《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 15 鶴澤友之助(文楽三味線弾き)

インタビュー
舞台
2026.4.13


コントラバスか、三味線か

フラメンコギターを習っていた頃、もう一つ、楽器と出会ってのめり込む。コントラバスだ。

「阪神・淡路大震災のあと、どういうわけか母の知り合いのベーシストから修理が必要なコントラバスが家に届いて、『直ったら使っていいよ』と言われたんです。弦を弾くと『ドゥンドゥン』と音が響いて、『すげー! 習ってみたい』と(笑)。どうせやるなら良い先生をということで、大阪センチュリー交響楽団の首席奏者だった奥田一夫先生に習い始めました。プロになる人が教わりに行くような先生なので、前後の生徒さんがブワーッと弾いている中、僕は簡単なボーイング(運弓法)練習で(笑)。1年ほど経った高校2年生の終わり頃、先生から『京都市立芸術大学を受験してみたら?』と急に言われたんです。そんなつもりはなかったから、僕も親もびっくりして。普通は幼少の頃から準備していたり音楽高校に通ったりするのに、僕は習って1年で、1年後には受験。無理だと思ったけれど、先生はいけると思って言ってくれたわけだから頑張ってみようということになり、コントラバスのレッスンのほか、母親が知っている音楽理論の先生に個人レッスンを頼みました。入試ではピアノでバッハの『インヴェンション』も弾けなければいけなかったのですが、父の専門はジャズなので母に教わって。“超詰め込み状態”で大変でした」

1998年8月、コントラバスの発表会にて。 提供:鶴澤友之助

1998年8月、コントラバスの発表会にて。 提供:鶴澤友之助

ご両親は、友之助さんには苦労が多い音楽家以外の道をと願っていたそうだが、友之助さん自身は何らかの音楽で食べていきたいと考えていた。そんな中、降って湧いた芸大受験の話だったのだ。しかし同じ頃、もう一つ、楽器との大きな出会いがあった。テレビで初めて見た文楽の三味線だ。

「その時はわからなかったけれど、あとから考えれば、『妹背山婦女庭訓』妹山背山の段でした。川が流れていて、そこに物を流す時に人形遣いの人が操作しているのを見て、芸が細かいなあ、と。そこに謎の低音楽器が流れて、『これ、なんだ?』って。エレキベースにコントラバスにと、すっかり低音楽器好きになっていたので。その数日後、地下鉄の駅で研修生募集のポスターを見て、『テレビで見たあれ、習えるんや』と思って電話しました。でも高校2年生の時だったので、高校を辞めないと入れないと分かり、コントラバスで頑張ろう、と」

ところが、なんと受験日前日、盲腸が破裂。試験を受けることができずに終わってしまう。

「入院中、ずっと悩んでいました。レッスンに家庭教師にと、親に負担をかけているのはわかっていたので、これ以上迷惑はかけられない。その時、思い出したのが文楽です。当時は2年に1回の募集だったので、高2で問い合わせたその次のタイミングがちょうど来る。もともと興味があったし、奨学金も出るというので、奥田先生に謝って文楽の研修生に応募しました」

結果は合格。友之助さんは2000年4月、第19期文楽研修生になった。その音楽人生の道が定まった瞬間だった。


≫文楽に混乱し苦闘した10年間
 

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