『ミケランジェロと理想の身体』展レポート 日本初公開作から、天才彫刻家が追求した「男性美」に迫る
2018年6月19日、国立西洋美術館で『ミケランジェロと理想の身体』展が開幕した。彫刻、絵画、建築と多ジャンルで才能を発揮したルネサンスの巨匠ミケランジェロ。いずれの分野でも傑出した作品を残しながらも、自らを「彫刻家」と呼んだ彼が生み出した《ダヴィデ=アポロ》、そして《若き洗礼者ヨハネ》。これらは世界に約40点しか現存しないミケランジェロの大理石彫刻のうち2点である。本展は、日本初公開となるこの2点を中核とし、古代ギリシャ・ローマとルネサンスで追求された理想の身体表現を浮き彫りにする。
展示のようす
ルネサンスをテーマにした展覧会はこれまでにも多数開催されているが、本展がそれらと一線を画すのは、ルネサンスが拠りどころとした「男性美」に焦点を当てた点だ。
展覧会のテーマにルネサンスを設定した場合、美の女神ヴィーナスを筆頭に、往々にして女性を題材にした作品が主軸になることが多い。だが、ルネサンス美術の基礎にあたるのが古代ギリシャ・ローマ美術であり、さらに言うとルネサンスの芸術家が特に大きな影響を受けたのが古代彫刻、つまりは男性裸体彫刻なのだ。
なぜ男性の裸体なのか。その鍵は神々を崇める祭典、オリンピックだ。神に奉げるものとして、鍛えられた美しい裸体が披露された古代オリンピック。長い年月をかけて理想の美を追い求めた古代ギリシャ人は、男性の裸体表現を通して美の規範を示した。それを追いかけるようにして、いっそう理想の身体表現を徹底したのがミケランジェロなのである。
男性美をテーマとした展覧会を困難にする壁、それはミケランジェロが自身の美意識を最たる形で体現した彫刻作品の借用の難しさだ。その高いハードルを越え、ミケランジェロのみならず、多種多様な70点の作品を通して究極の身体表現を堪能できる本展。その見どころを、6月18日に開催されたプレスプレビューの様子とあわせて紹介していく。
プレスプレビューのようす (左から)飯塚隆 主任研究員、本展監修者・美術史家 ルドヴィーカ・セブレゴンディ
来日そのものが大事件、ミケランジェロ彫刻の貴重な競演
本展の核となるふたつの傑作、《ダヴィデ=アポロ》と《若き洗礼者ヨハネ》。数少ないミケランジェロ彫刻の展示の難しさは先述したとおりだが、かつて同一人物により所蔵されていたこれらが、約500年の時を経て同じ空間に展示されるのは世界初というのも驚きだ。そんな不思議な運命をたどったふたつの作品をみていこう。
《ダヴィデ=アポロ》 ミケランジェロ・ブオナローティ 1530年頃フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵 高さ147cm大理石 Firenze, Museo Nazionale del Bargello / On concession of the Ministry of cultural heritage and tourism activities
まずは《ダヴィデ=アポロ》から。ふたつの人名が併記されたタイトルに違和感をもつ鑑賞者もいるかもしれない。じつはこの作品、モデルが聖書に登場する英雄のダヴィデとも、ギリシャ神話に出てくる神アポロともいわれ、主題があやふやなのだ。
主題がいまひとつはっきりしないのには訳がある。ひとつは、右肩越しに上げられた左手先の背中に彫られた飛び道具。投石器であればダヴィデ、矢筒であればアポロということになるが、肝腎のこの部分が荒削りなため、判別がつかないのだ。
もうひとつは、この物憂げな表情。戦で敵方の戦士ゴリアテに石を投げつけた少年ダヴィデの勇ましさとも、音楽や詩をつかさどり、ギリシャ神話でもっとも美しいとされる太陽神アポロの厳かさ、そのどちらともイメージが合致しないのだ。
力強く清らか。表面に残されたノミ跡の生々しさすら気高さへと昇華するミケランジェロの技術が詰まった壮年期の傑作。古代彫刻の美を最大限に忠実に表現した《ダヴィデ=アポロ》の美しさは、この作品がまとう多くの謎によっていっそう高められている。
