『GANTZ:L』-ACT&ACTION STAGE- 演出・脚本 鈴木勝秀 特別インタビュー
©奥浩哉/集英社・「GANTZ:L」製作委員会
累計発行部数2100万部の大ヒットSFマンガ『GANTZ』は、2000年より「週刊ヤングジャンプ」(集英社)にて連載が開始され、2006年から隔週で連載、2013年に完結。2004年にTVアニメ化され、2011年には実写映画化、2016年にはフル3DCGアニメーション映画化。そして2018年1月には満を持しての舞台化となる。演出・脚本を手掛ける鈴木勝秀に作品の魅力や演出について、また演劇についてがっちりと骨太なお話を聞いた。
「なんかもの凄く大きな物語を読んだ!この世界観!っていうものをもっと生かしたい、っていう気持ちになるくらいに!」
ーー基本的なことから伺います。原作を読んだ感想や魅力等をお願いいたします。
この作品の舞台化をお引き受けしたので、原作を読み始めました。つまり“どうやって芝居にするのか”っていうことを前提にして読み始めているので、一般の読者の方の読み方とは全然違いと思いますが、読み進めていくにつれて“お引き受けてしまったもののこれを芝居にするってって大変だな”と思って(笑)。
最初はマンガ的な展開のしかたっていうんでしょうか、笑いもあり、色気もあり、みたいな……それから暴力シーン、残酷なシーンがあって……でも、どんどん惹き付けられていくものがあって、同時に“これをどうやって舞台化するのか”っていうことが、自分の中で分離していっちゃうんです。だから、これを舞台化する以前にとにかく読み進めてみようと。
全部で38巻、読んでいくうちにずーっと引きずり込まれていっちゃったんです。しかも、そんなに経過していない時間を描いているにもかかわらず、テンポが早いんです。次々にいってしまうので、気がついたら、もうなんだか、とてつもない……最後の方は、哲学になってきちゃってるんですよ。宇宙観とか、地球が、人間が、とか……そういうところまで描かれているような気がするんです。
最初は、5巻ぐらいまでを舞台化っていうことを言われてはいたんですが、なんだかそれじゃあもったいないっていうんでしょうか、せっかく読んだのに……なんかもの凄く大きな物語を読んだ! この世界観!っていうものをもっと生かしたい気持ちになるくらいに! もう最後の方は絶対に無理! 演劇でやるのって絶対に無理!って思ったんですが(笑)。でも絶対に無理っていうもの、そういう作品に出会えるとかえってファイトが湧く。難しいのをやりたいなとずっと思っているんで……でも、舞台化するにあたってどうやってこれと折り合いをつけていくんだろうかっていうことと同時に、この物語が大きいので、ホントに作品に引きずり込まれていったんです。
最後の方は「これって連載している時に読者はついてきたんだろうか?」って余計なことを考えまして(笑)。このぐらいの規模の、小説とかで書くのも凄い大変なこと。SFとしても出だしが本当に身近なところから始まって、ところが38巻までいくと、もうなんだかわからない! フィリップ・キンドレド・ディックの三部作(ヴァリス三部作(『ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』)に近いような世界観になっている。でも、そこまで読んだことによって、この「GANTZ」をやろうという気持ちが非常に強くなったんです。
ディックとかが書いていた世界観、また『ブレードランナー』の、ああいう世界観、っていうのが、僕が20代の頃は全盛期だったんですね。サイバーパンクに近いニュアンスがあって、ただ、それがナントカ星人、最初はねぎ星人とか田中星人っていうコミカルなものと戦っているんだけど、登場人物達は自分が戦っているものがなんであるかがよくわかっていない、それは、もの凄くディックの世界観に通じるものがあって、SF的なもの、僕にとっては王道なんです。僕はディックの小説を自分なりに捉え直して、ずっと舞台化してきたので……「GANTZ」もそういう捉え方でいくと、舞台化することは出来るんじゃないかと思うんです。見た目の派手なアクションシーンとか、それからそういったものの方が世の中には出ていきがちではありますが、そうではなく、この作品の中にある、世界観は僕がずっとやってきたものと近いところに存在している、そう思えるんです。上演台本を作るにあたっては、何度も何度も読み返すしかない。その中に書かれている台詞を自分のPCに写し込んで、今度はそれをまた色々と配列を考えたりして、舞台化する1〜12巻は何回読んだかわからないくらい! 凄く面白いものに出会えたな!ということですね。
