松本伊代 「声が続く限り歌いたい」――デビュー45周年記念コンサートを前に、名曲たちへの思い、歌への思いを語る
松本伊代 撮影=大橋祐希
《伊代はまだ 16だから》。アイドル史に残る名フレーズを引っ提げて、1981年10月、「センチメンタルジャーニー」で鮮烈なデビューを飾った松本伊代が、今年でデビュー45周年を迎えた。近年は、80年代アイドルポップやシティポップのムーブメントの後押しを受け、若い世代や海外リスナーからの再評価が進み、毎年開催されるコンサートも新旧ファンが入り乱れて大盛況。今年も10月12日に東京・恵比寿ザ・ガーデンホールで、『松本伊代 45th Anniversary Live 2026“Journey×EBISU JAM~Lovely I・Y・O~”』の開催が決まった。
ライブ楽曲のアレンジに巨匠・船山基紀を迎え、凄腕メンバーをずらりと揃えたバックバンドを従えた、ヒット曲&名曲連発のパフォーマンス。それは当時を知るファンには懐かしく愛おしく、現在のアイドル文化で育った世代には、新しさと刺激に満ちた豊かなものだろう。久しぶりでも初めてでも、どちらでも、10月12日、恵比寿に全員集合だ。
――音楽が届きやすい時代になって、配信で海外のリスナーが聴いたり、80年代を知らない若い世代が知ったり。伊代さんの曲がまた広まってる感じがすごくしています。
本当にありがたいですね。
――シティポップの文脈で語られることもありますよね。そんな現象を、最近どんなふうに実感されていますか。
海外の方がすごく聴いてくださっているのは、何年か前から実感しています。Spotifyとかを通じて、シングルだけじゃなくて、アルバムの曲もたくさん聴いてくださっているらしいです。あとは、自分のコンサートでも、台湾の人だったりカナダの人だったり、そういう方たちも来てくれるようになって、親衛隊の人たちとも仲良くなってくれて、「カナダの人、また来てくれるみたいですよ」「えー、嬉しい!」みたいな感じです。
――世界に広がる松本伊代の輪。
そうやって、みなさんがコミュニケーションを取ってくださるのが、すごく嬉しいです。香港のチャートにも入っていて、全然低いランクですけど、チャートに入ることがすごいなと思っていて。スタッフの方が「なんでだろう?」と言うから、「いやー、なんででしょうね」って(笑)。
――シティポップ、アイドルポップに詳しいDJのNight Tempoさんも、強力に後押ししていました。
ナイトさんが海外に広めてくれたというのは、ある気がします。アルバムの曲も、すごくかけてくださっていますし、意外とシングルはかけてくれないんですけど(笑)。でもそれがいいというか、Spotifyとか見ると、そういう曲が上位に上がっていて、新しい世界が開けているみたいで、とっても嬉しいです。当時、大人の人たちが、私も含めてですけど、一生懸命作ってくれたおかげだと思います。
――その、松本伊代再評価とタイミングを合わせるように、5年前、デビュー40周年ぐらいのあたりから、活発にコンサート活動を始められていて。何か、きっかけはあったんですか? もう一回音楽をしっかりとやろう、みたいな。
きっかけは、応援してくださる方の声もそうですし、あとはやっぱり、船山基紀先生との再会ですね。
――船山さんは80年代の伊代さんのアレンジを数多く手がけていて、時を経て、40周年記念コンサートの音楽監督を務められて。それから毎年、伊代さんのコンサートのアレンジャーとして活躍されています。
先生がアレンジをやってくださることになって、やっぱり、バンドでアレンジしてもらうことは、なかなか大変だったりしますけど、この世界で最高級のアレンジャーの船山先生が、毎回「やろうよ」と言ってくださることにとても感謝していますし、それプラス、本当に日本のすごいミュージシャンの方たちを、いつも引き連れてきてくださるので。「1回だけじゃもったいないよね」と言ってくださったのが、大きなきっかけになっています。私が言っても、なかなか叶わないことだったりするんですけど、船山先生をはじめ、スタッフの方たちが「やろうよ!」と言ってくださることに、もう本当に感謝です。
