稲川淳二、25年目を迎えた怪談ツアーについて語り尽くす

インタビュー
2017.8.3
稲川淳二 [撮影]吉永美和子

稲川淳二 [撮影]吉永美和子


「70歳になった今年が、私の怪談元年だと思っています」

今や「この人が動き出したら、本格的な夏の始まり」と言われるほど、唯一無二の怪談の語り部として活躍する稲川淳二。7月23日から始まった、夏恒例の「怪談ナイト」全国ツアーは今年で25周年。さらに稲川自身も70歳を迎えるなど、いろんな面で節目と言える年となっている。そこでこの機会に、稲川に「怪談ナイト」が始まったきっかけから、怪談を通して気づいた日本語の変化まで、普段なかなか聞けないことをたっぷりと語ってもらった。サービスとして、ツアー中に実際に起こった怪談ネタも披露していただいたので、決して夜中には読まないでください……。

■怪談は前に出る必要がないし、一生懸命やっていれば人が来てくれるんです

──「怪談ナイト」のきっかけとなったのは、今も千秋楽深夜公演を行っている、川崎の[CLUB CITTA’]の怪談イベントだったそうですね。

それまでも人前で怪談を話す機会はあったんですけど、それは小さな場所に数十人を集めたぐらいのもので、やってても特に快感とかはなかったんですよ。でもそのイベントはまさにロックのライブみたいで、ものすごく皆さんの反応が良くて、すごく心地よかったんですねえ。最初の1年目2年目は他のタレントさんもいたんですが、私が圧倒的に話をたくさん持ってたので、次の年も、その次の年もという風になってきて。そうしたら今の(「怪談ナイト」の)プロデューサーが「ツアーをしたらどうだろう?」と言ってくださったんですよ。でもミュージシャンでもないのにツアーなんて……と思ったし、そもそも怪談が仕事になるなんて考えてもいなかった。でもね、亡くなられた山城新伍さんが、よく私に「稲川さんさあ、仕事遊んじゃいけないけどさあ、遊びが仕事になったらいいねえ」って話してたんですよ。「確かにそうなったら楽しいなあ」ということで、3年目からはあちこち飛んでやるようになったんです。

──最初から割と順風だったんでしょうか?

いやいや。当時はまだ「怪談はただ怖いだけ」としか思われてなかったし、なかなか満杯とまではいきませんでした。でも大阪だけは最初から(観客が)多くて、しかも話を聞くのが上手で、すごく盛り上げてくださる人ばかりでね。「ああ、これで大丈夫だ」と嬉しくなったし、続けていく自信にもなりましたねえ。でもそうこうするうちに、他の地方でもお客さんが年を追うごとに増えてきたんですよ。要するにリピーターですよね。去年来た人が、次も必ず来るという。それで何となく定着してきて、で、気がついたら現在なんですよねえ。昔はお母さんに手を引かれて来ていた小さな女の子が、今では「結婚して子どもがいるんですよ」ってねえ、すごいことですよね、25年っていうのは、ええ。

初めて全国を回った1995年のツアーのチラシ。この時はまだ9会場12公演という規模だった。

初めて全国を回った1995年のツアーのチラシ。この時はまだ9会場12公演という規模だった。

──「怪談ナイト」はノスタルジックな舞台セットも毎回見応えがありますが、2000年ぐらいまでは結構アバンギャルドなセットもあったそうですね。

たしかに昔は、ロックの舞台みたいな派手なセットの年もありましたよね。でもやっぱり「一番懐かしいような場所」にいる方が、怪談ジジイには合うようなんで、自然にそうなっていきましたね。よく「なんで一人で話すだけなのに、あんな大掛かりなセットを入れるんだ?」って聞かれるんですけど、私の場合は舞台に来てるんじゃないんですよ。まるで故郷のような……それこそ古びた農家とか、アパートの路地裏のような場所に皆が集まって来て、そこにいるジジイに話を聞くという。舞台にいる感じじゃなくやってるわけだし、私もその方が気分が乗るんですよ。たとえばジェットコースターだって、何もない所に一個だけあってもつまんないですよ。やっぱり遊園地の中にあって、いろんなカラフルな乗り物が周りにあるから楽しくなるんですよね。