「この作品は元が太いんで、いくらでもやれる!」
ーー出てくる星人が、例えばねぎ星人はビジュアル的にインパクトがあって、どっか可笑しい、どうしてもそこに行きがちになりますね。そこにとらわれずに、その下に描かれているもの、よくわからない敵と戦っている、戦わざるを得ない、でないと自分がやられてしまう、必死になって戦う……主人公含めて戦っている人達の深層心理。個人的な意見ですが、例えば手塚治虫のマンガで凄くシリアスな場面でいきなり、ひょうたんつぎが出ますが、ああいう照れ隠しみたいな、面白可笑しいねぎ星人とか出してくるのかな?という感じにも受け止められる。
最初のうちは、読者を獲得しなければならないから、いろんな要素を入れていったと思うんです。それが長く支持されていき、読者がついてくるようになると、人はやりたいことをやり始める。
例えば永井豪の『デビルマン』も最初のうちはコミカルなキャラクターを登場させてたりするんです……明らかに笑いを狙っています。でも最後の方にいくと神vs悪魔の戦いになっちゃった時にまったくそういうのは入り込む余地がない。結局、その最後の部分を書いたことによって、名作として残っているのだと思いますし、手塚治虫の『火の鳥』も、コミカルなところはあるんだけど、それはちょっとした息をつかせる……芝居でも使われている方法ですね。
ところがいつの間にか息をつかせるところがメインになってしまった芝居、そういったものはいっぱいある。惹き付けるために作ったものが、メインになってきているものもあるんだけど、それをやった場合に、この原作の絵なんだけども、絵を見る事によって想像力をかきたてていたものが、現実に「これです」って出てきた時に例えば、大仏星人、超巨大な仏像が出てきますが、これが目の前に出てきた時に人間が入っていた、例えば、かぶり物にしたら、それだけで負け!負けちゃうんです。その表面的な部分でないところに落としこんでいく、これがたぶん、演劇にする唯一の作戦、方法。
しかし、原作の“この感じ”っていうもの、読者の脳内にあるそのキャラクターの声の感じっていうのは絶対にあるんです。それが誰かの声になった瞬間に「違う」とか、また、エックス弾の発射される音一個でも「違う」と思ってしまう、「こんな音じゃない」と。こっちは、それをいかに用意していくのかっていうことを色々と考えなければならない。それを超えて見終わった時に「あ、こういう切り口があるんだな」とわかって頂く……舞台化するにあたっていろんな演出家がいて、いろんな創り方があって全く自由なんです。でも、少なくても僕がやるなら、僕自身が読んでみてどんな切り口を作ったのか、っていうことがないと、自分としてはやった甲斐がないし、やる意味もない。だけど、この作品は元が太いんで、いくらでもやれる! もし原作が細かったら、こっちで膨らませなければならない。しかし、元が太いからどこ切ったって絶対に残るだろうっていう……読んでみてそういう確信はあります。
「違う」って言われるのは、これだけのものになっていると、それぞれの人がそれぞれの想いを持っているからなんです。それに対して、僕が何か出来る、やるとしたら、きっと「違う」って言われるんです。どの戯曲をやっても、どの小説をやっても、僕は『欲望という名の電車』もやっているんですが、その時に「違う」っていう人達がかなり!いっぱいいた! それは、杉村春子さんから始まって、いろんな方がおやりになって、映画では、ビビアン・リーが演じて、で、もちろんそれと違う訳ですよ、僕の切った切り口は。だけど、三回も再演出来ている、いいっていう人もいる。だから、それに関してはまったく恐れていませんし、違うっていうのはもちろん出てくるだろうし……違うっていうのが出てこなかったらおかしいと思う。舞台で初めて「GANTZ」に触れた、先入観が全くない方、原作を読んでいる観客が観て新たな発見があったとか……発見をするためには興味を持って観なければならない。舞台作品に出てくるもの、ハッキリと太いものが見えてきたり、あるいは、それを見せることが出来たら、いいんじゃないかな、と思っています。自分勝手に解釈を変えるつもりは全然ないので、元の、原作のエキスを、いかに抽出して、濃縮して……これ読むのにどんくらい時間かかるんだ、っていうものをとりあえず2時間ぐらいでやってみようと思っています。
鈴木勝秀
「演劇の面白いところは、制約があっても想像力に関しては自由」
