ショパン国際ピアノコンクール、第二次予選を振り返り~注目コンテスタントをプレイバック!【現地レポート】
(C)K. Szlęzak/NIFC
世界三大コンクールとひとつとされる『ショパン国際ピアノコンクール』。2025年は10月3日より予選が開始しその動向が注目されている。SPICEでは、ワルシャワ現地より音楽ライター・朝岡久美子氏のレポートをお届けする。
前回の記事では、10月12日夜半に発表された第三次予選進出者名を速報的にお伝えしたが、4日にわたって繰り広げられた第二次審査について、日本人出場者に焦点をあてつつ、他にも特に印象に残った出場者について振り返ってみたい。
10月9日から~12日まで行われた第二次予選の出場者は全40名。第二ラウンドの課題曲は「24の前奏曲」から第7~12番/第13~18番/第19~24番のいずれかのグループの連続した6曲1セットに加え、「ポロネーズ」作品44/53/26の2作品/「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」作品22から任意の一作品を含まなくてはならない。その際、「24の前奏曲全曲含んでのプログラム構成も可能」という注釈があり、このラウンドではポロネーズもさることながら、いかに「24の前奏曲」が重視されているかがわかる。実際、40名の出場者のうち、満を持して前奏曲24曲全曲をプログラミングした出場者が9名いた。
注目のコンテスタントをプレイバック!
桑原志織(C)K. Szlęzak/NIFC
それでは、このラウンドに出場した日本人コンテスタントについて振り返ってみたい。トップバッターは2日目に登場した桑原志織。第一次予選の秀逸な演奏の余韻か、彼女が登場すると明らかに歓迎の拍手がであることが感じられた。
第一曲目「舟歌」―――妖艶さと輝き、そして計算されたものではない自然の発露から生まれ出るダイナミックレンジの豊かさ……。目くるめく流れの中でその楽節に必要な音が潜在的に湧き上がってくるような印象だ。その力強い音の波は、同空間にいる聴き手の五感をおのずと奮い立たせる魔力があり、心を揺さぶられるものに満ち満ちていた。良い演奏というのは、まさに空間いっぱいに音が自然に「満ち渡る」ものであるということを改めて認識させてくれるものであり、音楽の女神が共鳴空間に宿っているのではないかと思うほどだった。
桑原志織(C)W. Grzędziński/NIFC
「24の前奏曲」は第13~18番を選択。しかし、何と言ってもその後に演奏された 幻想曲 作品49は頂点を極めていた。前奏曲 第18番 へ短調から同じ調性を持つこの作品への移行や曲間の間合いもよく計算されていた。
「幻想曲」―――冒頭から厳かな音の連なりが倍音のごとくに雄弁に共鳴し続ける。展開的なくだりでは、もはやピアノ一台の音ではなくオーケストラを伴い、高らかに“オード(賛歌)”を歌い上げているかのようだ。それは、あらゆるものを超越した全人類的で壮大な宇宙観にあふれていた。深淵なるコラールを経てコーダへと通じる流れはさらなるエネルギーを伴い、“よみがえり”という言葉を脳裏に暗示させるほどの力強い感動を与えてくれた。聴衆も息を吞むようにその高潔な音の世界を見守っていた。最後はポロネーズ 第6番 英雄 で勇壮に力強く締めくくる。このステージを通して桑原は性別をも超越したピアニズムの醍醐味を堂々と披露してくれた感がある。
中川優芽花(C)W. Grzędziński/NIFC