──2006年には怪談に専念するために、タレント活動を休止しますが。

ずっとやってるうちにいいファンが付いてきたので、彼らのためにも中途半端な気持ちでやっちゃいけないと思い始めましてね。疲れきった自分が、残りの時間で怪談をやるという人生は送りたくないし、だったらまだ体力があるうちにというので、55歳で辞めたんです。そしたら驚いたのが、あの柳田國男​先生も、新聞社を辞めて民俗学に専念したのが55歳からだったそうですね。

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

──実際最近の稲川さんの怪談も、柳田先生のようにフィールドワークから作り上げたものが増えていますよね。

張り合うのもおこがましいですが、私も「怪談は自分の足で稼ぐんだ」って思ってるんですよ。単純に「こんな怖いことがあったよ」という話だけじゃなく、あれこれ調べた上で出来上がった怪談も楽しんでいただくという。話の欠片をあちこちで見つけて、考古学のように「あれ? これとこれ模様が似てるな。もしかして壺になるのかなあ」って感じでつないでいく。それでどうしてもわからない所を、自分なりに想像して組み合わせて作っていくのが楽しいし、怪談も……考古学じゃないけども、それこそ進化していけるんじゃないかなあと。それと同じようなことをね、柳田先生もおっしゃってるので、結構私のやってることは間違ってなかったなと。

──当時は「辞めるなんてもったいない」という声が多かったですが、そのおかげで今や日本の裏の歴史を発掘するような、ある種民俗学に近いレベルの怪談が生まれていると思います。

やっぱりタレントを辞めて時間ができたから、それができるんですよ。今では大学の先生が、私の怪談を授業で使ってるというから、嬉しいことですよねえ。数年でツアーを止めたり、中途半端にタレントと両立してたら、こうはならなかったですよね、ええ。それにタレントをやっていた時はねえ……つくづく思うんだけど、タレントって何とかして、苦労しないで楽して目立とうとするんですよね。だって目立たなきゃ売れないから。芸も技もないのに、人の邪魔をしてでも前に出て目立てばいいっていうタレントたちを見て「何て恥ずかしいことするんだ」って思ってましたよ。でも怪談はそうじゃないですもんね。自分が前に出る必要はないし、ただ一生懸命やってれば本当にわかってくれる人が来てくれて、ちゃんと会場がいっぱいになるわけだから。

──25年の中では震災が起こったり、癌を患われたりなど様々なことがありましたが、特に大変だったという年はあるんでしょうか?

実を言うと、話そのものをやってる人間が一番大変なのは、話をどう集めて整理するかということなんですよ。おかしな話ですけど、不作の年みたいなのってありますしね。そうでなくても「今年は去年よりいい話ができるかなあ」というのが一番不安だし、大変なことなんですよねえ。でも確かに東日本大震災の時は、最初「これは(東北のツアーは)やれない」と思いましたよ。でもいくつもの会場から「やってくれ」と言われたし、客席も満杯でした。それで思ったんですけど、怪談ってもしかすると、あってもなくてもいい感じになってるぐらい、私たちのすぐ近くにある存在なんじゃないかなあと。だからいざそれがないってなると、何か寂しくなるんでしょうね。人を引きつける何かがある。私いつも言ってるんですけど、怪談はおしゃれで特別な洋菓子じゃないんです。駄菓子屋のような、村祭りのような、故郷のような、いつも懐かしく思っているモノなんじゃないかなあと。普段は気にかけてなくても、夏になった時に怪談がないと寂しいって人が多いのはそれなんでしょうね、ええ。

「怪談還暦」と銘打たれた2007年のツアーでは、赤いちゃんちゃんこを羽織る場面も。

「怪談還暦」と銘打たれた2007年のツアーでは、赤いちゃんちゃんこを羽織る場面も。

■公演の最中に、舞台セットの手水舎の方を見たら男の人が……

──25年やっていて、ちょっと変わってきたなあということはありますか?

怪談って「聞き取る」ということが大事ですから、最近の日本語のイントネーションの変化が気になりますよね。たとえば「泣き虫」って、私は「な“き”むし」と言ってるけど、最近は「“な”きむし」と言う人が多い。「それはおかしい」と思っていたけど、今は両方OKってことになってるんですってね。それって多分、関東から始まった共通語と言われるものが、関西弁などの地方の言葉がどんどん入ってきたことで、より重みがあって使いやすいと思える方に変わってきてるのかなあと。だって本当に間違った使い方だったら、みんな直そうとするはずじゃない? でも今はTVのアナウンサーでも、イントネーションが全然バラバラだし。だから言葉って変わるなあ、時代って変わるんだなあと。でもそういう私も実は、なってるんですよ。ずるいんだけどイントネーションを変えた方が、言葉って雰囲気が出るんです。

──時代に合わせてですか?

