。ある景色に落語の囃子が重なり、途切れることなく花道が大師匠の楽屋に。支度を整え高座へ向かう背中を、客席にいながらにして、舞台袖から見送るような景色を見せた。座布団にすわった幸四郎に、ワッと拍手が起きた。さらに幸四郎は、馬子の久蔵役でも登場する。花形俳優たちが奮闘する座組に、別軸の見どころと面白さを加える。
■1年後、野州栗橋で
1年後、伴蔵とお峰は栗橋にいた。ふたりで営む荒物屋「関口屋」は軌道にのり、ふたりは豊かにくらす。しかし栗橋は伴蔵の故郷。お峰にとっては馴染みのない場所であり、しかも伴蔵は、羽織を着こなし料理屋で羽振りよく遊び、帰りも遅い。大店の女房でありながら、寂しさがつのるお峰のもとへ、根津にいた頃からの知り合い、お六(尾上菊三呂)が訪ねてくる。お峰はこれを喜ぶが、伴蔵は……。
生活が変り心が行き違う、2組の男女
1年前と、暮らしぶりが変わったのは伴蔵とお峰だけではない。武家に仕えていたお国は、偶然にも栗橋の料理屋で酌婦となっていた。傷をこじらせた源次郎は、河原の小屋に身を潜めている。落ちぶれはしたが、お国は源次郎と生きていこうとしていた。愛があり、清々しささえ感じられた。ただしそれは、後戻りできない、進むしかないからこその明るさだったのかもしれない。お国の生命力とは反対に、橋之助の源次郎は、捨てられることを恐れる仔犬のような、哀感を濃くしていった。
第一部『怪談 牡丹燈籠』(左より)伴蔵=坂東巳之助、お峰=尾上右近
前半で見どころだった伴蔵とお峰の言い合いが、後半はちがった手触りで展開する。情があるから嫉妬し、喧嘩になり、どちらかが歩み寄れば背を向け、差し出された手はすれ違って届かない。憎みあってはいなかったはずだった。だからこそ、もどかしくて辛かった。
幽霊にも人間にもゾッとする夏芝居
夜の幸手堤。ふたりは仲直りをした様子で、花道よりやってくる。喧嘩の穴埋めだろう。美味しいものを食べ、着物を仕立ててもらったらしい。ふたりは、また別の土地でやり直そうと決めるのだが……。
大詰では、芝居の様相が変わっていく。どしゃ降りの雨と雷鳴に、黒御簾から「盆々、盆の」とゆったりした唄が重なる。ツケが響き、稲光がし、次第に頭の中がホワイトアウトするようだった。そこに伴蔵とお峰の姿が、焼き付けられる。現実味がなく、きれいだなと感じた瞬間さえあった。そして最後、客席にワッという反応が広がった。ただ、その血なまぐささも、すぐに雨と万雷の拍手が綺麗に流していく。幕切れは、2匹の蛍が儚げに飛んでいて美しかった。拍手を送りながらも、腕には鳥肌の感覚が残っていた。
「納涼」と冠するにふさわしい夏芝居。怪談噺と聞いて想像するのとは、少し違った角度からのいくつもの怖さを、ぜひ歌舞伎座で体感してほしい。
取材・文=塚田史香
貸切公演情報
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎』
日程:2026年8月21日(金)11:00開演
会場:歌舞伎座
・独自席種、独自価格での提供
・開演前講座付
・筋書購入者の中から役者サイン入りが当たるチャンスあり!
(場内筋書売場で販売する10冊分を無作為に混入させます)
イープラス貸切の広報担当「プラみちゃん」、X(旧Twitter)で最新情報発信中
関東の公演情報 @eplusplm_kanto
関西の公演情報 @eplusplm_kansai
九州の公演情報 @eplusplm_kyush
公演情報
2026年8月2日(日)~26日(水)
休演日:8月10日(月)、18日(火)
三遊亭円朝 原作・大西信行 脚本
通し狂言
怪談 牡丹燈籠(かいだん ぼたんどうろう)
お峰:尾上右近
お国:坂東新悟
宮野辺源次郎:中村橋之助
萩原新三郎:市川染五郎
お露:尾上辰之助
乳母お米:尾上緑
仲働お六:尾上菊三呂
医師山本志丈:澤村精四郎
女中お竹/酌婦お梅:中村玉太郎
酌婦お絹:澤村宗之助
飯島平左衛門:河原崎権十郎
三遊亭円朝/馬子久蔵:松本幸四郎
四世片岡亀蔵を偲んで
岡鬼太郎 作
眠駱駝物語
一、らくだ
手斧目半次:松本幸四郎
家主女房おいく:笹野高史
糊売り婆おぎん:中村梅花
駱駝の馬太郎:片岡市蔵
家主佐兵衛:坂東彌十郎
二、鬼神のお松(きじんのおまつ)
夏目四郎次郎:尾上右近
主水妹藤浪:中村米吉
下部柴平:中村虎之介
茶屋女お福:中村歌女之丞
盗賊小助実は木鼠:中村歌之助
篠原一学:中村福之助
夏目四郎太郎:中村歌昇
牧村主水:中村扇雀
一、舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)
上の巻 さくら
桜の精:中村七之助
松虫:中村勘太郎
松虫:中村長三郎
雪達磨:中村勘九郎
坂東玉三郎
坂東玉三郎