東南アジアでオタクカルチャーを伝導! "さかなちゃん"へのロングインタビュー(前編)

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ベトナムを拠点に萌えの伝道師として活動、さかなちゃんとは?

オタク文化を東南アジアで伝導している、知る人ぞ知る有名人が「浴槽 魚」こと通称さかなちゃんという女性。現在はベトナムを離れカンボジアにてファッションとオタクカルチャーを広めている最中の彼女に、Skypeにて国際通話インタビューを敢行させて頂いた。いま、熱くなっているベトナムのシーンとはどんな感じなのだろうか?

――本日は宜しくお願いします。まずは、影響を受けたアニメや漫画を教えてください。

さかなちゃん:小学生のときから大好きな『HUNTERxHUNTER』です。この作品は私がが唯一、原作を全巻集めていて、下敷きやポスターなどのグッズも大量に買いあさって、OVAまでDVDも揃えたほど、今までの人生で一番ハマっている漫画です。 近年もリニューアルされてアニメ化したので、わくわくしながら見てました!

――キメラアント編ですね。個人的には出来が良かったと思っているのですが、さかなちゃんとしてはどうでしたか?

さかなちゃん:声優さんが変更になって違和感のあるキャラもいましたが、キメラアント編の内容はかなり良かったですね~! 単行本の最新巻が出たらまたお土産頼まなきゃなぁ(笑)。

――『HUNTERxHUNTER』にまつわるエピソードが多そうですね(笑)。他にはどんなエピソードがありますか?

さかなちゃん:実は、HUNTER文字の読み書きも中学時代にマスターしました!(笑)。あとはジャンプフェスタで生の声優さんを目の前にして号泣したこともありますね。

――そんな青春だったんですね。高校を卒業した後、デザインの学校に進学されたということを伺ってますが、デザインの学校に決めた大きな理由とは何でしょうか。

さかなちゃん:高校時代は漫画研究部に所属していたのですが、特にずば抜けて絵が旨いわけでもなく、漫画を描くのが好きな訳でもなくて。ただ、それでも絵を書くことしか当時の自分のやりたいことがなかったんです。
 将来の夢というのも当時は無く、大学に行くような学力や家計的な余裕も無くて。

――就職の道は選ばなかったんですか?

さかなちゃん:仕事をする気にもなれず、何もしたくなくて。一番モラトリアムな時期だったと思います。最終的に、自分が少しでもヤル気になれるように、しぶしぶデザインの専門学校を考えました。本当に最初は、全く強い思いはなく「なんでもいいや」という気持ちでしたね。自分の人生にやる気がなかったんです(笑)。

――そういう時期はありがちですね。

さかなちゃん:転機になったのは体験入学したデザイン系の専門学校で、たまたま私の担当になった方が、ファッション科の先輩だったんです。そこで、「あなたはファッション科が向いてると思うよ!」って言われて、初めてファッションデザインという選択肢が自分の中に出来ました。それをきっかけに、デザイン学校のファッションデザイン学科に入学を決めました。

――運命の出会いですね! 人生の大きな分岐点だ!

さかなちゃん:もともとファッションデザイン分野で夢があった訳でも、実績があるわけでも、ソーイングなどの技術があるわけでもなかったので、本当にゼロからのスタートでした。
 それでも、一番最初のシンプルなスカートの課題で、勝手に裏地付きのチェックのフリルスカートを作ったり、先生から見たら、ある意味問題児だったかもしれませんね(笑)。

――真面目に取り組んでるけど、アクセルは全開と。今と同じですね(笑)

さかなちゃん:そうですね(笑)。それで、専門学校1年の終わり頃から奨学金で学校に通ってたんですが、「将来の自分に借金をして学校に通う」ということを実感してからは、なんだかやる気が出て、それまで以上にしっかりと学業に取り組むようになりましたね。
 そして、2つ目の決定的な出会いは、2年生の担任の先生です。その方がすごく私の作品を褒めてくれたり、「あなたには才能があるわ。先生も全力で応援する」だなんて、自分がずっと求めていた言葉や気持ちを沢山くれたんですね。
安易かもしれないけれど、そこで初めて自分のしている事が人に認められた気がして、生きている実感とか色々溢れて来ましたね。生まれてはじめて、承認欲求が満たされた感覚がありました。

――いい話だ!

さかなちゃん:それからは、最下位も同然だった成績がみるみる上がっていって、学外のデザインコンペなどでも、賞を頂いたり出来るようになりました。応援してくれた先生のおかげで、私は自分の好きなことをして生きていいんだ、って思えたんです。

――得意なデザインモチーフはどういったジャンルですか?