というんじゃなくて、自分の中の言葉の流れとして。たとえば「姉」というのは「あ“ね”」と発音するのが本当なんですけど、ときどきわざと「“あ”ね」って言うと、流れの中でドキッとするんですよね。たとえば「あ“ね”がこういうことを言いましてね……」というのを「“あ”ねがこういうことを言いましてね……」と言うと、映えるんですよ。

──確かに後者の方が、語りとして聞いた時に何かザワッとしました。

理屈じゃないけど、そうでしょ? たとえばノックの音でも「コンコンコン、コンコンコン」を一個増やして「コンコンコン、コンコンコンコン」ってする方が入り込めるって言いますからね。皆さんは無意識に話したり聴いたりしてると思うんですけど、状況によってどっちのイントネーションを使えばいいのか、どんな言葉を使ったら映えるのかというのは、私にとってこれ、研究だなあと思います。

──あと25年やってきた中で、特に1997年は函館・富山・大阪と立て続けに強烈な怪奇現象が起こった年だったと聞きましたが、どんなことがあったんですか?

函館はねえ、会場が運河のすぐ近くだったんですが、開場前からたくさんの人が並んでたんですよ。それで「そろそろ開場しまーす」と言って、会場がバーって開いた瞬間に「ギャー!!」「ギャー!!」って、すごい悲鳴が上がったんです。「何が起こったんだ?」と思ってるうちに、少し経ってそれが笑い声に変わって、さらにしばらくしたらサイレンが鳴ったんですよ、いくつも。何があったかというとですね、お客さんが並んでいる目の前の運河から死体が上がったんです、スポーンと。それでみんな悲鳴上げたんですけど、すぐ「あ、そうか。これは(怪談ライブの)仕掛けなんだ」と思って笑ったんですよ。でもそこに救急車が来て、パトカーが来て、本物だとわかったんです。すごいですよ、タイミングがね。それもスポーンと、ねえ? これはすごいなと思いましたね、ええ。

怪現象が続いた1997年のツアーの舞台。同年に起こった「酒鬼薔薇聖斗」の事件を受けて、当初「学校」だった美術プランが神社に変更されたという裏話も。

怪現象が続いた1997年のツアーの舞台。同年に起こった「酒鬼薔薇聖斗」の事件を受けて、当初「学校」だった美術プランが神社に変更されたという裏話も。

──続いて富山では……。

富山ではいろいろ起こってるんですけど、あの年だと靴の話かな? 私が怪談をしている時に、舞台で「コツーン、コツーン」って靴音がしたんですがね、頭の中ではそれが赤いような靴に見えたんですよ。錆びついたような。でも舞台の本番中に、音を立てて突っ切るような人がいるわけがないんですよね。それをスタッフに話したら、本番中に劇場の音響調整室にいたプロデューサーも、やはり「コツーン、コツーン」って靴音を聞いたと言うし、舞台袖の非常階段で青いような人影を見たと言う人もいるし、しかもみんなが言うんだ。「赤い靴のような気がした」と。それで、その会場の舞台を管理している強者のおじいさんに「こんなことがあって」という話をしたら、その人が「稲川さん」って呼ぶんですよ。舞台の袖の所って、吊り物を上げ下げするための綱がたくさんあるじゃないですか? その綱を人間が動かすのは大変だから、大きなモーターを付けたって言うんですが、ある日それが落っこちて一人下敷きになったんだって。その時機械の下から出てきたのは片一方の靴だけで、それがみるみる血で染まった……って言うんですよ。それはその、多分そうですよ。歩き回っているんですよね。「コツーン、コツーン」って。

──……で、大阪では?