打って変って、こちらは初期の傑作《若き洗礼者ヨハネ》。ルネサンス美術の重要な題材のひとつ「洗礼者ヨハネ」を純真無垢な姿で表している。幼さを残しながらも、成熟を予感させる生命力。20歳をすぎたばかりのミケランジェロが早熟な天才ぶりを発揮した作品だ。
この作品について語るときには、小さな身体が背負った悲運の歴史についても語らざるをえない。スペイン国内に1点しか存在しないミケランジェロのこの彫刻はスペインの教会に置かれていたが、20世紀前半の内戦によって甚大な被害を受け、無残にもバラバラの状態になった。その後50年以上の時を経てようやくイタリアで修復が始まり、2013年、復活した姿がヴェネツィアで公開された。
20年近くにも及んだ修復が完了して以降、公開されたのはスペインとイタリアの計2回のみ。残されたわずか14の石片から復元された奇跡の彫刻だ。
美の追求の末に編み出された黄金バランス「コントラポスト」
《子どもたちを解放するテセウス》(65-79年 ナポリ国立考古学博物館蔵)の前で「コントラポスト」を解説する飯塚隆
本展を鑑賞するにあたって、頭に留めておきたいキーワードがある。それは「コントラポスト」だ。「コントラポスト」とは、体重の大部分を片脚にかけた立像のポーズを指す美術用語。片脚に重心をかけることで腰が傾き、しなやかな筋肉が強調されるため、肉体美を表現するのに理想のポージングとされている。
「美術史における大発見」(飯塚隆・国立西洋美術館 主任研究員)とも言える「コントラポスト」は、《ダヴィデ=アポロ》や《若き洗礼者ヨハネ》はもちろん、《ヘラクレス》、《聖セバスティアヌス》などほかの作品でも数多くみられる。
パルテノン神殿が建造された古代から多用され、ルネサンス期に再発見された身体表現の出発点「コントラポスト」。このキーワードを意識しながら作品を鑑賞していくと、またこれまでとは異なった視点で作品の躍動感、美しさを堪能できるかもしれない。
ミケランジェロのスタイルを劇的に変えた芸術の奇跡「ラオコーン」
《ラオコーン》ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ 1584年頃 ローマ、個人蔵、ガッレリア・デル・ラオコーン寄託
リアルでダイナミック、苦悶と悲哀の迫力。1506年、ローマ・ネロ帝の宮殿跡から発掘された古代彫刻《ラオコーン》は、ルネサンス時代の芸術家たちに強烈な衝撃を与えた。そしてとりわけその魅力に取り付かれたのが、当時30歳を超えたばかりのミケランジェロだった。彼は発掘現場におもむき、「芸術の奇跡」と感嘆したという。
ミケランジェロがいかに《ラオコーン》に強く影響を受けたか。それは、ラオコーン発見以降の作品にみられる「フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)」に明らかである。システィーナ礼拝堂の天井フレスコ画でも《聖家族》でも採用された、身体に大きなねじりを加えたダイナミックな表現。それは、古代作品に学んだ従来のクラシック的な彼の作品には見られなかった兆候だ。
古代の伝統を吸収するのみならず、そこに肉感ある“動き”と感情表現をとりいれたミケランジェロ独自の様式は、古代から追求され続けた「理想の身体」の到達点として、多くの芸術家に影響を与え、現代まで脈々と受け継がれてきたのである。
《ミケランジェロの肖像》パッシニャーノ 17世紀初頭 個人蔵
イベント情報
【会場】国立西洋美術館(東京・上野公園)
東京都台東区上野公園7-7
【休館日】月曜日、7月17日(火) ※ただし、7月16日(月・祝)、8月13日(月)、9月17日(月・祝)、9月24日(月・休)は開館
【観覧料】一般:1600円、大学生:1200円、高校生:800円 ※中学生以下:無料
【公式HP】https://artexhibition.jp/michelangelo2018/
【公式twitter】https://twitter.com/miche_body