主演の竹下景子&作・演出の佃典彦にインタビュー! 愛知で人気食堂を築き上げた名物女将の一代記『まるは食堂』が、東京と名古屋で上演
愛知県の海辺の町、知多郡南知多町豊浜に店を構え、今年で72年の歴史を持つ「まるは食堂」。名物エビフライや新鮮な活魚料理などが評判を呼び、今や中部国際空港や名古屋市内にも出店、グループ店を含め計8店舗を展開する人気店として多くの人々から愛されている。そんなこの店の創業者である、相川うめさん(1911ー2008)の一代記を描いた舞台『まるは食堂』が、2022年9月14日(水)~18日(日)まで東京の「あうるすぽっと」にて、23日(金・祝)・24日(土)には名古屋の「ウインクあいち」で上演される。
「人に喜んでもらえることをせにゃいかん」「蝋燭はわが身を削ってまわりを照らす」を信条とし、豪快でありつつ人を大切にした名物女将・うめさんを演じるのは、かつてない異色の役柄に挑んだ女優の竹下景子。作・演出は、近年、ドラマ『半沢直樹』や『DCU』などで俳優としても大きな注目を集める劇作家・演出家の佃典彦が担当。そして、高橋かおり、浜谷康幸、関口アナンら、個性豊かで魅力あふれる19名のキャストが脇を固めている。
実はこの舞台、当初は2020年5月に名古屋と東京で上演予定だったが、新型コロナウイルスの影響により延期となり、翌2021年6月の上演予定も名古屋公演は再び延期に。また、同月に行われた東京公演は規模を縮小、急遽『続・まるは食堂~なにごとの おわしますかは しらねども』と題したアナザーストーリーを展開するという、変則的な上演となったのだ。
そして今回、いよいよ本編上演が決まり、名古屋に於いては実に2年越しとなる待望の公演が実現することに。三田村博史が記した評伝「潮風の一本道 うめさんの魚料理の城づくり九十年」(風媒社刊)を原作として、佃典彦はうめさんの人生の物語をどのように紡ぎ、立ち上げるのか、そして主人公・うめを軸に、その母・といも演じる竹下景子はどのような意気込みで役に臨んでいるのか。共に名古屋市出身で作品の舞台とゆかりの深い両名に、本作に対する想いや、創作の現場について語っていただいた。
■“不測の事態”から始まった舞台
── 竹下さんは名古屋のご出身ですが、「まるは食堂」の存在というのはご存知だったのでしょうか?
竹下:私が東京に出てきた時点では今ほど有名ではなかったものですから、正確に知ったのはこの公演が決まった後です。公演に参加するにあたって、豊浜本店に1回だけ行きました。
── この作品は実話をもとにした舞台で、実在した人物を演じられるわけですが、何か留意された点などはありましたか?
竹下:(原作となっている)評伝を読んだことと、あとはもう、とにかくうめさんって、私が想像していた以上に有名人でした(笑)。「まるは食堂」の社長さんからたくさんの資料をいただきまして、(うめさんが映っている)DVDがあったのが本当に助かったんですけれども、お人柄も含めてご本人を拝見することで、だいぶイメージを掴むことができました。
── 評伝が原作ということで物語形式の作品ではないので、お芝居としての構成や展開は佃さんが一から組み立てられていると思いますが、脚本化するにあたって、佃さんが重きを置かれた点や、工夫された点などありましたら教えてください。
竹下:2作になりましたものね、まず。
佃:そうです。
竹下:(『続・まるは食堂』を先に上演することになったので)それがサプライズでした。
佃:最初、「まるは食堂」に取材がてら豊浜本店に行って、社長の坂野豊和さんとか、豊和さんのお父さんの正一さんにお話を聞いたんです。正一さんがうめさんの息子さんで、その息子さんが豊和さん。その時に僕が一番印象に残ったのが、豊和さんが、「僕はお祖母ちゃんのことが、ずーっと大っ嫌いだった」と言われたんですよ。「もう、人の話は聞かないし、ワンマンだし、こうだ、と思ったら一途にやっちゃうし。当然仕事が一番で、家族のことなんか全く顧みなかった」と言ったりしていて、とても厳しい人でもあったそうで。
でも、豊和さんが社長に就任するにあたって、うめさんと一緒に市場やあちこちについて行って、仕事を覚えたそうなんです。あと、うめさんの昔の話を調べたり、人に聞いたりとかしていくうちに、ようやく凄さに気づいて大好きになって、今はもう、「うめさんのことで僕が知らないことは何もないよ、っていうぐらいのことになったんだ」というお話を聞いて、じゃあもう、それをそのままお芝居にしようと思って、そのままのお芝居になってます。
>(NEXT)この作品だから出来た、俳優としての新たな挑戦