ーーどの作品にしても舞台化するっていうこと自体、大きな制約が常につきまといますね。上演時間もまさか3時間、4時間という訳にはいかないし。
演劇は元々、大きな制約がある表現……劇場からは出られないし、舞台上からも出られない、そこに出ている人は生身の人間なので、突然、消えたりとか、出来ないし(笑)、「ジジジ」って出て来たりは出来ない(笑)。もうちょっとしたら、フォノグラムで僕らにもそういうことが出来るようになるかもしれないけど、もし、それが出来たとしてもそこに出て来ているものはあくまでもフォノグラムであって、人間じゃないんです。演劇ファンからすると「なんだ、それ」みたいになっちゃう……演劇の面白いところは、制約があっても想像力に関しては自由、それがもの凄く広がっていく……作り手側が想像することは自由だし、観る方も想像することは自由。観るにあたって、おしつけてくるものが少なければ少ない程、いい演劇なんです。だから、本当のことを言えば、舞台に何にもない方がいいんです。ピーター・ブルックが「何もない空間」と言ってますが……能とかもそうですね。何故いいのかっていうのは何も無いから想像することが出来る。
もしも、事細かに何かを創り上げたら、(想像力を)奪っているっていうことに気づいてない人達も、もちろんいます。でも、本当に、何もないものの中に何かを観るなら、お客様がもの凄く能動的な気持ちを持っている。また「お金払ったんだからその分楽しませて」っていう人ももちろんいますが、その人達が「なんだろ、わかんない」っていうことになっちゃうと、それは、ある意味失敗(笑)。そうすると、どこまで創って見せるのか、しかもそれをなるべくそう見えないようにしていく方が、たぶん難しい。一般的な演劇でもそうで、シェイクスピアとかも実際そうなんだと……シェイクスピアがグローブ座でやっている時代ってほとんど何もない状態でやっていた。まあ衣装とかはそれなりなものを着ている場合があるけど、でも何もないことが多い。そういう形で演劇に向き合っていかなければならないと……予算には限りがあるから、何か安っぽいものがたくさん出てきてしまっているような……例えばGANTZスーツやそれに伴う舞台美術もそういう風景を全部出すようなものをしていこうとすると、一個一個の値段が落ちていちゃう(笑)、そうすると一個一個が、例えば、紙、みたいな鎧を着たりしてる人とかになる(笑)。
ーーチープな……(笑)。
そう(笑)。刀もそうで、「軽いな、重いもの振ってないな」というのは明らかになる。でもそういうエンターテインメントもあるから、悪いことではないんですが。でも、僕がやるんだったら、そうじゃない……「じゃあ、これどうなるんだろうか」って考えたら、僕がイメージしたことを実現してくれるいつものスタッフがいてくれないと。それはとても重要で、彼らだったら、僕がイメージしていることを理解して、で、どうにかしてくれるんです。……このドラマ、あり得ない話だから役者達がどういう風に自分のものにしていくのかが楽しみです。
原作がこれだけの読者を獲得したってことはどこか現代人の中に潜んでいる心の動きだったりする訳です。その中から、自分が自分の中にあるその回路っていうものを見つけることが出来るのか、それさえ見つけてしまえば!そういう発見が出来るかどうかっていうのは役者をやるということにおいてもの凄く重要なんです。この玄野という奴はどういう心の動きをして、ここに至ったのか、また、和泉が何故、こんなことをするのか……っていうことはまさに現代の中に潜んでいるものなので、それを引っぱり出してきたら、観ている人ももの凄く自分を投射することが出来る。SFは荒唐無稽なものが多いけど、名作は自分を投影して考えることが出来る。だから、『ブレードランナー』で言えば、最初に作られたロイ・バッティというアンドロイドにいつの間にか感情移入している。レプリカント・ハンターの人間、デッカードに感情移入する場合もあるとは思うけど、僕なんかレプリカントに感情移入しちゃう。で、結局、記憶に残る台詞はバッティの「人間はどこからきてどこにいくのか」……。もうアンドロイドだったか、どうだかっていうのはもうどうでもよくって、これは自分たちの生き方だとか自分たちの状況とか、というものを映し出してくれるものなんです……「GANTZ」で、そういう風なことが出来たらいいな。
