《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 12 竹本千歳太夫(文楽太夫)
決まりの多い「葛の葉」、丁寧に
5月の東京公演では、『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』葛の葉子別れの段を語る。陰陽師の安倍保名は陰陽道の秘伝書「金烏玉兎集」の継承を巡る争いに巻き込まれ、自らのために恋人の榊の前が死んだことから、一時は狂気に陥るが、榊の前の妹である葛の葉と結ばれて正気を取り戻し、一子を儲けて平和に暮らしていた。そこへ訪ねてきたのは、なんと葛の葉の両親と葛の葉本人。家の中にも葛の葉、外の葛の葉という状況に混乱する保名。実は葛の葉と思って暮らしていたのは保名から助けられた狐であり、恩返しのため、死のうとする保名を助けるために葛の葉に化けていたのだった。狐の葛の葉は「恋しくば 尋ね来てみよ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉(会いたくなったら和泉国信田太の森に訪ねてきてほしい、の意味)と障子に書き、幼い子を残して去るーー。この幼い子がのちに有名な陰陽師・安倍晴明になるという奇想天外な設定だが、子を思う母を描いた普遍的な物語でもある。
「勉強会で語っていますし、人形遣いの(吉田)文雀師匠がお好きだったので呼んでくださって何遍かやらせていただきました。本公演では今回が初めて。子別れは勿論ですが、その前も口伝がうるさく、僕が苦手な節が多いんですよ(笑)。何より保名が難しい。柔らかい色気が必要だけれど、武士ですからキリッとしたところもある。どうしても武骨になってしまうのですが、品格を出さなければいけません」
一方、狐である葛の葉の言葉には、4月公演『義経千本桜』で語っている川連法眼館の段に引き続き、狐を意識した「狐詞(きつねことば)」も少し登場。
「落語家さんは狸の噺は狸の了見で考えろと言うようですが、これは狐だから狐の了見で考えないといけない。武智鉄二(※)説によれば、人間が五臓六腑なのに対して、狐は五臓五腑だとか。普段は人間の言葉を喋らないから、人間には簡単にできる息継ぎも自然にできないのだろうなと思います」
かつて越路師匠から教わった演目。教えられた通りに語りたいと意気込む。
「この『葛の葉子別れ』と、『重の井子別れ』(『恋女房染分手綱』)、『楼門』(『国性爺合戦』)は、“大和風”という語り口の演目です。専門的な話になりますが、一般的なテンポの“常間”(じょうま)、心地よいテンポの“ノリ間”に対して、太夫の語りを三味線の演奏よりちょっとあとにズラす“スネ間”というものがあります。演歌の歌い手さんがよくやっていますが、伴奏に対して歌がちょっとあとにズレるとカッコいいでしょう? そうすることでノリ間が目立つのですが、それがこの『葛の葉子別れ』には効果的に使われています。例えば『それも一つの軒をば離れず、時々形を合はすといへばそれでもなし。正しくこれは変化の所為かまたは天狗の業なるべし』、この辺りはノッていくのですが、『我が娘に引き合はせ誠をもつて理を押さば、忽ち姿を顕すべし性根を忘ずる処でなし』、このように少しずつズラすところがある。それによって、ノッていくところが鮮やかに聞こえるんです。これを“大和地”と言います。さらにその先は“播磨”という節で、音程をにじらして派手な音色に持っていくんです。『保名心をつけられよ』『気をつけ給へ婿殿』……。このように、非常に決まりが多い曲なんですよ」
ぜひ、本番でしかと耳を傾けて味わいたい。相手となる三味線は、2007年頃からよく組んでいる4つ上の豊澤富助。
「太夫と三味線って面白くて、普段話していて合わないわけでも何でもなく、普通に物も言える間柄なのに、舞台に出ると何故かしっくりこない、という場合もあるんです。同じ曲をやっても感じ方が全然違って、それで面白くなる場合はいいけれど、違和感があるとうまくいかない。富助さんとは2人で慣れ親しんだ曲がたくさんありますが、今回僕は初めての本公演ということで、自分の作業で手一杯。あちらはすでに何公演か経験がありますから、心強いですね」
※武智鉄二(たけち てつじ 1912年12月10日-1988年7月26日)。大阪出身の演劇評論家、演出家、映画監督。上方の芸能に精通していた。
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