その年の舞台セットは神社をイメージしていて、中央に鳥居と石の階段があって、舞台下手(客席から見て左側)には手水舎があって、私が石段の下に座って話すという趣向だったんですね。本番直前に私が上手にスタンバイしてると、舞台監督が(舞台裏の)下手から走ってくるのが見えたんです。そのセットの一番後ろの幕は、25cmぐらい(床から)浮いていたんですけど、ふとその辺りを見たら(舞台監督の)雪駄の後ろ1mぐらいの所で、靴が走ってるのが見えたんですよ。「誰だろう?」と思って幕の奥を覗いて見ると、後ろには誰もいない。でも幕の前から見たら、ちゃんと靴が追ってきてるんですよ、トットットットットって。それで(上手に)着いたのは、もちろん監督一人ですよね。さすがに悪いから、そのことは黙ってました。で、私はその次のキューで、(セット裏の)階段を上がって、石段の一番高い所から登場した瞬間に、下手からブルーのスポットライトが当たるわけですよ。そしたらそのライトの中に、人が立っている。ヌーっと、透けたようになって。でもそんな所、誰もいるわけないんですよ。ライトの邪魔になるんですから。「うわあ……」と思ったけど、(観客の)皆さん拍手しているんで、手を振りながら自分の席に付いて、話を始めました。が……。

──まだ何かあったんですか?

ひょいっと下手を見たら、手水舎があるじゃないですか? そこでこう(両手で頬杖をついて)やってるんですよ、男がアゴを乗っけて、ジーっと客席の方を見てるんです。「あいつ何だろう? 絶対この世のもんじゃない」と。でも私は普通にずーっと話しましたけどね。結構乗るんですよ、そういう時って(笑)。それで(最後の)心霊写真のコーナーになって、またひょいっと見たら、今度は手水舎から乗り出して見てた。「こいつー!」って思ったけど、舞台が終わったらいなくなってたんで、そのまま私は引っ込んだんです。そしたら受付から連絡が入って「何人ものお客様が残っている」と。それで聞いてみたら、全員が「本番中、手水舎の所に男がいた。あれはそういう演出か?」って言うんですよね。当然、演出なんかしてないわけで。だからみんな見てたんですよ。これ(頬杖をつく)をね。

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

■ある程度の年齢……70歳ぐらいにならないと、怪談って無理ですよ。

──今年も何が出てくるかわからないということで(笑)、ただ最近は稲川さんの怪談を聞いても「嫌だなー、怖いなー」というより「ああ、いる所にはいるんだろうな」と普通に受け入れるような感覚になってきましたね。

(取材中の)今だって、それこそ「いる」と思いますよ。シャイで顔を出さないだけで、いるような気がすることがあるしねえ。でもこの年になるとねえ、それが怖くないっていうのが不思議ですよ。若い頃はやっぱり、何かいると「嫌だなー」と思ってましたけど、今は「あ、いるのかなー。いたっていいや」ってなってますよ。だから別にね、幽霊がいることを肯定してもしなくてもいいんですよ。「いるかもしれないなあ」ぐらいがいいんですよねえ。たまに「ちょっといそうな気がして怖いなあ」と思ってくれるぐらいが、一番楽しいんじゃないですか? 楽しんでいただけるのが、一番いいんですよ。

──今年はどのような怪談を用意されてますか?

新作は十分ありますよ。今年グアムに行った時に、昔の怪談に関して新たに発見したことがあったので、その話をしようと思います。あとは私の高校の同級生がしてくれた、井上陽水の『少年時代』が似合うような優しい話とか。また私が忘れてるような、昔の怪談のリクエストも来てるんですよ。20年前に私が語ったのと、70歳になった今ではモノの見方も状況も違っていると思うので、場合によってはそれを入れることも考えています。

今回のツアーの宣材は、野生動物の絵画で知られるキムラケイが二年の歳月をかけて描いた肖像画を使用。 [撮影]吉永美和子

今回のツアーの宣材は、野生動物の絵画で知られるキムラケイが二年の歳月をかけて描いた肖像画を使用。 [撮影]吉永美和子

──70歳といえば、稲川さんはつねづね「怪談は70歳ぐらいになってから」っておっしゃられていたそうですが。

40代の頃は「こんなに楽しいのなら、もっと早いうちからやりたかった」と思ったこともあったんですけど、考えたらそうじゃないんですよね。ある程度の年齢になんないと、怪談って無理ですよ。それだけの奥行きがあるものですから。だから60歳、還暦になった時は結構嬉しかったんですよねえ。普通還暦というと「そろそろ引退だな」と思うんでしょうけど、私は逆に赤いちゃんちゃんこを着ながら「おお、いよいよ来てくれたなあ」と思いましたよ。さらに70歳ぐらいになれば、一応の人生を見てきてるし、失礼な話先輩方も結構いなくなってるし(笑)、自分もいいジジイになってるんじゃないかなあと思って。そこからあっという間に、10年経ちましたね。