■「時に愛は」は、可愛いアイドルの歌から抜け出したかった、という時期だったんだと思います。第一次反抗期ですね(笑)。
――ちょっと昔の話をしてもいいですか。伊代さんの曲は、初期は筒美京平さん、それから尾崎亜美さん、林哲司さんとか、大きく言えば歌謡曲からシティポップの方向へ、だんだん変わっていきましたよね。それは、伊代さん自身が、そっちへ行きたいと思ったのか。
毎回こちらからお願いしてはいるんですけど、それが新たな挑戦になっていった、という感じですね。尾崎亜美さんも、自分が歌いたくて作っていただきましたけど、歌ってみるとやっぱり難しくて(笑)。曲が自分のものになるのって、意外と、と言ったら変ですけど、難しい時もあるんです。
――亜美さんの曲、いい曲ばかりです。「時に愛は」を筆頭に。
いい曲ですよね。だから、亜美さんの家に行って、「どうやったら上手く歌えるんですか」と聞いたりして。ただ、今思うと、背伸びしていたというか、若いうちはもうちょっとアイドルっぽい歌を歌っていても良かったのかな、とか思うんですよね(苦笑)。
――というと?
もっと長いスパンで考えて、もうちょっと可愛い曲を……もちろん「時に愛は」も可愛い曲で、その時の自分が、「時に愛は」みたいな曲を歌いたかったからそうしたんですけど。今になって俯瞰で見ると、当時の年齢だったら、もうちょっとキラキラした曲、可愛いくてテンポのある曲を歌っていても良かったんじゃないの?とか、思ったりもします。「時に愛は」は、もう少しお姉さんになってから歌っても良かったのかな?とか、思うんですよね。
――「時に愛は」を歌ったのは、1983年で、デビュー2年後ですから、18歳ですか。
そうです。なので、たぶん、可愛いアイドルの歌から抜け出したかった、という時期だったんだと思います。第一次反抗期ですね(笑)。そして、第二次反抗期が林哲司さんの曲です(笑)。
――林哲司さんは、1986年からの、いわゆる“恋愛三部作”。「信じかたを教えて」「サヨナラは私のために」「思い出をきれいにしないで」ですね。名曲ばかり。
本当にすごく素敵な曲ばかりで、「時に愛は」と同じように、ずっと歌える曲を作っていただきました。
――林さんとは、近年も交流がありますよね。
昨年、コンサートにも出させていただきました。懐かしくて、そして新鮮でしたね。「また何かできたらいいですね」って、未来の話もできたので。林さんはすごく優しい方で、昔からほめていただいた記憶しかないです。私が「全然良くなかったと思うけど……」とか思っても、いつも「いいね」と言ってくれるから、すごく嬉しいです(笑)。
■今思うと、コンサートで「センチメンタル・ジャーニー」を歌わなかったことは本当に悔やまれますけど、あれから反省して、オファーがあったら喜んで歌うようになりました。
――筒美京平さんには、どんな思い出がありますか。こんな会話をした、とか。
京平先生とは、何を喋ったかとか、あまり覚えていないんですよ。先生のところに行って、「センチメンタル・ジャーニー」のキー合わせをしたり、先生のピアノで歌ったり、そういうことは覚えているんですけど、会話はちょっと思い出せなくて。すごくゆったりとした、優しい口調でお話しになっているのは覚えているんですが、私と一対一で喋っている記憶はあんまりなくて。だから、後になってから、「私の声が好きだった」というお話を聞いて、すごく嬉しかったんですけど、当時はそういうことはわからなかったと思います。
――筒美さんのコメントは、2004年リリースの『松本伊代BOX』のブックレットに掲載されています。「センチメンタル・ジャーニー」から始まって、アルバム曲も含めて、伊代さんの曲を一番書いたのは筒美京平さんですから、本当にお気に入りだったと思います。
この間、湯川れい子先生とお話ししたんです。筒美先生はいつも曲先なんですけど、「センチメンタル・ジャーニー」だけは詞先なんですね。それは、私の声にイメージがつかなさすぎて、「先に詞を書いてください」と湯川先生に言われた、と言っていました。しかもその詞も、「本当のものじゃなかったのよ」って。
――というと?