さかなちゃん:好きなデザインは、人間、臓器、動物などのデザインです。
 動物の解剖図や、生物学などから連想するデザインが好きですね。エログロナンセンスという文化が好きなのもありますが、基本的には、幼少時代から虫や爬虫類、生物の資料集や科学の教科書が好きだったので、そういったものが大きいです。あとは女の子が大好きなので、少女や女体をモチーフに入れることが多いです。

――さて、オタクカルチャーの伝道者としてアジアで活躍するきっかけになったメインの話題に切り込んでいきましょう!まず、『ベトナムでメイドカフェ』の経緯を教えて下さい。

さかなちゃん:お話を頂いた当時は、ちょうど、2年間程働いた原宿でのアパレル会社を退社してすぐでした。当時のわたしは、「自分のブランドが作りたい!」という夢があったんですね。そこにメイドカフェの話が来たとき、自分の大好きな"オタクカルチャー"と、デザインを軸とした"自分のカルチャー"を発信出来る拠点が作れるというのは、とても魅力的だと感じました。

――確かに、ディレクションする上で軸が重要になりますね。

さかなちゃん:ただ当時は家族の具合が悪くて会社を辞めたのもあり、すぐには決断出来ませんでした。実際に発起人の方と対面して打ち合わせをしたり、ベトナムに視察に行くまでには半年くらい時間が空きましたね。

――それはなかなか難航しましたね。

さかなちゃん:でも空いている時間を活用して、メイドカフェで使いたいメイド服のデザインだとか、自分のポートフォリオなんかを制作して、打ち合わせの際に売り込みました(笑)。

――おお、仕込み大事ですね! 渡航するのに苦労した準備は?

さかなちゃん:初めての海外、初めてのベトナムということで、何があって、何がないのかもわかりませんでした。とりあえず、普段使っている化粧品やケア用品は1年分くらいまとめ買いしました(笑)。後は自分のお洋服くらいです。それでも結構な量になりましたが。
 後は、家族が当時、「まだベトナムではまだ戦争が行われてるんじゃないか、治安が悪いんじゃないか、ジャングルなんじゃないか」なんて言っていて。「自分の人生だから、今やりたいことしたいんだ!」って納得してもらうのに少し時間がかかりましたね。

――たしかに事情がわからないと、不安はありますよね。

さかなちゃん:そんな家族も、最終的には「いつでも帰ってきていいんだからね。がんばっておいで」って送り出してくれて、すごく感謝しています。そうこうして、発起人の方のご好意で、ベトナムに視察に行くことになり、
2014年4月、人生初海外に出ることになりました。そこからはトントン拍子で、移り住み始めたのが、同年の7月28日、メイドカフェオープンが9月頭からでした。実際、ほぼ寝ずに立ち上げしましたね!(笑)。

――さて、その頃のベトナムについて語っていただきましょう。

さかなちゃん:当時のベトナムは、本当に日本文化がほぼなくて、ニーハイにミニスカなんてファッションは街の何処にもいない、ツインテールなんて3歳以下の子供しかみたことないし、ロックや、パンクファッションも毛嫌いされていて、日本人を相手にするようなカラオケでも、ロックを歌うと途端に女の子が耳をふさいで離れていくし、ファッションも音楽文化もまだまだ何もない、でもこれからものすごい勢いで発展していく、そんな魅力のある国でした。

――ある意味、未開の地であったわけですけども、カルチャーが根付く素養はあった?

さかなちゃん:女の子がね、オシャレじゃないんですよ!

――と、いいますと。

さかなちゃん:先述の通り、ファッションがダサいのに、女の子の素材はすごいよくて。「これはコーディネートしたら良くなるぞ!」っていう、いわばアイドル育成ゲーム的な精神を刺激されました。これは行ける! と確信した瞬間ですね。

――可愛いは正義ですね! では、ベトナムでのメイドカフェ立ち上げの話からお願いします。

さかなちゃん:はい。まず、オープン前の準備に必要なのが、メイドカフェで出す食事のメニュー制作や、接客のマニュアル制作、店内の内装、衣装オーダーなど色々あるのですが、まず大変だったのはメイドさんの教育です。
 第2期くらいまでのスタッフは、もちろん日本語も初めてですし、それ以前にメイクも初めて、ニーハイもミニスカも初めて、というような、もともと日本文化にまったく触れたことがないスタッフばかりでした。
  なので教育はローマ字で五十音表をつくって壁に張って、たとえば「おかえりなさいませ、ご主人様」とか発音と言葉の意味を教えこんでいきました。簡単な日本語の挨拶などの日本語の授業をする感じですね。