今、マンガとかが世界的にも認められているのは何か力があるからではないでようか。子供の頃、手塚治虫のマンガをもの凄く読んでまして、『火の鳥』も今でも繰り返し読んでいたりするんです。そんなに繰り返し読んでいる小説ってなかったりする……だから、そこに何か、力があるはずなんです。今、マンガ原作にお客様が目をむけてくれている……そこで、何が出来るのか、なんです。だから楽しみでもあり、やりがいが十分にある。で、そういうものがなんかのきっかけになって自分の、次回作るものにつながっていけばいいと思う。他の人達がそれを観て自分たちも何かつくってみたいと思ってくれる人が現れたりとか、してくれたら、いいな、と。
「権力とか権威とか、そういったものを手に入れようとする、要するに自分が強いということを誇示する、玄野はそういうところにいく訳です」
ーー主人公の玄野がどこにでもいる、どっちかっていうとさえないタイプですが、12巻まで読むとずいぶん変わったな、という印象があります。
物語の中心になるのは結局は玄野の成長です。彼がいかに成長したかっていうのと同時に子供の頃に持っていたパワーやエネルギーを再び獲得していく話でもある。彼には元々、潜在的に素養があった。子供の頃は発揮していたのに、社会に出たり、触れたりしたうちに何か押込められてしまっていたものがあって、それが、もう一回、火がつく。火がつく前の段階っていうのがたぶん、12巻ぐらいまで……他の奴らがどうなろうと関係ないや、と。世界がどうなっても関係ないや、と。そういうような状態でいる奴が何故、そうではない方向にもう一回、目が向くようになったのか。あと、加藤って言うちょっとおバカにしか思えないんだけど……あんな博愛主義の人は世の中にいないと思いますけど。
ーー彼は正義バカですよね。
そうですね……死んでしまったっていう設定はちょっと置いとくとして、この作品の中で大きい要素は「GANTZ」の部屋に行ってGANTZスーツを着るということです。このGANTZスーツを着ることによって無敵になる、無敵な力を得てしまう……これは凄く大きなテーマです。無敵の力を手に入れた時に人はどうするだろうかって言うと、まず一番最初に考えるのは、誰よりも強いんですから、世界の覇者になる、なろうとすること。権力とか権威とか、そういったものを手に入れようとする、要するに自分が強いということを誇示する、玄野はそういうところにいく訳です。実は星人を倒すことに快感を感じている。後にあらわれた和泉も同じようなことを言っていますね。「戦いの場にこそ自分の生き甲斐がある」「生きる世界がある」ということを言います。それは歴史を鑑みても、ある強大な力を得てしまった人は何をするかって言うと、(世界を)征服していく訳ですよ。で、それがどういう結末を招いているのか、その先にあるのは滅亡。
ーーそう決まってますね。
そう! 決まってるんですよ、これはセットなんです。それをどういう風にしたら、人間はこの先、そうではないものにいけるのだろうかっていうある意味、楽観的な、よく言えば希望をみせている。その戦いと強大な力を身につけた時に人はそれを何の為に使うのかっていうことをこの作品、最後までいったときにそういうものが表れて、しかもユートピアが待っている……あるいは違う落っこち方をするのか、そこまで描かれてないですね。
ーーそこまで描かれていないのがいいんでは?
要するに玄野の成長……人類の成長に近いところをやっているんです。子供から大人になって子供の頃の純粋だった頃はみんなが助け合って生きていた……しかし、必ず競争みたいな状況に追い込まれてしまい、それを突破出来るだけの力を身につけていくとどうなるのか? 戦っている時はもの凄く充実感があって、その中に入り込んでしまい、玄野はナントカ星人っていう訳がわからない相手を殺すことに加藤のような罪悪感は持たないんです。もうめちゃくちゃ殺している、でも自分の仲間がやられると心が痛い。これって戦争の極限状態になった時にみんな、きっとそういうことがあったんだろうと思うんですね。玄野がこういうことを含めて体験していくと、どうなっていくのかがポイントですね。
『GANTZ:L』-ACT&ACTION STAGE-プロモ動画 ©奥浩哉/集英社・「GANTZ:L」製作委員会
「この作品は主要人物が死ぬんだけど、再生するっていうマジックがある」
ーーこの物語はたくさんの人が死にますね。
まあ、びっくりする程、登場人物があっさりと殺されていくんです。「この人、もう出ないの??」とか……登場人物達が共に成長して、グループとして上がってっていうのは~よくあるじゃないですか。
ーーありがちですね。
そう、ありがちなんだけど……この作品って「もう死んじゃうの?」がある!
