古家正亨の「韓 I help you ?」◆アーティスト・インタビュー ~SULTAN OF THE DISCO(スルタン・オブ・ザ・ディスコ)
SULTAN OF THE DISCO(スルタン・オブ・ザ・ディスコ)
【アーティスト・インタビュー by 古家正亨】
SULTAN OF THE DISCO(スルタン・オブ・ザ・ディスコ)
今年も盛り上がりを見せた、夏のライブイベント“SUMMER SONIC2016”。中でも異色のキャラクターで注目を集めたバンドが彼ら“SULTAN OF THE DISCO(スルタン・オブ・ザ・ディスコ)”。彼ら目的で会場を訪れていなかった人々も、その“音”が放たれるや否や、自然と彼らのステージへと惹きつけられていくその様は、まさに「“音楽”に国境なし」という言葉を体現した光景だった。
ヴォーカルで、シンセ、そしてダンスを担当し、楽曲のすべてのコンポーズを手掛けるナジャム・スを中心に、J・J・ハッサン(ダンス、コーラス)、キム・ガンジ(ドラム)、G(ベース)、ホンギ(ギター)からなる5人組の韓国発ソウル&ファンク&ディスコバンドである彼ら。
2006年の結成当初はダンスグループだったが、2010年頃から現在のバンド編成となり、シックやクール・アンド・ザ・ギャングをはじめとした70〜80年代のディスコ・ファンク・サウンドを基調としつつ意匠を凝らした楽曲と、軽快かつ濃厚、そしてユーモラスなライブ・パフォーマンスで、韓国のインディーズ・バンド達が主にその活動の拠点を置く、弘大(ホンデ)シーンで瞬く間に注目を集めた。
2010年にEP『Groove Official』を発表し、韓国で最も権威ある、音楽関係者や音楽評論家たちによって選出される音楽賞、韓国大衆音楽賞の最優秀ダンス/エレクトロニック・ソング部門にノミネートされ、2013年にはファースト・アルバム『The Golden Age』をリリースし、こちらは同賞の最優秀ダンス/エレクトロニックアルバム部門にノミネート。音楽に関わる者からも高い支持を得るように。
さらに2014年6月には英グラストンベリー、8月には日本のサマーソニックと、国内外の大型フェスにも数多く出演を果たし、英BBCをはじめとする現地メディアからも絶賛を浴びた彼らは、2015年には、ビヨンセやレディー・ガガも手がけたグラミー賞プロデューサー、トニー・マセラティと組んでシングル「SQ (We Don’t Need No EQ IQ)」を米国で制作するなど、韓国国内にとどまらず、その音楽観は世界でも評価されるに至った。
そんな彼らが、今年12月にVAPからリリース予定のミニアルバムで遂に日本デビューを果たすことになった。なぜ今“日本”なのだろうか。そして彼らの魅力はどんなところにあるのだろうか。SUMMER SONIC2016でのライブを終えた彼らに直接話を聞いた。
SULTAN OF THE DISCO(Live at 青山 月見ル君想フ)
古家) サマーソニックでのライブ、今回2回目でしたが、いかがでしたか?
ハッサン) 大阪と東京でのライブでしたが、とても楽しかったし、新しい僕らのファン層を開拓するという点で、とても意味深い、そんなチャンスだったと思います。
古家) ツイッターの反応を見ると「とても良かった」という感想が多かったんですが、日本のファンの方々の反応をどう感じましたか?
ナジャム) 韓国のファンの反応も、いつも“熱い”と思っていたのですが、今回、日本の方々の反応もそれに負けないくらい、大きい反応がすぐに来たので、とても幸せでした。
古家) 前回のライブでの反応と比べて、何か違いを感じましたか?
ハッサン) その時も、とても反応は良かったのですが、今回の方が、より多くのお客さんが来てくれれましたし、僕たちもツイッターを確認したんですが、僕らが来日することを知って、わざわざ観にきてくださったお客さんがたくさんいらっしゃったことを知りました。僕らの日本のファンということですよね?(笑) ですから、とても楽しかったです。
古家) SULTAN OF THE DISCO(スルタン・オブ・ザ・ディスコ)としては、2006年からの活動だと思うんですが、アルバムリリースはその後ですよね?