筒美先生に、「試しに何か書いてくれ」と言われて、殴り書きみたいに書いたものを持って行って、それにメロディをつけて、ということだったらしいです。湯川先生も、「16歳とか、そういうプロフィールと写真だけをもらって書いたのよ」とおっしゃっていました。私が歌詞を見たのは、全部が出来上がってからでした。湯川先生に初めてお会いして、直筆で書いていただいた歌詞をもらって、そこに《伊代はまだ16だから》って自分の名前が書いてあることに、ちょっとびっくりしたのを覚えています。そのまま筒美先生のところに行って、ピアノで歌わせてもらったのが最初だと思うんですけど、歌詞とメロディがぴったり合っていたし、恥ずかしくもなくて、すごくいい曲だなと思ったのが印象に残っています。
――あれから45年、《伊代はまだ16だから》を歌い続けています。今歌うと、どんな気持ちになりますか。
もう本当に、感謝しながら歌っています。ただ《16だから》という歌詞が入っているぶん、たとえば「時に愛は」を歌っているぐらいの時期に、少しだけ、拒否反応ではないですけど、歌うのが恥ずかしいなと思った時期があったので、それを克服するのにだいぶ時間がかかったと思います。これはよく話すんですけど、その時期のコンサートに来た方々には、「センチメンタル・ジャーニー」を歌わないで帰してしまって、これは本当に今でも反省していることです。でもそれぐらい、当時の自分は「これからはもっと大人っぽい歌を歌っていきたいんです」みたいな、そう思っていた時期だったので。今思うと、コンサートで「センチメンタル・ジャーニー」を歌わなかったことは、本当に悔やまれますけど、あれから反省して、テレビとかで「センチメンタル・ジャーニー」を歌ってください、というオファーがあったら、喜んで歌おうと思って、歌うようになりました。
――いろんな時期があったんですね。
当時、インタビューで、「18歳とか19歳とかになったら、どうやって歌うんですか?」って意地悪な質問をされたんです。その時は、“何歳になっても、歌うに決まってるじゃん”とか思っていたんですけど、実際18、19歳ぐらいになったら、“やっぱり歌いづらくなるんだ”って、ちょっと思いました。でも、それを超えたら全然大丈夫になりました。デビュー曲は、宝物なので。
――僕ら聴いている側も、その時代に戻れるので。《16だから》と歌い続けてほしいです。
そうですよね。私も、歌う時は16歳に戻るので、「みんなも16歳に戻ってください」と言って、今は歌っています。
――80年代に残した歌たちは、全部が愛しい存在ですか。
そうですね。聴いていて、キュンとします。皆さんもたぶんそうやって、当時を懐かしみながら聴いてくださる方も多いと思うので、ずっと聴いてもらいたいですし、自分も歌いたいです。やっぱり懐かしいし、当時のことを思い出すし、本当にキュンとする、という表現が一番合うかなと思います。
――コンサートで、お客さんはどう見えていますか。当時ほど、踊ったりとか、ジャンプとか、できなくなっているとは思いますが(笑)。
頑張ってくれていますね(笑)。まず私が頑張っているので。
――伊代さんが頑張るなら、こっちも頑張りますよ(笑)。
逆に、「見ていて怖いから、ジャンプとかしないでください」って言われたりしますけど、全然大丈夫です。お客さんもすごい頑張って、乗ってくれていますし。あとは、私のコンサートは昔から女の子が多いんですけど、最近はさらに女の子が多いな、という感じがしています。衣装をコスプレしてきてくれたりとか、カツラもかぶってきてくれたりとか、そういう方もいて、すごく嬉しいですね。そういう楽しみ方が、もっと広まってくれたらいいなと思います。
■何歳まで歌えているかわからないですけど、声が続く限りは歌いたい。元気なうちに、できることはやりたいなと思っています。
――そしていよいよ、今年のコンサートが決まりました。10月12日。恵比寿のザ・ガーデンホールで開催される『松本伊代 45th Anniversary Live 2026“Journey×EBISU JAM~Lovely I・Y・O~”』。節目となる45周年記念コンサート、どんなことをやってくれますか。