――現地に最適化するんじゃなくて、日本をそのまま持っていったんですね。

さかなちゃん:そういう感じです。細かいところですと、お辞儀の仕方や、萌え萌えじゃんけんとかミニゲームの仕方……たとえば二人組になって勝ったときと負けたときの仕草も指導しました(笑)。

――それは楽しそうな授業ですね(笑)。

さかなちゃん:加えて、みんな絵心があまりにもなかったので、(ケチャップで描く)基本のひらがなの文字と、シンプルな猫とハートマークが可愛く書けるように、お絵かきの授業もしました。
 後は、お化粧の練習や、色々な衣装を着てコスプレに慣れて貰ったり、というのを、"研修"として受けて貰ってましたね。そんな地道な努力をひたすら続けました。これが最初の1か月位だったんですけど、忙しすぎてお店のキッチンの床で寝てたました。ぶっちゃけ、ほぼ寝てませんでしたね(笑)。

――過酷だ! 仕込みからオープンまでの期間が1ヶ月だったんですね。

さかなちゃん:そうです! でもその頑張りもあって、一ヶ月後のオープン前にはそれぞれのメイドさんがメイドとしての振る舞いを楽しんで出来るようになりました!

さかなちゃん:基本である「お帰りなさいませご主人様(お嬢様)」「何名様ですか? こちらにどうぞ」、「はい! ただいまうかがいます!」「かしこまりました!」などの基本の言葉は完全にマスターしてくれてましたし。メイドカフェ特有の『美味しくなる魔法』に至っては、基本の「おいしくな~れ、もえもえきゅ~~んっ!」以外の、自分オリジナルの魔法をかけられるメイドさんも出てきましたね!

――何もできなかった子たちが立派に育って(笑)。

さかなちゃん:(笑)。他には自撮りの仕方を始めとして"写真に映りなれる"練習も兼ねて、自分の可愛い顔を意識してもらう為に、毎日沢山写真を撮って、それを自分でFacebookにアップ出来るようにしたりしました。

――可愛い自分のプロデュースですね。

さかなちゃん:お金の管理も日替わりでメンバー交代して任せることで、少しづつ責任感と達成感を感じてもらって。
他には一緒にダンスのレッスンをしたり、折り紙を折ったり、手書きのネームプレートを作ったり、楽しくお給仕出来るようにしました。

――メイドカフェ1つにこんな大きなドラマが秘められていることに圧倒されます。

さかなちゃん:まだまだありますよ! 次に苦労したのは、メニューですね、メイドカフェは飲食店でもあるので、お食事も大事なんですが、メニューの味や見た目が、なかなかオープンから安定しなかったんですね。
 せっかく来てくれた日本文化が好きなお客さんに、「衣装や文化はいいが、食事がまずかった」と書かれちゃったり。悩んだ結果、毎週木曜日は"メイド長さかなちゃんの手づくりカレーの日!"というのを作って売り出しました。
 作るだけじゃなくて、日本語の授業がある大学の授業に飛び入り参加したり、イベント事に足を運んで営業したりしながら、「私の手作りカレーを食べに来て!」という感じでお客さんを自分の足で連れてきて、少しずつお客さんが来てくれるようになりました。

――何事も体当たりなんですねえ。

さかなちゃん:わたしの手づくりカレーが安定してきてからは、メイドさんの中から、お料理研修希望を募って、
オムライスの作り方を覚えてもらいました。数えきれない程のオムライスを食べましたねぇ(笑)

――試験官ならではの辛さだ(笑)。

さかなちゃん:でも、高校時代から女一人でメイドカフェに通っていた、メイドさん大好きなわたしからすると、お給仕してくれるお気に入りのメイドさんの手づくりオムライスが食べれるなんて、かなりのご褒美なんですよね!(笑)。

――(笑)

さかなちゃん:最初はお食事提供までにかなり時間がかかったりして大変でしたが、味もなかなか美味しく作れるようにして。更に、お絵かきのサービスも勿論、強化して! ベトナムで大人気のスイートチリソースとケチャップの両方を使ってのお絵かきをすることで、日本風オムライスにちょっぴりアジアの良さを入れて提供しました。これが大人気になったので、メイドさんの手づくりお絵かきオムライスが定着してからはさかなちゃんカレーはお休みです(笑)

――おお! ドラマチックだ!

さかなちゃん:そんなこんなで四苦八苦しつつ、Facebookを主体に宣伝をしながら、イベントや大学に足を運んで実際に広告塔になりながらの客引き、そして実際の店舗での接客と教育、管理業務をバタバタしながら体当たりでやってました(笑)。店長をしながら、お店に立っていたのはオープンから3ヶ月くらいだったんですけれど、ベトナム在住当初の怒涛の4ヶ月でしたね。

(後編に続く)

 

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