ナジャム) フルアルバムを出す前には、プロジェクトグループとして、“何か面白いもの”をテーマに、本格的ではなく、不定期に活動をしていました。ですから、2013年にフルアルバムを出してから、初めてバンドとして本格的な活動をスタートさせたと言えます。確か、一番最初のライブは2006年の9月で、当時は3人のダンサーと2人のコーラス、1人のラッパーという構成で活動を行っていたんですが、今のメンバーは、それぞれ、ホンデの付き合いの中で、無事に生き残った(笑)メンバーたちで構成されています。最初は本当にアマチュアとして活動を始めたので、1年にライブはたった2回くらいで、何かの面白いきっかけがある時に、ステージに立たせてもらったりしていたので、アルバムを出すことなんて考えてもいませんでした。ただ、その後2010年になって、僕らの音楽に関心を持ってくださる方がいて、ミニアルバムを発表することになり、そこからしっかりバンドを組んで、本格的な活動を準備し始めたという感じです。ですから、やっとバンドとしてライブが出来るようになった!というのが2012年頃で、2013年にフルアルバムのリリースと共にバンドとしてしっかりした活動が始められるようになったんです。
(右)ナジャム・ス
古家) ところで、バンドの名前って誰が、どうやってつけたんですか?
ナジャム) 最初に名前を考案した人は、このメンバーの中にいないんです(笑)。というのも、ずっと前に、誰かが、ダイアー・ストレイツの名曲「Sultans of Swing」から、こんな名前のバンドがあったら良いのに・・・と言っていたのを僕がたまたま聞いて、それがすごく気に入ったので、ま、それを拝借したわけです(笑)。ネットのドメイン名のようなものですよね(笑)。その当時、僕は、ちょうど作曲家になりたいと思って、音楽の勉強をしていたのですが、好きな曲の歌詞を、面白く入れ替えて、つまり替え歌にして、それに振りを付けて、皆を笑わせてみようと思って。そういった僕らの音楽スタイルに、たまたまその名前のコンセプトも合っていたということなんです。
古家) なるほど。ところで英グラストンベリー・フェスティバルに参加していますよね。これって韓国のアーティストとしては異例だと思いますし、しかも2回! 一体、どんなきっかけで海外での活動をスタートさせることになったんですか?
ナジャム) 全てのきっかけはグラストンベリーで、それはそれはとってもラッキーなことでした。2013年の10月に、韓国の蔚山で行われたお祭りでライブをしていた僕たちを、ちょうど、同じ時期に開かれていた、アジア・パシフィック・ミュージック・マーケットのために来韓していた、グラストンベリーのプログラム責任者が、偶然僕らのステージを観てくれたらしく、その後、トイレで偶然会って(笑)。「今度グラストンベリーに参加しないか?」ってトイレで声をかけてくれて、それが本気なのか、冗談なのかわからなかったんですけど、知らないうちに、気が付いたらキャスティングされていて、みんなで「え?」って感じでしたよ。で、本当に参加することになりました。それがその後の海外活動の出発点になったわけなんです。
古家) トイレが“運命の出会いの場”だったわけですね(笑)。それにしても初の海外が、グラストンベリー! 反応は如何なものだったのですか?
ハッサン) 本当に良かったですね。
(左)J・J・ハッサン
ナジャム) 自分がミュージシャンになって、こんなことを経験してみたいということを、お客さんたちの表情を見て、それを実際に感じることが出来ました。「音楽って本当に、やりがいのある仕事だなぁ」と。初めて聴く、しかも韓国語の歌なのに、皆ダンスを真似して踊ってくれたり、「I love you, one more song!」 などと言って叫んでくれたので。その時「音楽をやり続けたい」という自信感を得ました。
ハッサン) そして今年もまたお招きいただいて、6月に参加してきたのですが、2回目だったので、それほど緊張はせずに、とても楽しくパフォーマンスすることができました。しかも、今回はとても良い時間帯にステージに立てたんですね。
ナジャム) そのステージのヘッドライナーでもありましたね。それに、2年前に僕らのステージを見ていたイギリス人のファンたちがまた来てくれていて、しかも、僕らの衣装のコスプレまでしてくれていて、一緒に楽しんでくれて、とても嬉しかったです。
古家) SULTAN OF THE DISCOの音楽性は、70年代、80年代のディスコサウンドをベースに、ユニークな韓国語詞をのせた、独特な魅力のあるものだと、僕は感じていますが、最初バンドをやり始めた時に、どんな音楽を伝えたいという思いがあったんでしょうか?