まだ全部の内容は決まっていないですけど、タイトルの“Lovely”だけは、2年前ぐらいから決まっていまして。「“Lovely”って可愛いね」「45周年に取っておきましょう」って、スタッフの方に言われて、「わかりました」と。デビューアルバムが『センチメンタルI・Y・O』で、セカンドアルバムが『サムシングI・Y・O』で、じゃあ今回は『Lovely I・Y・O』にしよう、ということになりました。45周年のために、温めてきた“Lovely”です。
――満を持して。
いつも掛け声的に、ファンの方が「可愛い!」と言ってくださって、それを私が「え? 何?」とか言って、何度も「可愛い!」を言わせていたんですけど(笑)。そのやりとりがすごく好きなので、今年も「可愛い!」を連発していただいて、それを「ラブリー!」に変えてもらうのもいいですね。いつもそうですけど、私のコンサートは参加型で、お客様と一体化して、一緒に何か一つのことをできたらいいなと思っているので。一緒に歌ったり、一緒に振りをやってもらったり、コールを返してもらったり、そういうことをまた今年もやりたいなと思っています。
――たぶん、とても幅広い年齢層の方がいらっしゃると思います。ぜひ、呼びかけの言葉をもらえますか。
もしもコンサートに行くかどうか、迷っている方がいらっしゃったら、ぜひ来ていただきたいです。連休の最後の日ですし、東京に遊びがてら、楽しめる場所がたくさんあると思うので、私のコンサートはついででいいので(笑)、ぜひ恵比寿に来ていただきたいです。そして私のコンサートは、みんなと一緒に楽しめることを考えていて、私もエネルギーをもらえるので、お互い元気になって帰れたらいいなと思っています。去年は、当時の衣装を作り直して着たんですけど、今年はまた新しいデザインを考えて、デビュー当時のものにインスパイアされた衣装を作りたいなと思っているので、それもぜひ楽しみにしてほしいです。どの曲をやるのかな?ということも含めて、みんなで思い切り楽しめたらいいなと思うので、ぜひいらしていただけたら嬉しいです。
――楽しみにしています。最後の質問です。未来について、いつまで歌っていたいとか、そういうビジョンがあれば教えてください。
何歳まで歌えているかわからないですけど、声が続く限りは歌いたいと思っています。ただ、ネガティブなことを言うようですけど、コンサートを1年に1回やったとして、この先何回みんなと会えるかな?と考えた時に、もし70歳までやったとしても、あと10回会えるか会えないか、という感じなので。今、元気なうちにみんなに来てほしい!と思うし、自分も元気なうちに、できることはやりたいなと思っていますけど……ヒロミさん次第ですかね(笑)。
――あはは。なるほど。
だから、ヒロミさんに、「伊代ちゃんを歌わせてあげて!」と言ってください(笑)。
――そっちに圧力をかけましょう、ファンのみなさん(笑)。
「ママ、いつまで歌うの?」ってよく聞かれるんですよ。だから「一生歌うよ」と言っているんですけど、「歌う人って、そういうふうに考えられるんだね」って。ヒロミさんは、いつまでテレビに出ていられるのかとか、よく考えるらしいですけど、「歌手の人はそういうふうに考えないんだ?」と言われて。確かに自分でも、「お話が来れば歌いますよ、いつまでも」という感じなんです。
――ぜひそれでお願いします。可能な限りいつまでも。
聴いてくださる方がいれば、歌い続けたいと思いますね。
取材・文=宮本英夫 撮影=大橋祐希
ライブ情報
開場:16:15 開演:17:00
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【数量限定】
※入場制限 未就学児入場不可
※別途ドリンク代かかります。
※客席を含む会場の映像・写真が公開されることがあります。
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