角野隼斗、リサイタル“Chopin Orbit+”でみせた鮮やかな深化【レポート】
『角野隼斗 ピアノリサイタル “Chopin Orbit+” supported by ロート製薬』
前回、角野隼斗をサントリーホールで聴いたのは2025年2月、“Human Universe”のツアーファイナルだった。それから1年半――。“Chopin Orbit”ツアーの追加公演として、そして角野いわく夏休み企画として開催された2026年8月の2夜連続リサイタル。そこで耳にしたのは、わずか1年半とは思えないほど鮮やかに深化した、角野隼斗の現在地だった。
8月18日(火)のサントリーホール・リサイタルは、“Chopin Orbit+”と題されたショパンを軸とするプログラム。ボウタイにブラックスーツ姿で登場した角野がショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」を弾き始めると、2021年のショパン・コンクール、セミファイナルでの演奏が脳裏によみがえる。しかし、今日のステージにはコンクールのような張りつめた空気はない。ときにテンポを揺らしながら自在にドラマを作り、「自分のショパン」を提示する姿には、世界の一流コンサートホールや音楽祭で経験を重ねてきたピアニストの風格が漂っていた。第3楽章の葬送行進曲は、彼方から葬列が次第に近づいてくる音響効果にフォーカスしたアプローチが角野らしい。足取りは悲痛で重々しいというより、青空を見上げて回想に浸るようなヒロイックな響きを帯びていた。
続くサン=サーンス(リスト編曲)の「死の舞踏」は、学生時代から弾いている十八番のレパートリー。午前0時を告げる時計の音ではじまり、舞い踊る骸骨たちを最弱音で描き出す。鐘のように濁りのない音でオクターヴを響かせ、フーガ風に絡み合う旋律ではスタッカートが冴えわたる。腕を高く振り上げ、垂直に振り下ろして打鍵することでキレのある音を生み出すと同時に、横方向への一切無駄のない動きが正確無比なテクニックを支えている。その多彩なタッチの使い分けは、まるで魔法であった。
ショパンの「子守歌」では、グランドピアノとL字形をなすように置かれたアップライトピアノが使われた。フェルトピアノ(ハンマーと弦の間に薄いフェルト布を挟んだピアノ)らしい柔らかい音色でありながら、高音のキラリとした煌めきもある絶妙な調律は、角野オリジナルのバランスだろう。夢見るような浮遊感が、アンビエントなムードを醸し出す。
そして前半最後は、ショパンのポロネーズ第6番「英雄」。ショパン・コンクールのときから角野の「英雄」は輝かしく軽快で、洒脱さと気品を纏っている。ますますグルーヴィに躍動する左手のオクターヴ連打を聴きながら、「英雄の凱旋」という言葉が浮かんだ。
プログラム後半はMCから。今日のリサイタルでは、パリのマドレーヌ寺院をイメージした照明をセットしたとのこと。サントリーホールで、これだけ本格的な照明演出があるリサイタルも珍しい。「あなたは今、マドレーヌ寺院にいます」と角野に催眠術をかけられ、幻想的な光のなか、ショパンの葬儀が営まれたマドレーヌ寺院へとタイムトリップする。
ここからは作曲家・角野隼斗のオリジナル作品が並ぶ。ショパンのピアノ協奏曲第2番の第2楽章をもとに、角野が即興的に発展させて書いた「ラルゲット」。アップライトピアノに向かい、ジャズの語り口でリラックスした演奏を繰り広げる。「ショパンの真価は即興性にある」という角野の言葉をそのまま体現した音楽に、2,000席規模のサントリーホールが、親密なサロンに変わった瞬間を見た。
ポロネーズ「空想」は勇壮なポロネーズのリズムに、日本の祭りのリズムを取り入れた角野のイマジネーションが光る曲。どこまでも広がる青空を滑空する紙ひこうきのように加速し、強さと輝きを増していく展開は、まさに角野隼斗というピアニストの個性を映しているかのよう。彼自身にとっても、素直に感情のまま弾ける曲なのではと思わせた。