ナジャム) 僕が拝借した(笑)バンド名が“SULTAN OF THE DISCO”だったので、もちろんディスコをやるべきだと思いました。ですから、それに合わせて、かなり集中してディスコを勉強しましたね。特に70年代の当時アメリカのチャートに、主に上位に入っていた、とても商業的なディスコを中心に勉強して、それを徹底的に練習しました。同じ時期に、韓国にもディスコやファンク、ソウルを標榜するバンドは他にもたくさんあったんですが、オリジナルのサウンドを追求するというよりは、かなり都会的に洗練された音楽をやっていた人が多かったので、その点、僕らは違っていたと思います。でもサウンドは本物を目指しましたが、僕らのパフォーマンスや歌詞の世界は独特だったと思います。
古家) そうなんですよ。そうすると、韓国でアルバムが発表された時、どんな反応があったんでしょうか?
ナジャム) 多分、違和感が強かったと思います。というのも、ディスコというものに対して、すでに完成された強いイメージが、皆さんの頭の中にある中で、それとはちょっと違う音楽を僕らがやっていたので。そして、その反応の多くは「ふざけるな」という反応でした(笑)。僕らがいつも独特な衣装を着て、バンドの名前も、レコード会社(ブンガブンガ・レコード)の名前も面白いものだったので特にそうだったかもしれませんね。韓国の音楽評論家からは「もっと真剣にやれ」とか「コンセプトに音楽が隠れてしまう」とか散々言われてきました。ところが、グラストンベリーに参加してからは、まったく言われなくなり、今はあまり気にしていません(笑)。
Sultan of the Disco at Glastonbury
古家) わかりやすいですね(笑)。僕は特に、サウンドもしかりですが、歌詞がどれも面白いと思ったんですね。でも、そのディスコ音楽の世界観に合わせて、このような面白い詞を書くことの難しさはないのですか?
ナジャム) そうなんです。実はそこが一番難しいところでもありますね。ずっと良い歌詞を書き続けるためには、言いたいことが多い人の方が向いてると思いますが、僕はそう言いたいことが多くはない人なので(笑)、偶然見つけた素材で、こうすればこうなると、感性よりは理性的な考え方で詞を書いているので、もっと感受性が欲しいと思っています。なので、今回、日本に来たことをきっかけに、感受性をもっと満たして帰りたいと思います。昨日も原宿から青山まで歩きながら、いろんな人々を観察して、どんな服装をしているのかよく見たり・・・。音楽には、いろんな要素が結合しないといけないと思っているので。
古家) 音楽の制作作業は普段、バンドでどうされているんですか?
ナジャム) 残念ながら、僕らの全ての曲は、僕だけが書いています。作詞もアレンジもそうです。でも、これから制作にかかるセカンドフルアルバムは、よりバンドらしい作業で、皆と一つになった音楽をしてみたいと思っています。そして、一番理想だと思っている音楽の制作作業は、メロディーと歌詞が同時に思い浮かんで、迷わずに曲が書けることですね。例えば、僕らの曲の中に「Tang Tang Ball」という曲が、まさにそうやって出来たものなんですが、その曲は僕らの中で、一番のハイライトだと思っています。その一方で「Butterfly」という曲は、伴奏だけがある中で、1つ1つ計算しながらメロディーをつけるなど、かなり苦労をしたものだったんですが、聴いてくれたリスナーは、そこまで細かい作業を経て作られたという感じはしないみたいで(笑)。時間をかければ良いっていうわけじゃないみたいです(笑)。どのプロセスが正しいのかはよく分かりませんが、ま、とにかく良い曲が出来るのが一番嬉しいことですね(笑)。
「Butterfly」(MV)
古家) そのステージ衣装と振り付けは、まさにSULTAN OF THE DISCOの真骨頂だと思います。これって、どのように決めているんですか?