二番目に登場したのは中川優芽花(ゆめか)。ドイツ育ちで英国にも学んだ超国際派のピアニストだ。冒頭に「ポロネーズ」第6番 《英雄》を置き、続いて「24の前奏曲」全曲を選んだ。「24の前奏曲」は第一曲目からその強い意志が感じられる磁力のある音で聴き手を惹きつける。特に4・13曲目のようなロマンティックで夜想曲的な作風の曲では、すべてがおとぎ話のように夢想的なストーリーに裏付けられていた。“雨だれ” と呼ばれる15番では中間部の段階的なダイナミクスの表現をストイックに精緻にコントロールし、暗黒のような闇の世界とその後に続く天上の世界のコントラストを見事に描き出していたのが印象的だった。
中川優芽花(C)K. Szlęzak/NIFC
進藤実優(C)W. Grzędziński/NIFC
3番目に登場したのは進藤実優。前回大会のセミファイナリストで、今回二回目の挑戦。進藤も満を持して「24の前奏曲」全曲演奏と「ポロネーズ《英雄》」を選択。彼女の持ち味は、何よりもその漆黒の輝きともいえる深みのある、しかし艶やかな音色だ。彼女が体得してきたロシアン・ピアニズムのなせる技なのだろうが、特に夜想曲的な曲調のものでは、メカニズムや流派的な枠組みを超えて、進藤独自の強い想いがあふれ出ていた。
彼女の腕の動きもまた、そのあふれ出る音のように美しかったので演奏後のインタビューでこの点について尋ねてみたが、「良い音を追及するプロセスで生まれ出る自然な動き」なのだという。身体表現の豊かさもまたこのような深い音を生みだす原動力となっているのだろう。
漆黒の煌めきは前奏曲の最終曲 第24番 で悲壮感を極限までに漂わせる。だが、その一つ前の 第23番 ではその輝きは天上のものであり、23番⇒24番の流れにおいて、内に沸き起こる感情の変容を瞬時にとらえる進藤の驚くべき鋭さと感性の豊かさに圧倒された。そして「ポロネーズ《英雄》」―――華奢な身体を震わせながらの渾身の演奏は内なる情熱をも十二分に感じさせ、聴衆の心を揺さぶらずにはいられなかった。客席から大ブラボーも飛んでいた。
進藤実優(C)K. Szlęzak/NIFC
牛田智大(C)K. Szlęzak/NIFC
日本人出場者4番目は、最終日の夕方に登場した牛田智大。最初に演奏した マズルカ風ロンド では、良い意味でのナイーブさが、このショパンの若き日の作品の感性に同調しており、牛田の放つ優しくあたたかなオーラも相まって聴き手を瞬く間に魅了した。
ソナタ 第二番 ロ短調作品35―――第一楽章ではこの楽章の肝ともいえるテンポの緩急の揺れを鮮やかに表現し、長大なフレーズとともに見事なパースペクティブを描き出していた。第三楽章の有名な葬送行進曲では、とりわけ中間部のカンタービレでの澄み渡った純粋な音の響きが牛田らしさを印象付けていた。この後、「前奏曲 24曲」から第19~24番を選択。そしてプログラムを締めくくるのは「ポロネーズ《英雄》」。プログラム全体を通して、徐々に劇的で勇壮な流れへと持ってゆくプロセスが聴いていて心地よかった。
牛田智大(C)W. Grzędziński/NIFC
山縣美季(C)K. Szlęzak/NIFC
日本人出場者として最後に登場したのは山縣美季。山縣も冒頭から「24の前奏曲」全曲と「ポロネーズ《英雄》」を選択。彼女の居住まいが物語るように、全体的に精神性の高い、彫の深い演奏を聴かせた。ダイナミクスも精緻に構築されており、特に15番《雨だれ》の中間部でその真骨頂を聴かせた。ポロネーズ 英雄でも安定感のある骨太な輪郭を描き出し、高貴さと勇壮さに加え、彼女ならではのスッとした潔さが聴いていて心地よかった。男性的な力強さも、女性的なしなやかさも双方ともに持ち合わせているのがこのピアニストならではの特性だ。拍手大喝采を受け、たおやかに満面の笑みを湛えていたのも印象的だった。
山縣美季(C)W. Grzędziński/NIFC
4日にわたる第二次予選において、上記の日本人出場者以外にも印象深かった出場者について、その進退にかかわらず記載しておきたいと思う。