左手でアップライトピアノを、右手でグランドピアノを弾いてみせたポストリュード「雨だれ」もじつに角野らしい一曲。左手がジャズベースのようなフレーズを繰り出し、それに応えて右手が即興的なメロディを奏でる。もはやピアノを超越し、ひとりでジャズ・トリオのセッションをしているかのようだ。続いて、ショパンのエチュード「黒鍵」と、角野のエチュード「白鍵」をセットで。指の鍛錬のための「エチュード=練習曲」も、音ゲーが大好きな角野にとっては遊びの一部なのだろう。
立ち上がってアップライトピアノ内部の弦をはじき、角野作曲の「追憶」がはじまる。宇宙空間に漂っているような幻想的な響きのなか、ミニマリスティックなメロディに誘われて、記憶の奥底へと入っていく。そこにはショパンの断片も聞こえる。最後の一音をアップライトピアノからグランドピアノへと引き継ぎ、そのままショパンのエチュード第11番「木枯らし」へ。嵐のようなフォルティッシモでも上体をほとんど動かさず、過度に体重を乗せることなく、十分な響きを生み出す角野は、サントリーホールという空間をすっかり手の内に収めている。
ラストはストラヴィンスキー(アゴスティ編曲)のバレエ音楽「火の鳥」組曲。〈凶悪な踊り〉では、混沌とした楽想においても、複雑に絡み合うパッセージがすべて整理されて聞こえることに驚く。瞑想的な〈子守歌〉は抑揚をおさえてゆっくりと進んでいく。そして〈終曲〉では一音一音が躍動する圧倒的なダイナミズムを聴かせた。
終演後、拍手に包まれながらふたたびステージに登場した角野からのプレゼントは、新曲「Forma」(ラテン語で「形」の意)の初披露。9月から国立新美術館で開催される『ルーヴル美術館展 ルネサンス』のテーマ曲として書き下ろした曲で、「光のなかで、形が立ち上がる様子を音に込めました」とのこと。陰影を帯びた響きに、端正なメロディが浮かび上がるさまが美しい。
アンコール2曲目は、愛猫プリンの様子を描いた「大猫のワルツ」。「プリンはだんだんと小さくなって、このあいだ旅立ってしまったけれど、この曲を作って本当によかったと思います。この曲がある限り思い出せるから」と語る角野。「でも、しみじみとしないでくださいね。楽しい曲ですから」という言葉とともに、愉悦感たっぷりのワルツで締めくくった。
いっこうに鳴り止まない拍手に「もう1曲だけ」と指でサインして、「7つのレベルのきらきら星変奏曲」。超速のラストに会場はますます盛り上がり、その勢いのままスタンディングオベーション。サントリーホールがこんなに小さく見えたのははじめてだった。
取材・文=原典子 撮影=渡邉隼 / Hayato WATANABE
配信情報
supported by ロート製薬<Streaming+>
リピート配信 [1回目]:9月7日(月)20:00~
リピート配信 [2回目]:9月8日(火)20:00~
※本公演は生配信、リピート配信のみとなり、アーカイブ配信はございませんのでご注意ください。
※配信中、途中から視聴した場合はその時点からのご視聴となり、巻き戻しての再生はできません。
一般の方:3,900円
※リピート配信終了後の“見逃し配信”、開演後の“追いかけ配信”はございません。
※リピート配信は再放送となります。配信時間を過ぎてから巻き戻し再生等は出来ませんのでご注意ください。
※
※インターネット回線やシステム上のトラブルにより、配信映像や音声の乱れ、公演の一時中断・途中終了の可能性がございます。その際は、トラブルの内容に応じて都度お知らせをさせていただきます。
※お客様のインターネット環境、視聴環境に伴う不具合に関しては、主催者は責任を負いかねます。
※本公演は有料での配信ライブです。一切の権利は主催者が有します。カメラ・スマートフォンなどによる画面録画・撮影・録音はすべて禁止いたします。また、動画サイトなどへの無断転載・共有を行った場合、法的責任に問われる場合がございます。
※配信ライブ映像を商用利用することは禁止とさせていただきます。これには、飲食店、広間等で聴衆から料金を受領して配信ライブ映像を流すことを含みます。
ご購入された