ハッサン) 全て、皆で打ち合わせをして決めています。バンドではあるんですが、音楽以外のことも一緒に話を合わせて決めています。シングルやアルバムをリリースする毎、シーズンごとに衣装を替えています。振り付けは本当に大変ですが、皆、そこまで振り付けの大切さに気づいていないのです(笑)。
ナジャム) 僕は振り付けは素晴らしい芸術の1つだと思っています。時間の流れに伴って動作が付いているという、まさに1つの曲でもあるんです。踊りは聞こえない歌であり、歌は見えない踊りだという言葉もあるぐらいですから。なので、曲を書くのと同じように、そう簡単に付けられるわけでもないんです。特に、今の時代は打ち込みで音楽作業が出来て、修正も簡単にできてしまいますが、ダンスはそれが出来ないので、体力消耗が激しいですね(笑)。ダンサーのハッサンと僕が、主に振り付けをやっているのですが、その方面の専門家ではない分、ネタも少なくて苦労はしているものの、その分、面白い振り付けが出てくることも多いです。果たしてこれって、本当にダンスになるだろうかと(皆、爆笑)。そこがSULTAN OF THE DISCOの個性であり、皆さんにアピール出来る絶妙な魅力にも繋がると思っています。
SULTAN OF THE DISCO インタビュー風景
古家) さあ、そしていよいよ日本デビューですね。
ナジャム) いきなり出てきた話ではなくって。ずっと前からそれを望んで進めてきたことだったので「やっと出来た」という感じですね。2、3週前にVAPで最終的にサインをもらって、日本デビューが確定した時には本当に嬉しかったです。
古家) そもそも日本で活動したいという気持ちはあったんですか?
ナジャム) 僕はむしろ、欧米はあまりにも遠すぎる感じがするし、しかもアジア人という見た目的な違いもあったので、イギリスで活動したときは、少し戸惑いも感じました。でも日本だったら、韓国よりも、可能性があるのではないかという期待がありました。日本の方が人口も多いし、何と言っても文化の多様性が進んでいるので、僕らの音楽を好きになってくれる方々も、きっといると思って。今回準備しているアルバムに、1曲くらいは日本語詞の曲も入れてみようと思っていて、ある方に手伝ってもらう予定もあります。まずは、これまで発表してきた曲の中でも、一番日本の皆さんにも好きになってもらえるような曲を選んで、もう一度サウンドを整えて発表したいと思っています。
古家) ところで、好きな、もしくは影響された日本のミュージシャンっていますか?
ナジャム) ディスコを聴く前までは、実はずっと渋谷系を聴いてました。Mondo GrossoやFPM、FREE TEMPO、キリンジが大好きで聴いてました。ディスコを聴くまでは(笑)。ドラムのガンジは、もっと聴いてましたよ。
ガンジ) ZAZEN BOYS、SOIL&"PIMP"SESSIONS……
皆) お~。
キム・ガンジ
G
(中央)ホンギ
ガンジ) パ、PARIS MATCH
古家) PARIS MATCH?
ガンジ) PARIS MATCHは、聴くのが恥ずかしくて隠れて聴いてました。ファンや他の皆には、自分は強いイメージで売っていくつもりだったのに、こんな優しい音楽を聴いているということ、バレたくなかったんです。
皆) (爆笑)
ガンジ) でも、PARIS MATCH、いいアーティストです。
古家) 韓国には、業界人を中心に、PARIS MATCHのファンって本当に多いですよね。今でもソウルのカフェとかで、BGMとしてかかってますから。
古家) では、最後に日本のファンにメッセージをお願いします。
ナジャム) これから、最善を尽くしていたいと思います。どうか僕らの音楽に興味を持っていただいて、たくさんの応援よろしくお願いします!
SULTAN OF THE DISCO with 古家正亨
(取材・文:古家正亨)
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