──でも実際年を経るに連れて、語りから「個」みたいなものが抜け落ちていってるという感じがします。

そうですね、ありますよね。若いうちって、妙な脂気があるじゃないですか? 欲望もあるしねえ、人間ですから。でもそれがなくなってきたし、しかも「ああ、この話はこうだなあ」と思うと、もう話のテンポができるようになってるんですよ。もしかすると毎年たくさん(ライブを)やらせていただいてるから、この歳になって「自分の語り」というモノが、本当にできてきてるのかなあと思いますねえ。昔は単に一生懸命しゃべってたんですが、最近はよく「何かスーッと入っていく、独特の語りですね」と言われるんですよ。もしかするとそれは、年齢が語らせてくれてるのかもしれないですね。

──だから引退どころか、これからまだどこまで進化するのだろう? と思います。

そうですねえ。またすぐに10年経って「いやあ、すごいね。(80歳まで)来ちゃったね」って言ってるんじゃないかなあってね。ですからその時に、もっといい語りができて、もっといい味が出せたらいいなあと思ってねえ。もうそうなりゃ自慢じゃないけど、本物の妖怪ですよ、半分は(笑)。向こうに行くまではまだ距離を少し稼がせていただいて、しばらくはやらせていただきたいですね、ええ。

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

稲川淳二 [撮影]吉永美和子

取材・文=吉永美和子

イベント情報

MYSTERY NIGHT TOUR 2017『稲川淳二の怪談ナイト』

■日程:※8月3日以降の公演のみ掲載
2017年8月3日(木) 西東京市保谷こもれびホール メインホール
2017年8月4日(金) 山形テルサ アプローズ
2017年8月5日(土) 仙北市民会館 大ホール
2017年8月7日(月) 音霊 OTODAMA SEA STUDIO
2017年8月9日(水) グランドホテルニュー王子 グランドホール
2017年8月10日(木) 札幌 cube garden
2017年8月11日(金) RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 in EZO
2017年8月12日(土) 日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
2017年8月13日(日) 大田区民ホール・アプリコ 大ホール
2017年8月15日(火) 郡山市民文化センター 中ホール
2017年8月16日(水) プラザおでって おでってホール
2017年8月19日(土) SUMMER SONIC 2017
2017年8月20日(日) 千葉市民会館
2017年8月24日(木) 高山市民文化会館 小ホール
2017年8月25日(金)~27日(日) 森ノ宮ピロティホール
2017年8月29日(火) 徳島 club GRINDHOUSE
2017年8月30日(水) 高知 X-pt.
2017年8月31日(木) 松山キティホール
2017年9月1日(金) 高松 festhalle
2017年9月2日(土) JMSアステールプラザ 大ホール
2017年9月3日(日) 岡山市民文化ホール
2017年9月9日(土) さいたま市民会館おおみや
2017年9月10日(日) 横浜・関内ホール
2017年9月15日(金) 日本青年館ホール
2017年9月16日(土) 奥州市文化会館Zホール 中ホール
2017年9月17日(日) 仙台市民会館 大ホール
2017年9月18日(月・祝) 新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ 劇場
2017年9月22日(金) 浜松市勤労会館 Uホール
2017年9月23日(土) メルパルクホール東京
2017年9月28日(木) ハートピア春江 ハートピアホール
2017年9月29日(金) 北國新聞赤羽ホール
2017年9月30日(土) ロームシアター京都 サウスホール
2017年10月1日(日) 新歌舞伎座
2017年10月5日(木) 周南 RISING HALL
2017年10月6日(金) シーハットおおむら さくらホール
2017年10月7日(土)~9日(月・祝) 住吉神社能楽殿
2017年10月13日(金) 府中の森芸術劇場 ふるさとホール
2017年10月14日(土) 東御市文化会館 サンテラスホール
2017年10月15日(日) クロスランドおやべ メインホール
2017年10月21日(土) コラニー文化ホール(山梨県立県民文化ホール) 小ホール
2017年10月22日(日) 相模女子大学グリーンホール
2017年10月28日(土) タイムスホール
2017年10月29日(日) 石垣市民会館 中ホール
2017年11月2日(木) CLUB CITTA’

■公式サイト:http://www.inagawa-kaidan.com/

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