【コラム】物語の中のアートたち/藤原伊織『ひまわりの祝祭』の中のフィンセント・ヴァン・ゴッホ《ひまわり》
藤原伊織『ひまわりの祝祭』 角川書店公式サイトより(http://shoten.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200706000012)
実在するアート作品が登場する物語を読むと、実際にその作品を目にした時、物語に出てきた場面や会話が甦り、よりいきいきと鑑賞することができる。また、文による緻密な描写は、深く充実した理解を促すだろう。ここでは絵画を効果的に使っている小説、藤原伊織『ひまわりの祝祭』をご紹介する。
世を捨てたデザイナーが対峙する事件
テーマは"欲望"
かつて最年少で権威ある賞を取り、新進デザイナーとして活躍していた秋山秋二は、今や都心の老朽家屋で無為徒食の日々を送っていた。しかし昔の上司・村林の来訪と共に、秋山は非日常に巻き込まれていく。
ファンキーな新聞青年・佐藤、武道に長けた優雅な秘書・原田、フランス語に堪能な娼婦・麻里……。一癖も二癖もある登場人物たちと関わる中で、秋山はある依頼を持ちかけられる。それは失われたフィンセント・ヴァン・ゴッホのアルル時代の連作《ひまわり》のうちの一点を見つけ出す、という現実離れした内容だった。
秋山は富豪の老人・仁科から、人を動かす要素は「カネ」「権力」「美」であると告げられる。それらは全て欲望の要素だ。ゴッホの幻の大作を巡って欲望が渦巻く中、秋山は富にも権力にも流されない。しかし彼には博打の才があり、優れたギャンブラーが相手のカードを見抜くように、陰謀の真相を明かしていく。
描くことは、生きること
フィンセント・ヴァン・ゴッホ
ゴッホはオランダの牧師の家に生まれ、商会に勤めたが解雇。聖職者を目指すも挫折し、二十代半ばで画家を志す。貧困と精神疾患に苦しみつつも絵画創作を続け、三十七歳でピストル自殺を図り、その二日後にパリ郊外で亡くなった。
晩年は少しずつ評価されるようになったが、定説によれば生前の作品は一枚しか売れなかったという。それでもゴッホは絵を描き続けた。彼の人生は失意の連続であり、生活は破綻していたが、制作中は冷静で意識がはっきりしていたという。十年余りの短い制作期間で九百点近くの油彩を手がけたゴッホは、職業として画家を選択したに留まらず、描くことが生きることに等しかったのだと思う。
『ひまわり』 フィンセント・ファン・ゴッホ作 Sompo Japan Museum of Art 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
《ひまわり》を巡るエピソード
三十四歳でアルルを訪れたゴッホは、風光明媚なこの地に強く惹かれ、画家としてのピークを迎える。アルル時代の《ひまわり》は、この時期に描かれた作品だ。
ゴッホの絵は、デフォルメされたモチーフと独特の色づかいが特徴だ。描き手の内面的苦悩をひしひしと感じさせる。しかしアルル時代の《ひまわり》は、充実した生活を送っていた幸せな時期に描かれたことに加え、心待ちにしていたゴーガンとの共同生活の場に飾られる作品でもあったため、未来への希望を感じさせる。
その後ゴーガンとの生活に失敗したゴッホは、自分の耳が入った封筒をなじみの娼婦に渡すという有名な「耳切り事件」を起こす。常軌を逸した行為の裏にどんな葛藤があったのかは、推測すら難しい。しかしこうしたエピソードは、ゴッホと彼の作品に強烈な彩りを添えている。
"欲望"の逆もまた、人を動かす
『ひまわりの祝祭』の終盤で秋山は、慾望ではなくその反対、誠実によって人が動かされることもあると主張する。彼は当初、ひたすら事件に巻き込まれる形だったが、次第に行動力を取り戻し、最終的には事件を動かす側になる。彼の行動原理が誠実に基づいているのは、彼が愛し、彼を愛した人々もまた誠実だったからだ。そして誠実さは、ゴッホの絵に対する姿勢にも強く感じられるものだ。
物語のラストシーンは《ひまわり》にふさわしく華やかだが、また一抹の孤独を感じさせる点も、この絵に似つかわしい。全身全霊を絵に傾けたゴッホは生涯孤独であったし、絵、ひいてはアートに対してこの上なく誠実だったからである。
藤原伊織『ひまわりの祝祭』 角川書店公式サイトより(http://shoten.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200706000012)
定価(税込): 品切れ 重版未定
角川書店公式サイト:http://shoten.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200706000012