《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 10 吉田簑二郎(文楽人形遣い)

インタビュー
舞台
2024.11.21


“簑助イズム”を浴び続けて

簑助の弟子となって、今年で46年。改めて、簑二郎さんにとって、どんな師匠なのだろうか?

「師匠は言葉であれこれおっしゃる方ではなく、しっかり見て覚えろ、という方。入門の時に言われたのは、『責任を持って足遣いにはしてやる。その後は自分次第』。身体的な条件も、感性も、人それぞれ。ある程度のところまでは教えられるけれど、人形を遣うということは、自分自身の問題になってきます。足遣いの次に勤める左遣いの勉強も自分でしないといけないし、経験を積みたかったら待っていないで自分の方から求めていかないといけないですから」

褒められたことなど一度もない。だが、「ひょっとしたらあれは褒めてくださったのかな」という思い出があるという。

「『女殺油地獄』で師匠が遣う与兵衛の足を入門4年目で遣わせていただいたんです。舞台が終わって、楽屋に入ったら、出たばかりの新聞の劇評を、僕私の目の前にポンッと出されたので『劇評ですか』と広げると、豊島屋油店の簑助の与兵衛の動きがすごく良い、みたいなことが書かれていて。勿論、足がどうのこうのなんて書いてあるわけじゃないんですが、あれはもしかしたら……という気がするんです」

簑助は2021年4月、国立文楽劇場での『国性爺合戦』楼門の段を最後に引退。コロナ禍により千穐楽が1日前倒しになったその最後の舞台は筆者も観たが、終演後の引退セレモニーでは、師匠の介添えをしながらわなわなと泣く簑二郎さんの姿も忘れ難い。

「セレモニーで傍につくようにとは言われていて、その心づもりはしていたのですが、急遽、1日前のその日が千穐楽と決まって、全てがバタバタ。セレモニーのことだけでなく、師匠の東京のお客様に知らせたり、そうしたら『東京から行くからを取ってくれ』と言われたり……。セレモニーでは、師匠を舞台までお連れし、緞帳が上がったら何歩か後ろに下がろうと思っていたのですが、師匠が立たれた時にふらっとされたんで急遽後ろについて、あの絵になってしまいました」

大好きな師匠から受け継いだものを、簑二郎さんは“簑助イズム”と称する。

「自ら、女方遣いだ、立役遣いだというような考え方はしないというのが師匠のお考え。世間の人が『お前は女方がいいね』と言ってくださることはあっても、自分自身は、立役も女方も両方遣えての人形遣いだという意識だけは持っておかないといけない、と。これが“簑助イズム”ではないかなと思います。私も有難いことに両方遣わせていただくし、兄弟弟子一同、やはり両方、という意識は持っているでしょう。それから、我々の仕事はお客さんに喜んでもらうことであって、払っていただいた代に対して舞台からお返しするわけですから、自分がそれに値するために何ができるかが大事だと、師匠からは教わりました」

その簑助は去る11月7日、帰らぬ人となった。技芸員および文楽ファンの喪失感は計り知れないが、簑助イズムを弟子たちの舞台姿に観るのが楽しみだ。昨年、簑二郎さんが宙乗りを披露して話題を呼んだ文楽劇場の『西遊記』も勿論、例外ではない。

「それも結局、お客様に喜んでもらうため。古典でも新作でも、工夫はどんどんできるわけです。先輩たちのやった舞台を否定するのではなく、それを踏まえつつ、自分の工夫をそこに乗っけていく。より面白く見えるように、宙乗りのようなものもさせていただくし、古典でも毎回どこかしら変えています。それを、『一人で目立ちしたいために、先輩たちと違うことをやっている』なんて思われたらそれまでですが、『ああいう表現の仕方もあるのだ』と感じてくれたら、と。今は毎公演、記録動画が残るので、自分が考えた振りなどを何年後かに後輩がやってくれていることもあります。冗談で後輩に『ちゃんと家元にご挨拶は必要じゃないの』と言って『何ですか?』『あれ、僕が考えたんだよ』『そうなんですか!』なんてやりとりをしたこともありますけどね(笑)。でも、我々の舞台というのは、三人遣いになったことも含め、名前も残っていない色々な先輩が試行錯誤したものが今日に受け継がれてきている。それを令和の時代に自分がまた遣わせていただいて、それが後輩たちに伝わっていく楽しさがあります」

令和5年夏休み文楽特別公演『西遊記』にて孫悟空を遣う簑二郎。        提供:国立文楽劇場

令和5年夏休み文楽特別公演『西遊記』にて孫悟空を遣う簑二郎。       提供:国立文楽劇場


≫12月には『金壺親父恋達引』の主役、金仲屋金左衛門を遣う
 

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