ーーそうそう(笑)。
岸本があっけなく(笑)みたいな流れ(笑)。
ーー死に方があっけないですよね。
あっけないですよ! あっけなく死んでいく、その構造が物語として面白いんですよ。で、『銀河英雄伝説』とかも、凄くあっけなく死んでいくんですよ。この作品はもの凄い読み込んだんだけど、あれも重要な人物が「あれ?」っていうくらい死ぬんですよ。
ーー『デスノート』も夜神月があっけなく死ぬ。
そう! あっけなく死ぬ。で、玄野がその死に接してどうなるのか。『三国志』もそうですね、「あら~~」ってあっさり死んでいく(笑)。
ーーあれもあっけなく死にますね。
『三国志』的なものって絶対にあると思うんですけど、まあ、戦いの愚かさ……表現者っていうのは人の命を大切にしなければいけないところがあるのに、人を簡単に殺していくことによって描かれている何か……。
ーー『デスノート』や『銀河英雄伝説』とか皆、あっけなく死んじゃうからこそ、命の重みを感じるんですね。
そうですね。一般的なエンターテインメントだったら瀕死の重傷負っても、死なないっていうのがあるじゃないですか。何発も撃たれているくせに死なない!昔の時代劇だったら、斬られても焼酎を「ブー!!」ってふったら大丈夫(笑)ってあるじゃないですか、しかも主人公とか主役クラスは死なない、だから安心して観ていられるんです。でも、こういった作品は安心して観ることが出来ないんですよ。本当に主要な人は死なないっていうのは昔からありますが、だからこそ、そういう意味においては、この作品は主要人物が死ぬんだけど、再生するっていうマジックがある、もう一回出てこれる(笑)っていうのが面白いんですよね。ずっと通して読むと「なるほどね」っていう仕掛け、だからこれを一番最初に描いた時はそれを考えていらっしゃったのか、どうかはわかりませんが、考えていたら凄いですよ。
ーー最初から考えていたんだったら凄いですよ。
どのくらい長く続くかは連載始めた頃はわかんないし、人気なかったら終わっちゃう。
ーー一目惹くようにしたりしますよね。
そうそう。
ーーマンガなので、絵で魅せる。
うんうん。だから主要人物を早めに殺しちゃうのは、それはインパクトがあるから。でも後で凄く人気が出たりすると、もう一回、出てきてもいいかな?って(笑)100点取れば蘇るんだ(笑)。使える!みたいな(笑)。でも、どういうきっかけでそういう仕掛けが出来たのかっていうのは、全然問題にはならないと思います。都合で出来ているものっていっぱいあるから。
ーーみんな、そうですよ。
そう。名曲って言われているやつも、締め切りで追い込まれていっちゃって、しょうがないから「これで出しちゃえ!」っていったのが凄い名曲になったりする。そういうのはいっぱいある。最初のプランでどこ迄考えたかは、どうでもよくって、ずっと続いていて、元にあったものをもう一回再生して、その中に取り込んでいく過程で、そのシステムや構成が深いものになっていくっていうのは凄いこと!上手いシステムだな、と感心するしかない。
ーー舞台って蓋をあけてみないとわからないっていいますけど、たぶん初演やって、賛否両論、絶対にあると思うんです。その賛否の【賛】の方、もしかしたら「続きはどうなんだろうか」っていう期待感は出ますね。
そうですね。この先、どうなっていくのか。玄野と和泉がこの後、どういう風になるんだろうかっていうところはあると思います。
「ストーリーとか関係なく、突き刺さった芝居は何十年経っても忘れない。」
ーーたくさん、お話して頂いてありがとうございます! 最後に大事な公演PR!
僕は自分が面白いものしか出さないし、既にこれは面白いと思っています。観にきた方の中には面白いと思う人もいれば「そうでもないな」と思う人ももちろん、いる訳です。でも、それを知るためにも、是非、足をお運び頂きたいですね。今の時代はウチの中でほとんどのものが観れるし、外に出ててもいろんなものが観れるようになっています。でも、演劇だけは相変わらず、劇場にいかないと観れない!ていうこの不自由さ!っていうのは、これから先も、変わらない。人類の歴史が始まった時からずーと続いてきています。そこにいかないと、観れない、これは、テレビでの劇場中継はもちろんありますが、そこにいかないとわかんないことって演劇にはいっぱいある!しかも東京とか、ロンドンとかニューヨークとかパリとかそういうところじゃないと!実は演劇って、そんなにやってない(笑)。だから、それが観れるっていうのは、もの凄く奇跡なんです。地球上の人間が今、75億人になろうとしていますが、その中の1万人ぐらいの人が観た、と。これってほとんど取るに足らない、数なんですよ。
ーーそう考えるとほんのわずかですね。
そう。銀河劇場って700~800ぐらいの席数なので、700人って言ったら、統計的に考えると地球人類全体で考えると、ゼロ%、もう誤差付近もない、ゼロなんです。その日の一回を観たっていうのは、いろんな奇跡が重ならないと、観れない!それ観るのって人生の中で、ちょっといいことなんじゃないかな?って思います。世界で何億人が観ましたとかって、映画とかでありますけどね。
ーー全米が泣いた、とか。
「俺しか観てない」っていうものに触れるのが好きなんです、「これは凄い好きだから誰にも言わないでおこうか」っていう(笑)。ライブハウスで5人しか観てないJAZZとか、未だに耳に残っていますが……ははは~5人じゃあ困るんですけど(笑)そういうのに触れた時は奇跡! 作品が何千万部って売れていても、その読者がみんなは観れない訳です。それを観ちゃったって何か、面白い体験なんじゃないかな?と思えるのです。これ大阪でもやんないですから、まさに東京ならでは!演劇は特にそういうのが強くあるんです。なんらかの!ものはお見せしましょう! ははは! 40年近くやってきているんで!色々と考えて作ります!何か体験して欲しいですね。
ーー演劇っていうのは本当に一期一会ですから。
本当にそうです。だから、ストーリーとか関係なく、突き刺さった芝居は何十年経っても忘れない。芝居では何本も覚えているものがたくさんあって、体験っていうものは凄いんだなと。全世界では観れないし、「それ、観た」って凄いことなんです。だから「GANTZ」というタイトルの演劇、芝居、これは本当にごく少数の人しか観れないですから。是非、観て頂いてと思います!
ーー楽しいお話、ありがとうございました。公演楽しみにしています!
※手塚治虫の「塚」は、 旧漢字が正しい表記となります。
さえない学生生活を送る主人公・玄野計(百名ヒロキ)は、偶然再会した同級生・加藤勝(高橋健介)とともに線路に落ちたホームレスを助けた際、入ってきた列車に轢かれてしまったことがきっかけで、「GANTZ(ガンツ)」と呼ばれる謎の球体から指示され“星人”と戦う、「ミッション」に参加をすることになる。
何度もこのミッシ ョンに参加しているという西丈一郎(佐藤永典)から、“星人”を倒すと毎回得点が加算され、「100 点になるとミッションから解放される」という情報を得た玄野は、加藤や岸本恵(浅川梨奈)達とともに協力して“星人”を倒していく。
ある日「GANTZ」の存在を知る男・和泉紫音(久保田悠来)が現れ、 和泉は「ある計画」を実行に移すことを玄野に打ち明ける―――。
鈴木勝秀(すずき・かつひで)
1959年生まれ、横浜育ち。 早稲田大学第一文学部中退。 演出家/脚本家。
1987年に“ZAZOUS THEATER(ザズゥ・シアター)”を旗揚げ。 1997年まで主宰者として構成・演出を務める。 1998年から3年間、演劇活動を休止し、独自の演出法を追求。 2001年以降、フリーで演劇活動を再開し、毎年、ストレート・プレイを中心に、 ミュージカル、リーディング、コンサート、オリジナル脚本作品などの演出作品を 発表し続けている。演劇以外では、TV、映画の脚本家としても活動している。
最近の主な作品 『教授』*(椎名桔平主演/2013)、『錬金術師』(演劇集団円/2014)、『ハ ナガタミ』*(尾上松也主演/2014)、『偶然の結晶』(由紀さおり45周年コン サート/秋元康プロデュース/2014)、『A Few Good Men』(淵上泰史/田口 トモロヲ/2015)、『ドラマティーク』(大竹しのぶコンサート/2015)、『僕 のリヴァ・る』*(安西慎太郎主演/2016)、『喜びの歌』*(大貫勇輔主演/ 2016)、『サムライモード』(*pnish*/2016)
以下のURLで、これまでの活動記録、オリジナルテキストの公開をしている。
http://d.hatena.ne.jp/suzukatzcloud/about
http://suzukatz-cloud.com/
http://www.suzukatz-cloud.com/download.html
文:Hiromi Koh
■会場:天王洲 銀河劇場
■演出・脚本:鈴木勝秀
■アクション:清水順二(30-DELUX)
■キャスト:
百名ヒロキ、高橋健介、浅川梨奈、佐藤永典
村瀬文宣(30-DELUX)、影山達也、大原海輝 / 藤田玲 / 久保田悠来
■主催:「GANTZ:L」製作委員会
■公式サイト:http://gantz-l-stage.jp/
©奥浩哉/集英社・「GANTZ:L」製作委員会